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それぞれの談話





 ディーバの力を作戦に組み込んで最初に奪還されたのは、偶然なのかはたまた故意なのか、ファルサと出会うきっかけにもなった沿岸の街だった。


 そこには軍の施設があり、激戦になるのは避けられられないと予想され、だからレックスも今まで攻め込めずにいた。

 にも関わらず、ファルサが犠牲になる可能性があっても侵入させたのは、そこを取り戻せればかなりの戦力増強が望めるからだ。


 そして、ディーバに命じたのは、施設へ単独で忍び込み奇襲をかけること。建物そのものへの被害は最小限に抑えるよう念を押して要求した。

 今後も協力する事を強いた腹いせに暴れられても困る。そう思ってのものだったが、渋々ではあったが従ってくれたのには心底安心した。約束を破らない主義というのは大袈裟ではなかったのだと、レックスはこの時直接知ることになった。


 ディーバはやると言ったら確実にやり遂げる。これほど頼もしいものはない。

 変幻自在な身体を持っているのだから侵入するのは造作なく、力も圧倒的。おかげで想定していた犠牲の半分以下で街は反乱軍のものとなった。

 これにより、国の三分の二近くが軍の支配から解放されたこととなり、今まで傍観に徹していた他国からもいくつか非公式ながら協力を得られるまでに進展した。

 レックスが台頭しなければ侵略されていたかもしれないところがほとんどで、難民を受け入れることは未だに難色を示すも、物資を援助してくれるだけありがたい。王となってから新たな問題も出てくるだろうが、それはその時になってから尽力するべきこと。

 勝たなければ始まらない。その言葉はなにも、ファルサだけのものではないのだ。


 そして、ディーバの周囲にも少なからず変化があった。

 相変わらず神獣として扱われ、むしろ神聖視されることは増していたが、ファルサに近しい者たちとはそれなりに交流が生まれ初めていた。あくまで言葉のない間柄とはいえ、ディーバも邪険に扱わずにいるので、ファルサは人知れず喜ばしく思った。


 ディーバは必要以上に人と距離を取りたがる。食事の対象なので、あまり思い入れしすぎても生きにくくなってしまうとは理解できるが、だとしても彼女の態度は強情に見えた。まるで一人でいなければならないと、己に言い聞かせているかのように。

 それが人間であった頃に影響しているのだとすれば、どんな人生を送っていたのだろう。特に興味を持ったのはレックスだ。

 彼はある夜、ファルサと酒を酌み交わしながら言った。


「俺は、ディーバがかなり腕のある魔術師だったと思ってる。それも魔術が全盛期だった頃の」

「まあ、凄い力だしな」


 あの竜が、一体どれだけ生きているのかを、二人は知らない。尋ねたところでディーバのことだ、そんなものは数えていないと言うだろう。

 なによりも、彼女には人間だった頃のことは禁句で、少しでも話題がそちらに向きかけようものなら、途端に不機嫌となってその場から立ち去ってしまう。

 それでも、いくらか憶測ができるぐらいには時間を共有している。ファルサがディーバと出会って半年が過ぎていた。


 レックスの話を聞きながら、ファルサはあっという間だったとすでに懐かしく思えていた。ディーバが参加した戦いはすべて一日で勝敗が決するので、余計にそう感じるのだろう。彼女が居なければ、今の半分も戦況は動いていまい。


 終わりが確かなものとして見えてきていた。それを心から嬉しく感じつつ、残念さを抱えていることをレックスが知れば怒るかもしれない。

 未だに彼は、ファルサの名の意味を知らなかった。


「ファルサは魔術にあまり興味がないから、そう暢気でいられるんだよ。あのね? ゾルダンが言うには、魔術ってのは天恵であり学問でもある。かといって、簡単に地形を変えられるほどの力を持っていたのは、歴史上たったの二人だけだ」

「残されている史実が、そもそも少ないんじゃないのか?」

 

