第3話
SF。Sukosi Fusigi
「うぉぉ、何も見えねえ……迷いそうになったら退却だな」
空調ダクトと思われる狭い管へと身を投げた太朗。手探りで様子を探りながら、慎重に足を進めて行く。
「怖ぇなちくしょう……ここ伝ってったとしても、出口も同じだったらどうするかな。力技は使えないし」
完全な暗闇の中、不格好に這うようにして進む太朗。彼は自分でもなぜこんな事をしているのかわからなかったが、今は頭の中にある謎の知識に頼るしかなかった。
「睡眠学習とかいう奴なのかな? そう考えると納得できなくもねぇけど、いくらなんでもなぁ……でも未来だし、その辺もすげぇって可能性もあるか」
太朗は自分の中にある不気味な知識について、とりあえず現状で納得できる設定を考えた。この場でいくら考えても無駄だろうというのはわかりきっている為、今はそういった形で納得しておく事が良いと判断した為だ。
「っと、あぶね。枝道か。落ちたら死ぬって可能性もあらぁな。気をつけないと」
下へと伸びる枝道、というよりは穴。がくりと踏み外しそうになった手に走る鳥肌をこすると、さらに奥を目指す。ちらりと振り返ると、先ほどの部屋から漏れる光がいくらか遠くに見える。
「……ん、耳鳴り? いや、違うな。なんの音だ?」
先ほどから聞こえていたダクト内を通る風の音。それとは明らかに性質の異なる高い音に、太朗は耳をそばだてる。彼はもう一度だけ後ろを振り返ると、意を決して音の聞こえる方向。すなわち奥へと向かって足を進める。
「あぁ、暗い。狭い。怖い。くそっ、俺は何をしてるんだ」
湧き上がる不安に耐えながら前へと進み続ける太朗。現在どれだけの距離を移動できたのかは解らないが、感じているよりも遠くない事は確かだろう。赤ん坊のハイハイの方がまだスピーディーかもしれない。
「あれ? 行き止まり……では無いな。右と……左もいける……おや? おやおやおや?」
壁に触れた手で左右への道を伺っていた太朗。どちらへ行くべきか一瞬迷いこそしたが、目に映った淡い光に選択の余地は消え去った。
「頼むぜぇ。空調管理室とか、もしくは冷凍装置の栄養剤供給元とかでもいいな。できればSOSを打てるようなのがいいけど……使い方わかんねえから無理だろな」
湧き上がる期待に胸を躍らせながら、痛む膝や肘を素早く動かす太朗。光源が下の部屋からの物であり、そこに蓋が無かった事実にガッツポーズをする。
「なんか機械があるな。これならロープが無くても戻れるか……すいませーん、お邪魔しまーす」
彼の中で既に自分が孤独である事を確定していた為、遠慮無く何かの装置の上へと着地する。不自然な体勢にこわばっていた手足をほぐしながら立ち上がると、真っ先に目に付いた巨大な装置へと目を向ける。
「ぅぉぉ……なんだかわかんねえけど凄ぇな。何これ。何なのこれ」
太朗は上を見上げたままその機械の塊へと近付いていく。高さは20メートルかそこらだろうか。中央の球体状の金属から放射状に伸びる不規則なケーブル群。それらが繋がる箱型の装置が複数。いずれも天井から床に抜ける一本の柱に括りつけられており、時折装置の表面についているランプが明滅している。太朗の記憶の中でこれに最も近い形状のものは原子力発電所の炉心部分だったが、無論これがそうである可能性は限りなく低く、太朗自身何かの装置であるという事実以外には何も理解する事が出来なかった。彼に理解出来たのは、装置の前に備え付けられたモニター状のそれが操作端末だろうという事だけだ。
「これは流石にいじれねえなぁ……理解の範疇を超えすぎだ」
太朗は検討するまでもなく巨大な機械をどうこうするという案を却下すると、この部屋を降りる際に利用した小さめの装置へと向き直る。
「うーん、やっぱ考えが甘すぎだよな。睡眠学習の効果に期待してたんだが、そう都合良くは行かんか……あれ、こいつにはボタンがあるな」
小さめの装置の前に立った太朗は、そのすぐ横にあったモニター状の装置。それについた赤いボタンを発見する。冷凍装置の部屋にあった物と同じく何も見つからないだろうと高を括っていた為、どうでもいい事ではあるが軽く驚く。
「これ押したらあっちのでかい機械が爆発するとかねえだろうな……今日び、ボタンひとつでヤバイ事になるシステムってのも無いとは思うけど。あ、振りじゃ無いよ? 振りじゃ無いよ?」
太朗は「大事な事なので二回言いました」と続けると、震える指で赤いボタンを押し込む。すると"ピポッ"というどこか古臭い音と共にモニターへ電源が入り、画面に緑の文字列が表示されていく。
「こういうのは昔と変わらないのね。何が書いてあるのかはさっぱりだけど……ああっ!!」
驚きの余り、自分でも驚く程の大きな声を上げる太朗。
スクリーンに表示される大量の文字列。
その中に見つけた"日本語"という単語。
「ど、どうすりゃいいんだ。どれで……マウス、は無くてもいい。せめてキーボードとかなんか……くそ、どれだ。どう操作するんだ?」
太朗は焦りのあまり、おろおろとスクリーンの周りでまごつく。彼は胸を強く叩く事で自らを落ち着けさせると、小さな装置をぐるりと観察する。
「……くそっ!! また何も無い! なんなんだよちくしょう。音声認識か何かなのか? あぁいや。脳波で直接とかの可能性もあるか……確か21世紀でも実験してたよな」
太朗は何も見つからなかった事に舌打ちしながらも、諦めてたまるものかと考えを進める。そしてふと思い当たったそれに、まさかという思いで手を伸ばす。
