10 赤色の空に響く絶叫
黄緑色の空の下では、八十八体の凶暴な白狼天狗が狂ったように二十人のもみじに迫っていたが、もみじはホッとして笑顔を見せた。
「安心したぜーっ!」
「何だと?」
離れた場所から鴉天狗が聞き返した。十九人のもみじと周囲の稲妻之帯が消え、残った本物のもみじの周りを回る稲妻之帯も消えた。もみじは余裕たっぷりな笑顔を見せながら、鴉天狗に向かって叫んだ。
「見境なく人間に襲いかかる白狼天狗が、一体残らずあたしに向かって一直線に向かって来るってーことは、ここにいる人間はあたしだけだってことだよなーっ? ここに子どもたちがいたらやべぇって思って、ヒヤヒヤしたぜ! 古より月を司りし月光照之命よ! その御力を宿し給え! 桂男之手招!」
もみじが天を仰いで両掌を頭上に突き出しながら叫ぶと、空間全体が突然暗くなって空に満月が輝き、鴉天狗は空を見上げて驚愕した。
「ば、ばかな! 代々の鴉天狗が長い歳月をかけてつくり上げたこの隠れ里には、夜も月も存在しない! 一体これは何だ?」
白狼天狗の動きが突然止まり、一斉にじっと満月を眺め始めた。姿を消していた木葉天狗も次々と姿を現し、満月を虚ろな目で見つめ出した。
満月の形が次第に歪み始めて人の顔のような形に変わり、その後方に上から見た両肩と両腕が現れ、空を見上げている人間を上から見下ろしているような形態に変化した。人のような形になった満月は、右手を挙げて地上に向かって手招きを始め、白狼天狗と木葉天狗は手招きに引き寄せられるように、虚ろな目のまま同じ方向に向かってゆっくりと歩き始めた。
突如として月の顔の瞼が開いて二つの目が現れ、月でできた上半身が見る見る大きくなって空の半分を覆い尽くすと、草原まで巨大な両手を伸ばし、掌で地表をさらって白狼天狗と木葉天狗を一か所にかき集めた。
「今だ! 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 雷光之大波!」
もみじが右手の人差し指と中指で連続する波の形を空中に描き、両掌を突き出すと、雷でできた大きな波が次々に現れてはどんどん大きくなり、地表の草を焦がして煙を上げながら地面の上を走り、白狼天狗と木葉天狗が集まっている場所を直撃した。
「がああああああああああああああっ!」
たくさんの悲鳴が響き渡り、雷の波が消えた後には、たくさんの白狼天狗と木葉天狗が焼け焦げた草原の上で気絶している姿があった。巨大な人間の上半身になっていた月の姿は次第に薄くなって消えていき、空は黄緑色に戻った。
もみじは、気絶している白狼天狗と木葉天狗に向かって呟いた。
「安心しな。あたしは相手が魔物であっても、絶対に命は奪わねぇ。全ての命は尊い……。父上の大切な教えだ」
「お前は二つの神伝霊術を遣うのか? これは面白い」
もみじが声が聞こえた左側に顔を向けると、遠く離れた場所に立つ鴉天狗の姿があった。
「ん? 鴉天狗、おめぇ術がかからなかったのか?」
鴉天狗は背中の翼を羽ばたかせながらもみじに接近し、もみじの手前十メートルで草原に降り立った。
「先程の月が化けた大男は全て幻。木葉天狗と白狼天狗は大男の手で一か所に集められたように感じただろうが、実際にはそうであると思い込まされ、自分たち自身で集まったのだ。幻の術は、それが幻であると見破ればかかりはしない。今度は吾輩が自らお前と闘うことにしよう!」
鴉天狗は口から天狗礫を連射すると、もみじに向かって一気に飛んだ。もみじが天狗礫をかわすと、すぐ近くまで接近していた鴉天狗が鋭い両手の爪で連続して突いてきた。
「おもしれぇ! 体術での勝負かぁ? 雷の神様の神伝霊術には武術の基礎が必要だから、ちっちぇー頃から体術も武器術もみっちり修行してきたんだ! 負けねぇぜ!」
鴉天狗は両手の爪を使った突きと、鋭い爪をもつ足の蹴りを連続して繰り出し、もみじは流れるような足捌きでそれをかわしていった。もみじは鴉天狗の連続攻撃の隙をついて右足を大きく踏み込むと、右掌の突きで鴉天狗の胸の中央を強打し、鴉天狗は呻き声を上げながら大きく吹き飛んだ。もみじはそのまま前に駆け出して鴉天狗を追撃しようとしたが、鴉天狗は後ろ向きに吹き飛びながら顔を上げると、口から天狗礫を機関銃のように連続して発射し、もみじは右に移動してそれを避けた。
バサバサッ!
