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魔女の眠り、竜の目覚め 9

『魔女の眠り、竜の目覚め 9』から三話連続で更新しています。




 魔女には、夢、と呼べるであろう望みがあった。その魔術師にもまた、崇高な願いがあった。

 知識を増やすたび世界を知りたいと感じた魔女が必要としたのは自由で、強力な力にとどまらず神の加護さえ与えられた魔術師が目指したのは、同胞が憂いなく過ごせる社会だった。そして、自由が狭まる自身の代わりとなる同志を求めた。

 過ちは、そこに拒否権が入る余地を許さなかったことだろう。否定も存在しているのだと認めなかったことだ。

 山よりも巨大な陣が上空に浮かび上がり闇を薄れさせる。尋常でない魔力が、たった一人の細い身体から溢れ出た。


「なぜだ。お前はあたしが得られなかった多くに恵まれていながら、なぜそれを簡単に捨てることができる!」


 さすがのこれには、深緑の魔術師もわずかながら怯みをみせた。こいつの魔力は無尽蔵なのかと思わず考えてしまうほどだ。

 そんな二人を眺める三つの瞳はたえず楽しそうに動いており、彼らの一挙手一投足を見逃すまいとせわしない。


「しかし、考えてみればこうなるのも当然なのかも知れない。そう思わないか? あたしたちは全てにおいて、まるで鏡のようなのだから」

「今日はやけに饒舌だよな。そんなに俺と再会できたのが嬉しかったか。それともあれか、これはアルトとの婚姻への照れ隠しか」


 口先だけでも軽さが失われないのは、男としてのプライドなのだろうか。それとも神の加護を持っていることが、あくまで優位性を失わせないのかもしれない。

 だが、その視線はしきりに上へと向いている。

 当たり前だが千里眼を持っているわけではない深緑の魔術師は、上空の巨大陣の全貌を把握できず、それがどのような作用をもたらすのか分からずにいた。あまりの大きさゆえ、古代語を読み解くことも難しかったのだ。

 そして陣は次第に降下し、山を丸々覆っていく。

 かなりの魔力を消費していながら、常闇の魔女に疲労の色はまだなかった。

 深緑の魔術師の言葉は、もはや聞くに値しない。彼が自分に価値を見出したように、彼女もまた無価値の判断を下し終えた。


「同じ孤児でありながら貴様は貴族の養子となり、高レベルな教育と日々の生活に困らない豊かさを得た。ただの孤児ですら手にすることが難しい愛情も。友や地位、名声、ほとんどの魔術師がままならない環境だけでなく感情さえだ!」


 それでも、どうしても口が動いてしまった。

 馬鹿馬鹿しいと鼻で笑われようとも、絶対に聞き入れないと分かっていても、対極であるがゆえに反発してしまう。

 常闇の魔女はどうしてか痛み息苦しい胸を掴みながら叫んだ。


「あたしはほんの微か口角を上げることにすら、二十年近い時が必要だというのに! 初めて強く抱くことのできた感情が怒りなど、あまりにも惨めではないか!」


 前屈みで姿勢を低くし、片手だけだが身体の横で空中に爪を立てる姿は獣と呼ぶに相応しい。

 アシンメトリーなデザインのドレスが、まるで彼女の心のよう。型にはまらず捕らわれず、思うがまま。持たないからこそ、ありのままの世界が瞳には美しく映るのだ。

 だから、常闇の魔女は壊せない。壊せなかった。それでいて人としては誰よりも壊れている。

 けれど彼女は、深緑の魔術師よりはよっぽどマシだと思った。

 なぜなら彼は、魔術師として壊れているのだから。


「笑わせるな、なにが魔術師の王だ。気に入らないから滅ぼしたのならば、それは我らにとってなんらおかしいことではないがな。しかし貴様は違う。言え、なぜだ。なぜ王を殺した」


