世界が終わる時
久し振りに小説情報を確認して、完結時より倍以上のお気に入りになっていることに気付きました。
嬉しかったので、番外編を一つ追加しておきます。
時系列としては、ファルサがディーバの元へ帰って来た日のお話です。
ディーバがひとたび城下を歩けば、多くの者が親しみをもって声を掛ける。そのため毎回大騒ぎとなり、ひどい時には身動きすら取れなくなる。
しかしそれは、広く知れ渡っている女の姿での場合であり、最近では面倒を避けるために出歩く際は男になることが多かった。
だというのに、この日は女の姿でありながら、思うがままの時間を珍しく過ごすことが出来ていた。
ところが、そう思っているのは本人のみ。周囲は大きな混乱に見舞われ、故に普段のように接触が出来なかったのだ。皆の視線は、ディーバの隣へ集中している。
その者には、住民の誰一人として見覚えがなかった。これが王族ならば、滅多にないことであってもこうはならなかっただろう。
二十代後半で、赤混じりの金髪にディーバの髪にも劣らない濃い黒の瞳を持ち、ガタイが良いどこか獣染みた印象を与える男。彼女の隣を歩いて不釣り合いだと感じない、結構な美丈夫さだ。
それは言わずもがな、長い時を経て生き返ったファルサである。
しかし、存在そのものは根強く語り継がれているとはいえ、細かな容姿まで把握されているわけではない。
だからこそ、王族でもない男相手にディーバが腕を組み、また自然に微笑みを浮かべる様子は、皆へある予想を抱かせた。
よもやその男はかの英雄を忘れさせ、竜王の心を射止めたのではあるまいか、と――
二人が聞けば、様々な意味で笑っただろう。
この国で最初に生まれた伝説のような関係がそもそも大きな脚色であり、そうでなくとも本人だ。何から何までいらぬ心配である。
それでも民からすればとんでもない変事であり、尖った視線に晒されるファルサは薄々と理由を察し始める。ディーバだけが、相変わらずのマイペースさで手を引き、色々な物を指差しながら楽しそうにしていた。
「周りを放っておいて良いのか?」
「ディーバが初めてこの国へ来た時には、レックスも仕事を後回しに案内をしてくれたのだぞ。なに、いつでも来れる。今日ぐらいは、仕方がないからファルサを優先してやろう」
これからは自分も、いつだってディーバの隣に居ることが出来る。そう思いはしたが、ファルサは口にしなかった。そうすれば、変わったが変わらないこの同胞は、途端に不貞腐れてしまうと分かっていたからだ。
そして二人は、広い城下を一周する勢いで歩き続けた。
ここは自分が良く行く書店。こっちは度々遊びに行く孤児院へのお土産を買う菓子屋。そしてこれが、その孤児院。こちらでは良く服を買い、あちらは城下で種類が最も豊富な酒場で――――
止むことなく語られ続けしばらくして、ファルサは気付く。ディーバが案内してくれているのは、どれもがお気に入りの場所だということを。
こうして再会するまでに、七百年まではいかずとも、半分近い時間が経ってしまっている。レックスはもちろんのこと、かつての仲間もとっくの昔に土へと返っており、ディーバのようにその子孫を見守ることも出来なかったファルサには、もはや彼女しか居ない状態だ。
そうなると、どうしたって寂しさを感じてしまう。生きて共に戦い抜けなかったことや、この国を支えられなかったことは、言い様のない悔しさを生じさせた。
しかし、城下を一望できる時計塔の最上階のさらに上、屋根へと案内してからディーバは言った。
「良かった。ディーバは、今日ほどそう思えたことがない」
「何がだ?」
短くなった髪を強めの風に遊ばせ、頬を夕陽で染めながら、ファルサが人間として生きていた頃には無かった深い慈愛を瞳に携えた姿は、ひどく涙を誘う。ことさら美しかった。
そして、そんなディーバへ手を伸ばすのに、もはや躊躇する必要はない。ファルサは危なげなく屋根の上に立つ彼女の背中へと回ると、腕の中に招き入れて強く抱きしめた。
途端に、くすぐったそうな声が上がる。
「レックス達が消えてからもこの国を護り続け、それをファルサに見せられたことをだ。これが、今のディーバの家だ」
「……そうか」
「ああ、そうだ」
人を食い、王を嫌い、魔術師を疎んだ竜が、このような台詞を吐く日がくるなど、本人ですら予想し得なかった。
ファルサは、沈む太陽がその瞬間まで弱めることのない光の眩しさに目を細めながら、ディーバの頭に顎を置いて静かに景色を眺めた。
