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超短編 零所為Epsilon Series Protocol Escape

作者: 市宮仙浦

花も咲かず、雪も蕩けぬ地下で僕はあの子に恋をした。


あの日は、数ヶ月前の連中に比べて酷く退屈だった。

「成果が良くないなぁ…もっとちゃんと調べなければ…。」


僕は前も後ろも全くに見えず、ただひたすら目の前の実験に執着していた。


本来であればその日は、いやいつまでも、僕はこのままずっと当たり障りのない研究をこなし続けただろうか。


「…あ、はじめまして。」

「山科です。」


少しばかり離れた場所からの声だった。

どうやら新任研究員が新しく来たらしい。


この研究所には度々新任の研究員が来る。

もうしばし前に紅月という人物が来ただろうか。


だが、そんな表現だってくだらない。つまらないと僕はずっと無視していた。


「えーっと、はじめまして。」

「ああ、はじめまして。」


くだらない挨拶を交わす。礼儀くらいは守る。

この時点では僕らは交わることもない、永久に礼儀ばかりの関係のようだった。


変わらずそっけない僕は、そのままに机に向かおうとする。

だが、彼女はポケットからガサゴソと何かを取り出す。

「あ、そういえば…。」

「はい、これ。」


「あ…いいのか。」

小さなクッキーが一つばかり。それは確かに完璧なものからほど遠い、だがその稚拙さが心だったんだろうか。


「みんなに配ってるの。」

「私、結構そっけないって言われちゃうから…」


「ああ、まあありがとう。」


この日はそんな感じで終わった。

この時の僕は変わらずどこか素っ気ない人物だったのが、今は羨ましい。


もう一度、もう一回こんな素っ気ない態度を取れるほど僕も彼女も幸せならいいのに。



次にであったのは、僕は深夜まで研究をしていたとき。

あの頃はバチバチだった。なにせ、期日が近かったり研究所内もいろいろ忙しくなったからな。


「そろそろ寝たら?」


「…うるっさいな。僕はこれを終わらせなきゃいけないんだぁよ」


「そう…」

「でも、それじゃあ効率落ちちゃうんじゃ?」


あながち正論だ。

「だからって…」

「私も先輩も、同僚だから。だから…みんなの体調はいいほうがいいよ。」




「…はぁ。わかった、寝るよ。」


彼女は嘘つきだ。欺瞞だ。

何がそっけないだよ…こんな僕にさえそういう事を言うんだから。


この日からちょっとだけ彼女のことを気にするようになった気がする。


ただ…数日後にちゃんと謝りに行った。結構すぐ許してくれたな。



他には…自販機とか。

あのときは…ちょっと夏が近づいて、地下でさえどこか暑くなっていた。


「あ、先輩。」


「先輩なんて…やっぱ馴れ馴れしいな。」

「…でも先輩以外ないじゃないですか。」


「う…うーん。」

すると彼女はこう指さした。

「私は、これ」

自販機に写るのは淡いサイダー。


「…ほー。」

「先輩もどうです…?」


「ぼくは…水でかまわないや。」

ボタンが二回押される音がした。


「ふふ、買っちゃいました。」


「…」

頬に冷たい感覚が移る。

淡いわけでもない。ただ明瞭に冷たい。

耳元の近くに、ほんのり炭酸がパチパチと音を成す。


彼女は僕が一生聞けない音を、何気なく聞かせてくれた。


この瞬間に迸ったソレは、冷涼ではなく熱だ。

でも、僕の体はその熱量に耐えきれずフリーズした。


「…!」


「…」


「あっ、すみません。暑いかと思って。」

「…。」


彼女は凍りついた僕の手にサイダーを置く。


「あ…えーっと、ご…ごめんなさい」

「いや…あ、謝らなくていいよ。」


変な空気だった。

このままに別れたが、この時の自分はその炭酸を飲めなかった。


飲むのが惜しいほど、その瞬間は忘れたくなかった。できればその炭酸の香りはずっと、音は、ずっと聞きたい。


あんなに凍えたかったのに、あんなに熱くなったのは初めてだった。


あの日から僕は、彼女が炭酸には思えなくなった。どうせ視界から消えるだけの、登場人物Aでは無くなった。


誰がそうさせたわけでもなく、誰のいたずらでもなく、紛れもない自分の心だ。


この日から、僕は彼女とよく話すようになった。

「あー、そうだ。この前のお礼」

「お菓子詰め合わせ。」


「あ、ありがとうございます。」


「この前のお礼だ」


このときの彼女はちょっと嬉しそうにしていた。

僕は、お返しという礼儀の方便に基づいて、好きが抑えられなかったのだ。


「あ、先輩」