 深緑の魔術師は答えなかった。

 積まれていく言葉のどれかをきっかけに、気付けば目を座らせ無言で常闇の魔女を睨みつける。

 それで良かった。答えは分かっていた。


「欲したからだろう?」

「それの何が悪い。欲望のまま生きるのが魔術師だろ」

「ああそうだ。だが、これだけはあえてもう一度言ってやる。貴様は違う」


 深緑の魔術師の顔が、苛立ちをみせる。

 それに気付いていながら、むしろ煽るように常闇の魔女が首を傾け、口が裂けんばかりの嗤笑を送る。

 どこか遠くから、期待のこもった拍手が聞こえた気がした。


「貴様はそこに理由を作った。魔術師のため、アルトのため、世界のため。神の加護を与えられたから。自らの行いに他者を巻き込んだ!」


 彼女の言葉へ、だからなんだと人は思うのかもしれない。深緑の魔術師がまさしくそうだった。

 だが、魔術師という生き物はそれではだめなのだ。力があるが故、欠けているが故、全てを自己で完結しなければならない。たとえ世界に影響を及ぼすほどであっても、結果として影響を及ぼしても、彼らは迷わず自分のために行動する。破壊を生み出す責任として、けして利用されないためにも。


「アルトや他の人間のように、大義名分が通じると思うなよ。あたしたち魔術師が傅くと思っている時点で、貴様はもう同胞ではない。ただ傲慢で、自惚れで、欺瞞だらけで愚かなだけだ。それでも貴様が魔術師だと言い張るのであれば、この言葉を贈ってやる」


 反発し合う魔力がちりちりと空気を焼き始めていた。

 とうとう深緑の魔術師も限界が近いらしい。

 そして引き金はひかれた。


「壊れた魔術師。人のなりそこない。哀れだな。そう、哀れだ。哀れすぎて――――ああそうか、これが同情ってやつか」

「お前もう黙れ。ああ確かに、お前は俺に比べてよっぽど魔術師らしい。後先考えず、そのせいで無様に殺される頭の悪い魔術師そのものだ」


 常闇の魔女ほど、はっきりとした変化はみえなかった。ただ、声が粘着質のあるねっとりとした響きを持ち、偏りつつも表情豊かになった彼女と正反対に無表情となる。

 どこまでも冷ややかで光の乏しい翳った瞳。役目を終えて落ちた葉が腐る色のほうが、よっぽど清らかだ。そう思いながら、常闇の魔女は低姿勢のまま駆け出した。

 肉弾戦でもするつもりなのか、武術を嗜んでいない彼女では到底出せないであろう瞬発力で深緑の魔術師へと迫る。

 それを彼は利き手を振るのみで迎え撃った。

 響く轟音と舞う砂埃。いくつもの炎の塊が容赦なく降り注ぐ。

 おそらく新術がたえまなく防いでいるのだろうが、だとしても数が多すぎる。対処しきれるとは思えなかった。

 けれど、深緑の魔術師の予想とは裏腹に、彼のすぐ脇を一陣の風が通り過ぎた。その時わずかに漂ってきたのが、陽の光と大地を溶け合わせたような甘く苦く穏やかな香り。慌てて振り返る。攻撃を放った。

 そこで一発の炎が、防壁を果たした木へとぶつかった。

 彼が驚きに目を見開いたのはその後だ。

 そして、対象を見失うと分かっていながら、視界が晴れつつあった背後を見やり唖然とする。

 広がっていたのは焼け焦げて色を失った地面と、炭と化した木の残骸。けれどそれらは、今し方の攻撃によって作り出した景色ではなかった。遊びで反撃した時のもの。

 けれどそれ以外、どこにも攻撃の痕跡が残っていなかった。


「さすが魔女。俺とアルトの願いの結晶。絶対に手に入れる」


 深緑の魔術師が見たのは、燃え盛るはずの木が炎を消し、受けた傷さえ修復していく様子であった。

 何の効果もなかったから放置していた巨大陣はこのためのものだったのだ。

 二人が本気で衝突すれば、山の一つや二つは軽く消し飛ぶ。かといって、大きな一撃をくらわせ常闇の魔女を引きずり出すことは、万が一を考えれば使えない手である。

 山を護る意味合いもあるのだろうが、それを分かっているからこその術だった。修復される障害物は姿を隠すのにも役立つ上、盾にもなる。じわじわと魔力を消費させ集中力を損なわせていくはずだ。