二人がお互いに抱く感情を人が代弁するならば、たった一つしかないだろうが、彼らはけしてそれを口にしようとしない。
ただただこうして、共に在れるだけで良かった。それは過去でも同じで、出会えた奇跡を、再会できた神の思し召しとやらを噛み締める。
「良い国だな」
「当たり前だろう。ここにはレックスの、多くの者たちの魂が今なお残っているからな。ファルサの弟は、しっかりと約束を果たしたぞ」
「兄と違ってか?」
「ふふ、確かにな。しかし、覚えておけ。魂に刻み込め。寂しく思う必要はない。後悔するな。この国の礎は、間違いなくお前が築いた」
そしてディーバは、逞しい腕の中から逃げ出ると、振り返って鮮烈な眼差しを向ける。
否定は許さないと告げるかのように、ファルサを見据えた。
「だから誰もが、ファルサを英雄と称す。お前の魂もまた、レックスを通じてこの国に残されている」
その瞬間、ファルサの脳裏に戦場での光景の数々が蘇った。
しかしもう、あの頃に抱いていた矛盾した想いは生まれてこない。
両手に握られていた機械剣が本当の意味で離され、埋められた当時とは別の形で、遺体の無いレックスの墓の中で永遠の眠りに就くこととなった。
「――ディーバ」
「ん?」
ファルサは不器用な笑みを浮かべながら、一番星へと無邪気に手を伸ばすディーバへと声を掛ける。
溢れる感情は、きっと永遠に止むことがないだろう。
「また、俺を乗せて駆けてくれるか? 俺も大狼となって並んでも良いが、たまには昔のように二人で一緒に風になろう」
「藪から棒に、一体どうした」
「これからも、ディーバはディーバであり続けてくれ。そんなお前に会いたくて、俺は竜になった。お前にまた会いたくて、なることが出来たんだ」
するとディーバは、微かに首を傾げて口を開いた。
「そういえば、ファルサは何を食うのだ?」
同じ種族から返る竜は存在しない。それは世界の理である。
けれどファルサはファルサのままであり、今さらながら疑問を持ったらしい。
二人は似ているようで、若干の違いがある。神が干渉した人間から返った竜がディーバであり、神の干渉によって竜になったのがファルサだ。
そのイレギュラーさが原因で、ディーバと同じく人を食べなければならないとすれば、人間の価値観が残っているままでは中々に難しいものがあるだろう。ディーバは懸念した。
しかし、それはどうやら杞憂で終わるようだ。
なぜかファルサは恥ずかしそうに視線を逸らし、渋々といった様子で説明を始める。
「俺は、既に存在していた竜の中に、肉体から解放された魂をねじ込まれたらしい。その状態で外から衝撃を与えつつ、元の持ち主と俺自身が張り合って、勝ったから出てこれたんだと」
「まさしく神業だな。と、いうことはだ。その身体は魂を二つ持っているということか?」
「いや……。元の魂は、負けた時点で大地の神が回収したと言っていたな」
どうにも本人が良く分かっていないようで、けれどディーバには十分だったらしい。
あっさりと頷き、話を本題へと戻す。
「して? その身体は何から返った」
「…………花だ」
そして、得られた答えによって、ファルサが何故言いよどんでいたのか悟った。
竜の食性は、返る前の種によって左右される。どこか残酷なことに、かつての自身を食すようになるのだ。
ただし、限定的なのはディーバのみであり、つまりファルサの場合は植物が糧となる。いわゆる草食だ。
戦神の申し子とまで称され恐れられた、あのファルサがである。
「くっ、あっはっはっはっは! 花! そうか、花か! これはまた、神も粋なことをしてくれたな」
すっかり笑うことが当たり前となったディーバであるが、それでもこんなにも腹を抱えたのは数十年振りのことだった。
遠慮のなさは不死の如き竜の生であっても変わりそうになく、ファルサを指差して盛大に美しい声を響かせている。
「だから言いたくなかったんだ!」
「いや、良いではないか。革靴から花だぞ? とんでもない出世だ」
「そう思うなら、今すぐその笑いを止めてみろ!」
「ははっ、それは無理な話だ。なにせ、ファルサが花……。このディーバを自重たらしめた、あのファルサが! ウィリデヴィアのように、モシャリと草を食う姿など。今すぐ見せろ!」
「誰が見せるか!」
そうして二人はひとしきり騒ぎ、落ち着くころには月と星が竜の再会を祝う祝宴を挙げているかのように、すっかり頭上できらめいていた。
ディーバは心地良い疲労感に見舞われながら屋根の端に座って足を宙へと投げ出し、深く息を吐く。そういえばと、ファルサのこれからを全く考えていなかったことを思い出したのだ。
