第172話
付近に残る核爆撃から生き残った多数の地下建造物と同じように、博物館はかつての機能のほとんどを失っている。しかし例えその博物館が現役でいた時代を含めたとしても、かつてこれ程までに誰かへ強烈な印象を残した事はなかったかもしれない。
「………………」
無言で立ち尽くす4人。彼らはしばらくの間そうしていたが、やがてマールが頭を振りながら口を開いた。
「…………考えなくちゃならない事が多すぎて、何から言えばいいのかわからないわ。正直、とてもこの場で議論が出来るような内容じゃないと思うの」
難しい顔をしたマールはそう言うと、太朗の持っていた古代の板を手にし、携帯端末を使用して1枚1枚慎重に撮影をし始めた。
「小梅も同感に思われます。これはよくよく吟味する必要のある事案であり、このようなある種追い詰められた状況下で話し合うような事ではないでしょう。我々の中で最も古代に精通している専門家、ドクトル・アルジモフの協力を得た上での議論が必要だと小梅は愚考します」
小梅がそう言い放ち、静かに一礼する。太朗は「だな」とそれに同意すると、両手を開いて周囲を仰いだ。
「もしかしたらもう来れない可能性もあるわけだし、片っ端から撮影してこうぜ。もちろん持って帰れる物は持って帰る方向で。戦車に積めなさそうな奴は特に念入りに撮影してこう」
太朗がそう言って同意を伺う仕草をすると、周囲からは賛同の声が上がった。
彼らはその後、社員を交えた大人数を使い、およそ丸1日をかけて資料の収集にあたった。基本的には映像資料と簡単なコメントを残すのみだったが、巨大なレプリカを中心とした持ち帰りの不可能な物は分解してから撮影する事もあった。分解の際には必ずマールが立ち会い、撮影後は再び組み上げてから元に戻しておいた。このエリアはいつか再び戻って来た時の事を考え、慎重に封鎖しておくつもりだった。
「社長、こいつはどうしますかね。サンプルとして持ち帰りますか?」
5000年前の電動こけしを手にした、極めて真面目な顔の社員。太朗は「もち」と親指を立てて見せると、かつて誰かを慰めていたのだろうそれを恭しく受け取った。
「うちの会社も5000年以上続くようにって、カツシカ本社のウィンドウに飾っとこう。入口入ってすぐのトコがいいな…………ふふ、これを我が社の理念の象徴としよう」
「やめてよ。いくらうちの主力商品って言ったって、今は他の事業もたくさん抱えてるんだから…………というか、それを取引先のお客さんに見せながらもっともらしく理念の説明をするとか、私は絶対に嫌よ」
「…………うーん、美人が卑猥なオブジェを解説するとか、色々妄想が捗るな。かなりヤヴァイ」
「うっさい!! だったらあんたがやんなさいよ!!」
「ぃゃぃゃ、誰得なのそれ。ティロゥ、意味ゎかんなぃ」
「くっ、また新しいタイプのムカつく喋り方ね…………」
やがてこれ以上は無理だとなるまで荷物の積み込みが終わると、一同は順番に睡眠をとり、じっと救援の声がかかるのを待ち続けた。
「…………ねぇテイロー。もう寝た?」
装甲車の助手席でくつろぐマールが、小さく声を発した。狭い装甲車の中ではあるが、シートのリクライニングを倒せばそれなりにくつろぐ事が出来る。睡眠を取る必要の無い小梅は外で社員の監督指揮を行っており、装甲車の中はふたりだけだった。
「ん、まだ起きてるぜ。どしたん?」
運転席で横になっている太朗が、身じろぎをしながら答えた。
「どうって言うわけじゃないけど、ちょっと寝られなくて…………ねぇ、あんた。あんたはあの日誌についてどう思う?」
太朗の方へ体の向きを変え、囁くような声でマール。太朗も同じように彼女の方へ向き直ると、「うーん」と小さく唸った。
「また随分アバウトに来たな……えっと、まず一般に公開していいような内容じゃねぇのは確かだな。これは間違いねぇだろ」
「うん、そうよね。内容が内容だから多くの人は信じないでしょうけど、そうじゃない人も当然いるわ。それだけでも凄い混乱になると思う……少なくとも宗教界は大荒れ間違いなしね」
「ホンマもんの神がいらっしゃるっぽい事が書かれてるからな。新しい宗教が生まれんじゃねぇの?」
「可能性としてはありそうね……いっそあんたが教祖にでもなればいいんじゃない? 儲かるかもよ?」
マールは冗談めかした声でそう言うと、小さく笑い声を上げた。太朗は薄明りの中に見えるマールの整った顔を眺めると、何か胸が締め付けられるように苦しくなった。
「いやいや、冗談はよしこさん。ぶっちゃけそっち方面にはなるべく関わりたくねぇよ。あの人達って、良い意味でも悪い意味でも本気だからな」
太朗は動悸を誤魔化す為に寝返りを打つと、装甲車の低い天井を見つめた。
「アルジモフ博士だって、あの仮説を発表しただけで暗殺依頼が立つくらいだものね」
マールも太朗と同じように上を向くと、しばらく黙り込んだ。外の小さな喧騒が聞こえ来て、アランがさらなる強固な防衛陣地を構築しようとしているのがわかる。
「…………ねぇ、テイロー」
深刻そうな、何かに遠慮するかのような、マールの声。太朗が首だけでマールの方を見やると、彼女も同じようにしていた。
「あんたってさ……その……あの板に、行方不明になった船団があるって言ってたじゃない? あんたはやっぱり、その船団の一員なのかしら」
