閑話 三 パセットの事情
2016/01/31 内容の一部を修正しました
2016/01/30 誤字及び内容の修正を一部行いました
2015/04/27 閑話追加しました。
2015/05/02 誤字等の修正を行いました。
本文に『フタナリ』を連想する表記がありますが、主人公その他が『フタナリ化』する事はありません。
ご理解いただきますようお願いします。
小さなシャベルと刷毛、ヘラを使いながら遺跡を少しずつ掘り出す。地味な作業ではあるけど、発掘するのは慎重さが必要。これは私が師事する先輩から教わった事だ。時間がかかっても、遺跡や遺物を壊しては意味が無い。
上部は多少風化しているけど、下の方は土に埋もれていた。頑丈な石で出来ているので、早々簡単に傷が付くとは思えないけど、それでも石の表面に何か大切な物が彫られている事だってある。なので作業は慎重に。
古代文明はいくつかあるらしいけど、今調査を行っているのは大体三千年ほど前の物らしい。私もその辺をもっと勉強したいが、まだまだ他にも覚える事がある。
だけどあまりゆっくりしている時間は無い。何せここは魔物の領域なのだから。いくら護衛として見張りに熟練の冒険者がいても、最後に身を守るのは己自身。なので長剣とナイフは腰の後ろに括り付けている。時々邪魔になるので、長剣は外す事もあるけど。
もちろん出来れば使いたくないし、長剣はあまり刃が厚くない。強い魔物でもいれば、即座に折れてしまう事だろう。私はそんなに力がないので、出来るだけ細身の剣を使うしかない。
作業は昼間にしか行わないけども、ここは一番近い町からも徒歩で一週間はある距離。何かあっても、救援は望めない。そもそも救援を求める手段なんてない。
すでに発掘作業を始めてから二週間。私はまだ見習いだし、遺跡の価値がどの程度か判断はまだ出来ない。それを確認するのは先輩達だ。私も色々と教わっているけど、まだまだ理解できないことばかり。
「オルビス君、進捗の度合いは?」
今回の調査で団長をしているタスリーム氏が後ろにいた。オーク族の彼はこの道のエリート。もう二十年近く発掘に携わっているらしい。それなりの年齢になるはずだけども、その容姿は年齢をあまり感じさせない。三十代と言われても納得してしまうだろう。
「思ったよりも深く埋まっているようです。出来れば一気に掘りたいところですが、真下に遺跡の一部がある可能性もあるので簡単では無いですね」
それを聞いて安心したのか、彼は私の側に寄ってきた。そして私が丁寧に掘り進めた場所を確認する。彼の目にはどのように映っているのだろう?
「だいぶ手際が良くなってきたね。無理に急ぐ事は無い。遺跡が傷つきでもしたら、それこそ意味が無いからね」
私を全く見ずに、彼は遺跡の一部を詳細に観察している。彼の頭の中では、今何が起きているのだろう? こんな姿を見ると、私ももっと勉強をしておけば良かったと思うけど、残念ながらそんな機会には恵まれなかった。
確かに世間の評判では『エルフは頭がいい』と言われるけど、教育をちゃんと受けていればの話だ。私みたいなのは自分でも思うけどバカだと思う。
こんな事を言ったら他の仲間に怒られるかもしれないけど、教育を受けていないエルフほど冒険者になる傾向が強い。確かに冒険者も多少の計算や文字の学習は必須だけど、専門にしている商人などのような人から比べたら、やっぱり土台が違いすぎる。
まあそれでも、今の状況に私は満足はしているけど。ハンターはやっぱり私には無理だと思う。魔物を見ただけで今でも足に震えが来る。最低限の訓練はしているけど、それでどうにかなるとはとても思えない。
何より遺跡の調査は思っていたほどより面白い。昔の人が何を作っていた、使っていたのかが分かると、それだけでも私の知識欲のような物を満足させてくれるのだから。
付け加えるなら、同行しているタスリーム氏などの専門家が色々と教えてくれるので、まだ見習いとはいえ私だけでもそれなりに分かるようになってきた。まだ経験は浅いけど、これを本格的に仕事にするのも夢じゃないと思う。
そんな毎日が続く中、突然事件が起こった。
「魔物の群れが向かっている! 今すぐここを離れるんだ!」
