2 神伝霊術の修行開始
「エイッ! エイッ! ヤアアアアアアアーッ!」
雷鳴轟之神社の裏庭に気合が響いていた。無数の倒木を背にして、ジャージ姿の鏡太朗が杖と呼ばれる長さ百三十センチほどの木の棒を振り回していた。鏡太朗は軽快な足捌きで移動しつつ、手を滑らせるようにして杖を持つ位置を変化させ、時々杖を半回転させて杖の前後を入れ替えながら、気合とともに杖を振り出したり、突き出していた。
「うん! 少しはマシな動きになってきたな」
鏡太朗の背後に立つ神主姿のもみじが、腕組をしながら満足そうに鏡太朗の動きを見つめていた。
「ねぇ、もみじさん。佐倉家に伝わる杖術を教えてくれるのはありがたいけど、杖術を覚えても、杖はいつも持ち歩くことはできないよ。いざという時に使えないんじゃない?」
鏡太朗ともみじは裏庭に面した縁側に並んで腰かけながら、お茶をすすり、串団子を食べていた。鏡太朗のもう一方の隣には、高校の制服を着た來華が激辛せんべいを手にして疲れ切った顔で座っていた。
「ライちゃん、随分疲れているね……。ライちゃんの修行って相当きついの?」
「ああ……、人間界にこんなに恐ろしい修行があるとは思ってもみなかったんじゃ」
「……が、頑張ってね……、俺も俺の修行を頑張るから……。それはそうと、ライちゃんって本当に甘いものが苦手なんだね。いつも激辛のものばかり食べてる」
「わしら雷獣族は、辛い刺激がないと食べた気がしないんじゃ」
「ライちゃんは、さくらがつくる料理にも激辛の唐辛子をめっちゃ入れてるもんな。
鏡太朗、さっきのおめぇの質問だがな、あたしはおめぇに神伝霊術の一部の術だけを伝えるって言ったよな? 短期間でおめぇを強くするためには、霹靂之大麻の力を借りるしかねーんだ。霊力をコントロールして雷を出現させる術だと、基本の一条之稲妻ができるまでに数年の修行が必要になるからな。いいか、見てろよ」
もみじは横に置いてあった霹靂之大麻を手にして立ち上がると、座っている鏡太朗と向かい合った。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 霹靂之杖!」
突如、鏡太朗の右こめかみを強烈な風圧が襲った。突然の出来事に身動きできずにいた鏡太朗が視線を右に向けると、こめかみから十センチの位置に杖の先端が静止しており、その杖はもみじが両手で握っていた。
次の瞬間、たくさんの紙が振れる音がしたかと思うと、長さ十八センチの紙垂がついた杖の反対側の先端が、鏡太朗の左のこめかみの手前十センチの位置で静止していた。
「は、速過ぎて身動きできなかった……。え? もしかして、もみじさんが今持っている杖って……」
「そうだ、霹靂之大麻だ。雷を材料にしてつくられたと言われる霹靂之大麻は、霊術で大きさを変えられるんだ。柄の部分が大きくなって杖の形状になった霹靂之大麻のことは、霹靂之杖とも呼ぶ。もっとも、あたしが霹靂之大麻を霹靂之杖として使ったのは、今が初めてだけどな」
「あー、もみじさんは霹靂之大麻で悪さをしたから、お父さんから使うことを禁止されてたんだっけ?」
「うっせー、その話はするんじゃねー! いいか、おめぇは霹靂之大麻を杖として使い、天地鳴動日輪如稲妻で止めを刺す闘い方を身につけるんだ。いいな? 霹靂之大麻は小さくして常に持ち歩けばいい。本当は霹靂之大麻で使える術は他にもあるらしいんだが、あたしは習うことができなかった」
「もみじが霹靂之大麻で悪さして、ここにある木を全部倒したから、とーちゃんから教えてもらえなかったんじゃな?」
「ライちゃんまで……。よし休憩は終わりだ! 次の修行を始めるぞ!」
縁側に置かれた木のイスに鏡太朗が座っており、その後ろにもみじが立っていた。
「今度は神伝霊術の最重要の基本訓練である『霊授』を行う。
霊授を行うこの方法は、あたしが高校を卒業する直前に父上の師であるばあ様から伝授されたものだ。ばあ様はあたしの師は父上と母上だと言って、術は一切教えてくれなかったが、他者に神伝霊術を伝えるための霊授の方法だけは教えてくれた。長い歴史の中で、失伝した術や変化してしまった術はこれまでにもあっただろうから、そこは目をつぶるとしても、神伝霊術そのものの伝承が途絶えることは避けたかったんだろうな」
もみじは、優しく微笑む祖母の姿を思い出し、幸せそうな、それでいて寂しそうな笑顔を見せたが、気持ちを切り替えて説明を始めた。
「霊力は宇宙のあらゆる場所に存在し、人の心や体の中では生命エネルギーとして働いているんだが、霊術を遣うためにはそんな量の霊力じゃあ全然足りねー。膨大な量の霊力を集めてコントロールすることが必要になるんだ。
