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毒蛇のしなやかなる絡み

「アンビティ伯爵、来てくれたのね」エダ女皇は紫色の絹の外衣を纏い、貴族の女性が一般的に結う二つ編みを髪に施していた。私の姿を目にした瞬間、大広間の椅子から立ち上がり、小走りで駆け寄ってきて、私の手を掴み、嬉しそうに声を弾ませた。


「陛下、つい先ほどもお会いしたばかりではないですか。そこまでなさらなくても……」女皇のこの唐突な振る舞いに面食らい、慌てて手を振りほどいた。外では見せていたあの厳しい表情とは、まるで別人だ。そして、条件反射のように周囲を見回す。金碧に輝く大殿の中には、私と女皇——二人きりだった。罠か? そう考えずにはいられない。これは私の猜疑心からではない。教会の武装を利用し、かつてピラタ派を支持して即位した前皇帝を粛清した人物に対する、当然の警戒だ。


「それとは違うの。これは二人きりよ。他の人がいる場ではできないことも、言えないことも、あるでしょう?」エダ女皇は私の反応が気に入らなかったらしく、喜んでいた口元をきゅっと結んだ。それでいて逆に私の手を掴み返し、さっきよりも強く握ってくる。痛みすら感じるほどの力で。「人がいる前では、言いにくいこともあるし、できないこともあるの」そう言いながら、人差し指を伸ばして私の手のひらをなぞるように擦る。背筋に冷たいものが走った。——もう演技を続ける気はないのか? いきなり「耳目があるから話せない」ときた。一体何をするつもりだ?


私が思案している間に、女皇は——おそらく私の心拍を測るつもりなのだろう——身体を密着させ、胸に頭を預けてきた。「アンビティ伯爵、あの日のこと、まだ覚えているわ。政変の日、あなたは衛兵隊を率いて宮相を追い、森の中で鹿のように射殺した。——私のために」そう語りながら再び宮相の名を持ち出す。私の忠誠を疑っているのだろうか。さらに頭を押し付け、心臓の鼓動をもっと近くで探ろうとしているようだった。あの件を思い出すと、不愉快な感情が湧き上がる。宮相を射殺した後、統帥の立場を利用して帝都を掌握するつもりだった。だが教会の武装勢力が一足先に都市を制圧し、女皇は宮相の権力が肥大化したことを理由にその職位自体を廃止した。確かに聖遺物と領地は手に入った。だが、教会に利用されたという感覚が、どうしても拭えない。


「子どもの頃のこと、覚えてる?」女皇は唐突に回想を始め、独り言のように語り出した。「あれが最初にあなたに会った時。叔父が母の名を騙って父を殺し、私を教会に送り込んだの。でも幸い、教会の最高指導者——聖女様が私をとても良くしてくださった。私を見た瞬間に"神の祝福を受けた者"だとおっしゃって。今思えば本当だったのね。だって、あなたに出会えたのだから」


「陛下は神の恩寵を受けておられます。私などには関わりのないことかと」女皇の温かい吐息を感じながら、次第に居心地の悪さが増し、身体を引き離そうと試みる。しかし女皇は私の動きを察知したかのように、ぎゅっと抱きついて離さない。


「どうしてそんなに離れようとするの?」女皇の表情から、先ほどまでの喜びが消え、不満が滲む。


「いえ、陛下。私はただ、人と接触するのが苦手なだけです」焦りの中、咄嗟に言い訳を口にした。


「そう?」女皇の声色が、ふと陰りを帯びた。「フレディ女爵や、妹のガヴェリア嬢とは随分親しくしているようだけれど。私だけ駄目なの?」そう言いながら、さらに強く両腕で締め付けてくる。それだけではない。小さな呟きが耳に届いた。「bɛ.hːcr」——短い一語。聖タク語ではない。古イミタート語だ。意味はわからない。だが、その語調から、良い言葉でないことだけは確かだった。


