第八十一話 エストニアムア王国の光と影
2016/02/07 誤字及び内容の一部修正、タイトル変更を行いました
2016/01/26 話数番号を変更しました。
「それで戦はいつ頃始まりそうなんだ?」
ニコラは騎士団の代表の一人として、そして公爵としての立場も考慮しながら会議に出ている。
使われているのはある程度の身分がないとその周囲にすら入る事すら叶わない一角の会議室。当然参加しているのはバーレ王国の重鎮達。周囲どころか、その付近に近づくことすら出来ないようになっている。
しかしながら、今回は国王不在。その代わりに王太子であるイグナーツ・トラウゴット・バーレ第一王子が出席している。もちろんウルフ族だ。
この中で犬族の私は少数派。そもそも出席者の九割がウルフ族。二十人中二人しかいない他種族のうち、その一人が私だ。もう一人はエルフ族の貴族でパシ・ヴァルッテリ・カールレ・サルミネン子爵。
サルミネン卿はエストニアムア王国との一切の接触が禁じられており、外交交渉にも出席出来ないどころか、国内での役割としては一介の財務系貴族。今回彼が呼ばれたのは、その父がこのバーレ王国に亡命した際に持つ、エストニアムア王国の知識のためだけだ。
とはいえ彼自身は当時の記憶がない。三十五歳になる彼だが、彼らが亡命したのは自身が二歳になる前。父親はすでに他界しているし、一緒に亡命してきた母親二人も他界している。兄弟姉妹はいるが、彼が一番の年長者であり、当然彼が知らないのだから他の弟や妹が知るはずもない。
今回サルミネン卿は、財務卿と共に、その補佐役として来ているだけだ。実質的な権限はほとんど無い。発言は許可されるが、それが承認されるかと言われたら、無条件では無理であろう。賛同者が三分の二いれば可能ではあるが。
それでも軍を動かすので、財務担当がどうしても必要であるし、現財務卿からも彼は信頼されている。問題はないだろう。下手なことを言えば、今の地位を失うどころか命さえ保証がなくなる可能性すらある。彼もそれは分かっているはずだ。
「出来れば霊峰の麓を奪いたいが、さすがに奴らも重要拠点であることは認識している。早々簡単には落とすことなど無理であろう?」
王太子の言葉に皆が黙る。
霊峰とはエストニアムア王国にあるが、我が国の国境にも一部接している。しかもそこからは高純度のオリハルコンが産出出来ることでも有名であり、あと少し――五キロガル程度に要塞があり、そのさらに三キロガル程度の場所に鉱山がある。
霊峰の名前は『サガルマータ』と呼ばれ、天を仰ぐほど高い。この大陸で最も高いとされている山でもある。未だその山頂を征服した者はいないとされ、周辺住民はおろか、多くの国が『大陸の臍』や『大陸の母神』とも呼ぶ。
正確な地理では大陸中央に位置しないらしいが、それでも大陸随一の高さを誇る霊峰ともなると、それが例え『大陸の臍』と呼ばれても誰も異論を挟まない。
その山頂はおろか、中腹程度まで雲に覆われることも多く、それ故に山頂がどうなっているのかすら分かっていないことも『霊峰』の名前を欲しいがままにしている。
一説には一千五百年ほど前に起きたとされる大災害で生まれたともされているが、それを確認する術は見つかっていない。
「あの砦を落とすことは事実上不可能。やるとすれば、後方の補給を絶つしかない。しかしそれだけの兵力を集められるか?」
王太子の指摘に我々は黙り込んでしまう。
今の兵力では、どんなにかき集めてもあの砦を落とすのは無理だ。それが分かっていての王太子の言葉。
「まあ、だからといって私も諦めたくはない。そこでだ。周辺の都市で比較的落としやすいところはあるか?」
「時期的な問題と、位置からするとハーハラの町かイトゥコネンの町になるかと。この時期はどちらもサガルマータ山の影響で、エストニアムア王国からの援軍が到着するのにも時間がかかるはず。その間に町を攻略し、防衛陣地を確保出来ればその後の展開が楽になるかと」
軍務卿であり伯爵のエリヤス・ラリ・ケンッピ卿が発言した。
ケンッピ卿は四十八歳で、すでに軍務卿になってから五年が経過している。『知将ケンッピ』や『山吞みケンッピ』とも以前は言われ、部隊を率いていた頃には数々の功績で名高い。