 力が強大すぎるが故の消耗戦。だがその目論見はすぐに外れることになる。

 群れから外れた得物を狙うかのごとく追跡を始めた深緑の魔術師の眼は、そう時間を掛けず闇に溶ける小さな背中を捉えた。

 距離が一定以上狭まるとトラップが発動し、確認のため振り返る髪の隙間から、かすかに白い肌と眩しい輝きがのぞく。

 そこに焦りは見受けられない。けれど、状況は確実に自身に向いていると深緑の魔術師は錯覚し、彼は攻撃のかたわら常闇の魔女を弄び始めた。


「さっきまでの威勢はどうした! 散々俺のことを悪く言ってくれたが、お前のそれは所詮ただの僻みでしかないんだよ!」


 すると、姑息なだけだったトラップが、徐々に過酷になっていった。ただの足止めにしかならなかったものに、殺傷力が備わってくる。

 さらに言葉は返さずとも、常闇の魔女自身が繰り出してくる術もまた規模が大きくなってきた。

 木々をなぎ倒し、草花を潰し、川を枯らして柔らかな大地を岩で覆い尽くす。それをことごとく相殺していくのだから、彼らが通り過ぎた場所は一瞬とはいえひどい有様だった。

 焦土でもあり泥濘でもあり、常闇の魔女が守護していなければ、元の豊かな山に戻るまでかなりの年数を必要としただろう。

 だが、どれだけの破壊を尽くそうとも、術の威力に衰えはみられない。

 その代わり、体力での差が浮き彫りになっていく。

 常闇の魔女の息遣いは荒くなり始め、対して深緑の魔術師にはまだまだ余力がありそうだった。


「どうせこの勝負も決着は決まってる。俺たちが鏡のようならば間違いなくな!」


 そして深緑の魔術師は、常闇の魔女が足を縺れさせたのを見逃さなかった。

 複数の風の刃が一斉に飛びかかり、彼女の柔肌を蹂躙する。陣の盾はこれまでで大分強度が下がってしまっていたため、全てを防ぎきれずに砕け散ってしまった。


「なにせ俺は選ばれし存在で、お前は誰からも見捨てられた可哀想な奴。哀れってのはお前のためにある言葉だろ。それを俺たちが使ってやるってんだから、ちったー有難く思ってみろよ!」

「っ――――! ほざけ!」


 破れたドレスの隙間から、唇とよく似た色が零れていく。口汚い言葉を洗い流すかのように。

 最も深手を負ったのは左肩だったが、陣が最後に素晴らしい働きをしてくれたおかげで、幸いにも両足はまったくの無傷で済んでいた。

 常闇の魔女は再び駆け出した。その姿は策があってわざと追い込まれているようで、しかしありのまま焦っているようでもある。つまりは考えが読めない。

 それに、捕まらないよう反撃しているところから、魔力そのものはまだ余力がありそうにも関わらず、魔女を魔女たらしめた要因の一つである治癒を行おうとしなかった。簡単には止まりそうにない出血を放置し、庇うこともせず周囲へ体温をばら撒いている。

 それでも走り続けたせいで頬だけは薄っすらと上気していた。だから余計に青く染まっていく様子が目立ってしまう。

 人も魔術師も、これまでの魔術と正反対の作用を持ち、概念すら覆す守護にばかり気をとられていたが、最も関心を持つべき技術は治癒であるべきはずだった。

 それはおそらく、本人さえ自覚していない魔女の個としての本質を秘めていたのだから。


「…………足、邪魔だな。もったいないがしゃあねえか」


 けれど、現実は無情だ。

 深緑の魔術師は、遊び半分で猶予を与えるべく相手に合わせていたが、従順になりそうにもない常闇の魔女の様子に諦めを抱いた。

 いくら理性という枷を外したといっても、この二人の戦いはやはり他の魔術師たちとは比べものにならない。

 考えることだけはやめず、だからといって譲ることもなく力を揮う。

 彼は、ほとんど歩くのと差のないところまでスピードが落ちている常闇の魔女の前へ、見せつけるかのように山と同等な高さで広範囲の分厚い土の壁を作って足を止めさせる。

 そして、振り返るより早く、あっさりと彼女の膝から上を不必要に巨大な炎の刃で焼き切った。支えを失った体が、痛みより驚愕を浮かべて倒れていく。


「言っとくが自業自得だ。これ以上俺を煩わせるなら、次は腕をいくぞ」


 かといって、痛みに呻く素振りはない。それすら欠けているのか、はたまた焼き切ったために感じていないだけなのか。

 ゆっくりと近付いてくる足音を、常闇の魔女は髪で顔を隠し待ち受ける。

 そして、深緑の魔術師が黒を退けて屈辱に打ちひしがれているであろうガーネットを拝もうとした時、その下で真っ赤な三日月が描かれた。


「じゃあ、あたしは腕からいこうか」


 声は背後から響き、次の瞬間、彼が触れていたはずの魔女の身体は霧のようにかき消えた。

 満足気に頭上を指し示しながら――


 



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