閑話 女の闘い
エルセルド王立学院事務員――カタリナ・エニエスの日々は忙しい。
外部との連絡手続き・学院内での事務手続き・予算関連の処理・学院長のスケジュール管理と、明らかに事務員の裁量を超えた仕事が有能な彼女には降りかかる。
平民ながら真面目で細かいところによく気が付く性格と、高い事務能力を買われ学院に雇われたカタリナだが、甘やかされて育った貴族生徒や無茶な仕事を振ってくる上司の存在が、彼女の胃に日々深刻なダメージを与えていた。
できれば素敵な男性と交際し寿退社したいところなのだが中々難しいのが実情だ。
彼女に瑕疵があるわけではない。赤みがかった茶髪を三つ編みにし、愛嬌のある大きめの瞳が魅力的な女性なのだが、現在の職場ではなかなか出会いに恵まれないのだ。
休日に待ち合わせる昔からの友人には『玉の輿のチャンス』などと言われるが、生徒を通じて貴族社会の一端に触れた身としては現実が見えていないと言わざるを得ない。
――そんな彼女に今日も容赦なく試練が降りかかる。
「こんにちわ。学院長と約束があるのですが、取り次いでもらえますか?」
「は、はい。……しょ、少々お待ちください」
冷や汗交じりに応対するカタリナの前に立つのは輝くばかりの銀髪に優しげな美貌、清純さと凛とした雰囲気を併せ持った女性――第四騎士団団長ジークリンデ・ヘル・セラフィムだ。
本来であれば緊張はしても焦るような相手ではない。
すらりとした長身と清廉なその姿を見れば、王国の女性に人気があるというのも納得の人物である。
むしろ彼女と話す機会があったと友人たちに自慢できるくらいだ。
――しかし同時に学院には絶対に足を運んでほしくない相手でもあるのだ。
普段は温厚で優しい女性なのだが、とある人物と組み合わさると碌な事にならない事を彼女は経験から知っていた。
「――学院長ですか? カタリナです。……セラフィム団長がお越しですが」
足早に学院長室へと駆け込み、そのとある人物へと取り次ぎつつこれから先のことを想像したカタリナは、キリキリと痛む胃を抱え、そっとため息をつくのだった。
◇ ◇ ◇
「魔術適正と騎士適正それぞれの特待生に、魔力量と構築能力で破格の才を示した二人ですか……対戦した貴族生徒が気の毒になりますね」
「相手を格下と見下した連中が間抜けなだけだ」
カタリナの案内で学院長室に入室したジークリンデは、椅子に腰掛け先日の模擬戦に関する資料を読みつつ、片手を頬に当てため息を漏らした。
逆に彼女の向かいの椅子に座るアルディラは吐き捨てるように応じる。
仮にも自身の生徒を間抜けと称したのだがそれは本心だった。
彼女の見立てでは、貴族生徒側にも勝算は十分にあったのだ。
あの結果は彼らの油断と慢心が招いたものに過ぎない。
相手を侮らずきちんと戦術を組み立てて模擬戦に挑めば、ああはならなかっただろう。
――そんな連中でないからこそ模擬戦をやらせたのだが。
「おかげで生徒たちにも多少は意識の変化が見られたしな」
もちろん劇的な変化があったわけではない。
平民生徒は実力次第で貴族生徒にも勝てることを知り講義に積極的になり、貴族生徒もまた平民生徒に自身の立場が脅かされることへの危機感から真面目に講義に取り組むようになった――この程度のことである。
だが、それで十分だ。大仰な改革を訴えるつもりはアルディラにはない。強引な変化は必ず反発を生み、最悪国を割ることにもなりかねない。
国体を維持するためには不愉快でも許容しなければならないこともある。しかしひたすら腐るばかりのものを放置する理由もない。
反発が生まれない程度の緩やかな変化――それを良い方向へ導くことが自分の役割だとアルディラは思う。
先日に模擬戦はそのための布石の一つだ。とある少年の能力と経歴を見た時からこの模擬戦の絵面図は出来上がっていたのだ。
「くくっ」
アルディラの口から思わず笑いが零れる。
期待はしていた、だが実際の結果は期待以上だった。まさかあそこまでとは思ってもみなかった。
「――気に入ったのはこのルークという少年ですか?」
「ん? ああ、なかなか苛めがいのありそうな奴だ」
とても教師とは思えない発言にジト目を向けつつジークリンデはため息混じりに続ける。
「いい加減その年下趣味は改めませんか? 下手したら犯罪ですよ」
「なっ!?」
柔らかい声音で容赦なく紡がれた言葉に、にやけた笑みを浮かべていた表情が引き攣る。
「そもそも気に入った男の子ほど苛めたくなるなんて……子供じゃあるまいし」
「…………」
心底呆れた様子で首を振り、ぼやくジークリンデにアルディラは青筋を立てる。
しかし何を思い付いたのかニヤリと笑うと、
「ふんっ、さすがは不倫専門のお偉い騎士団長様は言うことが違うな」
「ブッ!? ゲホッケホッ……し、失礼なこと言わないでください! 偶々好きになった人に奥さんがいただけです! 不倫なんかしていません!!」
飲みかけた紅茶を思わず吹き出し、立ち上がって赤く染まった顔で必死に否定するジークリンデにアルディラは畳み掛ける。
「ああ、そうだったな。実際は年上趣味で失恋確定の相手ばかり好きになって、いつもウジウジ悩んだ挙句、相手に認識すらしてもらえないんだよな。……何度もやけ酒に付き合わされたものだ」
「~~~~~ッ! ひ、人のこと言えるんですかっ!? いっつも相手に引かれて逃げられてるくせに!!」
「うぐっ!?」
半ばやけくそ気味に放たれたカウンターにアルディラは呻き声を上げる。
アルディラ・ネル・ルミナスとジークリンデ・ヘル・セラフィム。
王立学院学院長と第四騎士団長団長。
共に『十の賢将』にも名を連ねる才媛二人。
同期であり切磋琢磨してきたライバルであり親友――そして共に二十七歳独身、恋人なし。
「…………」
「…………」
二人は無言で睨み合う。
普段浮かべている不敵だったり柔和だったりする笑みは、両者の無表情からは欠片も見いだせない。
もしも視線だけで人を殺せるならば軽く百人は殺れそうな眼光。
周囲の空気が二人の高まる魔力に呼応し軋みを上げる。
――この場に第三者がいれば即座に回れ右をして全力で逃走するだろう。
もはや話し合いの余地はない。示し合わせたかのように構えをとる二人。
――こいつは敵だ。
たとえ勝ったところで得られるものがなかったとしても。
たとえ終わった後にお互い虚しくなって、酒の力を借りて慰め合うのだとしても。
――決して引いてはならない戦いがある。
女の意地と誇りを懸けた激闘が始まった。
◇ ◇ ◇
学院長室から響いた爆音にカタリナは頭を抱える。
最近机に常備することになってしまった胃薬に思わず手が伸びてしまう。
あの二人が揃うといつもこうなのだ。学院長室の片づけに修理の手配、スケジュールの調整にそれらに伴う事務仕事。
これからの後始末の手間を考えると頭が痛くなってくる。
この仕事、給料は高いのだが如何せん、これは幾らなんでもあんまりではなかろうか?
「仕事……止めようかなー」
毎度のことであるぼやきが漏れるが、しかしこれもまた中々に難しい。
婚約者でもいれば話は別なのだが――カタリナ・エニエス、彼女もまた恋人なしの悩める乙女であった。
第一章は終了となります。
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