キブリール峠という我が国とエストニアムア王国の境に近い場所で行われた会戦では、敵兵四万に対したった五千の兵で二万八千の敵兵を葬り、さらに一万以上の重軽傷者を相手側に与えたにもかかわらず、こちらの損害は四百程度。死者に至っては五十も出ていない。
『山吞みケンッピ』の名はその時に付けられた二つ名で、敵の背後から山を駆け下って強襲した。背後を山で守られていると考えていた敵の裏を突いたこの攻撃で、それまで不利であった状況を一度に逆転させ、戦争の勝敗を決定づけた戦いでもある。
「確かに時期的にもリャブ大河とグリアム川の水量が上がる。サガルマータからの大量の雪水がエリーヌ湖を伝って二つの川に流れ込むからな。しかしハーハラの町は鉱山の町だ。さすがにそれなりの防衛はしているのでは?」
近衛騎士団長のアイベンシュッツ氏が反論するように言う。確かにハーハラの町は鉱山の町であり、エストニアムア王国は鉱山関連の町には特に防衛を強化している。
「ええ。なのでまずはイトゥコネンの町を強襲もしくは奇襲、その防衛に出動してきた部隊を迎撃すればよろしい。別働隊で防衛に出動した後のハーハラの町を強襲することで、敵の補給を絶つことも可能。この場合の問題点は、二つに軍を分けるのでその調整をどうするかが議論の余地がありますね。私ならハーハラの町攻略を優先します。あくまでイトゥコネンの町は囮。襲撃してから最低限の防備をした後に、敵が来たら撤退をし、その背面からハーハラ攻略組で殲滅させます。イトゥコネンは商業都市なので、食料以外の補給を軍がするには困難でしょう。食料は確かに軍の要ですが、食料だけでは軍は機能しませんしね」
確かにハーハラの町は鉱山都市でもあり、同時に精錬所や加工所などがある。武器はそこで鹵獲すれば良いし、食料は元々十分に用意する予定。剣や槍はすぐに損耗しないだろうが、弓矢だけは補給がなければ何の脅威にもならない。
「確か兵器製造局で新型の弓が完成したとか? 実戦投入にも良い機会。平原なら魔法兵で圧倒出来る戦力が確か確保出来たと聞いたが? 準備は多少必要だろうが、それも今回参加させるべきだろう」
すでにケンッピ卿には、あのエルフの二人の話が入っているようだ。
あの二人の高火力は戦場で戦局を一気に変化させる。訓練では最大二百メントルの幅を焼き払う炎を見せつけられた。あれなら敵も一度に壊滅出来る。しかもあの二人は無詠唱でそれを行った。詠唱を行えばさらに強力になるだろう。
新型の弓はリスボーン弩弓と名付けられた。弓を縦ではなく水平にして、矢を自動装填できる。しかも一度に二十までの矢を装填可能で、次発を発射するまでナイフで突きの練習運動をするよりも早い。矢は専用の弾倉に入れられ、それをいくつも携帯する事で矢切れを起こしてもすぐさま再装填可能だ。
欠点は弓の部分に負荷がかなりかかり、百発前後の矢を放つと威力が一気に落ちる。まあ、その為に弓の部分は簡易に取り外しが出来るようになっているが。
「ただ、まだ量産には時間が。他の武器の研究も残っておりますので……」
兵器補給担当の武官が進言する。
「今はその弓を優先して配備すればいい。他の武器はどのみち今回は間に合わないだろう。間に合う武器で効果的な物を量産することに問題は?」
「現状では予備の武器を含めて大丈夫です」
ケンッピ卿の発言に武官は黙ってしまう。事実上の決定だと考えていいだろう。
「それで、軍の方はどの程度準備が終わったのか?」
再び王太子が尋ねてきた。すぐにアイベンシュッツ氏が立ち上がる。
「現状の武器と一ヶ月程度の食料及び補給物資については問題ありません。兵の訓練も大方終わっています。ですが、ケンッピ卿の言われたエルフの二人については、仕上がるまでに今しばらく……大方一週間程度はまだ調整が必要かと。また新型の弓については、私の方でもまだ把握しきれておりません。すぐに実戦となると、習熟訓練も含め一ヶ月程度は余裕を見ていただきたく。なお、一ヶ月程度余裕を見ていただけるなら、最低でも三ヶ月程度の補給物資は確保出来るかと」