「……タッチスクリーンかよ。アホか俺は」
先ほどまでのあたふたとしていた自分を思い返し、少し顔を赤らめる太朗。彼はその情景をかぶりを振って打ち消すと、複雑にスクロールしていく謎言語をじっと眺める。
「……ほいっとにい!!?」
何の前触れも無く装置の一部が扉のように開き、そこから転がり出た球体に叫び声を上げる太朗。
「いや、さすがにこの展開は予想してねえよ。何だよ。すっげぇ怖ぇよ」
少し後ずさりして球体から離れる太朗。しかしその金属の球体は、太朗を追いかけるかのように転がり、近付いてくる。逃げる太朗。距離を詰める球体。
「おーけー、わかった。とりあえず落ち着こうかベイビー。大抵の事は話せばわかるって偉い人が言ってた。その人奥さんに浮気がばれて刺されちゃったけどな。HAHAHA!!」
壁際に追い詰められた太朗は、言い知れぬ恐怖から言葉を発し続ける。しかし球体はおかまいなしとばかりに太朗へ近付くと、何やら赤いランプを明滅させる。
「"イ・ロハ・ニ・ホヘ・ト"」
突然に球体から発せられた音声。女性の物と思われるそれに太朗はびくりと体を縮みこませると、覗き込むように顔を上げる。
「ちりぬるを……って、なんでやねん」
訪れる沈黙。太朗は何らかの暗号だったのだろうかと考え、迂闊な発言を悔やむ。
「"コチラ・ヘ コチラ・ヘ"」
しかしそんな太朗をよそに、不器用な日本語を発しながら巨大な機械の方へと転がっていく球体。太朗は呆気にとられながらも、恐る恐るそちらへと近付いていく。状況を理解できない上にかなりの恐怖心があったが、ようやく自分のとった行動に反応があったという喜びから、妙な高揚感に包まれていた。
「はいはい、すぐ行くから待ってね小梅ちゃん。でもお兄さん怖くてあんまそっち行きたくないんだよね」
太朗は梅干の種に似ているという理由で球体にそんな名前を付けると、球体の止まった場所から少し手前で足を止める。
「えっと、そこになんかあるんスかね。俺には何も見えない……って、ケーブルに引っかかってんのかよ! お前見た目ハイテクなのに随分アレだな!」
太朗はひとり突っ込みをいれつつ、ケーブルを乗り越えようと奮闘している球体へと手を伸ばす。思ったよりも軽いそれに驚きつつも、ケーブルの向こう側へと解放する。
「"Thank You sir"」
「なぜに英語!? しかもすっごい流暢!?」
日本語の時はあんなにカタコトなのにと、妙なやるせなさを感じる太朗。
「遠隔操作か何かか? どっかで見てんだろ。モニターどこよモニター……そこかっ!! ……はい、無いよね。って、ちょっとそれマジっすか」
ひとり素早く後ろを振り返ったりと挙動不審な太朗だが、球体の転がっていった先にあった物を目にすると、その動きを止める。
「これタイプⅤだろ。しかも魔改造されてんじゃねえかよ……何コレ。俺から養分吸い取ってあのでっかい機械に送り込むとかそういう感じのやつ?」
そこにあったのは先ほどの部屋にあった冷凍装置と同様の形をした、人型の窪みのある装置。太朗は頭の中にある不思議な知識からその構造を素早く理解したが、その知識の中には明らかに存在しない物がいくつも確認できた。その最もたるものが、炉心に似た巨大な装置へと繋がる図太いケーブルだった。
「それには収まりたくねえなあ……でも入らなきゃいけない流れだよなぁ……ぶっちゃけさ。この船にある冷凍装置、成功確率超低いじゃん? 新バージョンになったからと言って、そう急激に変わるとも思えないんだよね僕的には」
冷凍睡眠の失敗については、恐らく何らかのアクシデントによるものだろうという事はわかっていた。そもそもあんなに確率の低い装置をまともに運用するはずが無いし、頭の中の謎の知識がそれを裏付けしていた。しかし、理由も無しに装置へ収まる事は、はいそうですかと言える程単純な事でも無かった。
「"ハイ・レ ハイ・レ"」
太朗を促すように、その場でくるくると回る球体。
「入れって言われてもよぉ……あぁもう。わぁったよ。もう、あれだ。何かあったら小梅。お前に責任取ってもらうからな」
太朗はまだ見ぬ未来人の人間性に賭ける事にすると、ゆっくりと人型の窪みへと身を沈めていく。人が扱う前提の物に、そうそう危険なものを残したままにするはずが無いと。
「はい、これでいいっすかね。って、あぁお!! チクッと来たよチクッと!!」
首元に感じた痛みに身体をよじる太朗。その正体が睡眠導入剤の投与だという事がわかっていた太朗は、おとなしく目を閉じる事にする。太朗が実際に深い眠りに落ちるのに、わずか2秒しかかからなかった。
「……はい、おはようございます。イチジョウ・テイローでございます」
目覚めによるぼんやりとした頭のまま、テイローって何だと心の中で突っ込みを入れる太朗。体を優しく包むシリコン状の装置から眠る前の記憶を思い出すと、ゆっくりと身体を起こしていく。
「おはようございます、ミスター・テイロー。オーバーライド(上書き)は終了しました。お体の加減はいかがですか?」
予想だにしなかった他人の声に、びくりと発生源へと目を向ける太朗。そこにいたのは、自らが小梅と名付けた球体。
「悪く……ない。けど……え、あれ? どういう事? 俺、何を……」
球体が。そして自分が口にしたのは、今まで全く聞いた事の無い言語。
しかしそれゆえに恐ろしい事でもある。
太朗はそれを、完全に理解する事が出来たのだ。