 レックスの物言いにファルサは首を傾げ、あまり深く考えず杯を口に運んだ。

 「分かってないなあ」不服そうにして、レックスがさらに語る。


「そこが、天恵であり学問でもあるってことだよ。魔術には深い理解が必要だけど、学問として伝えるにはあまりに個人の才能に左右されすぎる。そのかわり、術者個人の記録は意外にも多いんだよ? アデュイオンは初代国王が特に有名すぎて、他が埋もれてしまっているってだけで」

「常闇の魔女から世界を救った英雄だしなあ。だが、それとディーバに何の関係があるんだ?」

「……いくら時間的に余裕があったとしても、あそこまでの力は早々持てるはずがないんだ。だからどこかに、人間だったディーバのことが残っていると俺は思ってる」


 つまりは調べるつもりだということか。それがディーバの意に反することだと分かっているから、レックスも言い辛そうにしている。

 それでもファルサは、眉間に皺を寄せて同意できない意志を示した。


「ディーバはディーバだ。それで良いだろ。どんな理由があるにせよ、あいつは俺たちに協力してくれているだけなんだぞ。なのにお前は、興味本位で信頼を裏切るつもりか」

「違う。俺はただ、少しでもディーバの功績を未来に残したいだけだ。彼女の過去に理不尽な迫害があったなら取り払ってやりたい。真実を公表できない以上、俺たちが返せるものはそれぐらいしかないんだから」

「あのなあ。たしかに感謝をしてもしきれないぐらい、すでに俺たちは恩を感じてる。だからといって、ありがた迷惑をかけてどうするんだよ。それに、あいつはあくまで食事をしてるだけだ。他はともかくとして、お前は少しディーバを神聖視しすぎてる」


 ファルサは、レックスが子供の頃、竜に年相応の憧れを抱いていたことを知っている。自分が無我夢中に生きていた分、少しでもまともな生活を送らせてやりたくて、無償で読み書きを教えてくれていた教会へ連れて行ったのは他ならぬ自分だ。


 レックスの聡明さはその頃から見られていて、一時期は教会で引き取る話も持ち上がったほど。

 しかし、願いとは裏腹にレックスはそれを拒絶し、掃溜めの生活を続けることを選んだ。

 最終的には貴族の使用人の道を選んだが、それも必死に説得をしたからである。ファルサの仕事も斡旋する条件を呑ませるまで、首を頑として縦に振らなかった。


 少しばかりレックスは、ファルサに対して罪悪感を抱きすぎているきらいがある。

 自分を生かしてくれる為、汚れるのを厭わなかった。時には盗みをしてまで。さらには、王族の血を引いているばっかりに、反乱を起こすことを決めたせいで、血をも被らせてしまった。

 だというのに、背中を合わせて戦場で剣を揮うにはあまりに頼りなく、いつも危険なことばかりさせている。それが自責の念を抱かせる。


 ファルサとしては、それぞれ得意な場で共に戦っているつもりなのだが、命の危険の度合いが違うことが原因だとも分かっていた。

 だから、大丈夫だと安易な言葉で慰めたりはせず、これまで何度もしてきたように柔らかな髪を黙ってくしゃりと撫でてやる。


 とはいえ、それだけにしては、今のレックスは彼らしくない。ファルサにとってはまだまだ兄離れができない弟ではあるが、反乱軍の将としてはそういった面を見せたことがなかったのだから。


