21 模擬戦3
「やあ、やっと追いついたよ」
レオルト・トゥル・ロナーはその端正な顔を歪め、獲物を前に舌なめずりをしていた。
下心を隠し切れない彼の視線の先には、未だ発展途上ながらも女性的な柔らかさを感じさせる琥珀の瞳の少女――リーシャ・ノイ・クレース。
チームメイトの思考を誘導し首尾良く目的の少女と二人きりになれたことに、彼は内心で小躍りしていた。
無論、それを表情に出すような見苦しい真似はしない。少女を怯えさせないよう紳士的な態度を心がける――観察眼に長けた少女には、そんな浅い思惑など完全に見透かされていたが。
「リーシャ君、実は君に提案したいことがあるんだ。聞いてくれるよね?」
女性を蕩かす――少なくとも本人はそう思っている――甘い笑顔で微笑みかける。
提案と言いつつも、聞くことを前提とする傲慢な言葉に返されたのは――
「馴れ馴れしく名前で呼ばないでくれません? 吐き気がしますから」
一切の許容の余地のない、絶望的なまでの拒絶であった。
「は、はは……て、手厳しいね。でも確かに失礼だったね。知っていると思うけど僕の名はレオルト・トゥル・ロナー、よろしくクレース君」
思わず引き攣りかけた表情を必死で抑え、なんとか立て直し会話を続けようとするレオルトだが、
「別に名乗らなくてもいいですよ。覚える気もありませんし」
リーシャには彼の話を聞く気など全くなかった。
――普段の生活で態度にこそ出さず抑えていたが、彼女の内心は溶岩のように煮え滾っていた。
大切な親友兼幼馴染の扱いに対する怒りは、もはや激怒という言葉すら生ぬるい。
それでも自重してきたのは、クロエ自身が助けを拒んだからだ。そうでなければこんな屑共、とうの昔にあらゆる手段を用いて八つ裂きにしている。
そして今――目の前に屑の一匹が無防備に突っ立っている。これは千載一遇の好機だ。
「まあまあ、そう邪険にしないでくれないかな。これは双方にとって利益のある話なんだ。――具体的に言えば、僕と君で新しく派閥を作らないかという提案なんだけど」
「…………」
リーシャの激情をまるで察することのできないレオルトは、沈黙をこちらに興味を持ったと調子良く解釈し話を続ける。
「僕のロナー家と君のクレース家が結びつけば相当の力になる。グレッグなんかにでかい顔をさせておく必要もない! ……どうだい、良い提案だろう?」
有り得ない寝言を自信満々にほざく愚者の姿に、爆発寸前だった感情が急速に冷えていく。
どうやら利害関係から取り巻きをやっているだけで、下剋上する気満々らしい――自分ではなく他人の力を使って。
(……お粗末すぎて話になりませんね)
際限なく冷えていく感情は、冷静を超えて冷徹へ。もはやレオルトに向けられる視線は生ゴミを見るそれである。
しかし自分のことしか考えていない少年は全く気付かない。
「なんなら将来的には僕らでもっと深い繋がりを作ってもいい。どうかな?」
そんな戯言を流し目と共に送られても、こちらとしては鳥肌が立つだけである。
――もういいだろう、と思う。
一応周囲に伏兵がいないか確認するために喋らせておいたが、これ以上は耳が腐る。
今までの鬱憤込みで叩き潰そうと決意し、いざ行動を開始しようとした時――その言葉は放たれた。
「それに……だ。あんな平民なんかと付き合っていたら、君の家の家格も落ちてしまうよ?」
親友を通じて知り合った新しい友人への罵倒が。
「そもそもあんな落ち目の気狂い一家と仲良くしても、メリットなど全くないだろう? 大方あっちの方から付き纏われているんだろうけど、それなら僕が排除してもいい」
決して聞き逃すことのできない親友への侮辱が。
「君はもっと君に相応しい人間と付き合うべきだよ。……それこそ僕のようなね」
自分自身で選んだ生き方への否定が――こんな屑の口から放たれた。
一度は沈静したはずの怒りが瞬間的に頂点に達する。しかし一度生じた冷徹さは失われない。
怒りを保ちつつ冷徹にどう処分してやろうかと思案しつつ口を開く。
「――確かに付き合う人間は考えないといけませんねー」
「そうだろうとも! わかってくれたんだね?」
――何もわかっていない。
