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World

BLACK DOOR

作者: 水花

http://ncode.syosetu.com/n7728w/「仮宿」の裏話BL。仁×深玖里です。

「ミクちゃんお酒弱いんだから、ほどほどにしなよ……って、俺前にも言ったよね」

 霞みがかった頭の中、その言葉はふわふわとして現実味がない。ただ零されたため息が肌にかかり、くすぐったさに身を捩った。体に籠る熱を逃そうと、体を丸めて息を吐き出して、やり過ごそうとする。

 けれど、囲いこむように回された腕に阻まれた。

 薄目を開けて見上げれば、底光りするような瞳とぶつかる。獲物を見つけた猫みたいだ・・・・・と思った瞬間、きつく抱きしめられ唇を塞がれた。


 


 冗談じゃない、信じられない。その言葉ばかりが頭の中をぐるぐる回っていた。

 どこをどう走ってきたのかさっぱり思い出せなかったけど、気がついたら見慣れたドアの前に立っていて、荒い息のままベルを連打していた。

 走ったせいで上がった熱と、それとは別にざわざわと背筋を這いのぼる悪感にも似た熱が混じり合い、立っているのも正直辛かった。

 ドアが開くまで、そんなに時間はかからなかったはずだ。けれどその時は、とても時間が長く感じられた。

「はいはい~どちらさまですか~押し売りならお断り~」

 腹が立つほどのんびりした声で、インターフォンごしに部屋の主が答えるのに、苛立ちまじりに吐き捨てる。

「俺だっ、いいからドア開けろ」

「ええ、ミクちゃん、ちょっとどうしたのさっ」

 ドアを開けるなり部屋の主……従兄弟の仁が驚いた声を上げる。

 そりゃそうだろう、何度誘われても滅多に寄りつかない自分がやってきた上に、見るからに具合が悪そうに壁に寄り掛かっていたのだから。

 いつもならそのふざけた呼び名を咎める所だが、流石にそんな余裕はなかった。そしていつもふざけた言動が標準装備の従兄弟も、この時は余計な口をきかずに、肩を抱え込むようにして部屋の中に引き摺り入れた。

 何とか土足で上がりこむ事は避け……変な事に気が回ると我ながら可笑しくなった……引っ張られるまま仁のベッドに押し込まれる。触られていると変な感覚が湧きあがってきていたたまれなかったけど、奥歯を強く噛みしめてどうにかやり過ごした。

 細くながく息を吐き出して、どうにか落ちつけようとする。体をちいさく丸くして。

 そこへ、頭上から声が降って来た。

「ミクちゃん、これは一体どうしたのさ。ただ調子悪いってだけじゃ、なさそうだけど」

 どこまでごまかせるか。薄眼を開けて従兄弟の顔を見上げて。

 ああこれは駄目だと即座にその選択肢を放棄した。いつもの笑顔より、数倍胡散臭い笑みを貼り付けてやがる。ヘタな嘘や誤魔化しをして、それがばれた時が恐ろしい。

 人の背筋を凍らせるような笑顔って言う奴を、深玖里はこの従兄弟で学んでしまっていた。

 仕方ないとため息をついた。

「ちょっとヘマしたんだよ。で逃げてきたってわけ」

 ふうん、と面白くなさそうな様子で鼻を鳴らすと、仁はすっと指先をこちらに伸ばしてきた。

 いい加減はだけまくっていた、シャツから覗く、浮き出た骨の上や首筋を辿る指。ぎょっとして身を引こうとする前に指は離れた。

 ふうん、と一段と低くなった声でもう一度鼻を鳴らす。

「ここ、口紅の跡ついてるよ~。で、お酒の匂いもするし。もしかしなくても、お酒飲まされて、無理やりのっかられそうになって、逃げ出したってトコ? おまけになんか様子変だから……妙なクスリも使われてない? 」

