11 ライカの叫び
黄緑色の空では、仰向けの姿勢をとっているもみじの落下スピードがどんどん加速し続けており、もみじは強烈な風圧で顔が歪み、髪や服は激しくはためき、履いていた雪駄は足から離れて空の彼方へ吹き飛んで行った。もみじは、視界の先で段々近づいてくる地表を必死の形相で睨んだ。
『一体どうすりゃいいんだ? さっきはハッタリで高い場所から落ちても助かる術があるなんて言ったが、本当は打つ手なんて全くねぇ! どうすりゃいい?』
鴉天狗と木葉天狗が、頭から落下しながらもみじに接近してきた。鴉天狗がもみじに蹴りを放ち、もみじは体を捻ってかわしたが、錐揉み状態になって悲鳴を上げながら吹き飛んだ。
『あ、あいつ、こんな状況で闘う気か? 落下するスピードがどんどん上がっていく……。スカイダイビングの落下速度の世界記録は、マッハ1.24だって聞いたことがあるな……。あの異常な高さと寒さから考えて、恐らくあたしも同じくらいの高さから落とされたに違いねぇ。あたしの落下速度も最終的には音速を超えるだろう。超高速で何かが体に当たったらただじゃ済まねぇ。霊力を接触部分に集中させて、体を守るんだ!』
激しい風圧で顔が歪み続けながら、もみじは決死の表情で自分に言い聞かせた。
鴉天狗は頭から高速で落下しながらもみじに接近すると、鋭い爪の突きと蹴りを連続して放ち、もみじは必死にそれを防いだ。
『強烈な風圧を全身に受けて動きにくい上に、空中を高速で落下してる状態じゃあ思うように移動ができねぇ! 空中を自由に動き回れるあいつの方が有利だ』
「うわあああああああああああああっ!」
鴉天狗の蹴りが腹部に当たったもみじは、空中を大きく吹き飛んだ。もみじは何とか体勢を整えると、背中の翼を羽ばたかせて接近してくる鴉天狗を睨んだ。
『攻撃を受けた部分に霊力を集中して、ダメージを最小限に抑えるんだ!』
鴉天狗はもみじまで一気に間合いを詰めると、連続して突きと蹴りを繰り出し、もみじは激しく鴉天狗と打ち合っていたが、鴉天狗の指先の爪や足が体中に何十発も当たっていた。空中で闘い続けるもみじと鴉天狗は、激しい風圧を全身に受け続けながら、ますます加速して落下していった。
やがて、鴉天狗はもみじと距離をとって口を開いた。
「霊術遣いよ! 吾輩に勝ったとしても、お前を待っているのは確実な死だ。お前が助かる方法は一つしかない。そこにいる木葉天狗と今すぐ融合することだ。それ以外にお前が生き残る術はない」
もみじは、さらに加速しながら地表に向かって急降下していた。
「お前と融合するぞ!」
一緒に落下していた木葉天狗の体が七色に輝くと、もみじに向かって近づいてきた。もみじの大きく見開かれた目には、七色の光を纏った木葉天狗が自分に向かって迫り来る姿が映り、もみじは激しく動揺していた。
『ちくしょおおおおっ! 一体どうすりゃいいんだあああああああああーっ?』
「鏡太朗―っ!」
動かなくなった鏡太朗を見たライカは、鏡太朗の名を力の限り叫んだ。鏡太朗を揺さぶるライカの目には涙が溢れ、その心の中には鏡太朗との思い出が次々と浮かんでは消えていった。やがてライカは、鏡太朗の胸に顔を埋めて号泣した。
その時、鏡太朗の体がピクリと動き、ライカは目を大きく見開いた。
『まだ生きてる! 生きてるんじゃ! 守るんじゃ! 絶対に鏡太朗を守るんじゃああああああああああああっ!』
突然、ライカの心に母の記憶が蘇った。
戦闘モードに変身した五歳のライカは涙を浮かべながら、同じように戦闘モードに変身した母と一緒に、夜の魔界の森を必死に飛んで逃げていた。
「ライカ、急いで! 魔物狩りをする人間たちに捕まってしまうわ!」
「おかーちゃん、これ以上は早く飛べないんじゃ!」
ライカはすがるような目で母に訴え、大粒の涙を溢れさせた。ライカの母が焦燥した表情で背後の様子を確認すると、後ろからは複数の人間の走る音が響くとともに、何本ものライトの光がライカたちの姿を探しており、足音とライトの光は、確実にライカと母に近づいていた。ライカの母はライカの前足をつかむと、大きな木の根元に一緒に隠れた。ライカは大粒の涙をボロボロ流し、声を上げて泣きながら母に言った。
「おかーちゃん、人間はわしらをつかまえて何をするんじゃ? どうしてこんな酷いことをするんじゃあああああああああああっ?」
ライカの母の左後脚にはボウガンの矢が刺さっていた。
「おかーちゃんにもわからない。でもね、昔から人間たちは、魔界に来るとみんなに酷いことをしていたの。一つだけ約束して。おかーちゃんに何かあっても、絶対にここに隠れていること」