「ええ、だからこそあなたのような醜悪で下劣で低能の不能男と付き合うなんて御免こうむります。豚と婚約した方がまだマシです」
「……は?」
可憐な唇から紡がれたとは思えない罵詈雑言を受けレオルトは一瞬呆けるも、言葉が理解できたのか屈辱と怒りで顔を赤黒く染め上げる。
「それとルークさんとダンさんは、確かに抜けたところがあったり暑苦しかったりしますが……少なくともあなたよりはよっぽど魅力的ですよ」
「……ぼ、僕が平民に劣るって言うのかい?」
「むしろ勝る部分があるなら教えてほしいくらいです」
それになによりも――
「私がクロエと一緒にいるのは、彼女が私の親友だからです。あなたたちのような利害関係でしか人と繋がれない畜生にはわからないでしょうが」
親友を傷つけた時点で敵である。
交渉の余地などないのだ――たとえそうでなかったとしても、こんな奴の相手など願い下げだが。
「――よくわかったよ。どうやら君はすっかり毒されてしまったらしい。女性を傷つけるのは本意じゃないけど、僕がどれだけ優れているか理解してもらうとしよう」
表面上は取り繕いながら、内心ではこの生意気な女を躾けてやろうなどと下卑たことを考えつつ、レオルトは魔術式を構築した。
――遅い。
それがレオルトの魔術式の構築を見たリーシャの感想だ。
この一週間、彼女はひたすらにルークの魔術式を読み取り、その対処を行うという訓練を繰り返した。
魔術式に関して優れた才能を持つ彼女をして、その訓練は苛酷なものだった――後で絶対に仕返しすると決めた――が、それは陰で出来損ない呼ばわりされていた彼女に牙を与えた。
素早く正確に魔術式を読み解くことで、発動前から術の性質・範囲・威力、さらには発動のタイミングまでもを察知する――それがリーシャの牙だ。
そして彼女にとってレオルトの魔術式の構築はあまりにも遅い。ルークよりも遅いし、当然自分よりも遅い。
だから――駆ける。
こちらが間合いを詰めようとしているのを察したのか、レオルトが嘲るような笑みを浮かべる。
なるほど、その認識は正しい。この距離ならば自分が彼に到達するまでに魔術は完成するだろう。
だが一切気にすることなく走り続ける。
「くらえっ、【氷鋭】ッ!」
撃ち出されたのは複数の氷の刃、当たれば裂傷は免れないだろう。
だが――問題はない。
事前に読み取った通りの軌跡で迫る氷刃を掻い潜る。魔術式を読み取り、発動直前から回避運動に移っていたからこそできることだ。
この動きを実現するするまでに何十回とルークに魔術を撃ち込まれた。あくまでも形だけで実際に傷つける仕様になっていなかったが、それでもその扱きは容赦なかった。
耳元を魔術が掠める恐怖を今でも覚えている。そしてだからこそ今この時、怯えずに進むことができる。
(ルークさんの魔術の方がずっと怖かったですよ!)
己の魔術を容易く抜けられたことに驚愕し、再び魔術式を構築するレオルト。
――馬鹿だ。以前の講義の内容が全く身についていない。この間合いなら魔術式が完成するよりもこちらが早い。
予想に違わず魔術式の完成前に間合いを詰め切ったリーシャは、躊躇いなくレオルトの急所に蹴りを叩き込んだ。
「――――――――ッッッッッ!?」
声にならない叫びを上げ、顔色を蒼白にし、股間を抑えながら倒れそうになるレオルトに慈悲なく追撃を仕掛ける。
頭を鷲掴みにし、瞬時に魔術式を構築――発動。
「【衝揺】」
直接脳を揺らされたことであっさりとレオルトの意識が落ちる。
零距離からの小規模の魔術――これならば魔力量の少ないリーシャでも発動可能だ。
倒れ伏したレオルトの身体を蹴飛ばし、完全に意識がないことを確かめると緊張に強張っていた顔を緩める。
「……はあ、なんとかなりましたか」
やはり自分は直接的な戦闘には向いていないと再確認するリーシャ。
自分の目指すべき方向はもっと別のものなのだろうと思う。
「さて、他の人たちはどうなっているでしょうね」
自分にこんな苦労をさせているのだから、もしも負けていたらただでは済まさない――特に男子は。
そんなことを考えつつ、リーシャはチームメイトと合流すべく足を進めるのだった。