「……わかってるなら聞くな。しばらくしたら落ち着くだろうから、放っておいてくれ」

 従兄弟が鋭いのか自分が鈍いのか。

 何でこう言い当ててしまうかな。自分の馬鹿さ加減を言い当てられた気がしてため息しか出てこない。

 もう口を開くのも辛くて体を丸めて目を閉じる。ああこいつの寝床分捕ったけど……まあいいや。

 床が軋む音がして、空気が動いた。ようやく放っておいてくれるか、とゆっくり体の力を抜きかけたところで。

 間近で聞こえた低い声に体が震えた。

「もう一つ答えてよ。一体誰に乗っかられそうになったの? 」

「……っ、そんなトコで喋るな気持ち悪い……っ。誰だって」

「いいから答えて」

 ぴしゃりと容赦ない口調に諦めて答える。今答えなくても、いずれ回りまわって従兄弟の耳には入るだろう。

 城戸と結城はご家の中でも繋がりが深い上に、仁は祖父の外孫だ。

「……早弥香だ。じいさんの差し金らしい」

 ああ、と仁は意外でも何でもなさそうに頷いたようだ。それから続く言葉に目を剥いた。

「あのじいさんも懲りないねえ。いまどき兄妹の近親婚させようっての~?いくら近親婚繰り返したって、力は消える一方だってのにねえ」

「って、おまえ」

 言葉にならなくて意味もなく口を開閉させる。仁は何でもない事のように答えた。至極あっさりと。

「ああ、ミクちゃんと志津香ちゃん早弥香ちゃんが兄妹だってこと?そりゃ表立っては誰も言ってないけどさ、暗黙の了解って奴で、知ってる人は知ってるよ~」

 じいさんの態度見てればわかるしねえと呟かれて、憮然と息を吐き出した。

「俺は全然知らなかった」

「まあミクちゃんはそうだよね~」

 くすくすと耳元で笑われ、その振動とかかる吐息、さらに声で。ちょっと色々マズイ気がする。

「もう、いいだろうっ。離れろっ。時間がたてば落ち着くだろうから、それまで……」

 放っておいてくれと言う言葉は喉の奥で呑みこむ事になった。

 何故なら。丸まった体を無理やり引き寄せられ、真上から顔を覗きこまれたから。

 なにをする、と目線で問いかければ、わからないかなあと逆に問い返される。

口調も何もかも普段と変わらないものの。

「……何でお前が不機嫌になってるんだ……」

 眉をひそめても返事は返らなかった。別に? と腕を押さえこまれて苛立って睨みつけたその顔、は。

 寒気のするような笑顔。

「そのまま放っておいたって、クスリは抜けないよ。苦しいのが長引くだけだし。手伝ってあげるよ」

 ちょ、離せともがいても、腕の力が緩む事はなく、反対に背が反り返るほどに強く抱きしめられた。

 肩先に顎を埋めるかたちで、仁が呟いた。

「ミクちゃん、お酒弱いんだから、ほどほどにしなよって、俺前にも言ったよねえ……」

 お前に比べたら誰だって弱い、と文句を言いたかったが、もう言葉にはならなかった。


 その後のことは霞みがかったように曖昧だった。体の外も中も熱くて、何度息を吐き出しても治まらなかった。

 触れられる肌が勝手に反応する。ナカを大きな質量で埋められる。

 苦しさに逃れようとしたら何度も名前を呼ばれて抱きしめられた。

 何度も名前を呼ぶ、声。

 たしか前もこんな事があったような……。


「深玖里」

 名前を呼ばれる。普段は呼ばない名前で。本当に……。

 お前に名前を呼ばれる時には、ロクなことがない。そう文句を言ったのは、ちゃんと声になっていたかどうか。





 さて、この酔っ払いめ、どうしてくれようか。

 仁は機嫌よくにこにこ笑っている従兄弟を見おろして、珍しく困り顔をしていた。

「仁? もう一本持ってきて? 」

 従兄弟の深玖里がカラになったビール缶を振っている。仁は額に手をあて、はあと深いため息をついた。

 ミクちゃん、普段しかめっつらしかしてないのにねえ。酔っぱらうとこうなっちゃうのかなあ。

 一人暮らしにしてはかなり広いリビング。天然素材のラグを敷き、その上に硝子のテーブルが置かれている。アイボリーの二人掛けのソファに、あとは大きめのクッションが幾つも転がっている。

いつもであればどこぞのモデルルームのような室内も、今は空き缶が散乱して目も当てられない状態になっていた。

 その缶のうち、三分の二は仁が飲んだものだったが。

「じ~ん」

 酔っ払いは舌っ足らずな声で催促をしてくる。

 うん、ちょっとペースは速いかなあって思ってたんだけど。

 ここは仁が一人暮らしをしている部屋だった。

 まだ十五であったものの、同じ家で数年一緒に生活した深玖里が出て行き、両親も亡くなった今、結城の家に仁一人では広すぎる。結城の家は一族に管理を任せて、仁はマンションで一人暮らしをする事にしたのだった。このマンションじたいが結城の家の持ち物であった。

