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神獣の降臨




 中規模な街をめぐり対面する軍勢は、今にも衝突しそうな瀬戸際の状態で睨みあっていた。

 空は雲一つなく澄み渡り、風も穏やかさを運ぶような心地良さだからこそ、整えられた戦場で立ちこめる殺気がより際立つ。かつては深い緑であったが赤に染まってしまった国旗と、金で縁取られたレックスを思わせる空色の旗が静かになびいている。


 これまでならば既に剣が交差していただろう。反乱軍の姿が確認され、国軍側が迎え撃つ態勢を整えてからそれなりの時間が経っていた。

 しかし今回、少なからず相手側には戸惑いの様子が見られる。ほとんどの視線は反乱軍の最前列、その中心に集まっていた。


「壮観だあね。こんなにも注目してもらえるなんて、さすが色男は違うってか。なあ、ルース?」

「どう考えても俺じゃなくディーバだろうが」


 場違いな冗談を言っているのは、初期メンバーの一人である魔術師のゾルダンだ。

 ファルサは相変わらず緊張感の欠けている仲間を呆れながら手元を軽く叩いた。

 太陽の光にも負けない耀かしい銀糸は、この戦場でさぞ神秘的に映っていることだろう。

 しかし、前を見据える瞳は爛々としていて、この日の為に空かしていた腹はうるさく文句をたれ、待ち遠しいと舌なめずりを繰り返している。

 その様子を背に乗るファルサは見ていないが、抑えきれていない気配で容易に察せた。


「さあて、そろそろディーも我慢ならねえってさ」


 ゾルダンが頭上のファルサに向けて言う。

 頷き、肺一杯に息を吸い込む。未来を掛けての命の取り合いが、戦神の申し子の先導で始まろうとしていた。

 けれど、合図を送ろうとした瞬間、ファルサの口元に小さな魔法陣が出現し、驚きでせっかく溜めた空気を無駄にしてしまった。

 するとディーバの身体が振動する。笑っているようだ。


「……ディーバ」


 出鼻を挫かれ抗議するも効果はない。

 ひっそりとため息を吐いたファルサの頭へ声が届いた。


『ディーバの初陣だ。負け戦などにさせるものか』


 人前で喋らないと言ったディーバに、せめて自分とはどうにか意志疎通を図ってくれないかと頼んだことで、二人はファルサの額に刻んだ陣を通して念話が可能になっている。嫌がらせのごとき派手さのその陣は、おかげで申し子の証としてディーバが神の使いだという噂を広げる要因にもなった。


