魔女の眠り、竜の目覚め 1
お待たせしました。
番外編は一話の文字数を3000~5000字で投稿していきます。
一番最初は常闇の魔女の生涯について。
その命は、小さな村の平凡な夫婦の間に誕生した。
腹から出でた直後であっても、両親の血を一滴も流していないと思わせるはっきりとした美しい容姿に、溢れて止まらない小さき身体には収まりきらない力の奔流。赤子は外気に触れた瞬間、魔女として産声を上げた。
この時代、魔術師は莫大な金を生む存在であったが、触れることを許さないとばかりに産婆を弾き飛ばし宙に一人で浮く様子を前にして、苦痛に耐えて我が子と会えたばかりの母親でさえ恐怖だけが先立った。
そして、その子は性別さえ確認されることなく光の届かない深い森の奥へと捨てられることになる。泣き止めば力も治まり、何事もなかったかのように眠るだけだとしても。
当然ながら名すら与えられなかった。
一度とて抱かれずして、死を待つだけとなったか弱き命は、生まれ持ってしまった才能によってそのような運命に陥り、そのおかげで獣に食われずにいられた。
だがそれだけだ。人が通るはずもない場で柔い身体を護ってくれるのは、穴だらけで粗末な野菜を入れる籠と硬い布きれのみ。木霊す梟の鳴き声が不気味に響いていた。
しかし、結果として赤子が死ぬことはなかった。
「お? 面白そうなチビはっけーん」
この領域は純粋な力を好む戦神の遊び場であり、幸か不幸か神は気付いたのだ。小さな異端の存在を。
そして、生きたいと泣くわけでも、赤子らしくあどけない笑みを見せるわけでもない人間の子供を、その神はえらくお気に召したらしい。
まるで猫のように掴み上げる腕は細く、覗き込む顔は十にも満たない少年のようである。
けれど、人間でないのは一目瞭然である。腰布を巻いただけで露出度の高い浅黒い肌には、顔から指の先に至るまで余すところなく赤い文様が走り、なにより額で他と変わらず瞬きをする第三の目がそれを決定付けている。
三つの瞳はそれぞれで色を違え、動きもばらばらだ。見る者によっては化け物としか思えないだろう。
それでも赤子は反応を示さずじっとしていた。
「いいねー、将来が楽しみだ」
戦神はそう言うと、赤子の心臓の真上を指で小突く。
そして、片手で掴むというぞんざいな扱いなまま、一瞬にして森から人の住む街へと転移し、とある一軒の建物の前に降り立った。
「さーて、助けてやった分と手を貸してやる分、きっちりと俺様を楽しませてくれよな」
そう言った時の戦神の表情は、けして慈しみがあるわけではなかった。言うなれば、悪事を前に舌なめずりをする犯罪者のようで、言葉からも善意はありそうにない。
さらには相手が神で、しかも戦いを好むのだ。これから先の人生において、平穏が待っていてはくれないだろう。事実、女児であった幼き魔女の人生は波乱に満ちることとなる。
躊躇なく道に直接赤子を置き、戦神はあっさりと姿を消した。
残されたその子は、早朝に発見されるまで一度も泣くことなく、眠ることすらせず、まだ色を識別できないはずの瞳でただただ夜空を眺め続けた。
錆が目立つ門がそびえるそこが孤児院であっただけ、戦神にも最低限の配慮があったのだと思いたい。
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ある夏の日、産着に包まれることすらなく生まれたままの姿で、へその緒も付いた状態で捨てられていた子供は、そうして幼少期を孤児院で過ごすこととなった。
それがあろうことか神によって与えられたものだとは知らず、美しさだけを際立たせながら彼女は成長していく。
親に恐れられ捨てられる要因ともなった特出した才能は、不思議と表に出てくることはなく、誰も彼女が魔術師の素質を余りあるほど持っていることには気付かなかった。おそらくそれこそが、戦神の言う手を貸した事柄だったのだろう。
しかし、力は鳴りを潜めても、魂に刻まれた素養がなくなったわけではない。