監視役の一人が大声で叫んでいた。遺跡その物には魔物がいる事は少ないんだけど、さすがに遺跡は森に囲まれている。しかもここ一帯は魔物の領域。当然その為の警戒はしていても、魔物の群れともなれば話が違ってくる。
何度か魔物が来た事はあったけど、どれも今までは単独だったらしい。それなら今の護衛で問題なく処理出来る。
「全員発掘作業を中止して、武器を取れ!」
タスリーム氏はすぐさま私達に命令を飛ばす。いくら護衛がいるとはいえ、その数はあくまで最小限。当然私達だって戦う必要がある。
「発掘品は穴に投棄しろ。そこなら被害を受けにくい! 道具もその場に投棄しろ!」
先輩の一人が付け足すように言ったので、私は慌てて戦いに必要な物以外を穴に入れる。さすがに食料などは入れないけど、これでだいぶ身軽になった。その食料も、すぐに手放せるようにする。
「後ろの壁を使って前に集中しろ! 背後から襲われる事は防げる!」
護衛の一人がさらに教えてくれて、私達は近くにあった岩を背にする。高さは人の数倍あるので、後ろは安全のはず。魔物だって岩を粉砕するほどの力はまず無い。
移動した私はすぐさま手に剣を握るけど、その手は震えていた。今まで何度か戦った事はあるけど、魔物の群れとなると話は全く別だ。
今回護衛で雇ったのは四人。いずれも腕利きのハンターとは聞いているけど、相手の魔物がどんな物か分からないし、何より数がまだ分からない。四人で撃退出来る保証はない。
一応持って来ていた丸盾を左腕に付ける。表面は青銅製なので、矢程度ならこれで防げるとは思うけど、大きさは上腕部が隠れるほどの大きさでしかない。あくまで最低限の防具だし、一応持ってきてはいる鎧を着ている暇はなさそうだ。
そもそもその鎧だって基本的には革で出来た物。所々に金属は使ってあるけど、鎧その物はたいして防御力はないし、その鎧だってバッグに入れたまま。そしてそのバッグは私達から少し離れた所にまとめて置いている。とてもじゃないけど、取りに行く時間はないと思う。
腰には一応携帯食がいくつかあるけど、それだってあくまで非常用。ほとんどの食料はバッグに入れたままだ。
「敵はオーガだ! 数は今のところ十ほど!」
私達の前で防御陣形を取っているハンターが教えてくれた。明らかにこっちが不利だ。
町に住んでいるようなオーガならともかく、魔物としてのオーガはかなり凶暴で知られているし、武器などを持っていたら、人など一撃で真っ二つにされると聞いた事がある。
「オルビス、リマンスカヤ。君らは今のうちに町まで逃げろ。こちらの形勢は不利だし、君らが倒せる相手ではない。それにオーガが出た事を町に知らせる必要がある」
タスリーム氏が私と同じ見習いであるケットシー族の男性に命令してきた。
それでもリマンスカヤさんは納得がしていないのか、自分も戦うと言い張っている。彼はそれなりに剣術の心得があるらしい。なので防衛戦で戦いたいのかも。
「君の気持ちも分かるが、ここで全滅したら意味がないんだ。今ならまだ逃げる事も出来るはずだ。町までの道は知っているはず。出来れば救援も呼んで欲しいが、とにかく今はここから逃げろ!」
タスリーム氏の強い口調に、リマンスカヤさんはついに根負けしたみたいだ。本当は私だって怖いけど、守る事くらいはしたい。でも私達ではオーガに対して無力だと断言された。悔しいけど事実ではあるので、命令に従うほかない。
私は一番近くにあった食料の入った鞄をひったくるように持つと、リマンスカヤさんの腕を無理矢理引っ張る。リマンスカヤさんはそれを振りほどこうとしたけど、私達に命令されたのはここから逃げる事。逃げ切れる保証もないけど、今はそんな事を考えている余裕はない。
リマンスカヤさんの腕を引っ張りながら、岩の後ろにすぐさま私は駆けだした。私の目にはいつの間にか涙が溢れていたけど、それを気にしている余裕なんかない。
そのまましばらく森の中を逃げるように疾走し、とにかく今は距離を取る。リマンスカヤさんは途中から何も言わなくなった。さすがに状況が分かったんだと思う。
「とにかく今は急いで戻らなくちゃ! 町の人に知らせないと、犠牲者だって余計に増えるかもしれないわ」
私の声は若干震えていたけど、リマンスカヤさんはそれについて何も言わなかった。彼だって多分怖いはずだ。いえ、もしかしたら悔やんでいる?