『敵味方、後方までしっかり届くからな。噛んだりして笑い種になってくれるなよ』


 いらぬ助力だと突き返してやりたかったが、自分の言葉はそのまま士気へと繋がる。

 仕方なくファルサは腹を括り、仲間に向けて叫んだ。

 その声は陣によって増大し、高らかに開戦の合図となる。


「真の王は我らと共に! かかれ! 正義はこの手に!」


 ファルサと意志を同じくする者たちが地面を震わせるほどの声で応え、空色の旗が戦場を走った。

 敵側からも少しして声が上がり、攻撃が開始される。

 しかし、ディーバは動かなかった。

 訝しんだファルサが呼びかけようとして、それは響き渡る。


「アオオオォォォン――――――――!」


 たった一匹の咆哮が大地を揺るがした。

 ファルサも含めて近くに居たものは思わず耳を塞ぎ身を竦め、始まったばかりの戦闘の手を最後の一人に至るまで止めてしまった。


 声が空高く突き抜けていく。


 ディーバは人々が唖然としている間で前屈みになって溜めを作ってから跳び、一瞬で先頭に躍り出ると含み笑いで言った。


『竜に名を授けた者には、これくらいしてもらわねば』


 駄目な奴め。そうなじられたファルサも笑うしかなかった。


 我に返った味方の士気は凄まじいものとなった。これで勝てなければ、国を取り戻すなどきっと出来やしないだろう。不謹慎にも心が浮き立つ。

 前方からは近づけまいと砲弾が飛んできているのに、ファルサの頬は緩んでしまう。


「ゾルダン! 出来るだけ防げ!」

「わあってるって!」


 その気分のまま命令すれば、ゾルダン他魔術師たちが空中に陣を展開して砲撃を防ごうと動いた。ファルサも背負っていた機械式の弓を両手それぞれで構える。


 反乱軍が現れた当初は、ほとんど魔術師による無差別な攻撃と剣や銃での戦闘ばかりだった。それがこの四年で、まるで他国に対するかのように激化していった。

 それほどまでに反乱軍は脅威的で、レックスの指揮が素晴らしいものだということだが、そうなると今度は戦力の差が目立つようになり少なくない犠牲が出るようになる。

 やはり勢力は衰えていたのかと思うかもしれないが、実はそうではない。だからディーバは戦場に立ち、レックスへの評価をあげている。


 本拠地に居る人員は限られていただけだ。他の者たちもまた別の場所に拠点を張って時を待っていて、しかも街に入ればさらに増えるだろう。

 今日まで圧制されていた住人たち。加えて、無理やり徴兵されていた者も寝返ることが多く、元々が温厚な人柄を持つアデュイオンの民は、だからこそ覚悟した際に発揮する力に目覚しいものがあった。中にはこれをきっかけに、眠っていた才能が花開いて戦果を挙げることもある。

 今頃は反対側から攻め込んでいるであろう別働隊に、人々が喚起されているはずだ。


 ただそれは、本来ならば護るべき立場の民をも巻き込んでいるということに他ならない。レックスやファルサ、彼らに協力する貴族たちは、それだけにレグルスの支配から解放するべく必ずや勝たなければならないのだ。自分たちも元々はただの孤児だという泣き言や、弱音を言うことはできない。


『今の戦争は、なんというか……。いまいち美しさに欠けるな』


 魔術師が打ち落とせなかった最初の砲弾が落ちようとしていた。

 急ぎ用意したディーバ用の鞍の上でファルサは唇を噛み、その時に備える。副将としてあるまじきことではあるが、せめて近しい仲間の誰も居なくならないようにと願いながら。


 けれど、土埃や身体の一部が舞うことも、血の臭いが漂い悲鳴が響くこともない。

 あったのは驚愕と、無意味に終わる砲撃だけだった。


『ただの獣だと侮られるのは嫌だからな。挨拶変わりだ』


 どうやらディーバが何かをしたらしい。

 だが確認しようにも、振り返ればまぬけな顔を晒しているゾンダルたちが見えるだけで、ファルサは気にしないことにした。

 それよりも周囲を旋廻する金色の陣が美しくてたまらない。それらは飛んでくる弾丸をはじき返し、せまりくる敵に襲いかかる。


 追うように矢を連射し、ついに敵陣にまで辿り着こうとして、ディーバが高く跳躍した。正面突破どころか中心に飛び込むつもりらしい。味方はまだ砲撃の範囲内にいるというのに。

 けれど、着地地点にあったものを確認しむしろ安心した。


『ディーバはこれが嫌いだ』

「俺もだ」


 ファルサは弓の仕掛けを起動させ、二対の剣に変形させながら衝撃にそなえる。

 だがそれも、ディーバの軽やかな身のこなしのおかげで負担はまったくなかった。それでいて数人が下敷きになっており、逃げ果せた者はかろうじて二人を取り囲むも腰が引けていた。


 自身が全てを捧げた王の色を身に纏い、一風変わった双剣を掲げた戦神の申し子が今、美しい獣の背に乗り降り立つ。見る者は皆、まるで神話の一部のような光景に息を呑んだ。


 そんな中、ディーバが不機嫌そうな声と共に砲台めがけて魔術を行使する。

 その陣を見た敵側の魔術師が目を見開いた。精巧さも構成力も全てが規格外なのだから当然だろう。

 味方であるゾルダンたちは驚くだけで済むが、相対せば実力に天と地ほどの差があり、可哀想に真っ青になって唇をわななかせていた。


 再び戦場にて響いた咆哮。昂ったファルサにはもはや勝ち鬨にすら思え、今度は耳を塞がずとも不思議と聞くことが出来た。


 そして、ディーバの食事が始まった。


 ファルサの仕事は何もないと言えるほど、そこには遠慮というものが存在しない。食い散らかすとしか表現のしようがないほどだ。

 生粋の軍人さえも武器を捨て逃げ惑い始める始末だった。


 それでもファルサは、高い場所でその光景を眺めながらもおぞましさを感じなかった。

 腕を食われのたうち回る者も、上半身を失い後は倒れるだけになってしまった者も、国がこんなことにならねば隣人として笑い合っていたかもしれない。そう思わないわけではないのに、戦場が生み出す空気にどこか安心してしまう。


