17 アルディラ・ネル・ルミナス
「ルークッ!」
グレッグの放った魔術は狙い外さずルークに直撃した。意識を失ったのか力なく倒れるルークにクロエが駆け寄る。
ここでクロエは何故か一瞬動きを止めた。しかしすぐに気を取り直したのかルークの介護を始める。
――少なくとも傍目にはそのように見えた。
「ははっ、見ろよあの様! 平民風情が図に乗るからだ!」
「流石はグレッグ君ですね」
グレッグの取り巻きの二人――ボルドー・ヘッジ・アドモンとレオルト・トゥル・ロナー――はルークを嘲りつつ彼らのリーダーを持ち上げる。
そんな二人に顔を顰める生徒も確かにいたのだが、正面から立ち向かおうとする者はいなかった。
誰もが彼らの標的となった二人を憐れみつつも、自分たちに意識が向けられないことに安堵していた。
――しかしそれはあくまでも生徒に限った話である。
「――随分と面白いことをやっているようだな」
冷たく凛とした、しかし同時に人を惹きつける声音。生徒たちは眼前の状況も忘れ、声の持ち主へ視線を向ける。
生徒たちの誰にも気付かれることなく、その場にいつの間にか現れた女の外見は二十歳過ぎ。焔のような紅髪をストレートに伸ばし、動きやすく纏められた服の上からは抜群のプロポーションが見て取れる野性的な美女だ。
「が、学院長……」
生徒の一人の口から彼女の役職名が零れる。
アルディラ・ネル・ルミナス――このエルセルド王立学院の長であり、『十の賢将』の一人でもある。
「グレッグ・ロッド・ヒューム、これはいったい何の真似だ」
「……なに、ちょっとしたお遊びですよ」
学院の長を相手取ってもグレッグは慇懃無礼な態度を崩さない。この程度のことであれば然したるお咎めはないだろうという目算もあるし、何よりここで怯んではここまでやった意味がない。
「……ほう」
アルディラはそんな生徒の態度に笑みを浮かべる。絶世の美女の微笑み――しかしそれを向けられた者たちには肉食獣が舌なめずりしているかのように感じられた。
「学内で攻系魔術を使用しておきながらお遊びか?」
「ええ、魔術の道を志す者ならばたいしたことではないでしょう? それに平民に己が分を教えるのも貴族の義務ではないかと考えます」
相手が目上であるという意識はあるのか、殊更に畏まった口調で暴論に近い発言を行う。
「フン」と鼻を一度鳴らしたアルディラはさっさとこの件を打ち切ることにした。
確かにこの程度のことであれば毎年のことであるし、事を大きくして外部から貴族どもに介入されるのも鬱陶しい。
――なにより、この程度の苦境で畏縮してしまうような連中には大して興味はない。
冷徹にそう判断した彼女は本命へと取り掛かることにする。
「ならばもう終わらせても構わんな? 何時までも遊び続けるほど子供ではないだろう?」
「……もちろんです。そちらの二人もこれで身の程というものを弁えることでしょう」
まるで状況が理解できていない道化の言葉に噴き出しそうになる。それを必死で堪えつつ、本命へと声をかける。
「そういうことだ。何時までも寝たふりをしていないでさっさと起きろ」
どこか悪戯げな口調で放たれた彼女の言葉に怪訝な顔をしたのは周囲の生徒とグレッグたち。
この場で寝ている人物など一人しかいないが、寝たふりとはどういうことか――言葉にせずとも表情には疑問がよぎる。
ただ一人――クロエだけは手当ての手を止め、疑問ではなく焦りの表情を浮かべていた。
「学院長、それは無理というものでしょう。手加減はしましたが私の魔術が直撃したのです。暫くは意識を取り戻すこともないかと」
クロエの表情の変化に気づかなかったグレッグは内心で馬鹿にするかのような口調で発言した。
そんな間抜けを鼻で笑ったアルディラは実力行使に出ることにする。元々気の長い性質ではないのだ。
馬鹿には口で説明するよりも見せたほうが早い――そんな意図もあった。
「【弾雷】」
「――キャッ!?」
先程グレッグが放ったものと同じ魔術。規模も速度も威力も全く同じ、しかしその精密さと構築速度はまるで比較にならない。
――そしてその標的となった少年は、目を見開くと傍にいたクロエを抱えギリギリで回避に成功する。
誰かが思わず漏らした叫びは、魔術の音に紛れて誰の耳にも届かなかった。
「……馬鹿な」
その信じがたい光景を前に呆然とした声を漏らしたのはグレッグ。
自分の魔術は確かに直撃した。にもかかわらず何故ああも自由に動けるのか。
「さあっ、何時までも集まっていないでさっさと散れ! お前たちに無駄に過ごす時間などないはずだ!」
グレッグと同じ疑問を感じていた生徒たちだが、学院長にそう言われて留まっていられるほど面の皮は厚くはない。三々五々に散っていく。もちろんその中にはグレッグたちの姿もある。