その答えに王太子は頷くと、アイベンシュッツ氏は着席した。
「ケンッピ卿。二カ所の攻撃について、装備、補給面で何かあるか?」
「安全を考えると、二ヶ月程度の準備期間を設けた方が良いかと。その間に川の方も増水しますし、援軍の到着を遅らせることが出来るでしょう。あとはこちらの行動を悟られないことが重要になります。一ヶ月でも可能ですが、さすがに新兵器導入となりますので、安全は多めに取った方がよろしいかと」
王太子はその答えに頷いた。口元が一瞬だけニヤッとしたが、すぐに表情を戻す。
「では、一ヶ月半で用意を調えてくれ。新型の弓と矢の増産は他の物を差し置いてでも増産。兵の訓練を準警戒態勢を想定した物として訓練するように。補給担当は食料の確保も優先せよ。財務担当は軍優先で三ヶ月の予算の確保。私からは以上だ。何かあるか?」
誰も発言はない。二ヶ月が一ヶ月半と言われたが、その程度は元々想定しての発言だろう。問題になるはずもない。
「では会議を終了する。何かあれば私へ報告するように」
その言葉を残して、王太子が会議室を退室した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私は会議が終わった後、何人かと確認事項など話してから、騎士団の宿舎に行くことにした。時間的に昼近いので、おそらく昼食の準備が終わった頃だろう。訓練場からも戻ってきていい頃だ。
宿舎に近づくにつれ、少しずつ話し声が聞こえてくる。しかし、この状況も今日までだ。
王太子殿下から『準警戒態勢』との命が下ったのだから、昼食も交代交代となる。夜の就寝時間も訓練となり、交代で睡眠を取る形だ。
戦場では敵は待ってくれない。いつでも食べることが出来るようにするのと、寝ることが出来るようにするための準備期間だ。
ただ、あのエルフの二人もそうだが、騎士団に配属されたばかりの者だと、訓練について行けなくなることもある。それでも王太子殿下からの指示があった以上、あの二人だけは何としても期間までに仕上げなければならない。
しかしながら、二人ともまともな軍経験がないばかりか、どうも冒険者業もまともに行ったことが無いように見える。戦闘に関しては素人だろう。
さらに問題なのは、戦闘が始まった後だろう。魔物相手なら大丈夫なようだが、対人となると俗に言われる『戦闘恐怖症病』になる恐れがある。
『戦闘恐怖症病』は新人の兵士がなりやすいとされ、人を殺してしまったことに対して過剰な恐怖感を抱くといわれているものだ。直接殺していなくても、戦闘に参加していただけでその病におかされることもあるという。
『戦闘恐怖症病』は軍や冒険者なら陥りやすい病とはいえ、今のところ休暇を取らせる以外の方法も見つかっていない。当然その間は戦力が低下する。何とか対策を立てたいが……。
食堂にある扉の前で一度深呼吸する。さすがに『準警戒態勢』の話をするとなると、隊員達の反応がどうなるか気になるが、騎士団は飾りではない。
無論戦争ともなれば一般の兵も出るし、一部の冒険者などからの招集もする。しかし練度で考えれば一番の主戦力となるのは騎士団。騎士団をどこに投入するかで戦局が変わるといっても過言ではないだろう。
扉を開けてほぼ全員が集まっていることを確認する。
「まだ何人かいないようだが、全員こちらを向いて欲しい」
入った扉は部屋の一番隅になる場所。食事が提供されるカウンターの反対側になる。当然位置的には人があまりいない。むしろ全員を注目させるにはちょうど良い場所とも言える。
「先ほど命令が下った。王太子殿下より準警戒態勢で一月半の訓練後、エストニアムアに進軍する。一ヶ月半とはいえ、いつ命令が出ても出撃可能なように準備を怠るな。詳細は各部隊の指揮官より後ほど伝える。以上だ」
私はそれだけ言った後、静まりかえった食堂を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
私とクラディは、デザルグ隊長から一ヶ月半後に戦争を行うと聞いた後、ニコラ騎士団長が待っていると言われた部屋に向かった。
