3 シャーネ・ラグリーズ
シャーネ・ラグリーズが自分にとってどんな存在かと問われれば、尊敬する姉と胸を張ってルークは答えるだろう。あるいはもっと率直に愛する姉と答えるかもしれない。
――いずれにせよ姉であるシャーネはルーク心の中で大きなウェイトを占める存在なのは間違いない。
ただし――
「クックック、騎士シャーネよ、大人しくこの大魔術師クルトの軍門に下るがよい」
「断る! わが剣は罪なき人々の平穏を守るためにある!」
もう少し大人しくなってくれれば、というのも確かな本音である。
母のアリシャはシャーネに可愛い衣服を着せて、もう少しお淑やかになってほしいらしいが、この様子では望み薄だ。
きっと今日も彼女は泥だらけになって帰るに違いない。
(――帰る前に軽く洗った方が良いだろうな。一応タオルは持ってきているし)
シャーネを中心とする子供グループは、彼女自身を含めて女の子二人に男の子三人、そして今日はルークが加わり六人となる。
グループ内の力関係は、シャーネを頂点にNo.2のクルト、弟分のアイクとケルン、最後に唯一の普通の女の子ということでお姫様扱いであるトルテとなる。
ルークは一番新入りということで本来ならば下っ端だが、リーダーであるシャーネの弟なのでそういうわけにもいかず、少しばかり微妙な立場だ。
彼らが現在遊び場としている場所は、街の中にいくつか意図的に設けられた広場である。
一見すると土地を無駄にしているようにも感じられるが、こういった場所があった方が子供たちが危険な街の外へと出てしまうこともなく、また何かの起こった際にも色々と使い道があるというのが街を治める領主の考えだ。
(お陰様で今日も気兼ねせずに遊べています、領主様)
シャーネたちのグループが最近好んでいる遊びは、物語の英雄達を模す事――いわゆる『ごっこ遊び』である。
クルトが模すのは『化外の王』を操り古代文明を滅ぼしたと謂われる大魔術士ヴェラード、相対するシャーネが模すのは英雄王ハルトムートと共に『化外の王』を滅ぼしたとされる姫騎士シルヴィア。
騎士を目指すシャーネにとって姫騎士は憧れであり目標でもある。対して悪役ではあるものの、悪ぶることが格好良いと思う年頃であるクルトとしても配役に不満はない。
どちらも思う存分に古の英雄に成りきり、ごっこ遊びはクライマックス最高潮である。
――そんな彼らをルークは少し離れた場所から眺めていた。
「ねえねえ、ルーくんは一緒に遊ばないの?」
囚われのお姫様の出番は悪の大魔術士クルトが敗れた後なので、手持ち無沙汰だったのかトルテが近づいてきて尋ねてくる。
「うーん、こういうのは見てる方が面白いからね」
苦笑しながら返すと「そーいうもの?」と、納得したのかそうでないのか微妙な顔をしている。
もちろん本当の理由は違う。別に彼らを馬鹿にするつもりはない、蟠りなく彼らの中に混ざることができたならば――とも思う。
だが駄目なのだ。彼らを見ていると、心の何処かで彼らの言動を子供染みた――子供なのだから当然だというのに――ものに感じてしまう。
そしてそんなふうに感じる自分自身に、どうしようもなく嫌悪感を覚えるのだ。
せっかく姉が態々誘ってくれているのに、いつも断ろうとしてしまう理由がこれだ。
出番が来たのか、嬉しそうに栗色の髪を揺らしながら駆けていくトルテの後姿をルークは見送る。
(――やっぱり羨ましいかな)
歪な自分とは違う真っ直ぐな彼らの姿は眩しくて――だけどだからこそ尊いものに思えた。
◇ ◇ ◇
「うーん、思ったよりも長引いてしまったな。クルトたちはまだいるだろうか?」
「さすがにもう家に帰ってるんじゃないかな」
時刻は夕刻。今日も今日とてシャーネに手を引かれ、ルークは遊び場へと向かう。
いつものようにクルトたちと遊ぶ約束をしていたのだが、家の手伝いが思っていたよりも長引いてしまい、気づけばこんな時間になってしまったのだ。
ルークとしてはもう少し日が落ちれば、自然と彼らも家に帰るだろうから態々行く必要もないのではないかと思う。
しかしまだ自分たちを待っている可能性がないわけではないし、そうであるならば謝罪せねばならないとシャーネが強く主張したので、こうして向かっているというわけである。
「ふむ、見当たらないな。やはりもう帰ったのだろうか?」
