20 模擬戦2
ダンは敵に背を向け逃亡していた。ただし追手の視界から外れないように、追手がこちらを補足できるように注意を払いながら。
想定していたいくつかのパターンの一つ。最も可能性が高く、最もこちらにとって望ましい展開。
自分を追う人物の顔を確認したダンは今の状況がそうだと認識する。
しかし――それでも不安はある。魔術適正持ちの三人の中で最も才能に欠けるのが自分だ。
そんな自分が果たして貴族生徒に勝てるのか――その疑問が頭にこびり付いて離れない。
かつてルークに対して大言壮語を吐きながらこの様とはあまりに滑稽で笑えてくる。
だが――言われたのだ。
「この条件下ならダンが負けることはない。僕はそう信じてる」
自分を信じるのが自分だけではない――それがダンに勇気と自信を与える。
(そんなことを言われれば……負けるわけにはいかんよなぁ。漢として!)
戦う場所として最も相応しい場所へと向かうダンの顔には、ごくごく自然に不敵な笑みが浮かんだ。
周囲に身を隠せるような障害物が一切ない開けた場所。
「――なんだ、もう逃げないのかよ?」
ボルドーは先程まで全力で逃げていた相手を嘲弄した。
仮に逃げたとしても逃がすつもりはない。いくら体を鍛えていようとも所詮は魔術適正。騎士適正の自分が全力で追って捕えられないわけはない。
言葉とは裏腹に、彼はむしろ相手が尻尾を巻いて逃げ出すことを望んでいた。
無様に逃げる相手を追い詰める自分――そんな姿を想像すると興奮がこみ上げてくる。
「いや、一対一ならばこちらも望むところだ」
しかし目の前の標的――ダン・アルバスは、逃げ出すどころか落ち着いた物腰でボルドーと相対した。そんな姿に苛立ちが増す。
なんのつもりだ、身の程を弁えろ――その苛立ちの原因が自分の体型への劣等感だとは決して認めたくなかった。
「はっ! お前正気か? まともに魔術も使えない出来損ないが、本気で俺に勝てると思ってるのか?」
それは事実だ。魔術適正でありながら魔術が使えないダンが、貴族であるボルドーに勝てる可能性など万に一つもありはしない。
――少なくとも一週間前ならばそうだった。だが、『男子三日会わざれば括目して見よ』――そんな言葉も世の中にはあるのだ。
「勝つとも。俺は……俺たちはお前たちなどに負けない」
「てめぇ……ッ!」
胸を張って雄々しく言い放つダンには不安の色など微塵も感じられない。
この男は本気で真正面から自分に勝つつもりなのだ。
「なら――やってみせろォオオオオオ!!」
およそ運動に適さないような体型をしていながらも、騎士適性を持つ肉体を駆使したその動きは獣のように俊敏だった。
このまま目の前の出来損ないを抵抗させることなく叩きのめす――そのはずだった。
「【弾魔】ッ!」
「んなッ!?」
ダンが魔術を使うという有り得ない出来事が起こらなければ。
真っ直ぐに標的に向かってたボルドーは、舌打ちを堪えつつ横っ飛びに回避する。幸いダンの放った魔術の効果範囲はそれほど広くもなく、余裕をもって回避できた。
(どういうことだ? 何であいつが魔術を使える?)
心中で混乱しつつも再度間合いを詰めるべく動こうとすると、再びダンが魔術を放ってきた。
その際に生じた魔術式を見て疑問の答えに行き着く。その推測を確かめるべくボルドーは一旦距離を置いた。
「……随分と単純過ぎる魔術式だな。効率悪いんじゃねえの?」
「…………」
沈黙をもって肯定と受け取ったボルドーは勝利を確信した。
彼は騎士適正の持ち主であったが、それでも貴族の嗜みとして魔術に関する基礎的な知識はあった。
その知識からすると、ダンの魔術式はあまりにも単純過ぎた。
魔力を弾として打ち出すだけ。威力は低く射線も直線で躱しやすい。なによりも――魔術としては効率が悪すぎた。
「確かにその通りだ。不甲斐ないが、これが今の俺の精一杯でな」
「そんな有り様でよくも大口が叩けたもんだな」
ボルドーは嗤う。ダンの自信の根源を砕いたという確信故だ。しかし――
「いいや、大口ではない。俺はこれでお前に勝つ。そのためにルークが用意してくれたのだからな」
それでもダンは揺るがない。この一週間、付きっきりで自分を指導してくれた親友を信じている。
もっともボルドーには、彼のそんな言葉はハッタリとしか思えなかった。
「へっ、だったら撃ち続けろよ。魔力が切れて動けなくなったところを潰してやる」
「無論――【弾魔】ッ!」
ダンが放った魔術を躱す。続けざまに連射してくるが、これも躱す。
初めこそ意表を突かれ驚かされたが、ネタが割れてしまえばどうというものではない。
効果範囲・威力・速度――いずれも己を脅かすものではない。
こうして躱し続けるだけで奴は疲弊する。自分はただそれを待てばいい。
(――待て)
そもそも魔術行使の際に魔術式を構築するのは、魔力だけでは望む現象を起こせないということもあるが、もうひとつの理由として魔力の問題がある。
基本的に魔術式を介さず魔力を使うのは、恐ろしく効率が悪いのだ。
だからこそ魔術式の研究を専門とする魔術士たちは、効率良く、それでいて複雑になりすぎないように魔術式の改良に日々、励んでいるのだ。
(――ちょっと待て)
その点においてダンの扱う魔術式は効率が悪すぎた。
才能のないダンでも構築できるように徹底した単純化が図られていたが、それ故に魔力の消費量が多過ぎるのだった。
仮に同規模の現象を他の魔術で起こそうとすれば、三分の一程度の魔力消費で済むだろう。
だからこそボルドーの選択は正しい。一般的な魔術士がこんな効率の悪い魔術を連発していれば、遠からず魔力枯渇は目に見えているからだ。
(――何で魔力が尽きない!?)
――ただしそれはあくまでも一般的な魔術士の場合である。
「【弾魔】ッ!」
既にダンはただむやみやたらに魔術を放つだけではなくなっていた。
自らも動き回りボルドーを撹乱し、時にその動きを牽制し、すこしでも命中するように工夫する。
(何故だ!? 何故そうも平然と動き回れる――ガアッ!?)
対するボルドーは理解できない事態に混乱していた。その心中の影響で回避動作にも支障が生じる。
――だがこれは別に驚くようなことではないのである。
そもそも魔術を使う上で重要な要素である魔術式に関する才が、全く見受けられなかったダンが何故王立学院に入学できたのか?
その答えがこれである。ルークが何時間にも及ぶ特訓の中でようやく気付いたダンの才能。
今年度、いや歴代の入学生の中でもずば抜けた魔力保有者――それこそがダン・アルバスである。
「くそっ!」
罵り声を上げながらボルドーは自分の間合いに持ち込もうとするが、弾幕の嵐がそれを許さない。
他の魔術適正の生徒ならともかく、日頃から肉体の鍛錬を怠らないダンは身体能力も高いのだ。
――ふと疑問が頭を掠める。
魔力を使い切った魔術士は暫く身動きが取れない――それは確かだ。
だが自分はどうなのだろう? 自分の体力とて無限ではない、いや他の騎士適正に比べれば少ない方だろう。
もしもこのままダンの魔力が尽きず、ひたすらに躱し続けていればいずれは――
「くそがあああああああっ!!」
徐々に回避が難しくなっていく現状を正しく認識しつつも、有効な対策を思いつくことができないボルドーの叫びが響いた。