 なのでここは副将として、最近感じていた懸念に対して嗜めておく。


「ディーバは竜だ。それもおそらく最強の。お前の話をふまえると余計にそう思える」


 人間以外に魔術を駆使する生物はいないとされていた。そしてディーバも、他の竜は溶け込んで生きていると言っており、彼女だけが特異な場所にいる。

 だからファルサは、人を食う彼女をここに連れてきた。相容れない存在だと分かっているから。


「あまり感情を許すな。俺は大丈夫でも、お前は食われることがないとは言い切れないんだしな」


 けれどレックスは、どうやらそうではなかったらしい。

 ファルサの言葉に傷付いた表情を見せ、いささか乱暴に酒を注ぎ足す。

 そして、やはりらしくない言葉を吐いた。


「でも、あんまりだ。もしかしたらディーバは、望んでないのかもしれないのに」

「お前が言っていた味の違い云々か? ならそれは、ただの勘違いだ。あいつは、間違いなく食事を楽しんでいる。戦地での風景を見ていれば、お前もそう思うはずだ」

「そうでないとやっていけないとしたら? もし俺の仮定が正しければ、あんなにも優しくて残酷な使命はあんまりだと思うだろ」

「使命? 悪を正すためにとでも言う気か? おい、本当にどうしたんだよ。まさかお前、ディーバに惚れたとかじゃないよな」


 だとすれば育て方を間違ったと、死んだレックスの母親の所へ今すぐ土下座しに行かなければならなくなる。

 真顔でそう言ったファルサに、レックスは「まさか!」と大袈裟に笑ったが、あまり安心はできなかった。

 これまで女の気配が全くなく、少なからず心配をしていたが、相手がディーバなど男色になられるより歓迎できやしない。まだ芽は出ていないようなので、もしそうなら一切の隙も与えないよう土から抉り取るべきだ。

 ファルサは予想外に浮上した問題で、酒を楽しむ余裕を失った。


「いいか? 良い機会だから教えておく。ディーバがよく姿を消すのはな、別の意味で人を食いに行ってるからだ。あいつだって言ってただろ? 気まぐれで囲われてやったことがあるって」

「……は?」

「性別がないって聞いてないか? あいつは人間だった時が女だったからそっちの姿を好んで取るが、気分によっては男になって女も抱いてる。全てに於いて、俺たちとは価値観が違うんだ。だから、どうしても恩を返したいのなら、必要以上に干渉しないことが一番良い」


 唐突に暴露された内容が内容で、レックスの手から杯がポロリと落ちた。

 何にまず反応すれば良いのやら。こちらは飽きていなくなってしまわないか気がかりであったのに、まさかそのような不純な理由だったことも、男にもなれることも、なにからなにまで初耳だ。ファルサが当たり前のように知っているのも気になる。

 結局、口から出たのはそれだった。自分でも不思議なほど、苛立った口調になってしまっていた。


「ファルサは相当、ディーバに気に入られてるんだね」


 これによっぽど慌てたのは、ファルサの方である。

 ますます危機感を募らせ、持っている全ての語彙を用い、可能な限りディーバへ悪態を吐く。


「お前が免疫がないことを知って、教えなかっただけだろ。そういったところは、無駄に気を使うからな。だいたい人に対してがそうだ。あいつは自分をしっかり理解してる」

「ファルサこそ、ディーバをかなり理解してるね。まるで恋人みたいだ」

「ムキになるなって。やめてくれ。俺は上手くやっていけるよう、合わせるのにただ必死になっていただけだって」


 レックスの酒を入れ直しながらファルサはほとほと困り果て、そのせいでいつもよりペースが早くなっている。

 どう言ったら分かってくれるのか。まるで思春期の子供の相手をしなければならない親の心境だと感じ、それにもまたひどく打ちのめされかけた。まだそこまで年を取ったつもりはない。


「とにかく! あいつを人間として扱うな。これからが大事って時に、お前が色恋沙汰で崩れてどうするよ。そんなことで揺らぐほどのちんけな覚悟じゃないだろ」


 ファルサは真剣に肩を掴む。これでまだくだらないことを並べるようならば、殴ってでも目を覚まさせるつもりで。


 けれど、しばらく無言で睨み合ってから、レックスがいきなり身体を震わせ始めた。最初は小刻みに、次第に大きく笑いだす。


(こいつ…………!)


