4 いつでも大好きなものを
放課後、さくらは一人で校舎から校門に向かって歩いていた。その顔は嬉しそうに輝いていた。
『弓道部の練習がミーティングだけで終わって、こんなに早く帰れるなんてツイてるな! 今日こそ、あたしもおねーちゃんに神伝霊術を習うんだっ! あたしだって、鏡ちゃんやライちゃんと一緒に学校のみんなを守るんだからっ!』
「佐倉さくらさん?」
さくらが振り返ると、八幡先生が爽やかな笑顔で立っていた。
「あ、八幡先生!」
さくらは八幡先生と並んで住宅街を歩いていた。
「佐倉さんは成績が学年トップで、スポーツも万能なんだってね。凄いなぁ。どうしたら、何でもうまくできるの?」
「べ、別に凄くはありません。あたし、小さい頃にとっても辛い出来事があって、毎日家に籠って泣いてばかりだった時があって……。そんな時、泣いているあたしに優しく声をかけてくれた人がいて……」
さくらは鏡太朗の顔を思い浮かべて微笑んだ。
「その人はとても優しくて、そばにいると優しさに包まれているように感じるんです。
そして、ある時気づいたんです。あたしの人生には、辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、幸せを感じることも、大好きな人やものも、色んなものがいっぱいあって、その中のどれを見て生きていくのかは、あたしが選べるんだって。だったら、あたしはいつでも大好きなものを、楽しいものを、嬉しいものを見ていこうって決めたんです。
だからあたしは、勉強も、スポーツも、どんなことだって、その中に好きな部分を見つけて、全部のことを楽しんでやろうって思っているんです。そう考えたら勉強もスポーツも大好きになって、楽しくなってきて……。あたしは好きなことを楽しんでいるだけで、全然凄くはないんです」
「ふーん。そんな風に考えられるのって、やっぱり佐倉さんは凄いよ」
八幡先生はさくらの言葉に感心しながら、柔和な笑顔をさくらに向けた。
「先生、あたしの家、この長い階段の上にある神社なので、ここで失礼します」
さくらは八幡先生にお辞儀をすると、階段を軽快に駆け上がっていった。八幡先生は満足そうな微笑みを浮かべながら、さくらの後ろ姿をずっと見つめていた。
雷鳴轟之神社の裏庭で、ジャージ姿の鏡太朗が半身になって杖を頭の上から腹部前方へ斜めに構え、もみじと向かい合っていた。もみじは穂先を上にした箒を両手で握って鏡太朗と同じ構えで立っており、手にしている箒は銀色に着色され、柄の表面はラインストーンで覆われていた。
「もみじさん、その箒だと、持ち手の位置を変化させづらいんじゃない?」
「確かにな。だが、心配はいらねー。おめぇが相手だったら、これくらいハンデにもならねーよ。さあ、かかって来な!」
「行くよ!」
鏡太朗は次々ともみじに向かって杖を振り、突いたが、もみじは容易く足捌きでそれを避けたり、箒で杖を打ち払っていった。
『俺ともみじさんじゃあレベルが違い過ぎる! 俺の杖はかすりそうにもない!』
もみじは鏡太朗と距離をとり、再び箒を構えて立った。
「鏡太朗! おめぇ、あたしに杖が当たってしまうことを恐れているだろ? ビビるんじゃねーよ。心配するな、おめぇの杖は絶対にあたしには当たらねー。あたしの腕前をナメんじゃねーぞ。本気でかかって来い!」
『確かに俺は、もみじさんに杖が当たってしまうことが怖い……。俺は人を傷つけたり、痛い思いをさせることが大嫌いなんだ。でも、俺がもみじさんに杖を当てるなんて、絶対に無理だよな。よし、もみじさんを信じて本気で行くぞ! え?』
鏡太朗の目の前では、もみじが箒の柄を右手で軽くつかんで棒立ちになっていた。箒の穂先はもみじの右後方の地面の上にあった。
『棒立ち……? もみじさんが隙だらけだ。よし! 今最大のスピードで打ち込めば、もしかしたらいい線までいけるかも……』
鏡太朗は全速力で前進しながら、もみじに杖を振り下ろした。
「ヤアアアアアアアアアッ! え?」
両目を見開いた鏡太朗の頬を一筋の冷や汗が伝った。いつの間にか、箒の穂先が鏡太朗の後頭部すれすれに静止していた。鏡太朗の杖の先は地面に突き刺さり、鏡太朗の体は前のめりになってバランスを崩していた。