 誰もディーバとファルサに傷をつけることはできなかった。

 ファルサは途中から背を降りて、ディーバの横で剣を揮っていたのだがそれでもだ。さすがは戦神の申し子とまで謳われるだけのことはある。


 しばらくして、近くで味方の姿も見られるようになり、戦況は明らかに反乱軍側へ傾いていた。

 それでも国軍は絶対に引かないだろう。今までもそうだった。敵将を討つまで戦いは終わらない。

 だからファルサは、おそらく後方で戦々恐々としているであろう者の元へ向かうため、ディーバから遠ざかろうとした。

 そんな彼へ声を掛けたのはそのディーバだった。


『ファルサ! こいつらはあまり美味くない。ディーバはもっと味が良さそうなところに向かうぞ』


 鼻先は街を差していて、それが意味するところを悟る。

 味の基準がどういうものなのかは分からないが、とりあえず鼻は良いようだ。


「俺も行く!」

『ほう? ならばさっさと乗れ』

「そっちには、俺にとっても美味い奴がいるからな」


 尻尾を足場に飛び乗ると、ディーバがおかしそうに笑った。


『さすが偽りを背負う者。正義とはよく言ったものだ』

「どうせ俺はとっくに血狂いしているさ。それよりも、首だけは残してくれよ」


 『承知した』頭に響く声は人間の時と同じで、酔いしれながらファルサは認める。

 たしかに自分は、自分を偽っていたのだろう。大義名分を盾にしていた。

 ただ、矛盾する想いはどちらも本心なのだ。だから、ディーバにあの言葉を告げていて良かったと思う。


(こいつが俺を知っていてくれるなら、それで良い)


 戦神の申し子だ、英雄だと褒めそやされている人間が、実は単純に戦いを楽しんでいるだけだとしても。

 冷酷非道だと恐れられ、けれど本当は誰も殺したくないと奇麗事を抱えていることを、この美しくも意地の悪い竜が笑ってくれるならばそれで良い。


 そしてこの日、反乱軍は見事な勝利を収め、また一つ街が独裁者の支配下から解放された。

 この戦いはいつしか〝神獣の降臨〟と題され、歴史の一ページに綴られることになる。獣を使役した英雄の名と共に――





 □□□




 ディーバの初陣を皮切りに、反乱軍の快進撃は続いた。

 必ずしもファルサとディーバが参戦していたわけではなかったが、元々信仰心が厚かったおかげもあり、今まで無抵抗に甘んじていた者までもが神の加護があるならばと、こぞって反乱軍に加わったのだ。

 動かせる駒が増えれば、策もおのずと幅が広がる。レックスを王と支持する声もよりいっそう増していった。


 そもそもレグルスが独裁者となったのは、王が軍を活用せずに捨て置いたことが原因だと言われている。力はあるも発揮する場がないことを、レグルスは許せなかったのだと。野心が抑えきれなかったのだろう。


 しかし、領土に戦神の聖域がありながら、大地の神と智の神の二神を主に崇拝するアデュイオンは、建国当初から平和主義を掲げている。

 初代国王は安らぎを司る大地の神の加護を与えられ、稀代の魔術師として智の神にも認められていたとは、国民ならば誰もが知る有名な話。だからこそディーバの出現は、レグルスの所業を許さない神々による采配だと囁かれた。


 中でも魔術師たちは、ディーバが智の神の使いだとして恐れた。

 かつて世界に多大な影響力を持っていた伝説の魔術師たちをも上回る圧倒的な力で軽々と敵をなぎ払う。さらには鮮やかな魔術で仲間を守り、時として奇跡としか言い様がない光景を作り出しながら傷を癒す。

 兵器に成り下がった身にとって、それは自身の愚かさを突き付ける光景であった。


 真相としては、自律的に防御するよう構築された魔術が、範囲内に居た人間を勝手に守っただけであり、傷を癒したのは満腹で気分が良いところに聞こえる呻き声や悲鳴が耳障りだったからだ。ディーバには、これといって意図したところはない。

