8 赤い空の空間
鏡太朗は木葉天狗の足で両肩をつかまれて空を進んでいた。やがて鏡太朗の前方に、直径三十センチほどの円盤状の白い光が浮かんでいるのが見えてきた。
「あの空間の穴の奥に広がる別の空間で、大天狗様がお待ちだ」
「大天狗?」
木葉天狗と鏡太朗の姿は空間の穴に消えていった。
木葉天狗の足で両肩をつかまれた鏡太朗は、高い山の斜面に沿って空中を上昇していた。鏡太朗が下を見ると、紅葉した木々が山の斜面を覆い尽くしており、山の周辺に広がる平野も紅葉した木々で埋め尽くされ、真っ赤な森がどこまでも続いていた。鏡太朗が空を見上げると、空全体が赤く光っており、そこには太陽も雲も見当たらなかった。
「ここは?」
「さっきまでいたのは鴉天狗様の隠れ里。ここは大天狗様の隠れ里だ」
やがて木葉天狗は山頂付近に到達したが、その一帯には樹木はなく、地表は岩と石で覆われており、赤い空の下に広がるその光景は殺伐とした雰囲気に満ちていた。山の頂上は、平らでサッカーコートくらいの面積の広場になっており、地面には砂利が敷き詰められていた。木葉天狗は山頂の広場に鏡太朗を降ろすと、二本の脚で砂利の上に立った。
鏡太朗の六十メートル前方には立派な神社の御社殿が建っており、その前に立っていた一体の魔物が鏡太朗に向かって歩いてきた。その魔物は身長が百九十センチほどある筋骨隆々とした体で、上下の白い鈴懸を着て、くるぶしには白い脚絆を巻き、黄色の結衣袈裟を肩から掛けており、山伏のような服装をしていたが、山伏とは違って足には一本歯の下駄を履き、腰には木刀とヤツデの葉のうちわを差していた。そして、長く伸びた白髪の下にある赤い顔には、ぎょろっとした目と異様に高い鼻があり、口と顎の周りは白くて長いひげに覆われていて、頭のてっぺんには黒くて尖った小さな帽子のようなものがついており、背中には一対の黒くて大きな翼が生えていた。その魔物は鏡太朗の五メートル前で立ち止まった。
『よく見る天狗の絵と同じ姿だ……』
木葉天狗は右膝をつくと、頭を下げた。
「大天狗様、若い人間を連れてまいりました」
「ご苦労であった。鴉天狗の元へ戻るといい」
「ははっ!」
木葉天狗は深々とお辞儀をすると、さっき来た方へ飛んで行った。
大天狗は鏡太朗をじっと見つめた。
「気絶しないでここまで来た人間は、お主が初めてだ。お主……、お主は穏やかで優しい波動の持ち主だが、神の霊力……御神氣を感じる……」
『もみじさんから霊授を受けたからだ……』
「しかし、お主の深いところでは、禍々しく凶悪な闇が渦巻いている! 一体お主は何者だ?」
『俺の中に封印された十万体の悪霊のことか?』
鏡太朗は大天狗の姿を見ても怯むことなく、大天狗の顔を真っ直ぐ見据えた。
「俺は鏡太朗! さらわれたみんなを助けに来た!」
「さらわれたみんなだと? お主の上を見るがいい」
鏡太朗が見上げると、制服やテニスウェア、弓道着姿の気を失った生徒たちが、上半身に縄を巻かれて上空三十メートルを浮遊していた。鏡太朗は、生徒の中にさくらの姿を見つけた。
「さくら! みんなを一体どうする気だ! 木葉天狗と融合させて鴉天狗にするのか?」
「融合のことを知っておったか。しかし、拙者たちの目的は少し違う。我らの先祖はカラスと融合して木葉天狗となり、その一部は人間と融合して鴉天狗となった。ある時、木葉天狗が修験道の修行で神通力を身につけた山伏と融合し、その結果、拙者と同じ大天狗に進化したのだ。数々の魔力を使いこなし、肉体も飛躍的に強靭になり、その強さは鴉天狗百体に相当するこの大天狗にな!」
『こ、この大天狗、そんなに強いのか……?』
鏡太朗は緊張を覚えながら、ズボンの右ポケットから長さ十二センチに小さくしていた霹靂之大麻『四寸之霹靂』を取り出した。四寸之霹靂は柄と一緒に紙垂も同じ縮尺で小さくなっており、霹靂之大麻のミニチュアのようだった。
「天狗族には一族を守り導く大天狗が必要だが、拙者は大天狗の最後の一体なのだ。しかし、拙者の後を継ぐ大天狗を誕生させようにも、今の人間界には神通力を備えた山伏などほとんどいない。そして、天狗族の強力なリーダーである大天狗には武芸の腕前も必要であり、拙者は大天狗の強さが鴉天狗百体に相当すると言ったが、それは魔力の強さだけではなく、肉体的な強さもあっての話なのだ。
だから、この若者たちには命がけで修験道と武芸の修行をさせてから、木葉天狗と融合して大天狗になってもらい、修行しても神通力を得られなかった者には、鴉天狗になってもらう。お主たちには天狗族の未来がかかっているのだ」
「天狗族の身勝手な理由のために、みんなの人生と未来を奪うことなんて、俺は絶対に許さない! 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 霹靂之杖!」
鏡太朗は柄が杖の大きさになった霹靂之大麻『霹靂之杖』を構えた。
「ほう、杖術か? 構えがまるでなっていないが、よかろう、相手になってやろう」
大天狗は腰から木刀を抜いて、右手一本で水平に構えた。
『大天狗の全身から凄い圧を感じる……』
鏡太朗の顔中に脂汗が流れた。
「行くぞ、小僧!」
大天狗は背中の翼を羽ばたかせると、凄いスピードで鏡太朗の眼前に迫った。
『速い!』
大天狗が振り下ろす木刀を、鏡太朗は霹靂之杖で受けた。
『木刀も速い! しかも強力過ぎて、受けると両手が痺れる! はっ! 大天狗がいない!』
「どこを見ておる? 拙者はここだ!」
鏡太朗は背後から大天狗の声が聞こえて両目を見開いた。鏡太朗は慌てて後ろを向きながら後退し、霹靂之杖を構えた。
『ダ、ダメだ。俺と大天狗ではレベルが違い過ぎる……。一体どうすればいいんだ……?』
「行くぞ、小僧!」
大天狗が高速で鏡太朗の背後に回り込み、大天狗のスピードに全く反応できない鏡太朗に向かって木刀を振り下ろした。