「何っ?」
もみじの頭上から何かが羽ばたく音が聞こえたかと思うと、もみじの体が突然凄いスピードで上昇を始めた。もみじは、姿が見えない頭上の羽ばたき音を見上げて睨んだ。
「木葉天狗がもう一体いたのか! すぐに倒してやるぜ! があっ!」
もみじのすぐ上の何も見えない場所から天狗礫が出現し、頭に当たったもみじは痛みで顔を歪めた。
もみじの正面で一緒に上昇していた鴉天狗が天狗礫を連射し、もみじは両腕で顔を守ったが、腹部や脚に石が命中して再び顔を歪めた。
もみじは地表から五十メートルの位置で静止し、両足でもみじの両肩をつかんで羽ばたいている木葉天狗が姿を現した。もみじの十メートル先で宙に浮いている鴉天狗が笑い出した。
「ひゃっはっはっはっ。その木葉天狗は、お前の仲間を大天狗様に届けて今戻ったのだ。油断したな! 人間の体は我ら天狗族よりも遥かに脆い。我ら天狗族であれば、この高さから落下してもかすり傷で済むが、人間であるお前はそうはいくまい。この状況でその木葉天狗を倒せば、お前は地表に叩きつけられて命はない。お前には、我ら天狗族に勝つことなどできぬのだ」
「超絶美し過ぎる魔物ハンターとして、数多の魔物を退治してきたもみじ様をナメんじゃねーぞ! この程度の高さから落下しても、あたしには身を守る術がちゃんとあるんだよ! だから、あたしにはこんな高さなんて全く問題にならねぇ。
それよりも、あたしには闘う相手の数の方が問題なのさ。さっきはすげー数の木葉天狗を見て、こんな大勢が相手だったら勝てっこねぇと思って内心ビビッていたが、今じゃあ残りはおめぇらだけだ。おめぇら二体だけなら余裕で勝てるぜ! 今すぐそれを証明してやるから、さっさとかかってきな!」
もみじは不敵な笑みを浮かべながら、右手の人差し指で鴉天狗を手招きした。
「ほう? なるほど、大勢が相手では勝てぬか。それでは、これならどうかな?」
鴉天狗は薄ら笑いを浮かべると、懐から緑色の巾着と橙色の巾着を取り出してその口を開くと、左右の手で一つずつ持った。二つの巾着の口から、夥しい数の木葉天狗が次々と飛び出し、もみじを包囲していった。もみじは唖然とした表情で、自分を球状に囲んでいく木葉天狗を見つめた。
「ひゃっはっはっはっ。残り二百一体の木葉天狗と一体の鴉天狗が相手でも、楽勝だと言えるのかな?」
黄緑色の空に鴉天狗の声が響いた時、もみじの周囲の空間は夥しい数の木葉天狗で埋め尽くされており、もみじは呆然として鴉天狗に向かって言った。
「す、すげぇ数だ……。ま、まだ、こんなに木葉天狗が残っていたのか……。せっかく楽勝だと思ったのに……。ちくしょおおおおおおおおおおおっ! 木葉天狗ってーのは、一体どれだけの数がいるってんだああああああああああああああっ!」
木葉天狗の大群が滞空する黄緑色の空に、もみじの絶叫が響いた。
赤い空の下にいる鏡太朗は、姿を消した大天狗の見えない木刀で幾度となく激しく打たれては、何度も倒れ、全身ボロボロになりながらも立ち上がり続けていた。
『絶対に俺はみんなを助けるんだ! 絶対に負けてたまるかあああああああっ!』
「ぐああああっ!」
胸を強打された鏡太朗は後方に大きく吹き飛んだ。その勢いで地面を転がりながら、鏡太朗は何かに気づいて目を大きく見開いた。
