3 不思議な転校生と教育実習生
鏡太朗は、誰もいない朝の学校の廊下を歩いていた。
『よし! 今日もみんなが登校する前に、呪いのロッカーに異常がないか確認するぞ。もう魔物は来ないで欲しいな……』
鏡太朗は一年一組の教室の戸を開いた。
「え? 誰?」
扉が開いた呪いのロッカーの前で、一人の男子生徒がしゃがみ込んでロッカーの奥を覗き込んでいた。鏡太朗は驚いて思わず大声を出した。
「だ、誰なの君はーっ?」
男子生徒はロッカーの扉を閉めると、立ち上がって鏡太朗に笑顔を向けた。その男子生徒は小柄で痩せており、目が大きな可愛い顔立ちをしていた。髪の毛は全体的に外側に大きくはねており、まるでシャンプーハットをかぶっているような髪型だった。
「オラは一年三組のカワワラワ タロウだきゃ。水神村という離れた場所に住んでいて、今まではじーちゃんに車で送ってもらって、村から片道二時間かけて離れた高校に通っていたけど、この町に引っ越してきて、昨日この学校に転校してきたんだきゃ」
カワワラワと名乗ったその生徒は黒板まで歩いて行き、白いチョークで『河童太郎』と書いた。
「漢字ではこう書くだきゃ」
「お、俺は一年一組の屍鏡太朗……。よ、よろしくね……。か、河童くんは、こ、ここで何をしてたの?」
「魔界との出入口が開いているだきゃ」
「ま、ま、ま、魔界って……、ど、ど、ど、どうしてそのことを……?」
河童が冷静に口にした一言を聞いた鏡太朗は、見る見る顔が青ざめていき、額から冷や汗が流れ続けた。
「ん? きゃー太朗も魔界のことを知っているだきゃ? きゃー太朗、海の中にある魔界との出入口のことを知らないだきゃ?」
「え? 海の中……? えええーっ! 魔界との出入口って、ここ以外にもあるのーっ? どうして河童くんは魔界との出入口のことを知っているの?」
「小さい頃からじーちゃんに聞かされてきただきゃ。今は興味があって調べているだきゃ。きゃー太朗、魔界との出入口のことに詳しい人を知らないだきゃ?」
「さくらのお姉さんのもみじさんなら詳しいと思うけど……。雷鳴轟之神社の神主さんなんだ」
「雷鳴轟之神社の神主さんだきゃね。ありがとーだきゃ!」
河童は笑顔で一組の教室から出て行った。
『佐倉家の人以外にも、魔界との出入口のことを知っている人がいたなんて。そういえば、昔は魔界との出入口が世界中にたくさんあったって、もみじさんが言ってたっけ……』
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます」
一年一組の教室に四十代後半の眼鏡をかけた男性の担任の先生が入ってきて、生徒たちと挨拶を交わした。
「これから朝のホームルームを始めます。まず、みなさんにお話しすることがあります。昨日の放課後、美術部の部員十二人が部活動の最中に、かばんや外靴を置いたまま突然姿を消しました」
生徒たちはざわつき始めた。鏡太朗とさくらと來華は、不安そうにお互いの顔を見合わせた。
「部活動の時間中に、美術室の方から悲鳴が聞こえたと証言する生徒もいます。みなさんもどんな小さなことでもいいので、何かを知っている人がいれば先生に教えてください。それから、今日は捜索のために警察の人たちが学校を出入りします。
話は変わりますが、今日から二週間、教育実習の先生がこのクラスに入ります。受け持ちは僕と同じ国語になります。八幡先生、教室に入って」
廊下から教室に入ってきた八幡先生を見た生徒たちは、再びざわつき始めた。八幡先生は鎖骨の下まで髪を伸ばした二十代前半の優しそうな男性で、頭の左側の斜め半分が包帯で覆われており、左側の目と耳は包帯で隠れていた。右肘から先はギプスで固定されて三角巾で肩から吊られており、スラックスの上に白いタンクトップを着て、肩に上着を羽織っていた。
「教育実習生の八幡です。昨日階段から落ちて怪我をしてしまい、こんな姿です。Yシャツや上着が着られないので、こんな格好ですみません。これから二週間よろしくね」
八幡先生は優しく微笑んだ。
昼休みの一年一組の教室では、生徒たちが友達同士で集まって話をしていた。
「あたし弓道部を辞めようかなって考えてるの」
窓際に立つさくらが、向かい合って立っている鏡太朗と來華に言った。鏡太朗は驚いてさくらに尋ねた。
「え? どうして?」
「だって、あたしも神伝霊術の修行がしたいの! あたしだって危険な魔物からみんなを守りたいんだからっ!」
