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第百六五話 貴族と領地と被害

「伯爵、それで彼らは何と?」


 王城にある謁見の間、そこから入る事が出来る部屋はいくつかある。王家関係者の部屋や、重要な会議に使われる会議室。近衛兵の待機部屋や執務室などだ。そんな部屋の一つに、王家関係者だけが入る事が許される部屋があり、大抵は王家の者が使用しているが、バスクホルド伯爵も使用者に含まれる。


 バスクホルド伯爵が子爵領から戻り、彼はすぐに王と接見した。普通であれば例え伯爵といえど、接見までは二週間はかかるのが当然だが、事バスクホルド伯爵は大抵の手続きを省略出来る。そして王が望むのであれば、それは当然のごとく待つ事などまずあり得ない。


「直接的な言動は無いものの、あまり信用はされておりませんな。まあ、状況からすれば当然だとは思いますが。他領からの流民を防ぎませんと、今後問題になる可能性も」


 部屋には二人しかいないので、二人とも遠慮など無い。それに、元々遠慮するような仲でも無い。


 伯爵は今年で百九十七歳になるが、元々長寿である彼らエルフにとっては、遅くとも五十歳を超えれば大人と見なされるのが普通であるし、貴族であればそれなりの教育は受ける。特に王家や伯爵ともなれば当然であるので、例え百歳ほど年齢差があったとしても、それを元に相手を見下すような事をしないのが普通だ。そして伯爵は元国王の教育を任された一人でもあり、元国王としても当然かなりの信頼を置いている数少ない一人でもある。


 国王は近くのテーブルに置いてある瓶とグラスを置くと、瓶の中身を注いだ。


「五十年物のアクヴェデ(ウィスキー)だ。正直、こんな物でも飲みたい気分でな……」


 グラスに注がれたそれは、さほど量がある訳ではないにしても、琥珀色を輝かせている。また、周囲に程よく独特のアルコールの香りが漂い始める。伯爵が瓶のラベルを横目で確認すると、ほとんど市場には出回っていない、かなり希少なアクヴェデだという事がすぐに分かった。ボトル一本で、軽く金貨数枚はするはずである。


「何、遠慮しないでくれ。そもそも私が飲みたいのだし、このような物は、一人で飲むのは寂しいのだ。何より君と飲むなら、惜しいとは思わないよ」


 国王が伯爵ではなく『君』と呼ぶような時は、それが原則として内輪だけの話であり、尚且つ一人の友人として飲みたい時に使う表現。その言葉に伯爵はおとなしく注がれたグラスに口を付ける。口の中に芳醇な香りと少し強めのアルコールが広がるが、それはとてもまろやかな味で、尚且つ繊細な味わい。いくら伯爵という身分であったとしても、流石にこのような酒を早々飲む事はない。何よりバスクホルド伯爵家は、ケチという訳ではないが、伯爵家としてはあまりこういった嗜好品にお金をかけないというのもある。どちらかというと、その生活の中身は案外庶民よりだ。もちろん貴族としての庶民よりであるから、一般の庶民よりも余程贅沢ではあるが。


「流石に美味いですな。陛下もだいぶお疲れの様子。あまり無理はなされないで下さい」


「昔のようにマヌとは呼んでくれないか……」


「一応、ここでは誰が聞いているか分かりませんから」


 本来友人以上の関係である二人は、誰もいない所ではもっとフランクに話をするが、少なくとも今いる場所では少々無理がある。


「分かっていても、やはり寂しいものだよ。正直こんな時には、国王という身分が重く感じてしまう」


 その言葉に伯爵は何も言い返す事が出来ない。何より彼もそれを分かっているからであり、下手な慰めなど意味もなさないからだ。


 その後は高価なアクヴェデを味わいながら、今後どうすべきか少しばかり情報交換をする二人であった。


      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 マンチーニ男爵領――今は旧マンチーニ男爵領ではあるが、当主が死亡し王国から委任統治を任された官僚が来たのは、領民に男爵の死亡が知らされる前となった。


