5 鏡太朗の涙
さくらと來華が縁側に座って見守る中、鏡太朗はもみじと向かい合って立っていた。鏡太朗の右手には霹靂之大麻が握られていた。
「霊授を受けたおめぇは、呼びかければいつでも雷の神様と繋がり、雷の神様の御神氣、つまり神様の霊力がおめぇに流れ込む。おめぇは、流れ込んだ御神氣を声に込めながら術の名前を口にし、雷の神様の御神氣が術として働くことを強く望み、望んだ結果になることを心の底から確信するんだ。おめぇの力ではまだまだ他の術は遣えねーが、雷の神様の力が宿る霹靂之大麻なら、おめぇがきっかけさえ与えれば霹靂之大麻自体が力を発揮してくれる。
さあ、さっきおめぇに伝えた手順で、霹靂之大麻を霹靂之杖に変化させてみろ」
鏡太朗は両目をつぶった。
『俺は霹靂之大麻を霹靂之杖に変化させたい! 俺は絶対にできるんだ!』
鏡太朗は目を開いて叫んだ。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 霹靂之杖!」
四人の間に沈黙が流れた。霹靂之大麻には何も変化がなかった。
「ダメだ……。やっぱり俺には神伝霊術は遣えないのか……」
「鏡太朗、霹靂之大麻を杖に変化させるってーことは、強く望むことが難しいだろ? 杖になった霹靂之大麻を使ってしたいことを強く望んでみろ」
『そ、そうだ! 俺は霹靂之大麻でさくらやライちゃん、学校のみんなを守るんだ! 俺は絶対に霹靂之大麻を使いこなすんだ! 俺はみんなを守るために、絶対に、絶対に霹靂之大麻を大きくするんだああああああっ!』
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 霹靂之杖!」
霹靂之大麻は鏡太朗の右手の中でどんどん大きくなり、鏡太朗は歓喜した。
「やったーっ、できたぞ! ……え?」
霹靂之大麻は杖のサイズになっても止まることなく大きくなっていき、重さに耐え切れなくなった鏡太朗は霹靂之大麻を手放した。
「お、おめぇ何やってんだーっ?」
霹靂之大麻は、鏡太朗の隣に電柱のサイズで転がっていた。縁側では、さくらと來華が微妙な感心顔を浮かべていた。
「鏡ちゃんって……ある意味凄いかも……」
「同感じゃ……」
「鏡太朗、早く霹靂之大麻を小さくするんだ!」
もみじが鏡太朗を怒鳴りつけた。
『お、俺は霹靂之大麻をいつでも持ち歩いて、さくらやライちゃん、学校のみんなを守るんだ! 俺は霹靂之大麻を小さくしたい!』
鏡太朗は倒れた電柱のような霹靂之大麻に右手を当てた。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 四寸之霹靂!」
鏡太朗の横で、霹靂之大麻がどんどん小さくなっていった。その様子を見ていた來華がさくらに訊いた。
「さくら、四寸ってどんな長さ何じゃ?」
「一寸は3.0303センチだから、12.1212センチ……、約十二センチだよ」
霹靂之大麻は長さ十二センチになっても、さらに小さくなっていった。
「何やってんだ鏡太朗―っ!、小さくなり過ぎて見えなくなっちまっただろーが! みんな、探せ! 早く見つけろ! 間違っても踏むんじゃねーぞ!」
雷鳴轟之神社の裏庭にもみじの怒声が響いた。
「疲れた……」
「鏡太朗、それはこっちのセリフだああああああああっ! おめぇが霹靂之大麻を長さ三ミリにしちまったから、見つけるまでに一時間もかかっただろーがああああああああああああっ!」
縁側でぐったりして座る鏡太朗を、隣に座るもみじが怒鳴りつけた。もみじの隣で來華と並んで座っているさくらが、微笑みながらもみじに言った。
「でも、おねーちゃん。鏡ちゃんって霹靂之大麻をあ〜んなに大きくしたり、小さくしたりして、凄いんじゃない?」
「ああ、凄すぎて、神伝霊術を教えるのはもう止めよーか迷っているところだ」
もみじが冷たい視線を鏡太朗に向けて言うと、鏡太朗はすがるような目でもみじに向かって叫んだ。