 それでも人々は、麗しき銀の大狼に未来を感じた。


 ファルサやレックスは、次第に神聖視されていくことをディーバが煩わしく思い、また戦いに飽きて居なくなってしまわないかが気がかりでたまらなかった。本拠地から数日に渡り姿を消すことも少なくなかったからだ。

 取引をしたとはいえ、そこに拘束力はない。全ては彼女の気分次第だ。

 しかし、それをされれば困るほど、早くも存在が大きくなりすぎてしまった。

 

 そんな時だった。三度目となった戦いにて、ディーバが初めて負傷した。

 レックスはその報せを、勝利と共に聞かされた。一足先に戦地から戻った伝令によれば、腹に深い傷を受けたという。

 あのディーバが、だ。油断だけを理由にすることはできない。相手がこんなにも早く、対ディーバの行動に出るのはさすがに予想外だった。


 身を案じながらも、慌てて協力者である貴族で主に構成されている幹部らを集め会議を開く。

 それが夕方のこと。本人が帰還したのは、その後直ぐの夜だった。


 天幕の外が騒がしくなったかと思ったら血塗れのディーバが飛び込んできて、その場に居た全員が度肝を抜かれた。

 背中ではファルサが宥めようと必死になっていたがまったくの無意味で、とりあえず自分以外を下がらせようとしたレックスの努力も空しく、あっという間で魔術により強制的に退出させられてしまう。


「ディーバ……。俺たちはそういう魔術を知らないんだから、もう少し穏便に頼むよ」


 今頃彼らは腰が抜けているかもしれない。不憫に思い苦言を呈すも、ディーバは我関せずで人間の姿を取りながらレックスへ詰め寄る。


 美女の血塗れた姿はどことなく背徳的だった。腹を中心に破れたドレスを気にせず表情はなぜか嬉々としていて、心配する必要はなかったらしい。

 背後では、降り損なったファルサが地面にしたたか身体を打ちつけて呻いていた。


「レックス! お前に話がある!」


 とりあえずレックスは、興奮状態なディーバから話とやらを聞く前に、ファルサから説明をしてもらいたかった。情報が少なく、傷を負わせた攻撃の正体をしっかりと把握出来ていないのだから。

 視線で訴えれば、ファルサがふらつきながらも起きあがり、後ろからディーバの脇に腕を入れて羽交い絞めにし、疲れた様子でため息を吐いた。


「まずは無事で良かった。後処理はどうしたの?」

「他に任せて置いてくるしかなかった。ディーバの背中にしがみつくので精一杯だったんだよ」

「ディーバは二週間も待っていられなかったからな!」


 戦闘に勝ったからといって、すぐに戻ってこられるわけではない。普通ならば街に残す人員の割り振りだったり、残された軍の物資を管理したりと、ファルサがしなければならない仕事は山積みだ。


 だからといってディーバを野放しにするのもまた危険極まりなく、それなりに対等に接することが出来るのはファルサのみ。レックスも認められてはいるが、あくまでそれはファルサありきの話であり、万が一の場合を考えると二人が反乱軍で別行動を取るわけにはいかない。

 なので今回は仕方がなく、レックスとしても無事が確認できたので咎めるつもりはなかった。ディーバには、どうにかしてお灸をすえる必要はあるけれど。


「それで? 一体何があったのかをまず聞かせてくれるかな」


 「そんなことよりディーバの話を聞け!」ディーバの言葉を無視しファルサに尋ねる。

 彼は真面目な表情で頷き、腕の中の騒がしい竜の口を塞ぎながら説明を始めた。


 ――それは戦闘も半ばとなり、反乱軍が勝利を確信し始めた頃のこと。

 三度目ともなれば、ファルサもディーバと勝手に息を合わせられるようになり、ある程度小腹を満たしてから、二人はいつものように最も味の良いらしい敵将の所へ攻め込もうとしていた。


 そんな時、突然ディーバが顔を上げ術を行使した。

 それを視界の端で捉えていたファルサがどうしたのかと不思議に思った次の瞬間、ガラスが割れるような音が響いて陣が砕け、ディーバの巨体が地面に倒れた。


「ディーバ――――!」


 慌てて駆け寄ると腹には一本の鉄の槍が突き刺さっていて、銀の毛に血が染み出ていた。

 敵は歓喜して勢いをつけ、我こそが止めを刺さんとしてくる。ファルサや仲間はそれを阻止しようとしたが、戦況は一気に逆転しかけた。

 しかし、周囲の反応を他所にディーバはまるで無傷な状態と変わらない動作で起き上がると、自分の腹に突き刺さる物体をまじまじと眺めてから、それが飛んできた方向へ顔を向けた。