何か意を決したかのように、真剣な表情のマール。太朗はその視線を受け止めると、「どうだろうな」とぶっきらぼうに答えた。
「乗ってた幽霊船はとっくに分解しちまったし、遺体も恒星に放り投げちまったからな。今考えるといくらかは大事に取っとくべきだったかもな…………あぁいや、どうなんだろ。取っといた所で、わかるかどうかは別問題か」
太朗は頭の後ろで手を組み、ハンドルの上へ無造作に足を乗せた。彼は「そもそも」と前置きをすると、石版の内容を頭の中に思い描きながら続けた。
「それにあの古代人達が、本当に地球から来たかどうかが良くわかんねぇ。アメリカ国旗もNASAのマークもそのまんまだとは思うんだけど、それがすなわち地球から来たとイコールになるかと聞かれたら疑問だな」
「そうよね……エデン、だったっけ。何なのかしら。衛星? 宇宙ステーション?」
「さぁなぁ。持って帰る骨董品の中に何か手がかりがあるといいんだけどな…………さ、ほら。そろそろ寝ようぜ。考えても答えは出ねぇだろうし、いつワインドが襲ってきてもおかしくねぇんだぞ」
太朗はそう言うと、アイマスク代わりのタオルを目の上へ乗せ、深く息を吐き出した。マールは「そうね」とそれに答え、しばらくは居心地悪そうに寝返りを繰り返していたが、やがて小さく寝息を立て始めた。
「俺はいったい誰なんだろうな」
小さく呟いた声。
結局太朗はその日、ほとんど寝る事が出来なかった。
「どうも、社長。お迎えにあがりました。警備部特務課のフィリップです」
にこりとした笑みをたたえた、ガタイの良い長身の男。太朗は「はぁ」と気の無い返事を返すと、寝ぼけ眼を手の甲で擦った。
「特務課っていうと、ファントムさんの部下っすか。ちなみにどうやってここまで来たんすか? 隔壁は?」
太朗が救援部隊を名乗る男にそう返すと、男は無言で視線を天井に上げた。
「上からっすか? え、まじで? ワインドは?」
「いませんね。あぁいや、正確にはいるのかもしれませんが、遭遇はしませんでした。自分は斥候として先行してますので、もう15分もすれば増援部隊が届くはずです。途中途中で岐路の封鎖を行ってますから、例え奴らがやってきてもそれなりに持ちこたえられると思います」
「おおぅ、まじっすか。ご苦労様です……あぁ、やべ。急いで準備しないと」
戦闘中に積荷があっては邪魔だと、かなりの量の物品が地面に置かれたままになっている。太朗は急いでそれらを積むように指示をすると、自らも作業を手伝った。
「私も手伝いましょう。隊長ほどじゃあないですが、力には自信があります」
フィリップがそう言って手を貸してくれ、積み込みはものの1時間もしないうちに完了した。サイボーグの強力な力は、下手な重機よりもずっと役に立つ。重機が掘る、や持ち上げる、といったある程度限定された機能しか持たないのに対し、人型の機械たるサイボーグはあらゆる作業へ柔軟に対応する事が出来た。
「はーい皆さん、忘れ物は無いですねー!! 基地につくまでが遠足ですよー!!」
装甲車の天井を開き、そこから上半身をのぞかせた太朗が周囲へ向かって叫ぶ。すると周りからは笑い声が沸き、「遠足ならもう少しマシな場所が良いですね」だの「子供扱いは結構ですが、一番若いのは社長達ですよ」といった突っ込みの声があがった。既に地上からの増援部隊は到着し、出発準備は整っていた。
「テイロー、こっちの準備も終わったぞ。出発後1時間で起爆だ!!」
汗だくになったアランがすれ違いざまにそう発し、自らの戦車へと飛び乗る。太朗はそれに頷く事で答えると、博物館地下への入口へとちらりと目をやった。入口であるエレベーター跡は念のために封鎖する事となっており、既にいくつもの指向性爆薬が仕掛けられていた。
「……まぁ、構造計算やら何やら散々にやったから、大丈夫だろ」
太朗はそうぼそりと呟くと、全隊へ向けて出発の命令を発した。車両のエンジン音が一際大きくなり、車列がゆっくりと通路を抜けていく。
「とんだキャンプになっちまったけど、まぁ、楽しかったかな?」
車内へ戻り、定位置である後部座席でごちる太朗。それにマールが「冗談じゃないわ」と文句を言い、「見てよこれ」と自らの腕を手で払いながら続けた。
「汗と砂でもう滅茶苦茶。正直2度と御免だわ。次に来る時はあんたひとりで来なさいよね」
「ちなみに小梅も遠慮願いたいですね、ミスター・テイロー。関節等の可動部に微細な砂が入り込み、どうにも不快感が拭えません」
「えぇぇ、寂しい事言うなよぅ。寂しいと俺死んじゃうんだよぅ」
敵地であるはずのそこで、3人はわいのわいのと賑やかに通路を進んで行った。それはいつワインドに襲われるかわからないという緊張感の裏返しではあったが、結局それは地上へ到着するまで続いた。
「あそこに閉じこもってたのが馬鹿らしくなるな。何にもいねぇじゃねぇか」
無事に地上へ到達した一同はそう言って呆れつつも、周囲を警戒しながらラダーベースへ向かって急いだ。隔壁を封鎖された際は様々な最悪の想定をしたものだが、終わってみればただの一度たりとも戦闘が起こる事はなかった。
そしてそれは、部隊がラダーベースへ到着するに至ってもそのままだった。
誰も、地面から突き出た潜望鏡のような物体に気付く者はいなかった。