14 ダン・アルバス
学院で過ごす時間はすべてが講義一色というわけではない。当然ながら休み時間は存在するし、講義が終われば後は自由時間だ。
向上心旺盛な生徒は講義の復習や教師への質問を行い、学院を社交の場と位置付ける生徒は交流へ勤しみ、慣れぬ講義で疲れ切った生徒は自室へと戻り泥のように眠る。
そしてルークが何をしているかと言えば――ここ最近の日課である学院探索を行っていた。
エルセルド王立学院は当初思っていたよりも遥かに広く、未だに全容を把握できているとは言い難い。そこで空いた時間を使い学院の敷地内を見回ることにしたのだ。
見知らぬ場所に足を踏み入れる度に新しい発見があり、なんとなく子供の頃クルト達が行っていた『探検ごっこ』の楽しさを今さらながらに理解できてきたルークである。
そして今日も新しくやって来た場所で――
「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおっっ!?」
よく知る筋肉馬鹿が火達磨になって転げまわっていた。
「なんで!?」
どうしてこの友人は予想の斜め上を全力でかっ飛んでいくのか?
頭痛を感じつつ急いで鎮火のための魔術式を構築する。
「【澄流】ッ!」
「ぬおわっ!? な、なんだいったい!?」
魔術で生み出された大量の水を頭からぶっかけられ、ダンは戸惑ったまま周囲を見回す。
そしてこちらに気づき事情を察したのか破顔一笑。
「そうか! 今日この日のために俺とお前は同室になったのだな!?」
「断じて違う」
千歩譲って出会いに某かの理由があったとしても、そんな馬鹿げた理由だけは絶対に認めない。
「はあ……まったく。それで……何をどうしたら火達磨になるような事態になってるの?」
「むう、大したことではないんだがな。……魔術の修練をしていたら少々失敗したようでな!」
「……魔術の?」
学院の生徒の半数は魔術の素質を認められて入学した者たちである。
しかし平民生徒の中には魔術を使う上での基礎すら満足にできていない者も多い。
それ故、必須講義として魔術の基礎講義。選択講義として少し進んだ魔術講義が存在する。
貴族生徒に対しても基礎講義が必須なのは復習も兼ねてのことである。
なのでダンが選択講義を受けていれば、平民出身であっても初歩の魔術が使えても不思議ではない。
しかし――
「いくらなんでも火達磨になったりするもの? いったい何の魔術を使ったらそんなことになるのさ?」
「う~む、講義で習った初歩の火の魔術だったんだが……よし、実演してみせよう!」
見た方が早いとばかりにダンは魔術式を構築し始める。
構築されるのは彼の言うところの初歩の火の魔術――極めて単純な魔術式で習得も難しくないはずの魔術である。
「これは――」
ダンの構築した魔術を見たルークは思わず呻き声を上げる。
それを一言で表すならば――酷かった。事前に何の魔術か聞いていなければ気が狂ったとしか思えない魔術式。
構築された術式がまるで意味を成さず、例えるなら異様な前衛芸術を家具だと言い張るかのような有り様だ。
これでは魔術式の本来の用途を果たすことなど到底不可能だ。
「よし、ではいくぞ――」
「ッ!? 馬鹿っ、ちょっと待った!」
「【火燭】」
魔術士は魔力を用いて魔術式を構築し、その魔術式に魔術を発現させるために必要な魔力を通すことで『魔術』という現象を引き起こす。
しかし魔術を使うには魔術式を正確に構築しなければならない。
もしも杜撰な魔術式に強引に魔力を通せばどうなるかといえば――
「ぬぅおおおおおおおおおおおおおおっっ!?」
「~~~~~ッ! 【澄流】ッ!」
こうなるのだ。再び火達磨になって地面を転げ回るダンを大急ぎで鎮火する。
――冗談ではない、自殺願望でもあるのかこいつは。
構築の甘い魔術式に魔力を通せば待っているのは暴発である。
今回は初歩の魔術をベースとしているのでこの程度で済んだが、下手をすれば己の命すら危ういのが魔術だ。
「はっはっは、すまんすまん。また世話になってしまったな。……いったい何が悪いのだか」
「それは本気で言っているの?」
そんな危険な真似を仕出かしておきながら、全く反省の色が見えないダンを強く睨み付ける。
「んん? ということは、ひょっとしてルークには原因がわかっているのか?」
