序章
その少女は、まだ物心がつく前から母と二人で静かな村で暮らしていた。
母は長い黒髪を持つ、活発で優しい女性だった。村の誰よりも明るく、彼女の周りにはいつも笑顔が絶えなかった。
少女が特に好きだったのは、母の膝に座りながら聞く物語だった。
夕暮れ時、暖かな光が家の中を包み込むと、彼女は母の膝に抱かれ、外の世界についての話を聞くのが日課だった。
村の外には広大な世界が広がり、冒険や未知の生き物が待ち受けている。
少女はその話を聞くたびに外の世界に夢を膨らませた。
そんなある日、少女は母に尋ねた。
「ねえ、お母さん。なんで私たちはお外に行っちゃいけないの?」
母は少し笑って、少女の小さな手をそっと握り返した。
「それはね、お外には人間を食べちゃう恐いモンスターがたくさんいるの。だから私たちはできるだけ村からは出ないようにしているのよ」
少女は目を見開き、少し怯えたように母の顔を見上げた。
「でも…お外に出てみたい…」
と、窓の外を指さしながら問いかける。
母は微笑みながら少女の頭を優しく撫でた。
「大丈夫、安心して。そんな悪いモンスターなんかお母さんが魔法でやっつけてあげるからね!」
その言葉に少女は少し安心したように頷いた。
けれども、外の世界への憧れは消えなかった。
そんな穏やかな日々が続いていたが、ある日突然、母は旅に出ることを決めた。
村人たちは驚き、理由を尋ねたが、母はいつものように微笑むだけで、その理由を一切口にしなかった。
少女ーーーリズにとって、母との別れは耐え難い悲しみだった。
リズは泣きながら母の手を握り締め、「お母さん、どこに行くの? 私も一緒に行きたい」と不安げに訴えた。
母はリズを抱きしめ、その長い黒髪がリズの頬にかかる。
リズの小さな手を包み込み、優しく言った。
「大丈夫よ、すぐに帰ってくるから。待っていてね、リズ」
リズは母の言葉を信じたいと思ったが、母の姿が見えなくなる瞬間、胸に広がる不安を抑えきれなかった。
すぐ帰ってくる、という言葉を反芻させながら、その夜、リズは一人きりのベッドで泣きながら母の帰りを祈り続けた。
しかし、翌朝目を覚ました時、母の姿はどこにもなかった。
リズは村中を駆け回り、必死に母を探し回った。
市役所、市場、よく挨拶に行っていた近所のお家。しかしどこを探しても一向に見つからない。
あらかじめ家を空けることを聞いていた他の住人は、リズに寄り添い、一緒に探してくれたものの、結局見つけることが出来ないまま呆気なく数日が経った。
母の温もりが消えた世界は、リズにとってあまりにも冷たく、寂しいものだった。
それからしばらくして、リズは村長のお婆さんに引き取られることになった。
お婆さんはリズを温かく迎え入れ、何不自由なく育てようとしたが、母のいない日々は、リズにとっては色のない世界そのもの。何をしても退屈で、嬉しいことは何一つとしてない。
毎日膝の上で本を読んでくれていたことを思い出してはその度に激しく泣き喚いていた。
そんなある日、いつものように母を探して村を歩き回っている途中、リズは村の外れで一匹の黒猫と出会う。
黒い毛並みのその猫は、リズに寄り添うように足元にすり寄り、じっと彼女を見つめていた。
まるでリズの心の中の孤独を理解しているかのようだった。
首に小さな鈴を付けたその猫に、彼女は「ベル」と名付け、自分の唯一の友として迎え入れることにした。
母がいない寂しさは消えなかったが、ベルと共に日々を過ごすことにより、少しずつリズの心は孤独と寂寥感から解放されていくことになる。
そして。
母が旅立ってから何年もの月日が流れた。
依然としてリズの母はまだ帰ってこない。しかし、彼女は信じていた。
いつの日か、母が再び村に戻ってくると。
そしてその日を待ちながら、リズは少しずつ強く成長していくことになる。
【Youtube】【TikTok】で投稿中の連載型作業用BGM『巡りの世界と見習い魔女の旅』を補完する小説です。
ぜひ、本編の音楽と合わせてご鑑賞ください。
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