『今のは……、そうだ、音だ! 木刀が空気を切り裂く音が確かに聞こえた! 音に、音に意識を集中するんだ!』
鏡太朗は立ち上がって霹靂之杖を構えると、両目をつぶって聴覚に意識を集中した。すると、姿が見えない大天狗の笑い声がその場に響き渡った。
「わははははははっ! お主、両目をつぶるとは音に集中する気か? これは笑止千万! よかろう。お主が拙者の動く音に意識を集中しても、反応ができないほどの全速の振りで止めを刺してやろう!」
『俺は絶対さくらを守るんだ! ライちゃんを守るんだ! みんなを守るんだ!』
鏡太朗の脳裏に、縛られて宙に浮いているさくらや他の生徒、地面に倒れて動かないライカの姿が浮かんだ。
『俺が絶対に守るんだ! 絶対に! 絶対に!』
「行くぞ! 避けられるものなら避けてみよ!」
鏡太朗の心の中に、『おめぇはどうやって責任をとる?』というもみじからの問いかけの言葉が蘇った。
『そうだ! 俺は誰一人犠牲者を出さないことで、自分がしたことの責任をとるんだ!』
両目をつぶる鏡太朗の耳に、木刀が空気を切り裂き始める音がスローモーションのようにはっきりと聞こえた。
『今だああああああああああああああああっ!』
鏡太朗は渾身の力で霹靂之杖を振り上げた。見えない木刀を受けた衝撃音が響くと、何もない空間から折れた木刀の先が出現してどこかへ飛んでいき、何も見えない空間から大天狗の驚く声が響いた。
「何っ? 拙者の全速の振りを受けただと?」
「みんなを守るんだああああああああああああああっ!」
鏡太朗がそのまま霹靂之杖を全力で振り上げると、柄の先端は括り付けられた紙垂を激しくはためかせながら見えない何かに衝突し、その先に大天狗の姿が現れた。大天狗が右手に持つ木刀は折れて先がなくなっており、霹靂之杖の先端は大天狗の顎に命中していた。
「効かぬな」
「え?」
「このような軽い杖の一撃など、全く効かぬわ!」
大天狗は顎に霹靂之杖が当たったまま、鏡太朗を睨みつけて左掌を向けると、掌から白い光の塊を発射した。
「うわあああああああああああああっ!」
光の塊が命中した鏡太朗は大きく後方に吹き飛び、地面に落下した直後に血を吐き出した。
大天狗が折れた木刀を投げ捨てて右手を御社殿に向けると、御社殿から一振りの抜身の日本刀が飛んで来て大天狗の右手に収まった。
「お遊びは終わりだ」
鈍い光を放つ真剣を見た鏡太朗の顔からは、見る見る血の気が引いていった。
黄緑色の空に浮かんでいる鴉天狗は、空中で木葉天狗に包囲されているもみじを見つめながら、勝ち誇ったように笑い声を上げた。
「ひゃっはっはっはっ。ここにいる二百一体が木葉天狗の残り全てだが、お前を倒すのには十分過ぎるほどの数だろう? さあ、これでわかっただろう? 観念して木葉天狗と融合し、我らの一族になるのだ!」
もみじはニヤリとほくそ笑んだ後で、大声で笑い出した。
「ははははーっ。狙いどおりだぜええええええええっ! さっきのは、残りの天狗を全部引っ張り出すための演技だったのさ。すっかり騙されただろーっ? あたしって、この美貌と演技力で一流女優になれるんじゃねーかぁ? 古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! その御力を宿し給え! 稲妻之旋風二連!」