 それは、これまでもよくされてきた、からかいが終わる合図だった。

 レックスの演技は、本職としてやっていけるほどに上手い。ファルサは何度騙されてきたことか。

 思わず先程の意気込みとは違った意味で、小憎たらしいスマートな顔を殴りたくなる。


 とはいえ、それは年上としてなんとか我慢し、かわりに酒を一気にあおった。

 この時期に理由もなく、こんな悪ふざけをしないはずだ。その理由を問い質さなければならない。


「で? 本題はなんだ」


 しかし、屈強な相手をとことん怯ませてきた眼力もレックスには全く効果がなく、彼は口元を押さえて笑いの波とまだ戦っていた。

 「ちょっと、待って。もう、すぐ、引くから」息も絶え絶え、敵はかなり手強い様子。待っている間で、ファルサはとうとう瓶を一本空けてしまう。


「はー、笑った」

「…………それはよかったな」

「ごめんって。お父さんの愛情があまりに嬉しくて」

「誰が父親だ! お前のような捻くれたやつを育てた覚えはないからな」

「ひどいなあ」


 ようやく強敵に打ち勝ったレックスは、何を考えているのか見抜かせない普段の態度に戻ると、おわびに酌を取りながら話を切り出した。

 将としての顔であった為、ファルサは腹いせを考えることを止め、同じく副将として真剣に聞く。

 それはある意味、予想していたことだった。


「言ってた通り、ディーバは俺にさほど興味がないようだからね。可能性があるとしたらファルサだけになる」

「俺もそこまでじゃないと思うけどな」

「そうかもしれない。でも、俺はもう、この戦いの後のことを考え始めてる。それができるところまで来てるんだ」

「ディーバが、欲しいのか?」

「うん。どうしたって、レグルスの暴挙の皺寄せはくるだろうし。日和見な国はここぞとばかりに狙ってくるだろうから。その時に彼女がいるといないとじゃ全然違う。俺はもうこの国の人たちに、理不尽を強いたくないんだ」


 その為ならば、今度は自分がどこまでも泥を被る。卑怯なことでも何でも、奇麗事など言わず。その時の目はどこまでも力強かった。


 レックスは、王族の責任で国を取り戻そうとしているわけではない。系譜にさえ記されず無かったものとされていたのだから、親の敵討ちとも違う。むしろ母親は、子を生かそうとしたせいで王弟の命により葬られているので、憎みこそすれ情は一切無かった。


 そしてファルサも、本心の全て聞いているわけではないが、貴族に持ち上げられたからでもなく、自ら望んで並々ならぬ決意の下に選んだのだと感じたからこそ、止めず共に歩む道を進んでこれた。

