第252話
超大型輸送艦にエデン・ステーションを搭載した太朗達は、数日の後にライジングサン本部のあるローマ星系へと到達した。彼らは途中途中で仕入れた雑多な荷物の搬出を行い、そしてエデンをローマ第1ステーションから少し離れた場所へと浮かべた。
利便性を考えると第1ステーションにドッキングさせたい所だったが、しかしそれをするのはあまりに危険と思われた。エデンの内部構造はほぼほぼ解析が終わっていたが、しかしあまりに未知の設備が多すぎた。
「色々あったって話だけど、もう安全なんだよな?」
コールマンのプライベートエリアの奥にあった、恐らく彼の私室と思われるこじんまりとした部屋で、太郎がきょろきょろと周囲を伺うようにしながら言った。
「100%の安全というものは、どこにも存在しないものですよ、ミスター・テイロー。しかし普通に行動する分には全く問題ないでしょう。表立った障害はミスター・ファントム警備部長の手により無力化されましたから」
執務机と呼ぶにはあまりに素っ気無いテーブルの上で、小梅がゆらゆらと揺れながら言った。太郎は「了解」とそれに返したが、しかし先程から感じている不気味な不安が払拭される事はなかった。
「そんなにびくびくするくらいなら、やっぱり何日か間を空けた方が良かったじゃない」
太郎のすぐ隣の椅子に腰掛けたマールが、いくらか呆れた調子で言った。それに太郎は「そらそうだけど」と口を尖らせると、いまいちど部屋の壁や天井をぐるりと見渡した。
目に入るのは、壁や天井に穿たれた大量の弾痕。そして何か強烈な力がかかったのだろう、真新しい亀裂や大きなへこみ。それらがそれなりの厚みのある鋼鉄製でなければ、太郎もそこまで驚かなかったかもしれない。
「ファントムさんが疲労と怪我で寝込むレベルって、それもうおかしいだろ。どんなバケモンが出たんだよ。アルファ星系のクソでかいワインドを素手で解体するとこ、俺実際に見たぞ。あの人なら戦車相手にしても余裕だろ」
身振り手振りを交え、ファントムが力任せに虫型ワインドの足を引きちぎったシーンを再現する太郎。それに横にいるマールが「狭いんだから大人しくしなさいよ」と迷惑そうな顔をした。
「想定内の障害が、想定外の障害と組み合わさる事で、完全に新しい脅威となってしまったのですよ、ミスター・テイロー」
小梅がランプを明滅させ、壁の亀裂の方へとくるりと向いた。太郎は「想定内ってのは」と前置きをすると、考え込むようにあごに手をあてた。
「報告書にあった、例のゴーストワインドの事だよな。やっつけたんだろ? 想定外ってのは何だ? 何で報告書にないんだ?」
太郎の質問に、小梅が太郎の方へと向き直った。
「ひとつずつお答えしましょう、ミスター・テイロー。最初の質問に対しては、否定です。報告書に記載した通り、我々は敵を無力化しましたが、やっつけてはおりません。今も小梅の下にある端末の中で生きているはずです」
小梅の答えに、太郎は無言で後ずさろうとした。しかし彼のすぐ後ろにいたライザにぶつかってしまい、「痛いですわよ」とお小言をもらう事になった。
「す、すまん。でもライザで良かったわ。マールだったら前にはじき返されてただろうし…………その端末ってのは、これの事だよな? 完全に遮断されてんのか?」
太郎は机の下を覗き込むと、そこに押し込まれている箱状のコンピュータを確認した。彼は「どういう事ですの!」と怒るライザを宥めつつ、小梅に続きを促した。
「小梅であれば逆に怪我をしていたかもしれませんし、確かにミス・ライザで…………失礼いたしました。次の質問についてですが、相手はワインドではありません。人間でもありませんし、そもそも生物と呼んで良いかどうかも怪しいです。しかし機械でもまた、ありません」
「…………なぞなぞかっての。なんだそりゃ。自然災害?」
「否定です、ミスター・テイロー。あれは人為的に作られたものです。名称が不明なので何と呼ぶべきかはわかりませんが、強いて言うのであれば、可変液体金属製防衛機構、とでも言った所でしょうか」
「液体金属…………おいおい、それってまさか、ファントムさんみたいなやつか?」
「半分を肯定です、ミスター・テイロー。ミスター・ファントムは、自分を製作した際の残りカスでは、と仰っていました。しかし彼のような人型ではなく、不定形のアメーバ状でしたが」
「うわぁ…………想像するだけで最悪の相手だな。どうやって処理したんよ。溶鉱炉にでも落としたのか?」
「いいえ。銃撃や打撃で徹底的に衝撃を与え続け、不安定化した隙を見計らって宇宙へと射出しました。今は対孔剤で塞がれていますが、D6居住区には大きな穴がいくつも開いておりますよ。アイルビーバックと言ったかどうかはわかりませんね。真空で音は伝わりませんから」
「いくつもって、まさかの複数…………あー、この前の精密射撃訓練はそういう事か」