「何してる! 早く傷を治せ!」


 元気そうでも大粒な血がボタリボタリと滴り落ちており、ファルサはなにを暢気なと怒鳴ったが、ディーバはガーネットに淡く光を灯しながら一点を見つめ、迫る敵を無視していた。


 誰の目にも、彼女が笑っていると分かった。容赦なく人々を食い殺す牙は多くの赤が混じりぬめっており、所々に服の切れ端が引っかかっている。

 そして唐突に、ディーバの足元で巨大な陣が展開された。

 相変わらず複雑精巧で、しかも今回のものは一つの円陣ではなく最も大きな足元のものを中心として周囲にも同じような陣がいくつか浮き、文字で作られた線で繋がっている。

 さらには、小さな陣が中心の陣にある歯車に巻かれていく。


 一瞬呆けてしまったファルサは、その幻想的な光景に戦慄が走り、敵味方問わず全ての者へ向けて叫んだ。


「退避いいぃ――――――――!」


 人々がはじかれた様に武器を捨て逃げ惑う。神獣の怒りに触れたと誰もが思った。

 ファルサだけはディーバの立つ陣の中へと入り、止血をしなければと傷に手を当てようとしていた。

 そんな彼の頭の中で、盛大な笑い声が響き渡る。


「う、ぐっ! ディー……バ?」


 あまりのうるささに頭を抱えながら、傷を負ってもなお凛然とした態度を保つ獣を見れば、ディーバはおもしろくてたまらないといった様子で言った。


『あの男が、もう一人の王を名に持つ者か!』


 その言葉にハッとする。

 けれど、視線を追って辿ろうにも、そこには小さな山がそびえているだけだ。ファルサの目にはどうやっても人の姿は映らない。


『魔術師の命を一人燃やしたか。火薬の勢いに風の魔術を加え……。なるほど、考えたものだ』


 それでもディーバの呟き通りならば、あの山のどこかから攻撃をしかけたらしい。

 もしこれが多用できる手段であったなら、これからの戦いがさらに熾烈を極めることになっただろう。ファルサは胸を撫で下ろす。

 反面、神獣を抑える術を得たことに変わりない。まずいなと、ファルサはとにかく傷を直させることを先決にディーバをなだめなければならなかった。

 しかし、いかんせんこの竜は大人しくすることを知らない。一体なにをやらかすつもりなのか、術は止まらず完成してしまう。


『だが! 今のお前たちは本当の魔術というものを知らない。せっかくだ、見せてやろう』


 そしてその日、アデュイオンの地図に湖が一つ加わった。

 複数の陣が歯車に巻かれてぶつかった瞬間、ディーバの足元を中心に地面が抉れ、大量の水が渦を巻いて竜巻となったものがいくつも出現して突風が襲う。


 まるで世界の終わりのような光景だった。なすすべなく人々は竜巻に呑まれ、風に攫われ姿を消していく。

 ファルサは陣の中に居たことで被害を受けなかったが、ディーバの力は昔話として皆が知る〝常闇の魔女〟を彷彿とさせた。

 人々から太陽を奪い、空を夜に染め世界を混乱におとしめた最凶最悪の魔女。アデュイオンの初代国王によって打ち滅ぼされた、もう一人の稀代の魔術師。

 災厄とまでされた姿そのものだった。


『……ふむ。少し、やりすぎたか?』


 ただし、全てが落ち着いた頃、聞こえてきた呟きには威厳もなにもあったものではなかった。

 竜巻となっていた水が全て陥没した大地に溜まると、ディーバは平然と水の上で傷を癒し尻尾を振っていた。


 どこにも今の今まで戦闘が繰り広げられていたという痕跡は残っておらず、逃げ切れた者の姿は遠くにある。

 はたしてどれだけの犠牲が出たというのか。約束もなにもあったものではない。

 さすがのファルサも無視できず、ディーバに剣を抜いてしまいそうになる。


『そうだ、忘れていた』


 けれど、隣から発せられた殺気によってディーバは思い出したらしく、未だ水の上で足場となって輝く陣を叩くと、維持していた術を操作した。