「嫌じゃ……。おかーちゃんに何かあるなんて嫌じゃ。そんなの絶対に嫌じゃ。ずっと一緒にいて……」
泣きながらしゃくり上げるライカを悲しそうに見つめていた母は、やがてライカに柔和な微笑みを見せると、優しい声で言った。
「……わかったわ。じゃあすぐに戻って来るから、少しの間だけここで待ってて」
「早く戻って来て……」
ライカの母は、泣き続けるライカの頭を愛おしそうに右前足で撫でると、追ってくる何本もの光の筋の方に飛んで行った。
「いたぞ! 雷獣発見!」
「さっきは子どももいたはずだ」
「どっちか一体だけ捕まえればいい。もう一体は殺しても構わん」
防護服で身を包み、ヘルメットとゴーグルを身に着けた八人の人間が、仲間同士で会話をしながら、ライトがついているライフルをライカの母に向けた。
「おかーちゃん……」
ライカが心配そうに木の陰から母を見ていた。
「『殺しても構わん』? あなたたち人間は命を何だと思っているの? 親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちを何だと思ってるの? 絶対に、あなたたちにはライカに手出しはさせない! 私が絶対に、絶対にライカを守って見せる!」
ライカの母のしっぽの先が光り、その周りにたくさんの細かい雷が走った。
「絶対に鏡太朗に手出しはさせないんじゃ! わしが絶対に、絶対に鏡太朗を守って見せるんじゃ!」
ライカのしっぽの先が光り、その周りにたくさんの細かい雷が走ると、しっぽの先端にライカの両耳を合わせたくらいの大きさで三日月形の雷の塊が出現して物質化し、その表面を雷が覆った。大天狗が口を開いた。
「魔物がなぜ人間のために闘う? 人間など、魔物とは相容れない別の存在のはずだ」
「魔物か人間かなんて、関係がないんじゃああああああっ! 鏡太朗は大切な友達じゃ! さくらも、美来も、来美も、みんな大切なわしの友達なんじゃ! わしが絶対にみんなを守るんじゃあああああああああああああっ!」
ライカは涙を散らして叫ぶと、雷玉を連打しながら大天狗に向かって飛んで行った。大天狗がカエデのうちわで雷玉を受け止めると、ライカはすぐ目の前まで接近していた。
「な、何だと? いつの間に!」
ライカが体を前に一回転させながら、しっぽの先の三日月をカエデのうちわに振り当てると、うちわは真っ二つに切り裂かれた。
「おのれっ!」
大天狗はうちわを手放しながら、ライカに向かって刀を振り下ろした。ライカが大天狗の刀をしっぽの三日月で受けると、刀全体に雷が走り、雷で覆われた三日月はハサミのように刀を挟んで切断した。大天狗がライカに左掌を向けて白い光の塊を放つと、ライカは体を捻ってコマのように回転しながらかわした。
「飛べ、三日月鋏―っ!」
ライカが回転しながら叫ぶと、物質化した三日月形の雷の塊『三日月鋏』がしっぽを離れ、雷を纏ったままブーメランのように回転して大天狗に向かって飛んで行った。
「ぐおおおおおおおおおっ!」
三日月鋏は大天狗の胸を貫通すると、空中で消え去り、大天狗の全身には胸から広がった雷が駆け巡った。大天狗は苦しみながら、胸を押さえて両膝を地面についた。
「おのれえええええええええええっ!」
大天狗は頭の上のクチバシから機関銃の弾丸のように天狗礫を放ちながら、うつ伏せに倒れて動かなくなった。
ライカは両目を大きく見開いて空中に静止していた。その体中には拳大の石がめり込んでおり、ライカは気を失って地面に落下した。
気を失っているライカは、母の夢を見ていた。
「三日月鋏ーっ!」
ライカの母は、しっぽの先の三日月鋏で自分に向かって飛んできた捕獲用のネットを切り裂き、それを見た魔物狩りのリーダーが他の魔物狩りに指示を飛ばした。
「手こずるなら殺しても構わん! 代わりに子どもを捕獲すればいい!」
「そんなことはさせない!」
ライカの母は魔物狩りに向かって次々とソフトボール大の雷玉を放ったが、雷玉は魔物狩りの防護服に当たって弾け飛んだ。
「無駄だ! こっちは雷獣捕獲のための電流対策の装備をしている」
ライカの母の正面に並んでいる四人の魔物狩りが、一斉にライカの母にライフルを向けた。
「飛べ、三日月鋏―っ!」
ライカの母はコマのように回転してしっぽから三日月鋏を放ち、三日月鋏はブーメランのように回転しながら飛び回り、ライカの母の正面にいる四人の魔物狩りが構えているライフルの銃身を次々と切断して消え去った。
