6 消えていく生徒たち
「本当だきゃ?」
翌朝の一年三組の教室で、河童は弾ける笑顔を鏡太朗に見せた。
「うん! もみじさんが、知っていることは何でも教えてくれるって。それに直接河童くんに謝りたいんだって。河童くん、嫌な思いをさせて本当にごめん」
鏡太朗は河童に深々と頭を下げた。
「何できゃー太朗が謝るだきゃ? きゃー太朗って本当にいい奴だきゃ。水神村にはオラ以外に子どもがいなかったし、高校に入っても誰とも仲良くなれなくて、オラは今まで友達が一人もいなかっただきゃ。きゃー太朗、オラと友達になって欲しいだきゃ」
「河童くん、俺はもう友達だって思っているよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「鏡ちゃん、おはよーっ!」
廊下を歩く鏡太朗が一年一組の教室に入ろうとした時、正面からさくらと來華が歩いてきた。三人が一緒に教室に入ると、いくつかのグループに分かれた生徒たちが青ざめた表情で真剣に何かを話していた。
「何かあったの?」
鏡太朗は、目の前で立ち話をしていた男女六人の生徒たちに訊いた。
「ああ……。美術部に続いて、昨日の放課後、テニス部員三十六人が練習中にテニスコートから全員消えたんだって……。美来と来美もいなくなったんだ」
「美来と来美も?」
驚くさくらの隣では、來華が両目を見開いて呆然としていた。
『あたしたち、來華さんと友達になりたいって思ってるの』
來華の頭の中に、昨日の美来と来美の言葉と笑顔が浮かんだ。
『何でじゃ……。何で二人がいなくなってしまうんじゃ……。わしと友達になりたいって言ってくれた二人が、何でじゃ!』
來華の両目には涙が滲んでいた。
生徒たちの声が教室から漏れている廊下では、八幡先生が険しい顔で生徒たちの会話の内容に聞き耳を立てていた。
『一体どんな魔物が子どもたちをさらっている? 目的はなんだ? 念のため、その魔物のことを探ることにするか。必要ならば、その魔物は僕の手で……』
八幡先生の目が鋭い光を放った。
放課後、鏡太朗は一人で学校の玄関を出て校門へ向かって歩いていた。
「きゃー太朗!」
「え? 河童くん? どこにいるの?」
どこからともなく聞こえた河童の声に呼びかけられ、鏡太朗は立ち止まって周囲を見回し、河童の姿を探した。
「ここだきゃ!」
「え?」
河童の姿を見つけた鏡太朗の表情が固まった。河童は校門の横にある小さな池で、制服のまま仰向けになって水に浮かんでいた。その周囲にはたくさんの生徒の人だかりができていて、珍しいものを見たかのようにヒソヒソ話をしており、スマートフォンで写真や動画を撮影している生徒もいた。
「きゃー太朗も一緒に水遊びをするだきゃ!」
「お、俺……、習い事があるから早く帰らないと……」
「きゃー太朗は、オラと遊ぶのが嫌なのだきゃ……?」
河童は、今にも泣き出しそうな悲しい顔を見せた。
『そ、そんな顔されたら断れないよ……。えーい、もうヤケだ!』
「行っくぞーっ! 河童くん!」
鏡太朗は背負っていたリュックサックをその場に置くと、無理やりつくった笑顔で池に飛び込んだ。
「きゃー太朗! それっ、水攻撃だきゃーっ!」
河童は心底楽しそうに鏡太朗の顔に水を浴びせかけた。
「やったなーっ! こっちからも行くぞーっ!」
鏡太朗も引きつった笑顔で河童に水をかけ返した。大勢の生徒が見つめる中、楽しそうな河童と頑張って楽しそうにしている鏡太朗の水のかけ合いは、二時間続いた。
『ああ……見ている人たちの視線が痛い……』
カポッ!