「見れば誰でもわかるよ。ダンの魔術式は無茶苦茶すぎる」
「……もしかしてお前はもう魔術が使えるのか?」
「……それなりには」
一瞬躊躇したが、これからも付き合っていけばおのずと知られる事である。
――最も知られてはならないことさえ隠せれば問題はない。
「入学して間もないというのに凄いものだな。……ならば俺の魔術式のどこに問題があるのか教えてもらえないだろうか?」
「……まあ、別にいいけど」
特に断るようなことでもない。むしろ一人で放置してまた火達磨にでもなられるほうが問題だ。
そう判断し首肯したルークに軽く礼を言ったダンは、再び魔術式を構築する。
――呼吸を整え意識を集中し、身に宿す魔力でもって式を描く。組み上げるのは先日習ったばかりの初歩の魔術式。
慎重に丁寧に術式を構築し――
「待て待て待てっ、ちょっと待って!」
「ぬ?」
慌てて割り込んできた親友の言葉に構築しかけの術式を霧散させる。
「どうしたのだ?」
「どうしたも何も……いったい何をしているんだよ?」
「さっきやろうとした初歩の魔術だが……」
真顔で返答するダンにルークは頭を抱える。――これは魔術式以前の問題だ。
「……わかった。それじゃあ魔術式の構築は一旦止めて、もう少し基礎からやろう」
「……? よくわからんが承知した」
本気でわかっていないらしいダンにルークは長期戦を覚悟した。
――それから時間をかけて丁寧に魔術の基礎をダンに説明した。
その上で極めて初歩的な――魔術式が構築できる段階に入れば誰でもできるような――魔術式の構築を何度もやってもらった。
そしてルークは結論を出さざるを得なかった。
「――ダン。こんなことは言いたくないけど……君には術式の構築の才能がまったくない」
「……そうなのか?」
「……うん」
酷く傲慢なことを言っている自覚はある。しかし言わなければならない。
ダンは決して不真面目というわけではなかった。きちんとこちらの言うことは聞くし、呑み込みは悪いが理解もしている。記憶力にも問題はない。
だがその上で――こうなのだ。何度やらせてもまったく上達する気配がない。これはもう純粋に才能の問題である。
「厳しいかもしれないけど……魔術士は諦めた方が良い。その方がダンのためだと思う」
「……そうか、わかった。教えてくれて感謝する」
――今のうちに退学すれば学費の返済も最小限で済む。ダンの鍛えられた肉体があれば別の道も見つかるだろう。
後味の悪さを覚えながらも、そう自分に言い訳してその場を去ろうとする。
が――
「……何してるの?」
「ん? 見ての通り魔術式の修練だが?」
何でもないことのように平然とした顔で答えるダン。
ルークには彼の言葉が理解できなかった。否、理解はできていたが受け入れられなかった。
「ダン……人の話を聞いていたの?」
「ああ、もちろんだ。俺には魔術式の才能がないのだろう?」
――ならば何故無意味な努力を続けようとするのか。
「だが、それは俺が魔術士の道を諦める理由にはならんというだけだ」
ダンから発せられたその言葉に頭をガツンと殴られたのような衝撃を覚える。
「才能がないというのならば十倍百倍の努力をするまでのことだ」
一切迷いなく言い切るダンの姿にようやく理解する。
――こいつは姉の同類だと。どこまでも自分を信じる類の人種だと。
「……どうしてそこまで自分を信じられるんだ? 全部無駄になる努力かもしれないんだよ」
「……? 妙なことを聞くな。いいか、どんな時でも決して裏切らず常に味方なのが『自分』だ。ならば自分で自分を信じないでどうする?」
喘ぐようなルークの問いに、これまたあっさりと迷いなく返答する。
その姿が――眩しい。どうしようもなく羨ましくて、だけど嫌いになることもできない。
そんな感情を自覚しルークは自身の敗北を認めた。
「……わかった。それじゃあ修練には僕も付き合う。それと僕がいないときの内容も指示させてもらうよ」
「むっ、俺は有り難いが……そこまで世話になっていいのか?」
「……知らない場所で火達磨になられるほうが迷惑だ」
「はっはっは、言われてみれば確かにその通りだ。さすが親友」
「だから違うって……」
――この日からダンへの魔術講義がルークの日課に加わることとなった。