凡人ならざる力を秘めた魔術師は、人でありながらその枠を逸した部分を有していた。それは一般人には理解しえないもので、だからこそ周囲は黒き艶やかな髪と鮮やかな瞳を持つ美しい子供を、その容姿も相まって単純に異質として扱ってしまう。
彼女は、感情をことごとく欠いていた。
泣いたのは産まれた瞬間のただ一度きり。笑みにいたっては浮かべたことが一度もない。言葉すら発する事はあまりなくまるで人形のようであり、訳ありな子供の扱いに慣れているはずのシスターでさえ手を持て余した。
引き取られた際に、一応は司祭から祝福を受けていたが、はたして本人は呼び名が自身の存在をこの世に繋ぐものだと分かっていたのだろうか。
幼児の時期には他よりも成長が緩やかなのだと理由をつけられたが、一人歩きができるようになり知能そのものはむしろ高いと知れてからは、大人すら寄りつかず孤立していった。
それでも、自身に与えられた役割をこなせば寝食に困らずに済む環境は、その出自を鑑みれば十分過ぎるほど幸運だったのかもしれない。なにより、彼女は孤独から来る寂しさや焦燥そのものを感じていなかった。
ただ事実として、自分が周りとは違うことだけを自覚していた。
そんな無機質ながらも後の人生を考えれば穏やかな日々は、孤児院で引き取られた日を出生日として十六年続く。
環境が激変したのは、彼女が美しすぎる少女となりそろそろ一人立ちする時期にさしかかった頃合だった。
その容姿と不気味なほどに感情が希薄な存在は大分以前から人々の間で有名になっており、好色な貴族などから何度か引き取りの打診があったのだが、それについては司祭が全て断っていたためにそれまで平穏無事で居られた。
しかし、孤児院で生活できるのは十六歳までの期間であり、はたして普通の生活を遅れるのかどうか不安を抱えさせつつも、彼女が院を去る日は決まった。
そして、当日の早朝のこと。小さな庭で無表情に佇んでいた少女は、自身にとっては初めてとなる神との対面をはたした。
「よう! ひっさしぶりだなー」
自分の腰ほどな身長の少年の姿をした者は、たった一度の瞬きの間で目の前に立っていた。見覚えがないというのに、かなり気さくな声を掛けてくる。
だが、少女とはまた種類の違う異質な容姿と、圧倒的な形容し難い雰囲気は、普通の人間ならばそれなりの胆力がなければ卒倒してしまうはずだ。
なにより、教会と併設されていた孤児院の子供たちは、主だった神の姿を知っており、少年はまさしく人々に伝わる戦神そのものであった。
相手が神だと分かっているはずにもかかわらず、それでも少女は眉一つ動かすことはなく、ほんの僅かに首を傾げる素振りを見せるだけである。
「うんうん、それぐらいでかくなりゃ十分だろ」
戦神は戦神で、少女の全身を舐め回すように観察し、一人楽しそうに頷いていた。
「てなわけで、眠らせていたお前の力を起こしてやんよ」
さらには、ありし日のように、揃えた二本の指で彼女の心臓の上を突く。
その瞬間、二人を中心として風が渦巻き、庭に植えられていた木や花が一斉に悲鳴を上げた。
異変を察したシスターが駆け付け、遅れて司祭が姿を見せた時、その場では膝近くまでの長さの黒髪を荒々しく躍らせる魔女が一人、風と共に舞っていた力を少しずつ身の内に取り込みながら立っていた。
全てが治まってから、振り返った少女は言う。
「司祭様、私は城に行かなければいけないらしい」
それは、これまで発した中で最も長い言葉であった。
それだけでも驚きは大きいというのに、状況が把握できていなかった周囲はさらに唖然とする。と同時に納得もした。
魔術師の素質がある者はこの時代、例外なく国へ申告する義務があった。彼らはどこか普通ではない。美しいのは姿形と声だけで、好戦的な性格は他者と相容れず、独自の世界があるように人々の目には映る。味方であればとても心強く、敵として遭遇すれば恐ろしい化け物になった。
性格においては当てはまらないが、それ以外はかえって今まで思いつかなかったことの方が不思議とすら感じた。
自身が何であるかを知った少女は、そして常闇の魔女としての道を歩み出す。
だが、彼女は神の目に止まるだけあって、魔術師としてもまた異端であったことをまだ知らなかった。