『昨日のもみじさんの杖も速かったけど、今のは次元が違う……。箒が瞬間移動したみたいに、いつの間にか俺の頭の後ろに……』
「いーか、鏡太朗。杖は前と後ろを入れ替えながら使うことができる。今みてーに、相手の全力の攻撃を受けた勢いを利用して杖を半回転させて打てば、相手の攻撃が速ければ速いほど、こっちも速く相手を打てるんだ。覚えときな」
「ただいま~っ! おねーちゃん、今日は部活が早く終わったから、あたしにも神伝霊術を教えてーっ!」
ジャージに着替えたさくらが裏庭に姿を現した。
三人から少し離れた場所には、高さが百八十センチほどある杭が何十本も立っており、耳が大きいキツネのような姿の戦闘モードに変身したライカが、凄いスピードで杭をすり抜けながら飛び回っていた。
「もみじ! わし、本気のスピードで飛んでも杭にぶつからなくなったんじゃーっ!」
鏡太朗とジャージ姿の來華が縁側に腰をかけている前で、もみじとさくらが向かい合って裏庭に立っていた。
「さくらには、母上から学んだ式神を遣う術を伝える。式神ってのはな、術で誕生させる家来のような存在だ。式神のつくり方は流儀によって色々あるんだが、母上が伝えた方法ではこれを使う」
もみじは、右手に持っていた瓢箪をさくらの目の前に突き出した。
「これは『式神之種子』と言ってな、ご先祖たちが長年かけて膨大な霊力をこの中に蓄えてきた貴重なものだ。この式神之種子にさくらがイメージする式神の姿形と性格、能力を与えて、さくらが望む式神をつくるんだ。
あたしは五歳の時に五体の式神たちをつくったんで、ちょっと子どもっぽい奴らになっちまったが、まあご愛敬ってーもんだ。ちなみに、ご先祖が残した式神之種子はこれが最後の一つだ。失敗はできねー。どんな式神をつくるのか、よく考えるんだ」
「ええーっ、もみじさん、六個しか残っていない式神之種子を一人で五個も使ったのーっ? まさか、またお父さんとお母さんに黙って勝手に……?」
「鏡太朗、うっせーぞ! 子どもの頃、式神の戦隊ヒーローをつくろうと思っちまっただけだ! 子どもらしいかわいー発想じゃねーか! まあ確かに、母上に無断で使っちまって、後でめっちゃ怒られたが……」
「おねーちゃん、あたしの式神のイメージが固まったよ」
「よし! 式神をつくる術を教えてやる」
鏡太朗ともみじと來華が縁側に座って見守る中、さくらは右手に瓢箪を持って立っていた。
「古より月を司りし月光照之命よ! その御力により式神之種子に姿形を与え給え!」
さくらは目をつぶって額に瓢箪を当てながら意識を集中し、その隣でもみじが術のアドバイスをした。
「さっき伝えた通り、さくらが思い描く式神のイメージを、眉間にある意識の中枢から月の神様の波長の御神氣に乗せて式神之種子に送るんだ。式神は宇宙から膨大な霊力を集めて術を遣うことができる。さくらがリアルに思い描くことができる能力なら、大抵のことは実現できる」
さくらはしばらくの間瓢箪に念を送り続けると、突然両目を開いた。
「式神之生誕!」
さくらは叫びながら、足元にあった大きな石に瓢箪を叩きつけて割り、割れた瓢箪からは白い煙が立ち上った。
「いよいよ、さくらがつくった式神が見られるんじゃな」
「どんな式神なんだろう……。え?」
白い煙が消えた後、瓢箪の破片のそばには、等身大のコアラのぬいぐるみが立っていた。
「きゃーっ、かわいーっ! あたし、こんなぬいぐるみが欲しかったのおーっ! あなたの名前は『コアちゃん』よっ! コアちゃん、よろしくねっ!」
「さくら殿、これからお世話になります。不束者ですが、よろしくお願いします」
コアちゃんは小さい声でそう言うと、ペコリとお辞儀をして、大喜びしているさくらと苦笑している三人の前から消えてしまった。
「コアちゃん?」
「さくら、心配ない。コアちゃんは体も心も持たない元の霊力の塊に戻って、いつでもさくらの周囲を漂っているんだ。必要な時はいつでも呼び出すことができる。後でその術を教えてやる。ただし、式神は実体化する時に霊力を著しく消耗するから、回復して再び呼び出せるまでに二十四時間以上かかるんだ。
さあ、次は鏡太朗だ。大人になったら、ちゃんと授業料を払えよ」