ローマ星系への帰路の途中、突発訓練として護衛艦隊による射撃訓練が実施されていた。それはファントム警備部長とベラ艦隊司令――警備部よりも攻撃的な艦隊運営を行う役職。専務に相当――の承認によって行われており、太郎は事後報告で知ったものだった。
「どんな金属でも、艦砲が直撃すればさすがに蒸発するものね。どれだけいたの?」
さして興味があるわけではないが、とりあえずといった様子で尋ねるマール。しかし小梅が「87体です」と答えると、さすがに驚いたようだった。
「さすがに報告書には残せませんわね。万が一にでも漏れたら、どこからどんな手が伸びるかわかりませんわ」
ライザが深刻な様子で言った。それに太郎もまったくだと頷く。少し考えただけでも兵器としての利用法が思いつくし、いくらでも利用価値がありそうだった。最悪なのはそこからファントムのようなサイボーグが開発される事であり、それこそ銀河に破滅的な混乱が招かれる事になりそうだった。
「なるほどなぁ。そういう事なら了解…………って、ちょっと待て。障害が組み合わさったって、まさか…………」
太郎の言葉に、小梅が「えぇ」と球体のままで転がるように頷いた。
「ゴーストタイプワインドの存在が確認されたため、BISHOPの使用が非常に限定されていたのです、ミスター・テイロー。瓦礫の中に隠れた小梅がエリアネットワークを封鎖し、向こうがそれを打ち破るまでのごく僅かな時間のみ、といった所ですか。ミスター・アランの存在が恋しかったですね」
「いや、アラン普通に死んじゃうから。あいつ瓦礫の隙間とか入れないからね?」
「まぁ、そんなこんなでようやく施設の安全化に成功したというわけです。ミスター・ファントムは弾道予測の力を十分に発揮できぬままに8時間もの戦闘を行うという無理がたたり、休息というよりは修理中という表現が相応しい状況ですが」
「うわぁ…………後で見舞いいっとくわ。それと今度、取引先に希少なコーヒー豆か何かを取り寄せられないかどうか聞いてみる。お金あげても喜ばないだろうし」
「ふふ、きっと喜びますよ、ミスター・テイロー。さて、ではそろそろ本題に入りましょうか」
小梅はそう言うと、太郎達の携帯端末へと膨大な量のデータを送り込んできた。太郎はすぐ近くにゴーストタイプのワインドがいるのにBISHOP通信を使っても良いのだろうかと不安に思いつつも、それを受信した。
「ご覧の通り目下調査中ではありますが、目ぼしい情報を選別しておきました。小梅はそれらからコールマンの真に目指す物を推測しましたが、皆様の意見が伺いたかったのです」
小梅がその場でぐるりと回り、椅子に座る3人を見渡した。壁の亀裂の向こうには、エンツィオにあったコールマンの施設調査を行った、現エニグマ開発陣が歩き回る姿が確認できる。
「さすがにこの量だと、ちょっと時間がかかりそうね。足りない予備データはバンクを漁ればいいのよね? わざわざここに来てるんだもの」
データの量にうんざりしたのだろう、マールが疲れた様子で言った。それに小梅が「肯定です、ミス・マール」と返すと、3人はパルスチップと同様に携帯端末を額に当て、うつろな表情で情報を脳内で直接確認し始めた。
「んー、まぁ、なんとなくわかったわ」
情報の確認を始めてから1時間程が経った頃、太郎がついとそう言った。横を見るとマールも何か結論に達したらしく、「わたしもよ」と、しかし少し困ったような表情で答えてきた。
「予想と少し違いましたけれど、納得ではありますわね。ファントムさんの事を考えるとなおさらですわ。あれだけの方ですのに、コールマンが何がしかの執着を見せているようには思えませんもの」
肩をすくめ、眉間に皺を寄せたライザが言った。太郎はその言葉に恐らく自分と同じ答えを出したのだろうと判断すると、小梅の方へと向き直った。
「進化にも色々あると思うけど、あいつが目指したのは――」
データの中身は、何世代ものコールマン達が行ってきた、様々な実験とその結果だった。それらは驚くほど大量で、そして多岐に渡ったが、しかしある共通点があった。
「脳だ。あいつが進化させようとしてたのは、人間の脳だ」
確信をもった太郎の答え。それに小梅は何の反応も示さなかったが、いくらかの間の後、「小梅もそう思います」とランプを明滅させた。
「一見するとどうでもいいような研究だったり、それこそまったく無駄みたいな研究だったりがあったりもするけれど、そう考えると全部繋がって見えるわよね…………」
消え入りそうな声でマールが呟く。彼女は伏した目を上げると、伺うように太郎の顔を覗き込んできた。
「…………なぁ、小梅。教えてくれよ」
マールの視線から目を離しつつ、太郎が下を向いて発した。彼は口を開いては閉じ、開いては閉じと葛藤すると、やがて意を決して口を開いた。
「俺もやっぱり、コールマンに作られたのか?」




