22 模擬戦4
今回の模擬戦にあたって、ルークたちは相手の動きに対していくつかのパターンを想定していた。
四人がかりで一人を囲んでくるパターン・二人一組で行動するパターン・こちらが仕掛けるまで動きを見せないパターン――そうした想定の中で、四人バラバラに行動するというのはこちらが最も望んだものである。
自分を追ってきた相手を見て、クロエは目論見の一つが上手くいったことを確信した。
「あんたのことは前から気に食わなかったのよね」
追いかけてきた相手――アレッタ・ルネ・ローグはクロエと同じ騎士適正だ。
チームの中で騎士適正は自分だけだから、自分を標的とするのはボルドーかアレッタのどちらかだろうと思っていた。
「いい機会だからどっちが騎士として上かはっきりさせてやるわ」
だがそうなってくると、ボルドーは他の三人の誰かを追ったことになる。
もちろんそうなった場合の対応も予め話し合っておいたが、心配なものは心配だ。
ルークやダンならばなんとかするだろうが、リーシャであれば少し厳しい。
それに忌々しいがグレッグは頭一つ抜けた実力者だ。彼の所在は早めに掴んでおきたい。
「ちょっとあんた、人の話を聞いてるの?」
だからこそ――クロエは手早く片付けることにした。
「無視してんじゃ――ナギッ!?」
断っておくがアレッタはクロエから目を離してなどいなかった。アレッタの瞳はクロエの姿をきちんと捉えていた。その動きも確かに捉えることができていた。
にもかかわらず――気がついた時には顔面を殴り飛ばされ背中から地面を転がっていた。
「うぶっ……にゃ、にゃにが――」
「正直お前が俺を追いかけてきてくれて助かったと思ってる」
ぼたぼたと流れ落ちる鼻血を片手で抑えるアレッタに静かな声がかけられる。
怒気もなければ軽蔑もない。唯々これから行うことを作業として捉えているかのような感情のない声だ。
「ルークとダンは人が良いからな。女が相手ではやり辛いだろうし」
「ふざけ――ギィッ!?」
言葉を発することすら許されず蹴り飛ばされる。
今度もクロエの姿は見えていた。だがその動きに反応することができない。
まるで意識と意識の隙間に入り込まれたかのような感覚。
「それに俺もお前が相手なら遠慮なくやれる」
グレッグたちと違って直接的な行動には出なかったが、地味な嫌がらせを何度も行ってきた相手。
しかも騎士適正故に頑丈だ。クロエが躊躇する理由はなかった。
「できればさっさと終わらせたい。早めに降参するか意識を失ってくれると助かる」
「……あ、あう」
既にアレッタの心は折れてかけていた。彼女も訓練で傷ついたことはあるが、それは所詮、身の安全に配慮したものに過ぎなかった。
こうして容赦なく暴力に曝されたのは生まれて初めてのことだったのだ。
そのうえ相手は今まで散々嫌がらせを行ってきた相手である。慈悲を乞うことすらできない。
――アレッタの恐怖の時間は彼女が意識を失うまで続いた。
クロエ・メルト・クレイツ――本人の希望により公表はされなかったが、今年度における騎士適正の特待生である。
◇ ◇ ◇
「――待ち伏せでもしているかと思ったのだが……買い被りだったか」
周囲を軽く見渡したグレッグ・ロッド・ヒュームは、失望交じりの溜息をついた。
目の前にいるのは自分と妙に縁のある平民生徒。こうして正面から対峙するのは三度目である。
平民ながら多少は魔術が使えるようだが、それでも警戒するような相手ではない。
――強いて挙げるなら先日の一件。自分の魔術が直撃したにもかかわらず、ほとんど無傷だった理由くらいは知りたいところだったが。
そんなグレッグからすれば取るに足らない平民が口を開く。
「前から一度聞きたかったんだけど……どうして君はあんなことをしているんだ?」
「……あんなこと?」
唐突に質問されたグレッグは眉根を寄せる。特に思い当たるようなことはない。
「……クロエに対する扱いのことだよ」
「――ああ、そんなことか」
つまらない質問だとグレッグは失笑する。彼からすれば態々訊かれるまでもないことだ。
しかしルークにとっては本心からの疑問だった。
確かにグレッグは貴族生徒らしい大柄な態度や傲慢な言動が目に付くが、その実力は他の貴族生徒と比べて頭一つは抜けている。
向上心も高く、講義を真面目に受けている様子も何度か見かけた。