 それは今も当然変わらない。レックスが必要と言うならば、たとえ気が進まない命令だとしても、愚かなものでない限りは従う。


「ディーバをほだせるかな」

「正直、自信はまったくないな」

「じゃあ、継続して関係を持てるようにならどうだろう」

「それは……、まあやってみないとどうにもだな。というか、食いもので釣るほうが見込みはあると思うが」

「もちろんそっちでも攻めるよ。囚人を回したりすれば、こっちとしても手間が省けて楽だし」


 えげつないことを言っている自覚はあるが、二人ともためらいはない。とにかくディーバを手放さないことが重要なのだから。

 ディーバには、金銀財宝をばら撒いても余りある価値がある。最悪、弱点を突いて脅してでも。

 ただ、それだけはしたくない。理想としては、彼女自身が国そのものを好きになってくれれば一番だろう。


「心でも身体でも、どっちだっていい。とにかくディーバをいつまでも傍に。やってみてくれる?」

「分かった。なんとか努力しよう」

「ありがとう。ただでさえファルサには負担ばかりだから、俺が頑張れればいいんだけど。そっちもからっきしだから。英雄は色を好むってのも馬鹿にできないよね」

「感謝するのか、後ろめたがるのか、からかうのか……。せめて一つに絞れ」

「じゃあからかうで」


 しれっと言うレックスに、ファルサは脱力するしかなかった。


 そうして、つかの間の穏やかな時は過ぎていく。

 二人は朝日が昇る少し前に解散し、気持ちの良い酔い加減で眠りについた。

 レックスがその寸前であることを呟くも、それは静かに光の中へと溶けていった。


「ファルサってば、いつまでたっても見抜けないんだから。嘘を吐くコツは教えたはずなんだけどなあ」


 曰く、上手い嘘には少なからず真実を混ぜれば良いらしい。

 しかし、レックスの本心がどこに隠れているのかは、誰にも分からなかった。






 □□□




 男二人が酒盛りをしながらよからぬことを画策している頃、その対象であるディーバは夜風に当たり涼んでいた。


 腕の上に顎を乗せた状態で伏せ、夜空を見上げ、尻尾を時折ふわりと揺らす。三分の一から上が折れている両耳の間には、夜行性の小さな獣が休憩とばかりに乗っていてた。

 どうやら今日は雲が多く、月がしきりに顔を隠してしまっている。


 しばらくすると、ディーバは飽きたのか視線を下ろして大きな欠伸を零した。

 そして、そのまま寝てしまおうとして、ピクリと耳が動き獣たちが散り散りに去って行く。

 静かな時間の邪魔をする輩がいたようで、不機嫌そうな鼻息が草花を驚かしていた。


「悪いな、ディー。寝てたかあ?」


 天幕が並ぶ方向から現れた人影は、背中に鉈のような二本の武器を下げていて、上下が繋がっているだぼついた衣服にサンダルというやる気のない格好をしている。一見すると接近戦を得意とするように思えるが、服装とどこかだらけた口調は、反乱軍で最も腕のある魔術師であり初期メンバーでもある者の特徴だった。

 視線をやれば案の定、わずかな月光に照らされたゾルダンが木にもたれ立っていた。


「ちょーっと話しに付き合ってもらっていいか?」


 ディーバは返事のかわりとして、僅かに口角を上げる。退屈しのぎにはなりそうだと思ったのだろう。

 それを見て取ったゾルダンが彼女に近付き、丁度良い高さの岩に腰掛け目線を合わせた。

 その態度は物言わぬ獣にするようなものでも、ましてや独白をする相手を選んでいる様子でもない。

 ガーネットに映ったゾルダンは、ニヒルな笑みを浮かべていた。


「俺って、まどろっこしいのが嫌いでねぇ。だからさくっといかせてもらうわ」


 腰の武器を一本取り、器用に回して手遊びしながら彼は告げる。


「あんた、喋れんだろ?」


 確信を持っての言葉に、けれどディーバは無言を貫く。

 それすら見越していたかのように、ゾルダンは続けた。


「魔術をあれだけ手足のごとく操れて、むしろ喋れない方がおかしいんだよなあ。分かってると思うが、行使する上で必要不可欠となるのが理解だ。その中には、もちろん発音も含まれてる。古代語がほとんど失われたせいで、今の魔術師は力を落としてるってのに、喋れない獣が使えるのはあり得んと俺は思うがね」


 長い足を組みディーバの反応を窺うと、心なしか尻尾の振りが大きくなっているようだった。

 しかし、まだ合格点には足りないらしい。それだけかと視線が語る。

 ゾルダンは、ならば受けて立とうと、空いた手で自分の額を叩いた。


「ファルサのデコの陣、俺が読み取れたのは意思と結合だったか。つーか、線まで古代語ってなんだよって感じだわ。俺ぁ、陣は力を上手く循環させる為のもんで、古代語は(キー)だとばっかり思ってたんだがなあ。ま、だからこそ、他の連中も言ってる智の神の使いだと信じられたんだが」