「そ、そんなーっ! もみじさん、お願いだから不器用な弟子を見捨てないで!」
「ごめんくださいだきゃ!」
「ん? 社務所の方から声が聞こえたな。誰か来たみてーだ」
縁側から建物の奥へ歩いていくもみじを見つめながら、鏡太朗が呟いた。
「この声……、もしかして……」
「てめぇーっ、何を企んでやがる?」
鏡太朗とさくらと來華が社務所に向かって廊下を歩いていると、もみじの怒鳴り声が聞こえてきた。
「あーっ、やっぱり河童くんだ。もみじさん、何を怒っているの?」
鏡太朗たちが玄関に着いた時、もみじの前には困った顔で立ちすくむ制服姿の河童がいた。
「オ、オラ……、ただ……、海の中にある魔界との出入口の場所を知りたいだけで、何も企んでいないだきゃ……」
「おめぇ『超絶美し過ぎる魔物ハンター』として、渋谷で華麗に活躍してきたこのあたしをナメんじゃねーぞ! うまく変身しているが、おめぇは魔物だ! 間違いねぇ! おめぇからは魔物特有の霊力、つまり魔力を強く感じるんだ!」
「え? 河童くんが魔物……?」
「この前魔界からやってきた魔物は、おめぇなのか?」
「オ、オラ、水神村で生まれ育っただきゃ。魔界なんて、行ったことないだきゃ……」
「おめぇ、人間に危害を加えるつもりなら、今この場で退治してやるから覚悟しろ!」
「も、もみじさん、落ち着いて! 河童くんの話を聞いてあげて」
河童は何かに耐えるように俯くと、ポロポロと大粒の涙を流し始めた。
「オ、オラ……、訊きたいことがあっただけなのに……」
「河童くん!」
鏡太朗は、泣きながら走って帰っていく河童の背中に呼びかけたが、河童は振り返ることなく、鳥居をくぐって階段を駆け下りていった。
「……ったく、魔物が訪ねて来るなんて油断できねーな!」
もみじは鼻息荒く、吐き捨てるように言った。
「もみじさん、酷いよ! 酷過ぎるよ!」
鏡太朗は目に涙を溜めながら、もみじを真っ直ぐ見つめて叫んだ。
「河童くんは、もみじさんに訊きたいことがあるだけって言ってたじゃないか! 河童くんの話も聞かずに、一方的に何かを企んでるって決めつけて、河童くん、とても傷ついていたよ!」
鏡太朗の目から涙が溢れ出した。しかし、もみじは冷たく言い返した。
「あめーな! あいつは魔物なんだ。ぜってーに間違いねー!」
「魔物だったら何なのさあああああああああああっ!」
もみじは、予想もしていなかった鏡太朗の剣幕にたじろいだ。
「河童くんが人間なのか魔物なのかは、俺にはわからない。でも、人間だっていい人もいれば、悪い人もいるじゃないか! 魔物だから悪い、何かを企んでいるって決めつけるなんて、偏見だよ! 差別だよ! そんな風に考えるもみじさんは最低だよ!」
もみじに向かって叫ぶ鏡太朗の目から、止まることなく涙が溢れていた。鏡太朗の後ろから、さくらが強い眼差しをもみじに向けた。
「おねーちゃん、あたしも鏡ちゃんと同じ意見だよ」
「さくらまで……」
さくらの隣で、來華が真っ直ぐもみじを見据えた。
「もみじ、わしも魔物じゃ。わしは魔物だから悪いことをしているか? 何かを企んでいるか?」
來華の言葉が胸に刺さったもみじは、視線を下げて穏やかに語り出した。
「ライちゃん……。そうだな。確かにさっきのはあたしが悪かった。魔物ハンターとして、人間界に棲みついている危険な魔物と闘い続けてきたせいで、知らない魔物に対する警戒心が強過ぎたようだ」
もみじは顔を上げると、鏡太朗に真摯な表情を向けた。
「鏡太朗、頼みがある。明日学校で、あたしが謝っていたとあの子に伝えて欲しい。そして、直接あの子に謝りたいから、近い内にここへ連れてきてくれ。お詫びに、あたしが知っていることなら何でもあの子に教えよう。もちろんタダでな」
「ありがとう、もみじさん!」
大粒の涙を溢しながら輝く笑顔を見せた鏡太朗を、さくらと來華は潤んだ瞳でじっと見つめていた。