晴れ渡った空の下、鏡太朗は全身びしょ濡れで、水が入った靴からカポカポと音を立てながら住宅街を歩いていた。道行く人々は見てはならないものを見たかのように、遠巻きに鏡太朗の姿を見ていた。
『恥ずかしい……。二時間も修行に遅れて、もみじさんはきっと怒ってるだろうなぁ。さっきお札を見たら、水に強いのは本当だったみたい。お札が何ともなくてよかった……』
「鏡太朗! 無断で二時間も遅れやがって! もう破門だ!」
雷鳴轟之神社の裏庭では、ジャージに着替えた鏡太朗が、鬼の形相で両腕を組んで立つもみじに何度も頭を下げていた。
「本っ当にごめんなさい、もみじさん」
すぐ横で縁側に座って休憩していたジャージ姿の來華が、激辛のスルメをかじりながら鏡太朗を見上げた。
「鏡太朗、もみじは今日、おしゃれなケーキを買って鏡太朗を待ってたんじゃ」
「え?」
「ラ、ライちゃん、あれは……その……、あたし一人で食べようと思っていたんだ……。それに、もしかしたら河童が今日来るかもしれないって思ってな……。河童が来たらみんなで食べようと思ったから、その……」
「ありがとう、もみじさん!」
鏡太朗は、顔を赤らめて俯くもみじに笑顔を向けた。
「おねーちゃーん!」
鏡太朗ともみじと來華が、声が聞こえてきた方を見上げると、弓道着姿のさくらの魂が、学校の方角からこちらに向かって空を飛んで近づいていた。
やがて、さくらが慌てた様子で三人の前に着地すると、もみじは即座にさくらを叱りつけた。
「さくら、また離魂之術で肉体から抜け出して! 何度も言うが……」
「おねーちゃん、たいへんなの!」
さくらのただ事ではない真剣な表情を見た三人に、緊張が走った。
鏡太朗ともみじと來華は、裏庭に立つさくらの魂の周りに集まっていた。落ち着きを取り戻したさくらは、これまでの経緯を語り始めた。
「弓道場で弓道部のみんなが交替しながら的に矢を射っていたら、三年生の先輩が突然叫び声を上げたの。そして声を震わせながら言ったの。
『ね、ねぇ、みんな。これってどういうことなの? あたしたち弓道部員は十一人だよね……? でも、ここには十二人いる……。それなのに部員じゃないのが誰なのかわからない……。どうして?』って」
三人は目を見開いてさくらの話を聞いていた。
「そうしたら、一人の男子部員が『ひゃっはっはっはっ』って声を上げて突然笑い出したの。その人が弓道部員だってことはわかるんだけど、なぜか誰なのかはわからなかった」
もみじが真剣な顔で口を挟んだ。
「さくら、恐らくそれはそいつの術だ。さくらたちに自分が弓道部員だと思い込ませる術を遣って、みんなの中にまぎれ込んだんだ」
「その人はポケットから赤い巾着を取り出して、その口を開いたの。そうしたら、巾着の中から目に見えない何かがどんどん出てくるような音がして、たくさんの鳥が羽ばたくような音が頭の上に広がったの。そして、部員の体が次々と宙に浮き上がり始めたの! まるで目に見えない何かが、みんなを捕まえて持ち上げたみたいだった。怖くて叫び声を上げる人や、固まったように声を出せない人もいた。あたしは目に見えない何かに両肩をつかまれた時、おねーちゃんたちにこの状況を伝えるために、離魂之術で肉体から抜け出してここまで飛んで来たの」
もみじは腕組しながら顎に右手を添えて考え込んでいたが、視線を上げてさくらに訊いた。
「さくらの体とみんながどこに連れて行かれたかわかるか?」
「ううん……。あたしはそのまま急いでここまで飛んで来たから」
もみじはさくらの答えを聞いた瞬間に、縁側から建物の中に上がって奥へ走っていった。