「うっ!」
目を見開いて動きが止まったライカの母の背中に、ライフルから放たれた注射器が刺さっていた。一人の魔物狩りがいつの間にかライカの母の背後に回り込んでおり、ライフルを構えて立っていた。
「ライカに……、ライカに手出しは……させない……」
ライカの母は振り返ると、左右の前足に雷玉を出現させて、背後でライフルを構える魔物狩りに近づこうとした。
「ううっ!」
ライカの母の右肩と左脇腹、左脚にも注射器が刺さった。ライカの母の右側に一人、左側に二人の魔物狩りがおり、それぞれが木の陰に隠れながらライカの母をライフルで狙って立っていた。
「ライ……カ……」
ライカの母は意識を失って落下した。
「お……、おかーちゃん……」
ライカは大粒の涙を流しながら、木の陰から動けずにいた。
魔物狩りのリーダーがライカの母のしっぽをつかんで持ち上げた。
「よし、まだ生きている。こいつを連れて引き上げるぞ」
「子どもの方はどうする?」
「放っておけ。一体捕まえればいいんだ。もたもたしていると、他の凶暴な魔物に襲われる可能性がある。長居は無用だ」
魔物狩りのリーダーは、ライカの母のしっぽをつかんで乱暴に振り回しながら、他の魔物狩りと一緒に歩き去っていった。
「おかーちゃん……、おかーちゃん……」
ライカはポロポロと大粒の涙を流し続けながら、魔物狩りに連れ去られていく母を見ていた。やがて、母の姿が見えなくなると、地面に顔を埋めて号泣した。
「おかーちゃん! おかーちゃん! おかーちゃあああああああああああーん!」
ライカは母への恋しさに耐えられなくなり、泣き叫びながら母が連れ去られた方へ飛び立った。
「おかーちゃあああああああああああああああああああああーんっ!」
気を失って倒れているライカの目からは、涙が流れ続けていた。
『おかーちゃん……』
「ううっ……」
ライカの近くで倒れていた大天狗が、呻き声を上げながらゆっくりと立ち上がった。胸に当てている右手からは緑色の光が発せられ、大天狗の体全体に広がっていた。
「ふーっ!」
大天狗が大きく息を吐いて胸から手を離した時、服の裂け目の奥に見える肌からは傷が消えていた。大天狗はうつ伏せで倒れている鏡太朗の隣まで歩いて行き、右膝をついて右手を鏡太朗の背中の刀傷に当てた。鏡太朗の全身が緑色の光に包まれ、やがて鏡太朗は両目を開いて飛び起きた。
「俺は今まで……。そうだ! 刀が刺さって……。え? 傷が治っている! それだけじゃない! 体の全ての傷が治っている!」
「拙者が右手から出す緑色の光『全癒之光波』には、どんな怪我でも元通りに治す力があるのだ。
お主はこれから毎日、死ぬ寸前まで修験道と武芸の修行を続けるのだ。体が砕けようと、ちぎれようと、真っ二つになろうと、バラバラになろうと構わぬ。命さえあれば、拙者が元通りに治すことができる。木葉天狗と融合して大天狗となり、命ある限り天狗族を守り続けるため、命がけの修行を繰り返すのだ。
無論、他の若者にも同じように命がけで修行をしてもらう」
鏡太朗は、気を失って宙に浮いているさくらたちを見上げた。
「ふっ、ふざけるなあああああああっ! 傷つけられることがどれだけ痛いのか、どれだけ苦しいのか、どれだけ怖いのか、お前にはわからないのか?」
「天狗族の未来のためだ。そのためにはどんな痛みや苦しみにも耐え抜くのだ」
「人の苦しみを何とも思わずに、自分の目的のために人を苦しめる奴なんて、最低だああああああああああああああっ!
俺はさくらにも、他のみんなにも、そんな地獄の苦しみは絶対に味わわせはしない! 俺が絶対にみんなを守ってみせる!」
足元にある霹靂之杖を拾おうとした鏡太朗は、地面に横たわるライカの姿を発見し、目を剥いた。
「ライちゃん! お前、ライちゃんに何をした?」
「雷獣の子はまだ生きている。しかし、雷獣族からは、とてつもない魔力を持つ魔物に変化する者が稀に出現すると聞く。生かしておけば、いつの日か天狗族にとって脅威になるかもしれぬ。今のうちに止めを刺しておくことにする」
「そんなことさせるかあああああああああっ! 俺が絶対にライちゃんを守る!」
大天狗が水平に伸ばした右手に向かって、御社殿から新しい日本刀が飛んできた。
「お主は鍛えがいがある。死ぬ寸前まで切り刻んでやろう。これから毎日な」
右手に刀を構えた大天狗と対峙している鏡太朗は、霹靂之杖で杖術の構えをとった。その表情には恐れがなく、燃え上がるような怒りと溢れるほどの闘志が漲っていた。




