19 模擬戦1
――とうとう模擬戦の日がやってきた。舞台となるのは学院のグラウンド一帯――と言ってもその広さは半端なく、要所要所に森や台地などの特殊な地形も存在する。
こうした地形はお行儀の良い決闘形式だけでなく、より実戦に近い形式の模擬戦を行うためのものであり、これらを上手く戦闘に活用することも生徒には求められるのだ。
そんなグラウンドの一区画。それなりに広く取られてはいるが、その気になれば森などにも入り込める場所で彼らは向き合っていた。
相対するはルークを中心とする四人と、グレッグを中心とする四人である。
今回の模擬戦の審判役としては態々学院長であるアルディラが何故か立候補し、それに教師が数名付き従っている。
「よし、お前たちリングは装着したな?」
豊かな双丘を強調するかのように腕を組むアルディラに言われて、目を向けるのは手首にはめた黒い腕輪だ。
模擬戦にあたってのルール説明後に、アルディラから装着するように渡されたものである。
「そのリングは古代遺物の一種だ。それを装着した人間の動向はこちらで把握することができる。模擬戦中に外せば敗北扱いだからそのつもりでな」
どうやら広大なグラウンド内での模擬戦を効率良く把握するための処置らしい。
このような小さな腕輪にそのような機能があることに、改めて古代文明の技術力の高さを思い知らされる。
しかし万が一壊しでもしたらどうなるのだろうか――そんな疑問が通じたわけでもなかろうが、アルディラから続いた言葉で安堵する。
「そのリングは恐ろしく頑丈で、強力な魔術の直撃を受けても罅一つ入らん。気にせず存分に戦え」
懸念が晴れた両チームはある程度の距離を取って睨み合う。近距離から開始しないのは、騎士適正の生徒による一方的な蹂躙を避けるためである。
両チームは予め、魔術を行使するにせよ間合いを詰めるにせよ、どちらも可能な絶妙な間合いの位置で待機するように指示されていた――あくまでも平均的な生徒のレベルでだが。
模擬戦のルールはシンプルなもので、どちらかのチームが全滅した時点で終了。降参宣言をするか模擬戦続行不可能となった時点で敗北である。
もちろん死傷者が出るような行動は厳禁だ。
「それでは――模擬戦を開始する!」
「【暗庵】ッ!」
アルディラの宣言が響くと、瞬時に間合いを開けたルークによる魔術が展開される。
その魔術は視界を遮る暗闇を生み出すもの――単純な魔術式故にすぐに霧散するが、それでも間合いを詰めようとしていたグレッグたちへの牽制にはなった。
そして――ルークたちは身を翻すと全力でバラバラに逃走を開始した。
◇ ◇ ◇
魔術によって展開されていた闇が消え去ると、その場からルークたちの姿は消えていた。
かろうじて視界が塞がれる少し前に、其々がバラバラの方向に逃げる様子は見えていたが。
「いきなり逃げの一手とはな。平民らしいやり口だ」
苛立たし気に吐き捨てたのは小太りでそばかすの貴族生徒――ボルドー・ヘッジ・アドモン。
「どうやらバラバラに逃げたみたいだね。四人でかかれば確実に仕留められるよ」
レオルト・トゥル・ロナーは楽しげに口角を吊り上げた。金髪で整った容貌だが、どこか小狡い雰囲気が抜けない少年だ。
「面白いわね。じっくり狩り出しましょう」
グレッグのチームの紅一点でもあるアレッタ・ルネ・ローグは整った顔を歪め、嗜虐心を隠す気もなく皆を急かす。
「――落ち着け。そんなやり方で勝っても意味はない」
そんな取り巻きたちはリーダーであるグレッグ・ロッド・ヒュームの一言で動きを止めた。
「平民生徒やあの恥さらし相手に四人がかりなど、みっともないにも程があるというものだろう」
――貴族にとって権威というものは極めて重要な意味を持つ。個人の面子や自尊心などという小さなものではなく、現実的な『力』に直結するからだ。
権威があるからこそ、人はそれを敬い・畏れ・従うのだ――仮にそれが見せかけの張りぼてに過ぎなかったとしても権威は権威である。
それを失った貴族の末路は悲惨だ。侮られ毟られ見捨てられる――たとえ現実には何も変わっていなくとも。
グレッグはクレイツ家のような醜態を晒すつもりなまったくなかった。
たとえくだらない模擬戦であったとしても、ヒューム家の権勢の維持のために最大限利用する腹積もりだ。
「だったらさ、それぞれバラバラに追いかけたらどうかな? 一人一殺ってことで」
「……ふむ」
レオルトの提案に考える仕草を見せるグレッグ。ここぞとばかりに他の取り巻きたちも要望を口にする。
「だったら俺はあの筋肉達磨だな。いつもいつも暑苦しくて鬱陶しかったんだ」
「なら私はクロエね。あいつは前から気に食わなかったのよ」
「じゃあ、僕はリーシャ君に相手をしてもらおうかな。他の平民などには近寄りたくもないからね」
グレッグはゆっくりと思案する――はたしてこいつらは勝つことができるのだろうか?
貴族である以上、程度の差はあれ幼い頃から様々な教育を受けている。その中には魔術や体術に関するもんも含まれる。相手がただの平民生徒であれば何の問題もないだろう。
しかし今回の相手は二人は貴族生徒で、一人は日頃から過剰なまでに体を鍛え、もう一人は平民ながら魔術を使ってみせた相手だ。ひょっとすれば一筋縄ではいかないかもしれない。
「わかった、好きにしろ。相手が複数だった場合は合図を出して合流を優先しろ」
だが――問題はない。相手のうち二人はまともに魔術が使えないのだ。いくらなんでもそんな相手に負けることはあるまい。
――唯一魔術が使えるらしい平民は自分が狩ることになるのだろうし。
仮にこいつらが負けたとしても、自分が帳尻を合わせれば済むことである。
そんな一歩間違えれば傲慢でしかない自信がグレッグの行動を決定付けた。
――そうして彼らは散開し、それぞれの標的の去った方向へと駆け出す。
別におかしな行動ではない。
命のかかった戦場ならばともかく、今回のようなただの模擬戦であれば『勝ち方』に拘ったところで支障はない。彼らが貴族であればなおのこと。
『勝ち方』に拘ること、奇しくもそれは敵チーム――ルーク・ラグリーズに近い意識であった。
問題があったとすれば――そうした貴族特有の面子に拘った思考が完全に相手に読まれていたということだが。