 一人暮らし記念に、ミクちゃんも一度遊びに来てよとしつこく誘ったのが功を奏して、不機嫌顔で深玖里はやって来た。言いだしてから数カ月は経っていただろうか。仁の粘り勝ちと言える。

 従兄弟の土産は全部酒だった。缶ビール、缶チューハイなどがごろごろ入っている。

 俺未成年なんだけどなあと言う言葉は、鼻で笑われた。

 素行もなにもかも知られている相手だから、仁としてももちろん本気で言ったわけではなかった。

 手土産にケーキとか菓子とかの一般的な物を選ばなかった辺り、従兄弟の葛藤がすけて見えた気がして面白かった。

 差し入れとして有り難くいただいき、取りあえず来たぞ、もう帰るからなという深玖里を引き留めて酒盛りに持ちこんだ所まではよかったけれど。

「ミクちゃん、飲みすぎだよ。そろそろ止めたら? 」

 何が楽しいのか、けらけらと笑って、こっちの話を聞いてないみたいだった。

 まったくもう、いっつも怒ってばっかりのくせに、何でこんな時だけ笑うかなあ。

 ため息を呑みこんで、酔っ払いの手から空き缶を取り上げる。

 ソファに背中を預けた格好の従兄弟は、そのままの姿勢でずるずるとラグの上にずり落ちそうだ。

「ほら、ちょっとふらふらしてるし。水持ってくるよ」

「ん~……」

 返事のような抗議のような、曖昧な声があがるのも気にせず、キッチンに行きかけたけど。

 酔っ払いとは思えない素早さで腕が伸びてきて。思いきり服の裾を引っ張られて姿勢を崩した。

 油断していたからとしか言いようがないけど……この従兄弟の前でそういう意味で気を張っていた事は今までなかったから。

 そう、たとえば他の親族とかの碌でもない考えしてる人たちの前では精神的および物理的攻撃に備えてるけど。

 この人の前でそんな気を張ったって仕方ないのを知っている。

 何しろ、碌でもない一族の中で、奇妙なほどマトモな人だからだ。まかり間違えばあの家の次期当主って事になるんだろうけど、それがとてもじゃないほど、務まらないような、歪みないヒト。

 殆ど意地で何とかソファの背に手をついて、従兄弟の上に倒れこむ事は避けた。心臓をばくばく言わせながらほっと息をついていると、元凶は悪戯が成功した子どもみたいに笑っている。

 いつもより近い距離でも顔をしかめたり遠ざけたりもしないで。

 わかってるのかなあ。あのまま俺が倒れこんでたら、自分だって痛い思いしたかもしれないのにさあ。

 身長も体重も、多分もう俺の方が大きいんだけど。何度か従兄弟と呑んだ事はあるけれど、酔ったらこんなふうになるとは知らなかった。いつもは酔うほど呑んでなかったんだろうけど。

 もう一度ため息をつきかけて、息を飲んだ。今度こそ。

 するりと首の後ろに腕が回ったかと思うと、ぐいと引き寄せられた。重なったのは柔らかくて温かい……唇だった。それは一瞬のことで、すぐにぬくもりは離れてしまう。

 ちょっと今の、なに。

 仕掛けた当の本人は、自分の顔が可笑しかったのだろう、とても楽しそうにけらけら笑っていた。

 ああそうですよ、鳩が豆鉄砲でも食らったような顔してたんでしょうよ。

 性質の悪い悪戯しかけないでよねえとぼやく。

 目が覚めていたら。酔っぱらってなかったら。

 こんなある意味自爆同然の悪戯を仕掛けてくる相手ではないけれど。

 でも。

「まったくもう、人の気も知らないで……」

 呻くように言ってもどこ吹く風で。にこりと珍しいほどの満面の笑顔で見上げてくるから。

 これは酔っ払いのしたこと。これは酔っ払いだから。

 そう言い聞かせる自分の努力などを綺麗に蹴散らしてくれるものだから。

「あとで文句言っても、もう聞かないからね」

 ミクちゃんが悪い。こっちもいい加減酔ってるのか、普段だったら効くブレーキも壊れかけてる。

 力の抜けた体を強く抱きしめると、抗議をするように手がびたびたと背中をたたく。

「くるしい、はなせって」

 ごめんねえ、もう止まらないし。

 抗議を封じるように、舌足らずな言葉を吐き出す唇を封じた。


 何度も何度も名前を呼んで。



 