そして先日の学院長への態度を見る限り、社交辞令も心得ているようだ。
――だからこそ疑問だった。
そんな決して愚かとは言えない少年が、苛めなどというなんにもならない行為に固執していることが。
「別に大した理由があるわけではない。単に力の誇示と見せしめに都合が良かったというだけだ」
そんなグレッグから当たり前のように告げられた言葉は、ルークにはとても納得できないものだった。
「お前のような平民にはわからんだろうがな、貴族という者は常に権威を持っていなければならんのだ。……それができない者は他者にすぐに食い散らかされる」
貴族の権威というものは決してつまらない自尊心の類ではない。それは言うなれば矛であり盾だ。
権力でも財力でも暴力でも何でもいいが、それらによって維持される権威があるからこそ、貴族は己の立場を堅持することができる。
権威によって見返りが約束され、信用と信頼のもと他の貴族も協力的になる。ただ小奇麗なだけの理想に人は付いてこないのだ。
それを浅ましいということはできない。それぞれに欲するもの、守るべきものがあれば当然の選択である。
「俺やヒューム家にとって、クロイツ家はリスクなく力を見せつけるのにちょうど良い相手だったというわけだ」
弱者を踏み躙るという手段は、力を見せつけるのに手っ取り早く確実な手段だった。
相手が権威を失い落ち目の貴族であれば見せしめの効果も期待できる。
だからこそグレッグはクロエを標的とした。クロエ個人に関してははっきり言ってどうでもいいのだ。単に手頃な相手だったというだけに過ぎない。
他にもっと条件の合う相手がいれば彼はそちらを標的としただろう。
「――理由としてはこんなところだが、理解できたか?」
――なるほど理屈としては理解はできた。
自分には縁のない話だが、貴族社会特有の価値観が背景としてあるらしい。
グレッグは彼なりの正しい理由であの行為に及んでいたということだ。
確かに理屈としては理解できたのだ。
(――どうしよう。全然納得できない)
もっとも――理解と納得は別問題である。
「そっちの理由は理解はしたよ……けどそんな理由であんな真似をしていたというのは、やっぱり許せないかな」
「……平民にはわからんか。だが俺からすればお前の行動こそ疑問だ。何故態々首を突っ込んでくる? まさかとは思うが、友情は何よりも尊いなどという戯言を喚くのか?」
「――情けないけどそれを僕が口にすることはできないな」
そう胸を張って言うことができたならどれだけ誇らしいかと思う。きっと姉や友人であればそう言うのだろう。
だが残念ながらそんな綺麗な理由ではないのだ。クロエは友人だし、友人は大切だとも思うが、それでもまだ出会って間もない関係だ。
仮に家族とクロエを天秤にかけるようなことがあれば、家族の側に傾くだろう。
『知識』が原因か、それとも生来の気質か――ルークには自分の性質を冷静に客観視できていた。
だからこそ彼がこうした行動をとる理由は友情だけではなく、別の事情によるところが大きい。
そしてそれはとても個人的で情けないものである。
「ただ何と言うか――格好悪いだろう?」
「…………なんだ、それは?」
――そう、理由は単にそれだけだ。
友人を見捨てるような真似は格好悪い――そんなちっぽけな自尊心こそが行動の根源だ。
だが、ルークにとっては大切なことである。
彼には幼少期から周囲への強い羨望があった。
出所の知れない知識――それ故の打算的思考・自分はズルをしているという認識――それらが自身への軽蔑となり、劣等感を育て、周囲への羨望という感情へと繋がった。
自分と違い真っ当な努力のもと真っ直ぐに進む人々――彼らの姿に憧憬を覚え、彼らのように生きたいと願った。
そうした羨望は、言ってみればルークにとって生き方の手本であり指標なのだ。彼らに対して誇れる自分でありたいのだ。
だからこそ――ここは引けない。決して譲ってはならない。
「悪いけど……僕の個人的都合で君の大切な権威とやらは潰させてもらう。――そっちもやっていることだ、文句はないな?」
「――別に文句など初めからない。だが――お前にそれができるかどうかは別の話だ」
無関係な第三者からすれば、どちらもとても小さくつまらない――だが彼らにとっては重大な理由から両者は対峙することとなった。
 