 そもそもこの世界での情報伝達速度は、どんなに速くても鳥などを使用した手紙ではあるが、これは必ずしも手紙などが到達する保証もなく、実際領内に残っていた男爵家の家族でさえ、男爵死亡の知らせが来たのは委任状を持った官僚が来てからであった。


 委任状を持った官僚はすぐに男爵家の家族を拘束、一時的に隔離措置が行われる事となる。男爵家はサキュリア族であるが、ほとんど奇襲のような官僚とその部下の対応に、一切の抵抗など出来るはずも無かった。


 何よりこの領をいち早く抑える事になったのは、バスクホルド子爵領に川一つとはいえ、隣接しているからである。


 とはいえ、その官僚が行うのは、正式に新たな貴族がこの領を治めるために派遣されるための繋ぎでしかない。彼らが行うのは反乱防止と、領内の治安を最低限維持する程度の人数しかなく、そもそも税収などを管理出来るような文官も派遣されていない。あくまで緊急の処置であり、王都で正式に新たな統治者となる貴族が来るまでの監視が任務となる。


 電撃的にこの領の実権を把握した彼らは、長くても一ヶ月後には来る新たな領主を迎えるために、前の領主の息がかかった者たちをいち早く捕縛し、必要以上の混乱を抑える事のみが仕事でしかない。


 そんな彼らと同じような者たちが、特にバスクホルド子爵領周辺で次々と行われた。


 一部の領では多少の混乱こそあったが、派遣されている官僚の部下達は腕に自信のある騎士団や正規軍のメンバーである。実質的に武力を失った領地では、大きな混乱も少なく、次々と王国から派遣された者たちにその支配権を奪われる形となり、少なくとも派遣された官僚や騎士、兵士に目立った損害が出る事はなかった。


 無論これらの事は、バスクホルド子爵領に余計な混乱を招かないための予防的処置であり、領民のほとんどはその理由を知らされる事はない。


      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 同じ頃、バスクホルド子爵領にあるバスクホルド特別区に位置する領主館では、新たに生まれたエリーとイロの子供達との顔合わせを最低限に済ませたクラディが、半強制的に『貴族としての心得』を一日の大半を用いて勉強させられていた。


 もちろんクラディも最低限……本当の意味での最低限の知識こそこの領地に来る前にたたき込まれてはいたが、それが領地貴族ともなればまた別である。


 そんな理由もあり、クラディが家族と一緒に過ごせる時間は、朝食時と夕食時という、極めて限られた時間となってしまっていた。一日に多くても二時間でしかない。一時間は六十分だが、一日は四十八時間もある事を考えると、前世の感覚でいえば一時間と言えるかもしれないだろう。すでにこの星の時間軸に慣れてしまったクラディには、そんな感覚は無いが。


 もちろん貴族の習慣や法などの事を学ばせるために、王都からは専門の家庭教師が何人も派遣されており、尚且つエリーの絶対的な指示でもあるため、クラディに逃げ道など存在しない。場所に関係なく、少なくともこの国ではエリーの法が立場が上だからだ。


 そもそもクラディもそうだが、エリー達も本来であれば王都でゆっくりと学ぶべき事を、領地の発展は元より、貴族としてのあり方を大至急学ばなくてはならないため、エリーは無理を承知でクラディに貴族とは何なのかを詰め込みでも学ばせる決意をした。そしてそれは、クラディがまた『余計なモノ』を作り辛くさせるためでもある。クラディを放置すれば、また何を作り出すか分からないのもまた事実であるから。


「きっと、どこかで恨んでいるんでしょうね……でも、それでも仕方がないわ」


 エリーは執務室で呟く。誰もいない執務室に、エリーの声が寂しく響く。


「あの人は、何かあると無意識で没頭する事があるもの。でも、それはあまり良い事には思えないのよね。ただ私個人としては、それも魅力ではあるのだけど、少なくとも領主としては向かないわ。その為に私達がいる。きっと、彼の心にある前世というモノが何か邪魔をしているのだとは思うのだけど、こればかりはあの人が克服しなければならない事。でも、手伝う事くらいはきっと出来るはず……」