「お前は学院長室に来い。いろいろと訊きたいことがある」
逃げるなよ――ルークに告げられた言葉には、言外にそんな脅しが込められているように感じられた。
◇ ◇ ◇
学院長室の内装は、部屋の主の人格を表すかのように質実剛健で実用性に重きを置いたものだった。
これまたシンプルな椅子に腰かけたアルディラは、飾り気のない机の上で手を組み目を細める。
「ルーク・ラグリーズ……本年度の魔術適正における特待生か」
アルディラがそれを知っていることは別段不思議なことではない。当人の希望故に公表は行われなかったが、学院の長という立場であれば知っていて当然の情報である。
とはいえ――そのアルディラをして先程の光景は予想外だったのだが。
「優秀な生徒だとは報告を受けていたが……まさか防系魔術で攻系魔術を防ぐほどとはな」
「…………」
基本的に防系魔術そのものはそれほど難しいものではない。しかし防系魔術で攻系魔術を防ごうとすれば、途端に難易度が跳ね上がる。
目の前の一見何でもなさそうな少年がそれを行った――それも相手にまったく気づかれずに。
それは術者の間に相当の力量差があるという証明である。
「……黙りか。なかなか良い度胸をしているな」
ニヤニヤと――お気に入りの玩具を愛でるかのようにアルディラは笑う。
実家は商家だという話だが、いったいどこで魔術を学んだのか興味は尽きない。
何よりも――こうした後ろ楯が有るわけでもないのに反抗的な少年はとても苛めがいがある。
「まあ、それならそれで構わない。ただ私としては少々意識改革をしておきたいのでな。勝手にお膳立てをさせてもらうぞ」
「……お膳立てですか?」
さすがに聞き逃せなかったようだが、説明してやる義務はないし――サプライズの方が面白い。
別に御大層な理想や理念があるわけではないが、自分の管理下が腐り果てるのは見過ごすつもりはない。
趣味と実益を兼ねた良い思いつきだと自画自賛する。
「ああ、楽しみにしておくといい。もう行っていいぞ」
大人しく一礼して学院長室を後にするルークを見送り、アルディラはニヤリと人の悪すぎる笑みを浮かべるのだった。
◇ ◇ ◇
「はあ……」
冷や汗を流しつつ学院長室から退出すると、思わず溜息が零れた。
思い出すのは扉の向こうにいるであろう紅髪の美女。正しく格上の相手、正直対面しているだけでも辛かった。
アレに比べればグレッグたちなど小動物のように可愛らしいものだ。
「あっ、おい、大丈夫だったのか!?」
かけられた声に顔を上げると、出てくるのを待っていたのかクロエが小走りに駆け寄ってきた。その後ろからはダンとリーシャも続く。
彼らに対し軽く手を振って応えると、ダンが沈痛な面持ちで頭を下げた。
「すまなかったルーク。この俺がその場にいれば、このような事態は防げたものを……」
「まったくです。肉壁にすらなれないなんて役立たずの極みですね」
「ああ、この俺の鍛え上げた肉体があれば壁になれただろうにッ……!」
「……脳筋って嫌味が通じないから嫌ですねー」
友人たちの普段通り過ぎる会話に緊張が解け、ルークの口からは思わず笑いが零れた。
「おいっ、何笑ってんだよ? 本当に大丈夫だったのか?」
「ごめんごめん。本当に大丈夫だよ。ほら、この通り」
軽く体を動かしてみせるとクロエは安心したのか息をつく。
「はぁ……、本当に無茶しないでくれよ」
クロエの様子からはだいぶ心配したであろうということが見て取れ、申し訳なくも思う。
しかし同時にこの友人を守れて良かったと安堵がこみ上げる。
「とりあえず場所を変えましょうか? お二人にはいろいろと話を聞かせてもらいたいですし」
「うぐっ……。どうしてもか?」
「はい、どうしてもです」
黒い笑みを浮かべるリーシャに腰が引けているクロエ。自分も逃げられないことを察し、何とか穏便に伝える手段を模索する。ダンはこの手に事には全く頼りにならないので援護は期待できない。
正直言って目の前の穏やかなように見える少女の方が、グレッグたちよりもよほど厄介だとルークは思うのだった。
――学院長の言っていた『お膳立て』の意味を知るのはこれから数日後。学院からの通知によってである。
『グレッグ・ロッド・ヒューム、ボルドー・ヘッジ・アドモン、レオルト・トゥル・ロナー、アレッタ・ルネ・ローグ――以上四名とルーク・ラグリーズ、ダン・アルバス、クロエ・メルト・クレイツ、リーシャ・ノイ・クレース――以上四名による模擬戦を一週間後に行うものとする。
エルセルド王立学院 学院長アルディラ・ネル・ルミナス』