 ぽかりと目を覚まして辺りを見回して。見慣れない室内に、ここは何処だと眉を顰めようとして……撃沈する。頭の中で銅鑼を打ち鳴らすような頭痛に襲われたからだ。反射的に頭を抱えて丸まろうとして、そこで気付く。

 体が動かせないのだ。というか、温かいなあと今まで思っていたコレは。

 恐る恐る視線をやると裸の腕に抱きしめられている状態。

 これって一体どういうことだと慌てて抜けだそうとして、体の奥が酷く痛んだ。

 途端に色んな事が一度に思い出されて、ざあっと血の気が引く思いでその場に突っ伏しそうになる。

 いや、抱き込まれてる状態だから、出来る筈はないんだけど。

「あ……ゆうべ……」

 蘇る記憶にのたうちまわりたい。酔ってたからとはいえ、何ととんでもないことをしでかしたのか。残念な事に酔っている間でも、記憶は飛ばなかった。記憶が飛んでいる方が、この場合よかったかもしれない。

 昨日。一人暮らし記念に遊びに来いだの何だのうるさかった従兄弟に閉口して、一度来ればいいだろうと手土産片手に来てやった。

 すぐ帰るつもりだったのに、なんだかんだで引き留められて。結局酒盛りになった。何度か一緒に呑んだ事はあるし(従兄弟は未成年だけど、言っても聞かなかったしいい加減こっちも言う気が失せた)酒癖も悪くはないからまあいいかと思ったのだ。

 いつもよりハイペースで飲んでいた自覚はある。それで多分酔っぱらってしまったのだろう、ふわふわしていい気分で。それでも、なんであんな行動を自分がしたのかわからなかった。頭の中を浚っても答えが見つからない。

 いつも人をからかってくる、年下の従兄弟に嫌がらせをするにしても、これじゃあ自分の方がダメージが大きいじゃないか。思い返し……たくもなくて、げんなりした気分でため息をつく。返り討ちにあった気分だ。

 出来る事なら昨夜に戻ってリセットしてやり直ししたい。もしくは、昨夜の出来事を自分とこいつの記憶から削除したい。何を考えていたんだ、昨夜の自分と己を激しく罵った。

 喉の奥で唸りながら、取りあえずは起きるかと肩と腰に巻きつく腕を外そうとしたら。

「おはよ、ミクちゃん」

「……おはよう」

 嘘くさいほどの爽やかな笑顔で。何事もなかったかのように挨拶を寄こしてくる従兄弟。

 だがこの体勢はものすごく気まずい。互いに上半身は裸だったが、下はパジャマがわりのスウェットを穿いているようだった。心底よかったと頭の隅で思う。

 朝から機嫌よさげに、いや朝だからかにこにこと笑顔をふりまく従兄弟を至近距離で見上げ、疲れたようにため息をつく。朝から何度ため息をついているのか、数えるのも嫌なほどだ。

 覚えている限りでは、遺憾なことに昨夜の事は自分から誘ったようなものだった。

 ただ、女の子がすれば据え膳だろうけど、自分がやったところで嫌がらせだしどういうつもりで従兄弟が誘いに乗ったのかはわからない。

 まあ若いしそういう衝動でもあったんだろうと、自分も若いくせに棚に上げて、枠に押し込めてしまうことにした。この読めない従兄弟の事は考えるだけ無駄だと思っているから。色々ダメージ大きかったのは自分だと思うと何やら腑に落ちないものはあるし悔しい気はするのだが、非は自分にある気がするので、取りあえず問いただすのはやめにした。