もみじは両手の人差し指と中指でそれぞれらせん模様を描き、両手を前に突き出すと、二本の指の先にらせん状に渦巻く雷が出現してどんどん大きくなっていった。
「があああああああああああああああっ!」
もみじの前方にいた木葉天狗たちが、回転するらせん状の雷に打たれて次々と気絶して落下していった。もみじは両手を前後左右に動かし、取り囲んでいた大勢の木葉天狗をらせん状の雷で倒していったが、鴉天狗は真っ先にもみじから離れて雷から逃れていた。
「今度こそ、本当に残りはおめぇら二体だけになったぜ!」
そこには、もみじともみじを捕らえて滞空する木葉天狗、離れた場所で滞空する鴉天狗の姿しかなかった。
「木葉天狗よ、限界まで上昇するのだ!」
「何?」
木葉天狗は両足でもみじをつかんだまま、どんどん上昇していった。
「こ、こら、下ろせ! どこまで上昇する気だ?」
黄緑色の空に木葉天狗に肩をつかまれたもみじが浮かんでおり、その正面には鴉天狗が羽ばたきながら浮かんでいた。もみじの遥か下では地平線が丸いアーチを描き、緑色の惑星の姿が見えていた。
もみじは強烈な寒さでガタガタ震えていた。
『極寒の冷気で、息を吸うと肺の中が凍りそうだ……』
もみじと二体の天狗が吐く息は寒さで白くなっており、もみじの長い睫毛は凍りついていた。
「あたしをどうする気だ? この異常な寒さで凍らせるつもりか?」
「そやつを放せ」
「何だと?」
もみじは両目を大きく見開きながら、遠く離れた地表に向かって落下していった。
「きょ、鏡太朗……。が、合体技じゃ……」
ライカがよろよろと立ち上がった。鏡太朗も何とか立ち上がると、霹靂之杖を手にしてライカに向かって駆け出した。
「古より雷を司りし天翔迅雷之命よ! この霹靂之大麻に宿りし御力を解き放ち給え! 天地鳴動日輪如稲妻!」
鏡太朗が霹靂之杖の先の雷の塊をライカに当てると、たくさんの雷がライカの体を走り、ライカが突き出した両前足の前に直径二メートルの雷玉が出現した。
「食らえええええっ! 特大の雷玉じゃああああああああああああっ!」
日本刀を右手に持った大天狗に向かって、特大の雷玉が飛んで行った。
「な、何じゃと?」
愕然とするライカの視線の先で、特大の雷玉は大天狗の手前一メートルで突然消え去った。大天狗が突き出している左掌の先には、白く光る直径三十センチの空間の穴が浮かんでいた。
「拙者は空間に穴を開けることができるのだ。今の雷の塊はこの穴から別の空間へ飛んで行った。そして開けた穴はいつでも消し去ることができる」
大天狗の前に浮かんでいた空間の穴が消え去った。
「鏡太朗は絶対に守るんじゃああああっ! 刀なんかで斬らせてたまるかああああああああああっ!」
ライカは両前足に雷玉を持って大天狗目がけて飛んで行った。
「邪魔だ!」
大天狗はライカに向けて左掌から白い光の塊を放った。ライカは体を捻って光の塊をかわしたが、大天狗が右手に持った日本刀の突きがライカを狙っていた。鏡太朗はライカに向かって飛び込んだ。
「ライちゃん! ううっ!」
ライカをかばった鏡太朗の背中に日本刀が突き刺さり、貫通した刀の先が鏡太朗の胸から飛び出した。大天狗が刀を抜くと、鏡太朗は両目を見開いたままその場に崩れ落ちて動かなくなり、地面に血が広がっていった。
「きょ、鏡太朗―っ!」
ライカの絶叫が赤色の空に響いた。