「…やっぱり先輩じゃ重いな。」


「んじゃあ、やっぴー?」


「…なんだそれ。」


「だってかわいいじゃん。」


「かわいいとか求めてないから。」


でも、ちょっとだけ嬉しい気がした。

そんな可愛いを、こんな僕につけてしまうなんて。

君がどこまでも愛しくなってしまった。


僕は先輩じゃない。早く生まれてきただけ。

彼女と触れるたび、そんな気持ちが生まれていた。


…ただ、彼女の過去は暗いものだった。

性的虐待を受けたわけじゃないが、そこそこの貧困だったらしい。

原因は戦乱だったか。


だからあの子は正常な人間関係が得意じゃなく、優しいけれど態度が変とかそういう感じだった。


ただ、その際にとある科学者が、同僚が彼女を拾ってきたらしい。

その非凡の才を見込んだか。


確かに彼女は、その科学者の指導のもと直ぐ様実力をつけていた。


だが、僕にとってはそれはもはや関係ないものだ。


ある時、僕と彼女は買い物に行った。褪色のデパートに。


「…うれしいです。やっぴー」

「だから、その呼び方…。まあいいか。」


むず痒いが痛くはない。

その時は同僚に贈るお菓子や何やらを色々漁ったりしていた。


「このお菓子とかどう…」

「あー、いいんじゃないか」


こんな会話をひたすら繰り返して、気がつけば夕暮れだ。


気がつけば時計の針も左を向く。

「ねーね、観覧車乗らない?」


「…ああ、まあいいけど」

こうして僕らは観覧車に乗った。


ゴウンゴウンと、屋上で鳴る音が僕らの下から聞こえてくる。


「きれいな夕日。」

「綺麗というか…ここまで赤いと退廃的だな。」


「へー」


ガラス越しに映る夕日は自尊心ほどに大きい。そして赤く、赤く世界を、僕ら2人の空間を照らす。


そんなムードはどんどんと無言のボルテージとして高まる。


それが最高潮に達した頃、時計も止まるような、そんな悠久が観覧車の中では流れている。


都市の遠景が、ひたすらにその色を吸収しては美しくする。

僕らは今この世界に二人だけ。


誰ももういないのだ。


あるのは彼女と、彼女に立場を奪われた僕だけ。


僕は酷い男だ。こんな場所でこんなことを口にするなら、ある意味脅迫まがいだろう


逃げようがないんだから。

でも、それほどまでに彼女は愛しいのだ。

どうしても、もう少し触れたくなってしまうのだ。


「あ…ましろ…さん…いや、ちゃ……」

「ごめんなさいっ」


あっ、もうだめなやつだ。

「つ…」


「私と…結婚してください!!!」


瞬間、僕らはその大きな夕日をただの背景にしてしまった。


気がつけばもう夜頃だ。指輪なんかにむちゃくちゃ時間を使ってしまった。

「ふふふ。この指輪…いい」

「…ちょっと高かったんだぞ~」


「そういえば、こんな生半可に変な事やって…君を選んだ科学者さんは怒らないの」


「えーっと、許可取ってるから。」


「あ、そうなんだ…」


炭酸のような、人魚姫のような君はそう小さく微笑んでいた。もう一生こんなの忘れられないし、僕はもうあの日の炭酸を飲むことができる。



それからというもの、狭い部屋で毎日2人で生活していた。とても楽しかった。

もう思い出したくない、だって、それはもう二度と来ないものだから。来ないならいっそ忘れてしまいたいほどに、楽しい日々だから。


そんなある日、いつまでたっても彼女が帰ってこない。


本来であれば職場も近い、来ないのはおかしい

やがて、暗い暗い夜が明けた頃、一つの紙が部屋に転がってきた。


“山科ましろ”は、実験の事故の影響で金属化し、推定的に死去しました。

写真が1枚、変わり果てた彼女の姿だ。


心が痛いを超えたら、何が起きるのか。

僕は、俺はコレを知ることになった。


クソが、ふざけんな


僕はあの日と変わらない、いつもと変わらない部屋の机を思いっきりぶっ叩いた。


怒りじゃない、悲しみじゃない。

言語にはなれない本音だ。


みんな死んでしまえ!!

号哭なんてあまったれた言語じゃない、それはガラスが砕けたような衝動の破裂。


彼女の言葉が反芻する。

その一言一言が気持ち悪くて仕方がない。でも、彼女は僕が吐くのは見たくないだろ。


だって、その言葉を話した人物が、あんなに他人思いな子が、どうしてこんなことになるんだよ!!


何がみんなの体調がいいほうがいいと。言っていた。


君は嘘つきだ。大嘘つきだ。許さない…。

だって、皆の体調がいいって言ったのに、君だけは違ったじゃないか。


体温さえ失って、苦しんで。


でも連中は…愚かの骨頂は、彼女の命をこの紙っペラ一枚にしやがった!!!