 そこで一旦区切り、仲間が眠る場所へ目をやる。

 ディーバが今いるここには、ちょうどよく頑丈で高い木が並んでいる。登れば見張りをするにもってこいだろう。人間であれば不可能だが、大狼の彼女なら造作ない。

 さて、これが本当に偶然なのか。ゾルダンは、意味ありげに肩を竦めた。


「あんたがここに初めて来た時、アレなかっただろ。けど、ルースは最初っから、言葉が理解できるって分かってる態度だった。しかも約束がどーとか言ってたなあ。一体どうやって、言葉もなくそれを結んだのかねえ。いやさ、神託が下ったってんなら別だぞ? 残念ながらルースの反応を見てれば、あんたが神獣でないのは丸分かりだがな。代弁すれば、こいつが神獣? ありえないってとこか」


 だてに四年間付き合っているわけじゃない。そう締め括って、全ての見解を述べ終えた。


 これでもまだ口を開かなければはぐらかしているとして、ゾルダンは相手をファルサへ変えるつもりだ。はなからそうした方が事は簡単だというのに、それをよしとしないあたり、彼の人柄とたくらみがないことを示している。


 そして、ディーバがとうとう動いた。

 身体を起こし地面に座ってから、数度鼻を動かして匂いを嗅ぎ、鮮やかな色の舌を覗かせる。


「まア良イか。直接訪れタ、その誠意を汲んでヤる」


 どれだけ人を食っても汚れ一つない牙の迫力と、漂ってきた神々しいほどの森林の香りにぼんやりとしかけたゾルダンは、厳しくも芯の通った口調に息を呑んだ。

 声に不機嫌さは込められておらず、焦りもみられない。

 しいて言うならば、ファルサには不満がありそうだ。「ディーバが神獣なのハありエナいとは、どウいうこトだ」そんなぼやきが聞こえた。


「タしか、ゾルダンだッタか? いかニも。ディーバはしゃべレるぞ」


 とはいえ、予想していたよりもはるかに親しみ易さがあり、ゾルダンはひっそりとファルサに同意した。これを神獣とは呼べない。

 元からそうするつもりだったが、反乱軍のためにも他言無用にしようと心に誓う。


「おう。覚えてくれてたとは嬉しいね」

「オ前の術は、ずバ抜けて丁寧ダったかラな。あトは見てクれと、頭が足りナさそうデ実は理論派ナとこロも、インパクトが強かっタ」

「わっはっは! ディーはよく人を見てるねえ。こりゃあ意外だった」


 素直に目を丸くするゾルダンに、ディーバはなんてことないと言うが、二人が近くで行動するのはもっぱら戦場だ。

 しかもディーバは常に最前線で動いており、ゾルダンはだいたいがフォローに回っている。

 あとは戦闘後の事態収拾の場があるが、それもまたファルサと一緒になって行っているわけではないので、状況を把握する能力がかなりのものだと窺い知れた。

 そしてなにより、ファルサとレックス以外の人間とは距離を取っていながら、その目を自分達に向けていたことに驚く。見極めているのか、はたまた興味本位かのどちらかだろうが、この時点ではまだ判断がつかない。


「シて。わザワざ確認の為だけニ話しをしに来タわけデはないのダろう?」

「まあねえ。ちっと談義ができればと思ったんだが」

「魔術の指南ならバ去れ」

(ちゃ)(ちゃ)う。あんなもん理解できても、使うとなると自滅するだけろうよ。万が一行使できたとしても、陣の形成に一週間はかかる。その間、一切集中力を切らさないとか、疲れ知らずな死人でも無理だろうなあ」


 その言葉にディーバが声を上げて笑った。

 レックスとは違い、魔術師だからこそ指摘されずとも理解できるとはいえ、古代語を教わろうとすらしないのは思いもよらなかった。もしかしなくとも、技術を向上できるというのに。

 もちろん、頼まれても同じようにはねつけるつもりだったが、よくもまあこんなにも毛色の強い輩が大人しく使われているものだ。さすが調和の王だと感心した。

 それでいて談義ときた。一体なにを題材にするつもりなのか。ディーバはひとしきり笑ってから、おもむろにゾルダンへ言った。


「一つ、ディーバを楽しまセた褒美に教えてヤろウ」

「まじか。あんま良い予感はしないがなあ」

「オ前の発言ヲ正すだけダ」


 「正す?」ゾルダンが不思議がる。

 だがやはり、褒美にしてはおもしろがる表情をしているので、あまり楽しみではなかった。直感でディーバの性質の悪さを察知しているだけ、ファルサよりはまだまっとうな人間なのかもしれない。