 とにかく、今後酒は控えようと決心したところで。

「ねえミクちゃん」

 じいっと人の顔を見ていた従兄弟が唐突に言った。

「な、なんだっ」

 裏返ってしまった声を誤魔化すように、ごほごほと咳をしてみる。

 従兄弟は至極真面目な顔で言った。

「もう少しお肉つけた方がいいと思うよ。なんかこう抱き心地が悪いんだよね」

 何を真面目な顔で言うかと思えば。言うにこと欠いて人にもっと太れとかか。

 ああ、考えて損した。もう二度とこいつがどう思うかとか考えてなどやるものか。何を考えてようと、自分の知ったことじゃない。

 ぎゅっと拳を握るとその動きを予想してか、巻きついていた腕に力がこもった。

「余計なお世話だっ。ちょっと、離せっ。その碌でもない頭殴ってやるっ」

「あはははは~ほんとねえ、俺いつの間にかミクちゃんより大きくなったんだねえ~」

「うわほんとその言い草腹立つ。殴らせろっ」

「駄目~でもね、ミクちゃん」

 にっこり。その形容が似合う笑い方ながら、寒気のするような笑顔ってなんなのか。

「お酒はほどほどにね? 」

 言葉もなく、こくこくと頷かざるを得なかった。腹が立つ、絶対仕返ししてやると密かに思ったのだった。




 

 腕の中から熱が逃げて行く。

 浅いまどろみを覚ましたのは抜け出る動きでもなく、振動でもなく、腕の中に寒さを感じたから。

 何も言わずに行くつもりなんだ。

 それと気がついていたけれど、目を閉じたまま眠ったふりをした。

 衣服をまとう音のあと……気配はまだそこで佇んでいる。視線がこちらに注がれているのが、わかる。


 早く行ってしまえばいいのに。そう願う。

 自分が引き留めたくなる前に。引き留めてしまう前に。


 何かを言いかける気配。しかし言葉は零れることなく。静かにドアは開き、閉じられた。

 しばらく目を閉じたまま耳を澄ませていた。戻ってくる様子はなく、そこでようやく目を開けた。

 見慣れた自分の部屋の中、今はもう誰もいない。

 本当に一言もなく行ってしまった。

「もっとこっち頼ってくれてもいいのになあ。そうしたら助けてあげられるのに」

 自分で何とかしようとするんだからと呟いても、声は届かないけれど。

「まあ探しに行かされるのはどうせ俺だろうし。何とかなるでしょ」

 もう一度眠ろうとひとり寝具にくるまり丸くなる。そうして思い出すのは、昨夜見た珍しい笑顔。

 怒っている顔でなく、いつのも難しい顔でなく。

 ふうとため息をついた。

「反則だよねえ。アタマがぶっとんでる時しか、あんな全開で笑ったカオしないなんてさ~」



 


 城戸家の直系が他の界から連れ戻され、そして再び他の界へと行ったという事件は、城戸家の当主が一族に緘口令を敷いていたにも関わらず、院に知れることになった。

 そのためしばらくの間院は色々騒がしい事になっていた。院の建前としては他の界の者と深くかかわることを禁じている。己の属す界を危うくする行為だからだ。

 それを十分知っているはずの五家の直系が、しかも術者がよりにもよって、と。しかもあちらの界で婚姻をするつもりだなどと聞けば、どうあってもその直系を連れ戻さなければならなかった。

 あちらでこれ以上の深い関わりが生まれる前に。

 すぐさま探し出し連れもどすべきだとの声を封じたのは、結城の次期当主と目されている青年だった。

「でもねえ~探索システム作ったの、その逃げた本人だし、システムの穴も知ってるんだよね~。だから見つけるのは難しいと思うんだよ。それに知ってるでしょ? 最近俺らが使ってる便利な機械関係、設計したの全部そのヒトだし~」

 何が言いたい、と院のトップは冷静な声で続きを促した。

「だから。恩を売っておいたほうがいいんじゃないかって話。たとえばさ、他の界で生きる代わりに、そこで常駐して働いてねとか、これからもシステム開発続けてねとか。その方がよくないかなあ」

 無くすのには惜しい能力でしょ?

 途端に長老の一人から反対の声があがる。そんななまぬるい解決法があるかと怒鳴る彼を、トップは視線ひとつで黙らせ、それで、先を促した。

「その条件だったら呑んでくれると思うんだけど~。あちらだって、ずっと逃げ回るのはしんどいだろうし。だいいち、今のシステム、壊れたら誰か直せるの? 設計図は残ってるから誰かは直せるだろうけど、時間かかるでしょ。当然わかってるよねえ? 」