「陛下、どうしてそのようなことをご存知なのですか?」女皇の不意の発言に、私は動揺を隠せなかった。女皇はこれまで教会にいたはずだし、即位後も首都に留まっていたはずだ。なぜ、私が首都を離れて領地に戻った時の私生活まで知っているのか。神術か? いや、記録されている神術にそのような能力は存在しない。そもそも私はそんなものを信じていない。あらゆる神秘の力は、教会が民を惑わすための道具にすぎないと確信している。では——監視されていたのか。それとも、叔父から聞き出したのか。


「話を逸らさないで。まだ答えてもらっていないわ」女皇の腕がさらに締まる。この感覚は、幼い頃に妹が私にしがみついて、無理やり遊びに付き合わせた時を思い出させた。


「えっと、その……」無意識に口を開いて反論しようとしたが、言葉が途中で詰まり、何を言えばいいのかわからなくなって、そのまま固まってしまった。


「ふぅ——」私が硬直している隙に、熱い息が耳元に吹きかけられた。全身に電流のような衝撃が走り、反射的に両腕を突っ張って、女皇の抱擁から身をもぎ離した。


突然振りほどかれた女皇は、よろめきながら数歩後ずさり、危うく地面に倒れかけた。なんとか体勢を立て直し、恨めしげな声を漏らした。


その光景を目にして、私はすぐに異変を悟った。——様々な話題で警戒心を解かせ、不敬な行為を誘発させて罪に問うつもりだったのか。忌々しい。さっきから雰囲気がおかしいと感じていたのはこれか。


「申し訳ございません、陛下」頭を軽く下げ、膝を折り、慌てて礼をして詫びた。頭を下げた視線の先に、女皇の足が懸命に均衡を探しているのが見えた。礼服がそれに合わせて揺れ動いている。幸い、間もなく姿勢は安定した。


沈黙——ほんの一瞬のことだったが、鋭い視線が容赦なく私の全身を射抜いているのを感じ、産毛が逆立つ。


「顔を上げて。……冒、冒涜したのは私の方よ。あなたと親しい間柄だと、思い込んでいたから」その言葉に従い、そっと顔を上げる。女皇陛下の表情も声色も、先ほどの歓喜はすっかり消え、言い表しがたい複雑なものに変わっていた。奇妙な響きだったが、あの浮かれた喜びよりも、むしろこちらの方が落ち着く。


「本題に入りましょう、陛下。お召しになった理由は何でしょうか」ほっとした私は、すぐさま話を本筋に戻した。宮相を自らの手で射殺したとはいえ、元をたどれば私を引き立てたのは他ならぬ宮相だ。さらに、先の内戦では王族の者を自ら手にかけている。叔父が教会の人間であるとはいえ、政敵たちがそれを口実に攻撃してくることは容易に想像がつく。単独で召し出されたのも、おそらくはそのことに関係があるのだろう。


「実はね、アンビティ伯爵。私の戴冠が済んだ後、あなたのことを悪く言う者がいたの。あなたを聖タク帝国で主君を弑した軍団長に喩える者もいれば、かつての古特斯諸国の僭主に喩える者もいた」女皇の語調は再び変わった。先ほどの歪んだ奇妙さが徐々に消え、怒りを帯びた声に。その怒りは明らかに私に向けられている。——東方の異教徒に征服された古特斯の僭主に喩えるとは、なかなか面白い話だ。


「でも、私はそんな話を信じていないわ。そういうことを言ってきた者には、全員叱責してやったの」女皇は弁明するかのようにそう続け、両手を合わせて祈りの仕草をした。教会で身についた習慣だろう。


「ただ、その中に一つだけ、気になる報告があったの。あなたが宮相の娘——チェルシーを匿い、庇護を与えている、と。本当なの?」


「チェルシー……」その名を聞いた瞬間、私は言葉に詰まった。形容しがたい感情が胸の奥から込み上げてくる。なぜあんなことをしたのか、自分でもわからない。父親を殺しておきながら、その娘を引き取った。——恩を受けていたことへの、後ろめたさだったのかもしれない。


「やはり本当だったのね」私の沈黙を見て取った女皇の紫色の瞳が、漆黒に染まる。毒蛇のように、じっと私を見据えていた。

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