 すると、水の中からいくつもの透明な球体が現れ、その中に人の姿がある。あれだけの天変地異を起こしながら、誰一人として被害者を出していなかったのだ。

 なんという力量。なんという技術。これでは神獣という仮初の立場も、あながち嘘ではないのかもしれない。なにせディーバは伝説の竜なのだから。


 言葉を失うファルサへ、彼女は得意満面に言った。


『ディーバは約束を守るぞ。嘘は吐かない主義だからな』


 魔術によって作り出された湖が、多くの生き物に豊かさをもたらすのはずっと先のこと。この時はまだ、反乱軍に勝利を一つ加えるだけだった。


 冷静沈着でどんな困難も笑顔で乗り切ったとされるレックス・コンコルディア=マグナが当時、この時の状況を知ってあんぐりと放心状態になったのを知っているのは、彼の片腕であった英雄のみ。




 □□□



 

 話を聞き終えたレックスの様子に、ファルサは危うく噴き出してしまいそうになった。自分の顔を見て「嘘だろう?」と呟き、ディーバには「心配して損した」と頭を抱える。

 赤ん坊の頃から一緒にいるが、こんな姿を見るのは初めてだ。


「ディーバ。君は自分がしたことをちゃんと分かってる? しかも、レグルス本人が現れたって言うのも本当なの?」

「あれほど偉そうな輩はそうそうおるまいよ。白髪混じりの黒髪にくすんだ金の瞳。逞しい身体をした壮年の男だったが、違うか?」

「レグルスだね。まちがいなくレグルスだ……」


 この場で詳しく知らされたファルサも、レックスと一緒になって天を仰いだ。


「なんで見逃したんだ……」

「ディーバなら距離があってもどうにか出来たでしょ」


 反乱軍のトップ二人としては、当然なぼやきだろう。念願が叶えられる絶好の機会だったのだから。

 けれど、それが出来た神獣さまはまったくもって自由である。


「威厳でいえば、レックスは足元にも及ばないな。それにほら、この血の跡。竜になってから傷を負ったのは初めてだ! あの男も哀れだな。このような偉業が埋もれるなど、ディーバなら耐えられん!」


 もしかしなくとも、見せびらかすためにそのままにしていたのだろうか。レックスに披露するや否や、ディーバは手をかざして綺麗に汚れを消し去る。破れたドレスも元通り、どこにも槍に貫かれた痕跡はない。


「まあ、ぬか喜びにしかならないがな。砲弾以上に威力がある攻撃はないと思っていたから手を抜いた構成にしていたが、次からはしっかりと初級の防御術を張っておく。つけあがらせるつもりはないぞ」

「手を抜いていただと!?」

「ああもう、ほんと使いにくすぎる」


 腕にぶら下がる態勢が気に入ったのかファルサに全体重を預けながら、ディーバは項垂れる二人をそっちのけで機嫌が良さそうだ。

 さらには身も蓋もないことまで言い出す。それについてはレックスも口を噤むしかなかった。


「言ったであろう、ディーバは食事をするだけだ。あの男はかなりの上物みたいだからな、それを他みたいに食すのはもったいなさすぎる。そもそも殺してから食うよりも、ディーバは新鮮に味わうのが好きだ」


 食材が人間でなければ同意できたかもしれない。直接その姿を見たことがないレックスは、想像して軽く青ざめてしまい慌てて首を振った。

 ファルサがそんな彼を案じ、「それで? 話があるんだろ」ディーバに声を掛けてくれる。

 おかげで話題は移り、彼女の食事の趣味についてはそれ以上知らずに済んだ。


「そうだった。レックス、お前に次の戦いでディーバを使うことを許そうと思ってな。それを言うために急いで戻ってきたのだ」

「…………どういうつもり?」


 そして、告げられた言葉によって、緊張感のなかった場が一変した。


 食事のためだけに戦いに加わっているディーバは、結果的に敵将を討つことにも協力していたが、それは段取りや作戦などを無視した形であり、必ずしも役立っているとは言い切れない。時には今回のように余計な混乱も生んでいる。