中で待っていたのはニコラ騎士団長と近衛騎士団長のアイベンシュッツ団長。
部屋は中庭に面した四人部屋宿舎と同じくらいの大きさだけど、中はソファーとローテーブル、中庭に通じる小さな扉がある小さな部屋だ。それでも多分応接室として使っているんだと思うんだけど、ソファーなどの家具はちょっと高級品な感じがする。
私とクラディはソファーに座るよう即されると、二人の団長も対面して座った。
「先ほど話は一応聞いたと思うが、我々は一ヶ月半後にエストニアムア王国へ進軍する事となった」
最初に口を開いたのはニコラ団長。最近知ったのだけど、この人って一応貴族で公爵。騎士団と貴族は別物だと思っていたのに、団長クラスだと違うみたいね。
「前にも話したと思うが、エストニアムア王国はエルフの治める国家だ。当然相手の大半は、君ら二人と同じくエルフとなる。そこで確認したいが、君らは参加するか?」
するとクラディは一つ返事で了承した。仕方なく私も頷いておく。いくら同じ種族だとしても、今はこの国で保護されている。生殺与奪権は実質握られているのだし。
「それならば、君らをあと一ヶ月で前線に出られるよう訓練を行う。それなりに剣術なども出来るようだが、得意の魔法で攻撃してもらう事になるだろう。一ヶ月後の実力次第では、第二部隊から第一部隊への転属もあり得る。当然訓練は厳しい」
まあ、それは仕方ないわよね。平時ならともかく、これから戦争しようっていうのだし。生半可な覚悟じゃ死にに行くようなものだから。
「それでだ。今までは正直見過ごしてきた部分もあるので、今からは騎士団の一員として自覚を持ってもらいたい。騎士団である以上、ここは軍隊でもある。上官には上官に対する態度を持ち、仲間には仲間としての自覚を持って接してもらう。この意味が分かるか?」
「私達の言葉遣いがとりあえず問題というのでしょう? 確かに言われてみれば変よね。分かりました。以後言葉遣いに気をつけます」
ニコラ団長は一度首を縦に振ったけど、まだ私の言葉だけじゃ納得していないみたい。
「それはそうだが、もっと軍人としての規律も覚えてもらう事になる。これはここにいらっしゃるアイベンシュッツ騎士団長からの命令でもある」
まあ、私達は軍隊なんか経験している訳じゃないし、それは仕方がないわよね。
「君らにはこれから二週間ほどかけて、戦闘訓練の他に軍人としての規律を覚えてもらう。当然準警戒態勢が出ているので、その中で全部やってもらう事となる。反論は認められない」
アイベンシュッツ団長が私達を値踏みするような目で見ている。確かに魔法が強いだけで、私達はまだ軍の事なんて知らない。
「よろしいでしょうか?」
クラディが手を上げると、発言が許された。
「準警戒態勢というのは、どのような事なのでしょうか? 僕ら……私達はまだこの国にも来たばかりですし、分からない事も多くあります」
クラディが『僕ら』って言ってから言葉を直したのを、軍隊とは何か面倒なものねと考えてしまう。私も気をつけないと。
「準警戒態勢とは、一日を三回に区切ってそれぞれ訓練時間、就寝時間、待機時間とするものだ。ただし待機時間とはいえ、外出は許可されない。また、今回は戦争が間近という事もあり、待機時間でも訓練を行う。無論本来の訓練時間と比べれば軽い物にはなるが、これは兵の訓練を優先させるためだ。騎士団以外でも、今回は同じ処置が執られる」
ニコラ団長は当然のように答えてくれたけど、早い話が訓練時間が長くなるって事よね。
「それと二人とも、騎士団員としての自覚も持ってもらう。待機時間でそのあたりの事も覚えてもらう」
アイベンシュッツ団長が付け足すようにいうけど、多分軍人としての訓練もこの時に行うんだわ。
「君らの上官であるデザルグには、すでにその事は伝えてある。また、今より二人を正式に勲位四等赤とする。第二部隊の中では比較的階位が上になる。同じ騎士団の中でも、勲位が上の者と下の者では対応を分けるように。それも伝えてある」
何だか私達二人とも、勲位が上がったみたいね。そういえばまだ階級章とかももらっていないし、判別はマントの色くらいでしか出来ないのだけど、どうすれば良いのかしら?