英雄が生き返った、しかもそれが竜となったなど、要らぬ争いを招くだけである。ただでさえこれまでも、ディーバを巡っての小競り合いが何度も起こっている。
かといって、ディーバの隣に居続ける限り、いずれはファルサが歳を取らないことに気付くだろう。
そうして真面目に悩み始めたのだが、ディーバは完全に無自覚であった。ファルサと共に在ることを当然としている。
「どうした?」
「黙っていろ。ディーバは今、どのようにファルサと皆を引き合わせるか考えている」
だからファルサは、嬉しさと同時に生まれたくすぐったさで堪らず髪をかき上げ、視線を眼下の街並みへとずらした。
まるで光の海のようだ。人々が息づいている証が煌々と広がり、一日の終わりをそれぞれが思うように過ごしている。
これを自分が作ったとは思えないし、思わない。ただ、日中に見た人々の表情は、まさしく希っていたものだ。この未来に繋がる一端を担えたことが誇らしい。
しかし、戦神の申し子は死んだ。ここに立っているのは、気高く美しい竜の為に舞い戻ったただの雄。人間の魂を持つ、偽りの竜――
ファルサは、強めの夜風で生を実感しながら、ディーバの隣に並んだ。
そして、ゆっくりと口を開く。
「なあ、ディーバ」
「なんだ」
「約束をしよう」
「ファルサのせいで、ディーバはレックスとの約束を守れなかったのだが?」
返ってきた声が少々不機嫌そうだったのは、もしかすればあの時の不味さを思い出したからなのかもしれない。
それでもファルサは引かなかった。
「まあ、聞くだけ聞け」
「仕方がないな。言うだけ言え」
尊大な態度に笑い、景色を眺める。
風だけが、ディーバ以外でその言葉を聞いた。
「生き続けよう。そうすれば、その先にはきっと世界の終わりが待っている。そして、最後の時を共に過ごそう」
「えらく大きく出たな」
「だろう? 俺は竜の姿で二度目の死を迎えたい。自由に空を駆け、ディーバと並んで地に落ちたい。置いていくのも、置いていかれるのも、もうごめんだからな」
「そうか」
「そうだ。だから、約束してくれないか? 終わりを俺と。共に死のう」
横から差し出された大きな手を、ガーネットが静かに見つめる。
月光に照らされたそれは、ひどく妖しい色合いを作り出していた。
「ファルサの竜体は、金か? 黒か? そうか。元が花であれば、桃な可能性もあるな」
「さあ? 当ててみろ」
素直じゃないな。そんなことを思いながら、ファルサが意地悪く笑う。
だからディーバは、つまらなさそうに鼻を鳴らし、右手を重ねた。
そして、勢い良く立ち上がる。
「そんなもの、もちろん黒に決まっている。それ以外は、ディーバの隣で飛ぶなど許さん」
「それは良かった。もし別の色なら、必死にペンキで塗る羽目になるからな」
その瞬間、ディーバは声にならない息を零した。
ここにもまた、旅立った家族の魂が確かに存在している。
二人はしばし、胸で揺れるペンダントを握り夜空を仰いだ。
そして、ディーバが叫ぶ。
「乗れ、ファルサ!」
はたして大狼になったのはいつ以来か。
嬉しそうにファルサが返事をし、立ったままな状態だというのに背中へと軽やかに飛ぶ。
さあ、どこを駆けようか。どこまで風となってみようか。
戦場しかその機会が無かった分、二人には数え切れない選択肢がある。もはや何人たりとも止められない。
「大狼で空を飛べるようになったのか!」
「厳密には、陣で足場を作っているだけだがな。それでも元、神獣だ。これしきのこと、出来なくてどうする」
「なら俺は、神を討ち取れるぐらいにならないとな」
「それならいっそ、ディーバとファルサで神になるのもおもしろいかもな」
それから二人は、存分に語らいながら夜空の散歩を楽しんだ。
その日、竜と共に歩む自由の国の王都では、色鮮やかな沢山の星が流れ続けたという。
――美しき竜が手に入れたのは、新たな約束。
そして偽りの竜は、その腕で永久に渡って自分だけの歌姫を抱き続けた。
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しかし、次の日のこと。
朝帰りをした上に、ディーバがあまりにも簡潔な紹介した為、彼女を愛してやまない国王を筆頭とした王家の者達からしばらくの間、ファルサは手酷い歓迎を受けることになる。
「紹介しよう。ディーバの男だ。ちなみに魔法を使って時を止めたから、老いることはないぞ」
もちろん嘘であるが、はからずも民の懸念が当たってしまう形となったのだった。