 だから、利用するなと言っていたはずの彼女が自分から申し出たことを、手放しに喜べるほどレックスもお気楽ではなかった。

 しかし、ディーバはすんなりと受け入れられると思っていたのか、不思議そうに首を傾げる。


「このまま大人しく引き下がるのは神獣の名折れだろう? ディーバとしても、是非ともあの男を最高な状態で味わいたいしな。その為には徹底的に敵対するのが最良だと思っただけだ」


 まかさ神獣であることを引き合いに出してくるとは思っておらず、二人共が驚いた様子でディーバを見る。彼女にとってそう囁かれるのは煩わしさしか感じないと予想していたからだ。

 けれどどうやら、まんざらではなかったらしい。


 さらにはさきほどから繰り返される〝味〟だ。普通の食材には質の良し悪しはあれど、腐ってでもいない限り同じものでそこまで落差はないはず。

 レックスは少なからず違和感を覚えた。


「そんなにも、人によって変わるものなのかい?」

「ん? 味のことか? そうだな、甘かったり辛かったりの違いはあるが、美味さにあまり差はない。普通だな。だが、時折かなり美味かったりする。不味いと感じたのはファルサが初めてだったが」


 あれは衝撃的だったと、ディーバは思い出したのか眉間に皺を寄せた。

 革靴以下の扱いを受けているファルサもまた複雑な表情を浮かべる。


「ちなみに、美味しかったのがどんな人たちだったか覚えてる?」


 レックスはさらに詳しく説明を求め、ディーバはなぜそんなことまで聞いてくるのか不思議そうにしながら、腕を組んで記憶を掘り起こしポツポツと並べていく。


「盗賊や、たまたま護送中に逃走したところを出くわした殺人犯……。そういえば、気まぐれに囲われてやった貴族の男も美味かったな。際物だと、不老不死などといった馬鹿な幻想に囚われ、処女の血を飲んでいた女とかか」

「うん、分かった。もう十分だよ」


 聞いておいてなんだが、これ以上は精神的によろしくない。レックスは慌てて止め、一つの共通点を見出した。

 美味しい連中は、少なくとも善人ではないだろう。さらには「そういえば、ここの連中には食欲をそそられる者があまりいないな」との言葉。もしかして、と仮説が立つ。


「ディーバは悪意や逸脱した欲を食べてるんじゃないかな」

「……それでは腹は膨れないぞ」

「まあそうだけど。でも、飢えてでもいない限り、あまり普通そうなのを食べないんでしょ。味を良くしているのはそういったものじゃないかなと、俺は思ったんだけど。ファルサはどう?」

「俺は聖人君主なつもりはないが」

「あー……、うん。でもファルサの場合はスペルマスターだっけ? 理由にできそうな特異性があるし」


 レックスの話は、一応筋が通っている。

 しかし、ディーバにとってはだからどうしたとしか思えない。相手がどんな人間であれ、彼女にとっては等しく食糧でしかない。


「ディーバはいつだって自分の思うようにするだけだ」


 だから先程の話も、反乱軍のためではなく自分がしたいだけだとし、ディーバはレックスに返答を求めた。


 レグルスへ痛手を与えるような勝利を。それはレックスにとっても願ってもないことである。初陣を迎える以前に、使うことを諦めるしかなかったのだから。

 そして彼女は、一度約束した事はけして破らないらしい。これはファルサから教えられたことだが、言い様によっては今後にも繋げられる。


(レックスをなめてかかっていると、後で泣きを見るぞ)


 ファルサは、なにやら黒い笑みを浮かべているレックスに気付き、心の中でそっとディーバに忠告しておいた。

 相手に届かなければ無意味だが、味方をすればとばっちりがくるのでそれはしない。誰だって自分の身が可愛いものである。


「レグルスを叩きのめす、つまりは勝つことを条件にってことだね?」

「そうだ。徹底的にだ」

「分かった。あの男にとっての敗北は、自身の野望を打ち砕かれることだからね。よかった。ディーバとは、是非とも長い付き合いをしていきたかったから」

「まあレックスのこともそれなりに気に入ってるからな。構わな………………ん?」


 言質を取られたとディーバが気付いた時にはもう、レックスの脳内では今まで決定打となる手段が欠けていて、ためらいのあった作戦のいくつかが実行を前提に組み立てられていた。


 その後、八つ当たりを受けたファルサが、戦場に出るよりよっぽど負傷しながらご機嫌取りに必死になったという。







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