「勲位などについては、後ほど詳しく説明させる。同時に二人とも、これを左胸の上の方に付けたまえ。それが正式な勲位証だ」
テーブルに置かれたのは、多分銀で作られた細工。狼の顔が右向きでデザインされていて、その両側に銀の台座がある。その上には金の線が四本並んでいる。銀の細工の真下には、赤い布が指の関節一つ分ほど下に垂れている。
「こちらは両肩に付ける階級章だ。これも就寝時以外は常時付けるように」
今度出てきたのは布で出来ているけど、金色の布に横線が四本銀色で並んでいる。その上下を赤い布が挟んでいる。
ニコラ団長が私達の前に階級章を置いたので、私とクラディはそのまま受け取った。とはいっても、急に呼び出されたし正式な軍服だってまだ授与されていないのよね。
「君らは昼食後の時間、待機時間とした。その間に正式な服や鎧など一式を揃える。服はすぐに届けさせるので、一度自室にて待機。着替えた後に第六訓練場に集合せよ」
ニコラ団長がそう言ったので『分かりました』と言って席を立つと、退室時などの敬礼方法をさっそく教えられた。
色々と面倒になりそうね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
彼は夕日を背にしながら、少しばかり急ぎ足で道を歩いている。その速度は速すぎもしないが、かといって遅いとはとても言えない。
いくつかの石畳になっている道を、まるで迷子のように右往左往すると、神殿風の建物の前に出た。
それはステンドグラスの窓があり、屋根には中央でクロスした十字架に似た物がある。その際頂部にはお皿のような物が載っており、さらにその上に鋭い針のような物が突き出ている。
左右にも同じような物があるが、こちらは皿状ではなく、円盤になっている。全体に青く塗られており、十字架状のそれには左右に赤い布も垂れ下がっている。
大通りではないが、それはバーレ王国の国教であるスエール教の教会の一つだ。それほど広い通りに面していないので、行き交う人はまばらと言っていい。元々住宅地にある教会なので、さほど大げさな装飾もされていない。
建物の大きさは三階建てで、奥行きはそれなりにある。建物は全体的に薄茶色になっていて、よく見ると同じ色をしたレンガ造りである事が分かる。そこそこ大きな木製の扉の上に『神と共に栄えよ』を示す『ヘル・エルム・アーグ』という文字がアーチ状に青色で描かれている。
もっともこの大陸では、スエール教以外の宗教はほとんど無い。宗派はいくつかあっても、根本的には同じスエール教である。歴史上何度か色々な宗派が生まれては消えを繰り返しもしているが、根本的には何千年も変わっていないとされている宗教だ。
男は扉を開ける前に背後や左右を軽く確認してから、扉を少しだけ開けて滑り込むように中へと入る。
中にはいくつもの椅子が並べられており、その一番奥には祭壇があった。どれも木で造られていて、豪華な装飾などは一切ない。
中には数人の祈る人がいるが、誰も男が入ってきた事に振り向きもしない。神父やシスターの様な人もいなく、それぞれが祈りを捧げている。
男は中の人々を一瞥するだけで、すぐに中央と壁に沿ってある通路のうち、左側の通路を歩き出した。床には毛が短い絨毯が敷かれており、歩く音を程よく吸収してくれる。
通路をそのまま奥まで進むと、祭壇の左側に出た。別に隠しているような形ではなく、上には螺旋階段が延びている。ただ、その裏にも通路があり、そこには扉がある。誰もがこの教会の関係者しか使わないであろうと考えている扉に、男は一つの鍵を取り出して静かに開けた。
通路にはランプが三つ置かれている以外は、窓すらない。奥行きも十歩ほどで終わってしまうような短い通路。扉が右側に三つある。