「見えない魔物……。厄介じゃな。きっと来美と美来もそいつらが……」
來華は来美と美来の笑顔を思い出し、怒りに眉を寄せた。
「いいか、作戦を伝える。急ぐぞ」
建物の奥からもみじが戻ってきた。
「まず、さくらは自分の体に戻るんだ。自分の体がある場所がわからなくても、体に戻ることを自分自身に宣言して目をつぶれば、魂は自然に体に引き寄せられていく。
ライちゃんは戦闘モードに変身して、これを持ってさくらの魂を追ってくれ」
もみじは來華にプラスチック製の黒い小さなものを手渡した。受け取った來華はそれに見覚えがあり、それが何であるかをすぐに理解した。
「これは、さくらが小学生の時にランドセルに付けていたものじゃな」
「そう、子どもの登下校時の安全を守るためのGPSだ。スマホのアプリでこのGPSの位置情報がわかる。鏡太朗はあたしと一緒に車に乗って、スマホを確認しながら、運転するあたしにGPSの方向を伝えろ。さあ作戦開始だ!」
來華の体が落雷のような閃光と轟音に包まれ、光が消えた時には戦闘モードのライカの姿で宙に浮いていた。鏡太朗は、もみじと一緒に左ハンドルの黒いSUV車のフロントシートに乗り込んだ。車の遥か上を目をつぶったさくらの魂がどこかに引き寄せられて飛んで行き、GPSを両前足で持つ戦闘モードのライカがさくらを追って飛んで行った。
「もみじさん、俺のせいだ……」
「ん?」
車の助手席に座る鏡太朗は、両手で持つスマートフォンを悲痛な表情で睨んでいた。
「俺が魔界との出入口を開いたからこんなことに……。消えた人たちに、もしものことがあったら……。取り返しのつかないことになったら……」
鏡太朗は大きな不安と自責の念で、胸が張り裂けそうなほどの苦しみを感じていた。
「……全部俺のせいだ」
「ああ、そーだ。全部おめぇのせいだ」
「くっ!」
鏡太朗は、もみじの突き放すような冷たい一言が痛いほど深く胸に突き刺さり、スマートフォンを握りしめて両目を強く閉じた。
「おめぇはどうやって責任をとる? そうやって、いじいじ後悔して自分を責めることが、自分がしたことに対して責任をとるってことなのか?」
『そ、そうだ……。後悔しても、自分を責めても、誰も助けられない! 俺が果たさなければならない責任は……』
「もみじさん、俺は絶対にみんなを助け出すよ! 俺は誰一人犠牲者を出さないことで、自分がしたことの責任をとる!」
「それでいい。それこそおめぇが果たさなくちゃならねー責任だ。後ろ向きになるってーのは、自分の責任から逃げようとすることだ。覚えておけ」
「ありがとう、もみじさん」
笑顔を取り戻した鏡太朗がもみじに向けた目には、強い力が漲っていた。
二人が乗るSUV車は、一本樹高等学校の裏手にある林に向かって薄暗くなった道路を走って行った。
林の横に停めた車を降りた鏡太朗ともみじは、暗い林を奥に向かって歩いて行った。
「もみじ、鏡太朗!」
二人の進む先では、戦闘モードのライカが宙に浮かんで待っていた。
「さくらの魂は、この中に吸い込まれていったんじゃ!」
ライカが右前足で指し示した先には、木の根元に置かれた大きなほら貝があった。長さが四十センチほどもあるほら貝には、赤い組紐がつけられていた。
「捕まったさくらの肉体が通り抜けたんだろうから、あたしたちもこの中に行けるに違いねー。行くぞ」
もみじがほら貝の下部で開いている穴に右手を差し込むと、もみじの姿はほら貝の中に吸い込まれるように消えた。
「ライちゃん、俺たちも行こう」
鏡太朗とライカの姿もほら貝の中へ消えた。