死ぬとか、生きているとかはわからないが、一つわかるのは彼女は生死より残酷な運命の愚弄に巻き込まれたことだけ。


推定的というのは、本当に死んだか分からないだろう。


数日間も、部屋から出る気は起きなかった。

気がつけば溢れる涙は、枯れた笑いになっていた。


自分が惨めで、馬鹿らしい。

もし俺が止めることができたら。


しばらく無断欠勤を決めて、何もしないでいたら今度は部屋にもう一つばかり紙が転がり込んできた


“山科ましろ”さんは将来の実験のために再利用されることになりました。

本事案についての責任者、新色紅月研究員は降格処分を課されました。


この瞬間また怒りがにじみ出てきた。

その感情は、僕の心臓をナイフでえぐり取っていた。


文字通りだ。

痛い、赤い血がほのかに走っていた。


死にたいと、もう君のいない世界で生きるにはつらいと。


そうすると、脳味噌が血液不足で右左にグラグラする。いつもそうだった、だが今は違う。


この気持ち悪さの中、俺は天使を見た。


紛うことなきあの子の声だ。

笑っていた。


きっと、悲しすぎて笑っったんだ、違いない。

痛みは消えていた。彼女が埋めてくれたんだ。

でも、彼女はもういない。


炭酸の缶をぶちまけて、俺は壁に全力でケリを入れた。


こぼれ散る液体群は、どこまでもどす黒く腐っていた。


はははははははぁぁ…ああぁぁ…は!!


そして、一つばかり決心がついた。


彼女を殺めた新色紅月、こんな紙っペラで命を愚弄した上の連中共、何もかも…何もかもが死んでしまえ!!!!


いやぁ、もっと違う。

もっと、彼女と同じ定めに会ってしまえ、彼女より、あの子より、貴様らが愚弄したその感情を、暗澹を、いかりを、悲しみを…!!


殺すなんて甘すぎる。俺には彼女の声が聞こえてる!!!


彼女は、ぼやけた言語で僕に語るんだ。天使みたいにたくさんたくさん。


ああああああああぁああああ!

死んでしまえ、いや永遠に生きて悶え苦しめクソッタレ!!!!



俺はその日から、全力で研究に臨んだ。

あの日から、ずっと逃げ出そうと。


ふぁは、とひどく笑えて、それでもずっと研究に向き合った。


時折、実験小動物を握ったこともあった。お前は狂ったとも同僚から時折評された


じゃあ貴様らは何なんだよ!!最愛の人を、心を嬲られ痛められ、あげく実験の為の道具にされるなんて…馬鹿げた馬鹿げたクソつまらんその命に変えられる怒りがわかんねえのか。



やがて私は彼女の生き殻と出会うことができた。


「あぁはは…君は元気かい」


「久々だねぇ…やっっぴーって呼んでよ」

そこに映るのは、タンクに押し込められた金属の液体。


彼女は溶かされて再利用されることになったのだ。文字通り次の実験のため。


「しゃべれよ…しゃべってくれよ…」

だが、液体は震えも泣きもせず、ただずっとそこにある。


まるで現実が嘲笑するように。

本当は誰も笑ってなんかいないのに


「しゃべれよバカタレぇ!!!!」

彼女だったモノを蹴り飛ばそうと、足が本能的に動く。


だが、微かな手前に足が止まる。


「アアソウカイ、貴様」

「貴様も僕を愚弄するのか。」


「君は彼女を奪ったのかい。奪ったのかい」

「奪ったかっ聞いてるんだよ」


冷たい空気ばかりが流れる。炭酸はすっかり乾いて、汚い。


「嘘を付くな…!」

「きみはこの空間にいるんだ。声を出せ、生きろ!!!!」


「はぁああはっは」

「彼女はただのいびつとかしたのか」


「馬鹿野郎」

光沢が嘲笑的に語りかける。


誰もいない。


誰も存在しない。あるのは男一人と物質だけ。


どうやら声が響いている。


「あああ…クソッ…」

「こもりろんが正しければ、これは…そうだ」


「生贄を捧げて、彼女を救うんだぁ!!!」


「そぉしよう!そぅしぉう!!」

彼女が花束状に重なる。


やがて、その部屋からクソッタレと口にしながら男は出ていった。


残ったのは指輪だけが浮く液体金属のタンクだけ。


ときはしばらく程に流れる。


「さぁ〜って、んじゃあこいつだね」

「アカツキのアホバカボケ野郎をどう処するか。あー…」


「アイツのことだからやっぱり誰かを愛したがるのね。」

「んじゃ、この金属生命体なぶって気持ちになりましょーか」

「生きてればの話だけどねぇ!」


「…この研究の目的は、医療のため…笑わせるな、しんでるのに。」

男はカプセルの前で今日もつぶやく。


「だが今のやつは違う…あの子が一番不安だろう、アイツが嫌いな、アイツが!」

「良い方便だ、彼女を生より苦しめるのはもってこい」


「あの生き物キモいもんなぁ〜、キモい動きしてヒトミタイニウゴクカナァ」


「んじゃぁ、こいつを見ましょうかぁ。」

「えっと、今日の犠牲者さんはぁ…ふぁーぁ」


「麗庶飽希さんですか。」

「君は前の小松に、その前のアレとかソレとかと比較になる反応をすればいいですけど。」

少しほど歪に顔を歪めて。

「成果が良くぬぁいなぁ…もっとちゃんといたぶって、ヒトにならせなければ…。」


空のカプセルにそうつぶやく。

その数時間後、彼女に対する実験が開始された


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