さくらは情熱的に目を輝かせながら、力強く言った。
「ねぇ、ねぇ、さくら」
二人の女子生徒が三人に近づくと、さくらに声をかけた。
「なあに? 美来、来美」
「來華さんって、さくらの従妹なんでしょ? 來華さんって凄く可愛くて、あたしたち、來華さんと友達になりたいって思ってるの。でも……、來華さんって恥ずかしがりやさんなのか、話しかけてもずっと黙っていて、なかなか仲良くなれないから……。ねぇ、次の日曜日、來華さんとさくらとあたしたちの四人で、どこかに遊びに行かない? どうかな……?」
來華は少し怯えたような表情で、さくらの背後に隠れた。
「美来と来美はテニス部だったよね? 部活はないの?」
「うん。次の日曜日は部活がないんだ! ねー來華さん、一緒に遊ぼーよ! あたしたち來華さんと仲良くなりたいの!」
クラスの男子生徒の大半が、さくらたちの様子を見ながら話をしていた。
「佐倉さくらってめっちゃ可愛いけど、佐倉來華もめっちゃ可愛いよな」
「ああ、可愛過ぎだって! でも、佐倉來華が喋ってるのを聞いたことがないんだけど、どんな喋り方で、どんな声なんだろう? 転校してきた日の挨拶だって、みんなの前で会釈しただけだったしな。やっぱ、喋り方もめちゃめちゃ可愛いんだろうなぁ……」
「ねぇ來華さん、一緒に遊ぼうよーっ!」
「あたしたちと友達になるのは嫌?」
來華は美来と来美の誘いに激しく動揺していた。
「い、いや……、わ、わしは別に……」
突然、教室の中が静まり返った。しばらくして生徒たちが一斉にざわつき始めた。
『し、しまった……。つい『わし』と言ってしまった……』
來華と鏡太朗とさくらは、一瞬で変わってしまった教室の雰囲気に狼狽した。
「お、おい……、き、聞いたか……?」
「あ、ああ……、今、確かに佐倉來華が自分のことを『わし』って言った……」
男子生徒たちは驚きの表情で顔を見合わせた。
「あの超絶美少女の佐倉來華が、自分のことを『わし』って言うなんて……」
「あ、あの可愛過ぎる顔で……『わし』だなんて……、『わし』だなんて……、めっちゃ可愛いーっ!」
「だよなーっ! 方言女子って、めっちゃキュンキュンするよなーっ!」
「佐倉來華! 言葉遣いまで可愛過ぎるぞーっ!」
美来は笑顔で來華に声をかけた。
「あたし、ますます來華さんと友達になりたくなっちゃった! 來華さん、さくら、日曜日に四人で遊びに行くこと考えてみてね!」
鏡太朗と來華は、笑顔で離れていく美来と来美を見つめながら胸を撫で下ろし、さくらはホッとした笑顔を來華に向けた。
「何だか、いつも通りのライちゃんの喋り方でいいみたいだねっ!」
「さくらの言う通りだよ! 無理して周りの言葉遣いに合わせなくても、いつものままのライちゃんでいいんだよ!」
「いつも通りでいいのか? あの地獄のような修行はもうしなくていいんじゃな?」
來華の表情が笑顔で明るく輝いた。
その時、八幡先生が教室の中に入ってきて、近くにいた男子生徒たちに話しかけた。
「君たちって、学校が終わったらいつも何をしているの?」
「え? 俺はゲームをしていることが多いかな……」
「ゲーム? 君ってナウいねーっ! ゲームってスペースインベーダー? それともブロック崩しかな?」
「先生、『ナウい』ってどういう意味?」
「スペースインベーダーとかブロック崩しって何?」
「ええーっ! 君たち知らないのーっ?」
「あーっ、俺聞いたことある! 『ナウい』とか、スペースインベーダーとか、ブロック崩しって、確か一九八〇年前後に大流行した言葉とゲームだよ。先生っていつの時代の人なの?」
「え? い、今の子どもは知らないのーっ? えーっと……、せ、先生は古い時代の物が大好きなんだよ。ははははは……。ところで先生は君たちのことをもっと知りたいんだけど、そうだな……たとえば君たちの中で一番勉強ができる人は誰? 運動神経や身体能力が優れているのは誰?」
「勉強も、運動神経も、身体能力も、やっぱ佐倉さくらが凄くね?」
「そうそう! 新入生テストは全教科満点で学年トップ! しかも、どんなスポーツでも、全国大会出場選手と互角に渡り合う超絶運動神経と身体能力! おまけに超激カワ!」
「ふーん……、佐倉さくらさんね……。あそこにいる桜の花の髪飾りをつけている女の子だよね? 覚えておくよ」
八幡先生は微笑みながら、窓際で鏡太朗と來華と一緒に談笑しているさくらの笑顔をじっと見つめた。