 もっともディーバは、それでも遊ばない選択は取らないのだが。


「鍵ではなイ。古代語こソが魔術ダ」

「……どういうことだ?」


 そして、これは滅びいくだけの魔術師にとって、知られざる真実でもあった。

 声を荒げることこそなかったが、ゾルダンの身体は前に倒れており、詰め寄るように問いかける。


「魔術師が生まれタのは、まダ言葉が不十分だった頃とサレている。そしテ、最初の魔術師は、類稀なる能力を持っテいた。世界に満ちタあらユる力を凝縮すルというな」

「生まれる時代が違えば、確実に歴代最強となっていたなあ」

「確かニ。だガそうなれバ、魔術そのモのが無かったかモシれんぞ」

「そいつもそうか」

「そヤつは、力を固定する対象を声にシた。それをサラに他人モ使えるよウ言葉――文字にしタのが、意味ヲ与えル能力を持っテいたスペルマスターの祖。そウして二つは一つとナり、世界の理とシテ定着した。それが魔術ダ」


 一字一句すべてを聞き逃さないよう意識していたゾルダンは、歓喜ともいえる表情で天を仰ぐ。まるで子供のような無邪気さで、その姿にディーバはなるほどと、彼がここに来た意図に感付いた。


 おそらくは、技術よりも歴史に触れたかったのだろう。技術もそれなりに高いが、本人の興味としては学問としての知識欲が強いのだ。

 ならばディーバの存在は、学者としては喉から手がでるほどに捨て置けない。生きた過去そのものなのだから。


「ゾルダンはあまリ憂いてはいないのダな」

「廃れていく魔術師がか? そりゃあ、昔の話を聞けば憧れるがなあ。だが現実問題、俺たちはただの兵器だ。そういや俺ぁ、反乱軍に加わるまでは世界中を渡り歩いて遺跡やらを調べてきたが、ディーのような傷を治す術や他人を補助するようなのは、あったことすら知らなかったぞ」


 魔術とは、いつの時代も戦力として認識されている。だからかつては重宝され、時には疎まれ弾圧を受け、それを繰り返す内に数が減り、技術が消え、今日を迎えている。

 しかしディーバは、傷を受けた時の戦闘以外で、目立って魔術による攻撃をしていない。それは食事のためが強いとはいえ、いつの時代の魔術師からしても異色である。

 ゾルダンの疑問にディーバは淡い息を吐いた。それこそ憂いをみせているようだった。


「魔術師はこゾっテ好戦的だからな。ソれがマた滅びの道へと向カわせタのだと、ディーバは思ウぞ。そレに、数が増えれバ利便性を求メるノは、人なラば当然なコと。銃や爆薬ナら、誰デも使えるのダかラな。わざわザ高い金を払っテ囲わズとも、替えハいくラでもきくヨうになル」