二日ほどろくに休憩も取らずに、私達は町の方角に急ぐ。急いだためか、警戒心が疎かになっていたのかもしれない。いつしか私達の目の前には、魔物のゴブリンが数体いた。数体とはいえ、こちらは逃げる事が最優先。武器だって最低限だし、長い時間戦える状況じゃない。
「こんな所で!」
私は剣を振るいながら、少しでも活路を見いだそうと懸命になったけど、突然足に複数の痛みが襲う。見ると矢が数本刺さっていた。数えると三本。いずれも左足。
それでも私達は、何とかゴブリンを倒す事が出来た。正確には半数ほどを倒して、ゴブリン達が逃げただけだけど。すぐに矢を抜いたけど、とてもじゃないけど走る事は無理だ。治療薬と包帯で一応最低限の治療はしたけど、歩くのもやっとの状態。
リマンスカヤさんが治療薬と包帯を何度も確認しながら、私に肩を貸してくれる。当然歩く速度は格段に遅くなるし、そうなれば魔物に襲われるリスクだって上がる。
「リマンスカヤさん、あなただけでも!」
私がそう言うと、彼は首を横に振った。そして突然私の前にしゃがみ込むと、背中に負ぶされと言う。
「死んでいる訳ではないんです。もう少しで町のはずですし、この先なら魔物も少ないはず。あの人たちのためにも、僕らは生き残る必要がある」
正論のような気もするけど、私を背負えばさらに移動速度は格段に下がる。すぐにそれを指摘したけど、彼は無言で首を横に振った。
「助かりそうな人を見捨てるなど、今さら出来ませんよ。あなたが最初に私の手を掴んだんじゃないですか。なら、今度は私の番です。痛みは我慢してください。町に着いたら治療師の所へすぐに案内しますから」
そこまで言われては、私も反論は出来なかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
近くの町にやっとの思いで到着すると、私はすぐに治療師の所に連れて行かれた。リマンスカヤさんは私を治療院に届けると、すぐさま冒険者組合に駆け込んだらしい。討伐隊がすぐに編成されたらしく、彼の案内で現地に急いで向かっていったそうだ。
私の負傷は案外重傷らしく、普通に歩く分には問題ないらしいけど、走ったりするのはもう無理らしい。リハビリは続けたけど、歩くだけでも時折激痛が走る。
魔法での治療も行ったけど、怪我をしてから時間が経過していたのが災いしたみたい。でも助かっただけでも良しとしないと。
冒険者をやっていて死ぬのは珍しくない。むしろ月に何人も死ぬ事だってある。それから比べれば、助かっただけでも良かったと思うしかない。
もちろんタスリーム氏や他の仲間の事が気になるけど、今の私には何も出来ない。出来ればみんな無事でいて欲しいけど、オーガはかなり強い魔物だ。最悪の事だって考えられる。
そんなリハビリをしながら一週間ほどして、リマンスカヤさん達が戻ってきた。その表情は暗い。なんとなく理由は予想出来る。
彼が言うには、調査団はもちろんハンターも全滅していたそうだ。遺体はかなりむごい状態だったらしく、詳細は教えてもらえなかった。私に気を使ってくれたのだと思う。それはそれで、正直悲しい所もある。でも、遺体の状態を本当に知ったら、私は正気でいられなくなるかもしれない。
それでも回収出来た荷物は、あらかた持ち帰ってくれ、その中には私の物もある。相手は知性の低い魔物なので、荷物については関心がなかったのかもしれない。魔物であれば、街に住んでいるオーガ族など比べようがないくらい知性がない。むしろ知性がまともにある魔物が少ない。
私の荷物には若干の血が付いていたけど、それが誰の物か考える余裕など無かった。そして私はこれを機に冒険者を辞める事を決意する。何より足の負傷が思ったよりも激しい。歩く程度なら問題ないとしても、それで冒険者を続けられるほど世の中は甘くない。
幸いにして借金の類いはなかった。もしあったら奴隷落ちする事だってあるので不幸中の幸い。『払えない金は体で稼げ』がこの世の中。私が女性であるのと、年齢的な事も考えれば、否応なしに娼館に売られる可能性だってあったはずだ。それを思うとホッとする。