 机の上に置かれた数枚の報告書へエリーは目を落とす。それは、クラディに関する様々な報告書だ。


「あの人なら、きっと乗り越えてくれるはず。けっして意志が弱いとは思えないから」


 そう呟くと、カップに残っていたお茶を口に含んだ。お茶は既に冷め切っていた。


      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「ベティ、お腹は大丈夫なの?」


 ベティの側には、イロが付き添っている。何故か理由は分からないが、ここ数日で急に出産までさほど時間が無いのではないかとの医者の診断だ。


「私は平気です。それよりも、イロこそもう大丈夫なの?」


 事実、イロもつい先日出産したばかりだ。普通に考えれば、体力的にもまだ安静が必要なのではないかと思われても仕方がない。


「無理はしていないわ。それに、回復魔法だってあるのだし。それにしても、ベティはエルフではないのだから、クラディとの間に出来る子供はどうなるのかしら?」


 それはベティも気になっている事。何せ、ベティはクラニス(イヌ)族であり、クラディはエルフとウェアウルフ族のハーフと聞いている。その場合、その子供がどうなるのかなど聞いた事もなかったのだから。


「私が心配しても仕方がないわね。とにかく、何かあったらすぐに呼んで。私達は出来るだけ近くにいるし、お医者様も常に待機しているから。あまり長居する時間も私には無いから、私はここでいったん戻るわ。でも、ベティは一人ではない事だけは覚えていてね。私達が常にいるのだから」


 そう言ってイロはベティの部屋を後にする。それと入れ替わるように、三人の付き人がベティの部屋へと入っていくのを確認した。前例がない事なので、常に誰かが付き添っているのだ。


 イロはこれからどうなるのか心配に思いながらも、今は先日生まれたばかりの五人の子供達の所へ急ぎ戻る事にした。


      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 オッリ・ペララは、崩壊した旧山道へと来ていた。


 彼は目下の役目として、外へ通じる新たな道を建設するため、部下と共に新たな候補地を探している最中だ。魔動車があるので、馬よりも早く移動できることから、移動そのものには時間はかからない。しかし、それで新たな道を建設出来る場所を探せるほど甘くはない。


「ここは完全にダメですね」


 一緒に来ている兵士が、周囲を見ながら言葉を漏らす。


 クラディの魔法は、道どころか周囲の地形を完全に崩壊させていた。とてもではないが、そこを再建出来る見込みなどありはしない。


「まあ、分かってはいた事なのだけどな」


 道どころか、周囲の地形があまりにも変わったそこは、元の地形がどうだったのか分からなくなる有様だ。


「とにかく外部と通じる道は確保しなければならない。魔動飛行船では限界もある。急ぎ見つける事にするか」


 そう言うペララは、内心溜息をつくしかなかった。


      ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 鉱山などへと続く鉄道網や道を確認する一団がいる。危険は無いだろうとの事で、こちらは技術者が主要な構成となっている。当然その一団の中には、鉄道で使用するレールの確認などが最優先課題だ。


 何せ先の内戦で、不幸にも一部の線路は崩壊している。そのほとんどはレールの損傷ではあっても、それを修繕するとなればかなりの手間だ。


「クラウディア様にお手伝い頂ければと思いますね……」


 それが無理だと分かっている技術者も、そんな事を口にせざるを得ないほどに一部は壊滅的な被害を被っているのも事実だ。


「確かにそうだが、今は被害状況の確認が先だな。幸いにも、レールの備蓄はそれなりにある。後は、鉱山側にある製鉄施設が無事であれば、そこを頼るしかないが」


 すでに備蓄量でどうにかなるとは誰も思っていない。しかしこの領地を滞りなく発展させるには、鉄道網の再整備は必須だ。何より農作物の一部は、鉄道を使っての輸送を前提にしている事もある。


「とにかく状況を確認したら、エリーナ様に判断を仰ぐしかない。農地の被害も出ている現状、効率的な物資の輸送に鉄道は不可欠だ」


 一団を率いている者がそう言うと、彼らは先を急ぐ事にした。

毎回ご覧頂き有り難うございます。

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