「ある意味、人間らしいのかねえ」

「ディーバはこレで良かッタのだと思うがな。偏ってイたカらこソ、今まデ生き延びられタのだ」


 どの道、滅ぶべくして滅ぶのだろう。そう語ったディーバはふと、懐かしむように目を細めてゾルダンを見た。

 歴史を好むとはいえ、彼もまた好戦的な部分があるからこそ反乱軍に身を置いている。

 しかし、彼女の知る魔術師としては相当に丸い。むしろファルサの方が、その気質を持っているだろう。他もそうだ。魔術を使えるだけで、何かが欠けていることはない。


「ディーバの知ル魔術師は、皆がドコか狂っていタ。力に溺れてシまわヌよう、代償としてナ」

「狂ってた?」

「アあ。感情がナ、欠けテいたのだ。境遇に関わラず、人が人たルが為に育マれるはズのものガ」

「なら俺ぁ、今で良いねえ。戦場では兵器でも、まだ人ではいられっからな」

「まさシく。ソうだ、もう一ツ教エといテやろう。お前達に伝わってイる今の術式ハな、実は魔術師の素質ヲ調べるタめに用いられテいたものダ」

「はあ!?」


 はからずも祖先の異常性を教えられ、ゾルダンはさらなる歴史の奥深さに複雑な心境を抱く。長年かけて触れることができたのは、ほんの表面だけだ。


 そして、先人が必死に紐解き続け、今でなお全てを理解できていないものでさえ、まだ扉の前に立っているという段階であったと知る。さすがにこうなると、なにかしらの意図が働いてここまで落ちぶれたとしか思えなかった。

 けれどそれは、この時代に生まれたことを幸運だと思った身としては、気付かなかったことにしておくべきだろう。何者かが築いてくれた平穏への道を感謝するに留める。


「そんなんですら、命を奪うのには事足りるってんだからなあ」

「愚カだっタのだ、魔術師とイう生キ物は。その身一つデ海の中心を目指しタとこロで、ドうなルかは目に見えテいたトいうのニ」


 その言葉は、夜風にさらわれ消えていった。


 ディーバが月を見上げる。名前をもってからというもの、それは習慣となって彼女に穏やかさを与えてくれるようになった。

 日々、形を変え淡い光を注ぐ様は、たとえ雲に隠れてしまおうが風情がある。新月の夜にも星の美しさを改めて教えてくれる。そんなこと、今まで微塵も気にしたことが無かった。


 印象的な瞳を閉じ鼻先を天へと向けて佇む姿は、それこそ戦場で見るより何倍も神話のようだとゾルダンは思う。銀の毛一本一本が光を発しているかのようで、神の使いというよりかはそう――まるで月の化身だ。


「よし! 長いこと付き合せて悪かったなあ」


 見惚れてしまいかける反面、その行為が穢してはならない特別な儀式な気がしたゾルダンは、未練を感じつつも膝を叩いて岩から降り、ディーバの首元をやや乱雑に撫でた。

 それは彼なりに信頼を示す行動で、受け入れたディーバも同じくその意思を返したことになる。ファルサやレックスがこれを知れば、驚いて固まるかもしれない。


「ディーバも有意義だっタ。まサか今にナって、こんな経験をスるとはナ」


 「それはよかった」ゾルダンは深く追及せずに頷き、天幕へと戻っていく。

 その後ろ姿を眺めていれば、少しして彼が振り向き尋ねた。


「そういや、興味本位で最後に質問いいか?」

「聞くだケ聞いテやル」

「誰もが知る有名な魔術師の二人は、何が欠けてたんだ?」


 浮かべていた表情からして、本当にふと気になっただけなのだろう。

 彼が言っているのは、世界から太陽を奪い夜に染め上げ破滅を招こうとした〝常闇の魔女〟と、その危機を救った英雄でありアデュイオン初代国王〝深緑の魔術師〟のこと。

 常闇の魔女はまだしも、英雄と謳われる者が欠けていたなど、想像ができなかったのかもしれない。


 しかし、ディーバは首を振る。


「感情ナのダから、本人以外ガ明確に把握デきるワけがナいだろウ」

「そいつもそうか。でもお前さん、知らないと否定はしないんだなあ」

「ディーバは嘘を吐カない主義ダからナ」


 「正直なのか難儀なのか、微妙な性格だあねぇ」そう言いながら、ゾルダンは今度こそ立ち去っていった。


 静けさが戻った場で、ディーバは再度空へと視線を向ける。

 真顔など、滅多にお目にかかれないだろう。大胆不敵な様子が消えた彼女の気配は、どこか人間くさかったのかもしれない。


「微妙デ済むモのか。ソれでもディーバは、アりのまマで居続けルぞ」


 そして呟いた。

 やはり夜は過ごしやすい――と。




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