そのうちの一番最初の扉にノックすると、中から神官服を着た男が顔を出した。
「ようこそ、我が教会へ」
神父がそう言うと、男は黙って着ていた服の襟の一部を裏返し、そこに小さく付いている銅製の何かの葉をモチーフにした物を見せた。すぐさま神官は何も言わずに、右手の二本の指を見せる。男は頷くと、その通路を戻って螺旋階段を上っていった。
二階に到着した彼はそのまま今度は最も外側にある右側の通路を歩き出す。何かを確認するように一つ一つの扉の前で止まっては、そこではないと分かっているかのごとく足を奥へと進める。
何回目かの確認の後、男はその扉の右上の隅に、彼が襟の裏に付けていた同じマークを見つけた。
「神父様にご相談があるのですが」
男はノックしてからそう言う。
「神父様はただいまお食事中です。後で構わないでしょうか?」
扉の向こうから、女性の声が聞こえた。
「はい、構いません。私も喉が渇いたので、お水を頂けますか?」
男がそう言うと、その扉が開いた。中には男女や種族を問わずに、合計して二十名ほどが待っていたようだ。
「遅くなって申し訳ない。御館様からお水を頂戴したく、こちらへと言われましてね」
この一連のやり取りは、実は全て暗号を含んでいる。暗号はその度に変わるが、ある一点だけは月に一度しか変わらない。襟にある物も、一ヶ月で毎回交換され、そのデザインも同じ物ではない。
「それは大変でしたね」
受け答えしたウルフ族の女性に、男は何も言わず一枚の紙を手渡した。
「水よりもとりあえずお茶をお持ちしましょう。こちらへどうぞ」
彼女に案内されるがままに、一つ空いた席に座ると紅茶がすぐに出された。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「それで、分かったのは彼らが二つの都市に対して一ヶ月半後には進攻してくるという事です」
エストニアムア王国にある商業都市で、バーレ王国にほど近いキュミルの町にある領主の館で、何名かが話し合っている。
「実際にはこれを受け取ってから一週間が経過しているので、一ヶ月と一週後になるか……」
もう一人がそう言いながら、手元の紙を見た。それは先日教会に男が持ち込んだ紙だ。
「なら、我々も準備しようではないか。陛下にはこちらから伝えておく」
領主館の主と思われる男が言う。
「我々はどうしますか? 準備は一週間で出来ますが?」
最初に発言した男が尋ねた。
「もう少し情報収集に努めてくれ。サルミネンだけでは限界があるだろう。彼は見張られているだろうからな。まあ、彼奴が尻尾を掴まれるとは思えないが」
領主館の主人は紙を受け取りながら、少し考える。
「二週後にはとりあえず二つの町の防衛を整えてくれ。ただし悟られるな。偽装労働者としてまずは人員を送り込むだけでいい。必要なほかの物は追って届けさせる」
それに納得したのか、領主館の主人以外が立ち上がる。
「なに、焦る事はない。川の問題はすでに解決済みだし、その方法も奴らは知らない。我々はおとなしく待っていればいいのだからな。なにせ、我々にはあの見つかった巨大遺跡から得た技術があるのだ。奴らなど恐れる必要など、どこにあると思う?」
領主館の主人は、手元の紙を見ながら退屈そうに呟いた。
※リスボーン弩弓とは、クロスボウに矢の自動装填機、銃弾の代わりに弓を装填した矢庫を備えた架空の兵器です。この世界にはクロスボウの概念もまだありません。通常の丸木弓と複合弓が使われており、リスボーン弩弓は複合弓を初めて機械化した物になります。
毎回ご覧頂き有り難うございます。
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