56 ある日、朝起きたら乗っ取られていた件。
――色々あった後も、結局俺の気持ちに整理がつくことはなかった。
夏休み中に答えを出さなくては。そう思っていたのに、宿題に追われ、ますます答えから遠ざかって行ってしまう。
そして、結局どっちつかずのまま、俺たちは二学期を迎えることになった。
新学期初日、憂鬱な気持ちで俺は目を覚ました。
学校に行くということはつまり少しの間とはいえ明希と二人きりになる。そこで何か聞かれたらどうしようかと、今更ながら不安になっていたのだ。
だが当然学校に行かないというわけにはいかない。重い体を引きずり起こし、学校に行く準備をしようとして――。
初めて、異変に気づいた。
不思議なことに、少しも体が動かないのだ。
起き上がれないどころか、それどころか指先をほんの少し曲げようとしても、まるで言うことを聞いてくれない。
これはもしや金縛りというやつだろうか、と思ったが、しかしその直後体がひとりでに起き上がった。
そして俺の口が、思ってもいない言葉を紡いだのである。
「よし、上手く転移できたらしいな。思ったより体が馴染む」
自分が――いいや、自分と同じ声をした何者かが放ったその言葉の意味がさっぱりわからなかった。
転移? 体が馴染む? なんだそれ。そう言おうとしたが、俺は一言も発することができなかった。
そういえば息もしていない。
今になって気づいたが、今俺は俺自身の姿を少し離れた場所から見ている。
まるで、人間に憑く幽霊のようだった。
――もしかしてこれは夢か?
声にならない声を上げてみる。
だがそれに返事をする者は誰もおらず、俺の体をした誰かは窓辺に寄っていってカーテンを開ける。
窓の外には日比野家と、その奥に街の景色が見えた。
「ああ、ここが異界なのか。なんて奇怪な場所なんだ。魔道具越しに見たのと実物はやはり違うな。
……そうだ、僕はこんなところで感心している場合じゃない。今すぐ彼女を迎えに行かなければ」
長い独り言を呟くと、俺の体をした誰か――仮に『そいつ』としておく――は、部屋を出て階段を降りていく。
『そいつ』はどうやら俺のいつもの行動を知っているらしく、誰もいないテーブルで朝食をとり、制服に着替えると、当たり前のような顔をして家を出た。
この頃になると俺も、さすがにこれは夢ではないのではないかという疑念を抱き始める。
明らかにおかしい。おかし過ぎる。これが本当に夢だとして、俺の体を動かし、勝手に喋っているこいつは誰なのだ。こんな馬鹿げた夢があってたまるか。
でもかといってこれが現実だとすれば非常に恐ろしいことだ。
そんなこと、考えられないし考えたくもない。
でも『そいつ』は異界やら魔道具やらと、俺も一度は聞いたことのある異世界ワードを口にするのである。
そこから考えられる可能性は――。
「あっ。誠哉、おはよう」
俺が考え込んでいると、『そいつ』の前に明希が現れた。
『そいつ』はどうやら明希の家の前を通り過ぎるつもりだったようだが、ちょうど明希が中から出てきたのだ。一瞬面倒臭そうな顔をした『そいつ』はしかしすぐに無表情になり、明希を振り返る。
「おはよう。……ああ今日はまだマシだな。貴女、メガネはつけない方が似合うぞ」
『そいつ』の要らぬ一言に、明希の顔がむすっとなった。
「突然どうしたの。誠哉、メガネの私、嫌いなんだ?」
「いや別にそうじゃないが。
……そうだ君、先に行っておいてくれ。忘れ物をしたので取りに戻る」
「大丈夫だよ。私、ここで待ってるから」
「いいんだ貴女は。遅れるだろう?」
わざとらしくそう言って、強引に明希を先に行かそうとする『そいつ』。
明希は一瞬訝しんだようだが、何か思い当たったらしくすぐに頷いた。
「わかった。ダニエラさんのところで待ってるね」
「それも大丈夫だ。僕……いや俺が行くよ」
「ふぅん」
明希はそれ以上何か言うことなく、俺の家の前を立ち去って行った。
そしてその場に残されたのは『そいつ』と、『そいつ』の背後に実体なく浮かぶ俺だけだった。
『そいつ』は家の中に引っ込み、明希の後ろ姿を見送ると、何を取りに戻るでもなく再び玄関の外へ出て、ダニエラの住む高級アパートに向かって歩き出す。
俺は『そいつ』に文句を浴びせた。
――何なんだお前は。これは一体どういうことだ。それに何だよ明希へのあの態度。確かに俺だって明希に会うのは最近気まずいし何を喋ったらいいかわからないところはあるが、それにしたってあれはないだろうが。
しかしそれは『そいつ』には聞こえなかったようで、平気な顔をして歩き続けている。
そしてやがて『そいつ』は、ダニエラの元に辿り着いた。
マンションの一室から出てきたダニエラは、久々のセーラー服姿である。
そんな彼女を前にした『そいつ』は、明希の時とは打って変わってにこやかな表情を見せた。
「やあダニエラ、おはよう。貴女は本当に何を着ても似合うな。さあ、俺の手を。一緒にコウコウへ行こうじゃないか」
「セイヤ、アキ様はどうしましたの?」
「今日は彼女は先に行かせた。諸用があるらしくてな」
「そうですのね」
ダニエラは大して疑念を抱いた様子もなく、『そいつ』の横に並んだ。
彼女は気づいているのだろうか、『そいつ』の視線がダニエラの胸に注がれていることに。
――ちょっとお前、そんな目でダニエラを見るなよ。ダニエラは俺の。
俺の、何なのだろう。
自分でもわからなくなってしまって俺は口をつぐむ。いや、元から今の俺に口なんてものはないのだが。
「いつも思うがダニエラは美しいな。何を着せても華やかだ」
「ふふっ。急にどうなさいましたのよ、セイヤ? ワタクシが美しいことなど当然ではございませんの」
まんざらでもなさそうな顔でダニエラは笑う。
それに俺は胸を締め付けられ、目を背けたくなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一体何が起こっているのかは、わからない。
朝目が覚めたら体が自分の意思で動かなくなっていた――否、この言い方は正しくないだろう。乗っ取られているのだ、俺は。
なんて現実味のない話なのだろう。でもこれはきっと現実で、しかも推定異世界人の仕業なのだ。
理由は全くの不明だ。もちろん原因も。
でも、また何かとてつもなく厄介なことが始まっていることだけはわかった。
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