「たぶんそうだと思うけど……」
言いながらも自身も少しばかり納得がいかなかった。クルトたちの性格上、まだ遊んでいるのではないかと思っていたからだ。
「シャーネ姉ッ!」
「クルト?」
切羽詰まった呼び声が聞こえ、顔を向けるとクルトを先頭に子供たち三人が駆け寄ってきた。
しかしその中には何故かトルテの姿は見当たらない。
「いったいどうしたんだ、そんなに息を切らせて」
「トルテがっ、トルテがっ!」
顔を歪め半ばパニック状態にある彼らの言葉は今一つ要領を得ない。
かろうじてわかることはトルテに何かあったらしいことぐらいだ。
「落ち着け、深呼吸しろ。……ゆっくり始めから何があったのか話せ」
シャーネの言葉に少し落ち着きを取り戻したクルトたちはポツポツと話し出す。
断片的なそれらの話を繋げるとこういうことだ。
まず基本的な知識として、この街は――ある程度の規模の街はどこもそうだが――高く頑強な防壁によって囲まれている。これは街の外からの『化外』の侵入を防ぐためである。
この防壁の存在故、クルトのような幼い子供たちは外の世界との接触はがほとんどなかった。ただ大人たちから漠然と危険だと教えられているだけである。
しかし今日クルトたちは、偶然にも子供一人が通れる程度の防壁の破損場所を見つけてしまったのだ。
そこから街の外へと出られると気づいた彼らは、子供らしい好奇心を抑えることが出来なかった。
(――なんて馬鹿なことを……ッ!)
一人ずつその破損場所をくぐり抜け街の外へと出てしまった彼らは、そのまま真っ直ぐに歩き続け森へと辿り着いた。
彼らには後でシャーネたちを驚かせてやろうという悪戯心もあったらしい。
しかしその森の中で――トルテと逸れてしまった。三人で必死に探したが見つからず、空に夜の帳が降り始めてきてしまい、仕方なく一度街に戻ってきたそうだ。
クルトたちから事情を聞き出したシャーネの顔が険しく引き締まる。
森には肉食の野生動物が住み着いている可能性もあるし――なによりも夜は化外の活動が活発化する。
このままではトルテの身が危険だ――否、ひょっとしたらすでに手遅れの可能性さえある。
「その破損場所というのはどこにある?」
「む、向こう」
「わかった、トルテは私が探してくる。お前たちはすぐに家に帰るんだ!」
「ちょっ、姉さん!」
シャーネはルークたちに指示を出すと、人外染みた速力でクルトの指差した方向へと走り出す。
ルークは声を上げ咄嗟に引き留めようとするが間に合わない。
「――クルト」
今までに見せたことのない真剣な面持ちのルークにクルトは思わずたじろぐ。
「なっ、何だよルーク?」
「大人たちに知らせて事情を説明するんだ。僕は姉さんを追うから。――いい? 絶対に大人に連絡するんだよ」
クルトに新しい指示を出すと、ルークも姉の後を追い駆け出す。
――第三者の視点からみればルークのこの選択は正しくもあり、同時に間違いでもある。
シャーネの手に負えない事態を想定し大人たちに連絡すること――これは正しい。
しかしその伝令役にクルトを指名したこと――これは間違いだ。
彼には自分が周りからどのようなに思われているか――その自覚が足りなかった。
また他者との交流を避けていたが故に、この年頃の少年の思考への理解も足りなかった。
「……おい、アイク、ケルン、お前ら大人に知らせてこい」
「えっ、クルトはどうするんだよ?」
「俺はシャーネ姉と一緒にトルテを探してくる」
「けどルークは僕らは大人に知らせてこいって……」
「あんな奴が役に立つわけないだろ? 俺が行った方が良いに決まってるぜ」
クルトたちにとってシャーネは頼れる姉貴分である。トルテは守るべき妹分である。
だがルークは違う。彼らのルークへの印象は本ばかり読んでいて、いつも姉の陰に隠れる情けない奴でしかない。
そんな相手からの指示などに、負けん気の強い少年が大人しく従うはずもなかった。
「わっわかった。大人たちには知らせておくから」
「気をつけてね、クルト!」
「おうっ、任せとけ!」
彼らに悪意などなかった。
彼らの行動の根底にあったのは純粋な善意と少しばかりの負けん気――しかし悪意がないからといって必ずしも正しい選択肢が選べるとは限らない。
――これはただそれだけの話である。