9 王都
フォルトゥムの街からいくつかの街や村を経由して一週間。
道中、少しばかりのトラブルに見舞われながらも、馬車は無事に目的地へ辿り着こうとしていた。
「坊主、そろそろ到着だぞ」
乗り合い馬車の幌の中で少しウトウトしていると馬車の御者に声をかけられる。
日に焼けた肌をした愛想の良い中年で、面倒見の良い性格なのか一週間の旅の間にルークの事を色々と気遣ってくれた。
「はぁー、やっと到着か」
「まずはうまい飯だよなっ!」
「いやいや、酒に決まっているだろう」
「バッカおめー、王都といったら美人のねーちゃんたちだろ」
ワイワイガヤガヤと同じ馬車に乗り合わせた商人や旅行者、あるいは王都への移住者たちが騒ぎ出す。
彼らとも一週間の旅の間に割と気心の知れた仲になることができた。
「ルークは確か王立学院に入学するんだよな?」
「はい。学生寮に入ることになっています」
「将来は立派な魔術士様ってか?」
「街に来ることがあったら声かけろよ、楽しい大人の遊びを教えてやるぜ」
「純朴な少年を非行の道に誘うんじゃないッ!!」
さすがに王都の周辺ともなれば、定期的に騎士団による化外の駆除が行われているので、護衛の冒険者たちも警戒を緩めて会話に加わる。
「あれは……」
「ハハッ、凄いだろ」
御者の肩越しから前方を見ると、王都の姿が見えてくる。
実家のあるフォルトゥムの街を囲む防壁とは比べ物にならない城壁。
遠目からでもその巨大さと堅牢さが伺い知れる。
その内側に見え隠れする街は色彩豊か且つ都会的だ――王都エルセルド、一週間という短い旅の目的地である。
それからしばらく時間が流れ、順調に進んだ馬車が辿り着いた王都の正門。その大きさは城壁の大きさに比例した巨大なものだ。
これ程の大きさ、開閉だけで一苦労だろうと呆れるような面持ちで見上げていると、
「聞いた話じゃ、この門には術式具が組込まれているらしいぜ」
御者の男がそう説明してくれる。
術式具――物品に魔術式を刻み込むことで、魔力さえあれば魔術士でなくとも魔術が行使できるという道具だ。
とても便利な品だと思うが、様々な事情から大量生産は難しく、民間にはほとんど出回っていない。
ルークも知識としては知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。機会さえあればじっくりと調査したいところである。
正門の前には門番らしき衛士が幾人か居り、その前には多くの馬車や人々が並んでいた。
行商人や旅行者、冒険者らしい人々などなかなかに多種多様だ。
御者の話では、ここで軽く身元や滞在目的、手荷物の検査が行われるらしい。
それほど厳しいものではないので、大抵は問題なく通過できるそうだ。
もちろんルークには後ろ暗いところなどないので、トラブルなく入門できた。
衛士は王立学院への入学生だと知ると、「平民出身だと大変かもしれないが頑張りなよ」と声をかけてくれた。
城壁の内へと入ったルークは、王立学院へと向かう前に乗り合い馬車の面々と別れを済ませる。
「ルークとはここでお別れか。残念だねぇ、どうだい? 学院なんか行かないであたしらと冒険者をやるってのは?」
そう言って後ろから抱き着いてくるのは、露出度の高い軽鎧を抜群の肢体で着こなす栗色の髪の女性。
乗り合い馬車の護衛の冒険者の一人であるミランダ・ルーダ。
両手斧を豪快に振り回し化外を蹴散らす女傑だが、今は幼さの残る少年をぬいぐるみのように抱きしめている。
聞けば身体強化を行える騎士適正の持ち主だが、堅苦しいのが苦手で冒険者になったそうだ。
彼女に好意的に扱われている理由は、道中魔術の応用で簡易的な入浴場を作ってみたからだ。
やはり冒険者でも女性としては清潔にしておきたいらしい。
ルークは頭の後ろに何やら柔らかい感触を感じた。この手のスキンシップは姉で慣れてはいるが、さすがに人目があると気恥ずかしい。
「おいおい、子供をあんまり困らせるもんじゃねーぜ」
「そうそう、寂しいんだったら俺が慰めてやるよ」
「バーカ、お前らみたいなむさくるしいのはお断りだよ!」
粗野ではあるが決していがみ合っているわけではない口調で言いあう冒険者たち。
旅の間、何度も見かけた光景だ。
「たくっ……まあ、半分は本気だからその気があったらいつでも来てくれよ。歓迎するからね」
「はい、ご縁があればよろしくお願いします」
丁寧に礼をするルークを微笑ましげに見るミランダ。
貴族階級のお偉い魔術士様にも見習ってほしいものだと思う。
できればこの少年にはあんなふうに成長してほしくないものだ。
「王立学院には正門から真っ直ぐ進めば着くよ。ただ途中に王城があるから外周を大回りしなくちゃいけない。東方区は平民区画だけど、その分ごちゃごちゃしてて迷いやすいかもしれないね」
「――となると西方区を通った方が良いですかね?」
消去法で残った区画を提案してみるも、これには少々苦い顔をされる。
「西方区ねぇ……治安は良いけどあそこは貴族街だからね。あたしはあんまりお勧めしないね」
「……わかりました。どうもありがとうございます」
世話焼きな女冒険者に改めて礼を述べ、ルークは王立学院のある北方区画へと足を向けた。
フォルトゥムでは祝祭のときくらいにしか見かけない人混みに圧倒されつつ足を進める。目指すは王立学院のある北方区画だ。
正門のある王都の南方区には、たくさんの店舗や露天商が集まり商業区画を形成している。
食料品や衣料品、さらには武具など店舗の種類は多種多様で、中央や西方区に近づくほど高級品を扱う店が増える。
ちなみに王立学院のある北方区とは王城を挟んで正反対に位置している。
いささか立地としては不便であるが、王立学院は将来、軍の中核で活躍する人材を育てる場所だ。
その性質上どうしても広い土地が必要不可欠であり、もっとも適していた土地が北方区だったらしい。
(――やっぱり南方区とは雰囲気が違うな)
人通りの少ない道をルークは歩く。周囲に見える家屋は、邸宅や屋敷とでも呼ぶべき大きな家々だ。
南方区に比べると明らかに洗練された街並みだが、それも当然である。この西方区は王城勤めの貴族の屋敷や、地方貴族の別宅が集中する場所なのだ。
ミランダの忠告に背くような形ではあるが、ルークは敢えてこの道を選んでいた。
理由は二つ。単純に人通りの多い場所を避けたことと、もう一つは予習を兼ねてである。
これから入学する王立学院には多くの貴族の子供がいる。普段接する機会のない彼らについて少しでも知っておこうと思ったのだ。
西方区は貴族街ではあるものの、区画への立ち入りそのものを禁止されているわけではない。
道行く住人からは少しばかり奇異に見られてはいるものの、声をかけられることもなく歩き続ける。
街並みからはとても整然且つ清潔な印象を受けたが、活気に満ちた南方区を通ってきたからか少し寂しい印象も受けた。
すると――。