エルフの娼婦は人気が高いのだから。人気が高い――つまりそういう事をする機会も多いという事。例え私が嫌がったとしても、最悪薬漬けで本来の意識を奪われる事もあるらしい。催眠術というのがあるらしいけど、それで別の人格を植え付けるのだそうだ。そうなれば借金がなくなっても娼婦から逃れる事は永遠に出来ないのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
冒険者を辞めた私は、いくつかの仕事を探し、やっとの事でとある商人の店へお世話になる事にした。
元々私のような冒険者は、自宅を持つ事がまず無い。帰る事の方が少ないので、出来るだけ安い宿をその時だけ借りるのが常だ。それにそんな生活なので、持っている物だってほとんど無い。現金の類いも常に持ち歩いている。宿に預ける事も一応出来るけど、ほとんどの冒険者はそんな事をしないし、一定期間を過ぎても戻らなければ宿に没収される。ならば、自分で持ち歩いていた方がマシだ。
偶然その商人の家が人材を募集していたし、能力についてもさほど大きな物を求められていなかったのもある。これから新しい生活をするのだから、贅沢を言っていられるほどの身分ではない事も承知しているつもりだ。悪い意味で、冒険者など掃き溜めに近いのだから。
そもそもまともな能力が有る人間は、ほとんど冒険者にはなろうとしない。能力を使って仕事をした方が身の入りがいいし、何より安全である。
さっそくその店に向かうと、看板に『ランダーソン商店』と書かれていた。そこそこの大きさもあり、中堅の商人といったところだろうか? 人を雇うのだから、それなりには儲かっているのだろう。
店主は簡単な面接の後、私を即座に雇ってくれた。足の怪我も正直に話したが、さほど問題ではないらしい。面接のときに足の事をきちんと言わないと、後で面倒な事になる。最悪それまでの賃金がなかった事にもされかねない。
そこで雇われている人を見ると、ハーフエルフの子が働いていた。彼はナィニーの仕事が主らしい。男性なので普通は違和感を覚えるところだけども、彼がエルフのハーフだと聞けば納得も出来る。
私達エルフやその眷族は、どうしても力はあまり強くない。例外はあっても、それは極希なケースだ。まあ、私達よりももっと貧弱な種族はいるのだけど、それはそれで別の仕事があったりもするし。
何よりエルフの血が濃いと、男性でも普通に母乳が出るし、実際それで生活をしている男性エルフも多い。それに他の仕事より給金が多いので、一部では積極的にその仕事をしている者さえいる。最初は誰もが恥ずかしがるらしいが、やっぱり目の前のお金には変えられない。生活がかかっているのだから。
それに彼は、年齢の割に頭が良いみたいだ。読み書きはもちろん、私よりもずっと高度な計算も出来る。親の教育が良かったのだろう。正直羨ましいけど、こればかりは仕方がない。
種族に関係がないけども、教育を受けられるかどうかは家庭環境に大きく左右される。何よりお金がなければまともな教育など受けられない。彼の実家は魔法の講師をしていたりするそうで、それなら彼がそれなりの頭を持っている事も納得がいく。
恐らく彼がその気になれば、その頭だけでも相応の仕事を出来るだろう。だからといって、それはそれで生半可な事ではないが。
出来れば早いうちに、彼から色々と教えてもらいたいところだ。年下から教わるのは正直悔しい気もするが、こればかりは私と彼の生まれの違い。彼を非難したところで、私には何の得もない。
少し話してみたけど、彼は年齢の割に大人びている気がする。言動はまだ子供を抜けきっていないみたいだけど、言っている内容はしっかりしているみたいだ。ハーフだからといって卑屈にもなっていない。
どんな種族でもそうだけど、混血に生まれると卑屈になる人も少なくない。彼らが悪い訳ではないのに、本人が責任を感じてしまうようだ。その理由は私には分からないけど。
ただエルフとして純粋に見ても、彼の胸は羨ましい。本人はやっぱり気にしているみたいだけど、女性ならあの胸は誰でも羨ましいと思うはず。それに、その胸のおかげで今の仕事が出来るんだし、私なんかよりも給金はいいみたいだから、気にしても仕方がないと思うのよね。
まあ、こればかりは本人の問題だから仕方がないのかもしれないけど。