 にこやかに言い放たれた言葉は事実で、誰も声がなかった。呻くような声が居並ぶ長老たち、幹部たちの間であがる。

 そして利を見るに機敏な院のトップは、結城の次期当主の意見を受け入れると答えた。

 最後まで城戸の当主は反対していたが、もう意見は覆らなかった。




「ねえ、仁兄さんはあれでよかったの? 」

 地上を見おろす、高層ホテルの最上階にあるバーで。奥まったボックス席に腰かけ、地上の灯りを眺めながら志津香が尋ねてきた。手には氷の浮いたグラスを持っている。

「あれで、とは、なにが」

「兄さんあっさり行かせちゃったじゃない。あの人も頑固だから、一度決めた事はなかなかひっくり返さないわよ。こっちに戻って来る気、ないんでしょうね。あの人は、私たちは別にして、基本一族が嫌いだったし、こちらの世界にも未練はないでしょうしね」

「そうだねえ。まあこればっかりは仕方ないよ。ミクちゃんもとうとういい人見つけちゃったんだしさ」

 無理やり引き留めるとか、縛りつけるとかは趣味じゃないしと呟けば、志津香は途端に胡散臭そうな目でこちらを見てきた。

「嘘ばっかり。そう言いながら、結構執念深いのよね、仁兄さんは」

 さあねえと肩を竦め、グラスに口をつける。志津香には色々知られてしまっているので、今さら取り繕う気もなかったが。

「ヒトの事より、自分の方はどうなのさ」

「ご心配なく。……と言いたいところだけど、流石に手ごわいわ。なかなか首を縦に振ってくれないのよね。あの兄さんから変わり者扱いされるだけあるわね」

「まあね、ミクちゃんもあの家じゃ十分変わり者だったんだけどね。というか、周りが歪みまくってるのに、一人だけ歪まないっての、かなり変だよね」

 当の本人だけ、その事に気付いてなかったけどと呟くと、志津香も頷いた。

「自分の事ってわからないものだしねえ」

 すると志津香は途端に唇の端を引き上げて笑う。

「あら。私てっきり仁兄さんが拉致監禁に走るんじゃないかって心配してたんだけど? 」

 仁兄さんならやりかねないと思って~とあっけらかんと笑われる。

 ちょっと、俺ってそういうヒトに見られてたわけなのねと肩を落とした。

「そりゃね~ミクちゃんが女の子だったら、多分妊娠させて子ども産ませて、逃げられなくしてると思うんだけど~」

 いやそれって十分すぎるほど酷いからと志津香はグラスを傾けながら突っ込みをいれる。

「仁兄さんって、相当酷いわよね、ほんと。兄さんが男で、おまけに好きな人と別の界に居るってこと、兄さんにとって色々よかったかしらね」

 志津香はため息をついた。仁の、深玖里に対する執着など、近くで見ていればすぐにわかった。彼らの傍に居る事が出来た者なら知っている。知らないのは当の深玖里本人だけだろう。

 ほんと、兄さんはそういうところ、致命的に鈍いんだから。

 早弥香もそれを知っていただろう。

 早弥香が祖父の策に乗ったのも……仁の執着を知っているがゆえに、焦ったのかもしれない。

 けどねえ……苦い思いで志津香はグラスを揺らす。氷に光がきらきらと反射していた。

 兄さん見てればわかるじゃないの。あれだけあからさまに執着されてても、気付かないような人なのに、ねえ。

 早弥香の起こした行動は、深玖里と城戸の家……そしてこの界との決別を促すものにしかならなかった。

 莫迦なことしたわよねと双子の妹のことを思う。そして今は結城の預かりになっている妹の事を尋ねた。

「ねえ、早弥香は元気にしてるの? 」

 ああ、と興味の欠片もない声で仁は答えた。

「まあ元気じゃないかな? 」



 志津香は用事があるからお先に失礼するわと席を立った。

 一人グラスを傾けながら、仁は先ほどの志津香の台詞を思い出して微かに笑った。

「拉致監禁ねえ……しようと思えば出来たかもしれないんだけど、ねえ」

 閉じてしまう機会は、幾らでもあった。

 閉じてしまおうかと何度も思った。

 それでも、そのたびに自分の手でその機会を潰してきたのは……。

「俺だって、本当に嫌われるのは怖いもんねえ」

 手を伸ばしたかった。ひきとめたかった。抱き込んだ腕の中から出したくなかった。

 声にならなかった言葉を聞きたかった。

 くすり、と一人笑う。

「でも絶対、ロクでもないこと言おうとしてただろうなあ」

 見おろす先には地上の星。たくさんの人がつくる星の中に……探す人はいないけれど。

 少し気障にグラスを掲げるようにして……一息に中身を飲み干したのだった。


「お酒はほどほどにしなよ。悪い誰かに付け込まれないようにね」




                               END



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