これから霊授でおめぇに霊力を注入し、霊力が心身に大量かつスムーズに流れるようにする。おめぇは目と口を閉じて、両手を胸の前で合わせていろ。人間の体からはな、目と口と手から生命エネルギーが外部に放出されてんだ。そこを塞がねーと、霊力を注入してもどんどん漏れちまうから、霊授の効果が出ねーんだ。
人はケンカをする時、睨み合い、ののしり合い、つかみ合ったり、殴り合ったりするだろ? あれはな、お互いに生命エネルギーをぶつけ合っているんだ。恋愛で見つめ合ったり、キスをしたり、手を繋ぐのは、好きな人と生命エネルギーを交流させたいって感じるからなんだろうな。
それから足の裏は地面にぴったりつけること。霊力を注入すると、心身に溜まっていた汚れたエネルギーが足の裏から排出される。いいか、始めるぞ」
鏡太朗は両目と口を閉じて、胸の前で両手を合わせた。もみじはその後ろに立って右手の人差し指と中指で空中にジグザグ模様を描き、『天翔迅雷之命』と三回唱えた。
「霊力には色んな種類と波長があるんだ。呪いの力や魔力だって霊力の一種なんだぜ。神様の霊力については御神氣とも呼ばれるんだが、神様ごとに独自の波長になっていて、神伝霊術を遣うためにはな、自分の霊力を力を借りる神様の波長に合わせる必要があるんだ。霊授には、力を借りる神様の御神氣とのチューニングを行う目的もあるんだ。これから雷の神様の波長の霊力を注入するぞ」
もみじは左掌を鏡太朗の頭のてっぺんに置き、左掌の十センチ上に右掌をかざした。
『もみじさんの手から、何かのエネルギーが波長の高い音と一緒に俺の体に広がって、俺の全てを満たしていくのを感じる……。とても心地いい……』
鏡太朗は両脚全体にだるさを感じるとともに、足の裏に痛みを感じ始めた。
『脚全体が重だるくて、足の裏が痛い。俺の心身から汚れたエネルギーが排出されているのだろうか?』
やがて、脚のだるさと足の裏の痛みが消えると、鏡太朗の脳裏に何かの映像が見えてきた。
『脚の重だるさと足の裏の痛みが消えたら、何かのビジョンが見えてきた。これは……紫色の雲だ。そこから銀色に光る雨が降っている……』
鏡太朗が見ている映像が突然変わり、大きな扉が見えてきた。その扉は開いたり閉じたりを繰り返しており、開いた時にはその向こう側に宇宙空間が広がっているのが見えた。
『……ヘキ……レキ……ノ……イタ……ガ……コ……イ』
『え? 扉の向こうの宇宙から声が聞こえる。男の人と女の人が声を合わせて言っているみたいだ』
『……ヘキ……レキ……ノ……イタ……ガ……コ……イ』
『ヘキレキノ……イタ……ガコイ? そうだ! 『ヘキレキノイタガコイ』って言っているんだ!』
もみじは鏡太朗の両肩、額と後頭部、両足の甲にも両掌を置いて霊力を注入すると、最後に眉間と胸の中心、下腹部にある生命エネルギーの中枢に、強く息を吹きかけて霊力を注入した。
「目を開けていーぞ。終わった」
「凄くリラックスしていい気分……。ねぇ、もみじさん。霊授の最中『ヘキレキノイタガコイ』って声が聞こえたんだけど、何のことだろう? 男の人と女の人が一緒に言っているみたいな声だった」
「聞いたことねーな。でも、雷の神様って、男女一組の夫婦の神様なんだ。だから縁結びの神様でもあるんだが……。もしかしたら、雷の神様からのメッセージかもしれねーな。何か意味があるかもしれねーから、覚えておくことだな」
「ただいまーっ!」
制服姿のさくらが笑顔で裏庭に姿を現した。
「やっと部活が終わったよっ! おねーちゃん、これから晩ごはんをつくるね。あ、鏡ちゃん、イスに座って霊授を受けていたんだね。あたしも三歳か四歳の頃、おかーさんから月の神様と繋がる霊授を受けたんだよ。あれ? ライちゃんは?」
「ライちゃんは、今日も自分のことを『あたし』って言う修行中だ……」
もみじは左手で頭を抱えながら、右手で縁側の奥の和室を指差した。その先では、強張った顔の來華が脂汗をかきながら、畳の上に正座していた。
「あ……、あ……、あた……、あた……、あた……、あたた……、あたたたたたたあああああああああああああああーっ!」
來華の様子を見た三人は苦笑いをした。
「それにしても、あたしがライちゃんの転校の手続きをしに学校へ行った時、魔界から魔物がやって来た可能性が高いんだ。教室に行ったら、呪いのロッカーの扉が開いていたからな。あれから一か月……何の動きも見えねー。やって来たのが危険な魔物じゃなければいーんだが……」
もみじの言葉を聞いた鏡太朗とさくらと來華は、不安で表情が曇っていった。