第五話
東京に到着したのは、翌日の夕方。
赤ヶ羽の住まいは、都内の住宅街に立つアパートの一室だった。ボロ宿の室内に比べればいくらか清潔だが、男二人が暮らすには狭すぎる。サスペンダー付きズボンに白シャツネクタイ、その上からコートを羽織った小綺麗な格好の赤ヶ羽が、こんなこじんまりしたところに住んでいると思うとちぐはぐで笑える。
内装は彼の好みなのかアンティーク調で、特にぎっちりと本が几帳面に並べられている本棚が目を引いた。
「君の能力について研究させてもらうのを宿代ってことにしておいてあげるよ」
「え?じゃあ、研究が終わったらどうなるんですか?」
「もちろん、出て行ってもらう」
「はぁ?!そんなの困りますよ!」
「どうしてだい?君、死にたいんだろう?ちょうど良いじゃないか。この季節に路頭に迷えば、もしかすると衰弱死できるかも」
「飢餓で飢え死にしなかったのに、衰弱死なんてできるわけないじゃないですか!ここに連れ帰ったんですから、衣食住くらい可愛い後輩を助けると思って支えてくれたって良いじゃないですか!」
すると突然、赤ヶ羽は手にしていたコーヒー入りのマグカップを机へ音を立てて置く。
「仙里くん。君はどうやら、とんでもない勘違いをしているようだね。私が君をあの地下牢から連れ出したのは、燃える胎児の正体を解明したかっただけであって、決して!君を!助けるためではない!」
「は?」
「そもそもだ。なぜ人助けなんてそんなことをしなくちゃいけないんだ。力がある者が力のない者を助けることを美徳とする、それこそがもっともお粗末!人生とは自分のために生きるべきだ!他でもない、自分の為に!」
なんだろう。この、まともなことを言ってそうでそうでもない感じは。
「我々転生者にとって、人生とは果てしない時間の空費に過ぎない。そして、私は最高の暇つぶしを見つけたんだ」
「というのは?」
「知的好奇心の追求だよ。何度転生しても空くなき好奇心!人助けをする時間があるのなら、自分の欲求を満たすために使うべきだ。そうだろう?」
いや、そうだろう?と言われても。
暴論と言わざるを得ないこの意見だが、しかし3度目にしてここまでの希死念慮を抱くわけだから、67度転生したらこうなるのだろうか。
「それで、その好奇心が今は俺に向けられていると。そういうわけですね」
「あぁ」
「……飽きられる前に住居を探します」
「賢明な判断だね。では早速実験に移ろう。君との約束もあるしね」
清々しいまでの笑みをたたえた赤ヶ羽は、さっと立ち上がると杖を片手にこちらへ歩み寄る。
約束なんてしたか?と一瞬迷ったが、そういえば東京に帰ったら彼の能力を教えてもらう言っていたか。
赤ヶ羽はしばらく俺を観察していたが、そのうち部屋の電球がバチッバチッと音を立てて切れる。赤ヶ羽はそれを気にも留めない様子だ。
まさか、電球を切る能力なんてしょぼいのじゃないよな?と疑ったが、そうじゃないことはすぐに分かった。窓の外でいきなりゴーゴーと嵐の中のように風が吹き荒れ始めたのだ。
思わず振り返ると、窓が耐えられずガタガタと震えているのがわかる。
おい、まさか割れないよな?
「準備はいいかね?」
「え、何の準……」
俺が言い終わる前に、赤ヶ羽は手に持っていた杖でトンッと畳を叩いた。
すると、窓から差し込む光でできた足元の影から何かがズゾゾゾッと這い出してくる。思わず悲鳴をあげそうになるが、それも叶わない。
手だ!無数の黒い手だ!
石炭のように黒い手が俺の足も、腰も、手も、口も、頭も掴んで引きずり下ろす。抵抗する間も無く、影に飲み込まれるように体が畳へと沈んでゆく。そして、それは赤ヶ羽も同じだった。
まるで溺れるような感覚の後、俺は再び部屋に立っていた。先ほどいた赤ヶ羽の部屋だ。しかし決定的に違うのは、外から差す日光が真っ赤であることだ。急いで窓から空を見ると、厚い赤黒い雲が一面を覆っていた。そして、下を見れば道に"何か"が歩いているのが見える。
なんだ、これ。
どうなってるんだ?
ここがさっきまでいた場所とは明らかに違うのは間違いない。
「私の能力は、此方世界と彼方世界を結ぶ事ができるんだ。今私たちがいるのは彼方世界、異形たちが住む世界のことだよ」
「じゃあ、アレは?」
俺が窓越しに"何か"を指差すと、赤ヶ羽は俺の目を片手で塞いだ。
「アレは異形だ。無闇に目を合わせると危険だよ。何が起こるかわからない」
「それどういうことですか?」
「彼らもまた能力持ちだということだ。と言っても、私たちとは違って人間ですらないが。もう観察はこれくらいにして、詳しい説明をしてあげよう。さっさとカーテンを閉めて、私の話を聞きなさい」
俺は言われた通りカーテンを閉める。
その時、一瞬だけ見えた異形とかいうソレは此方をじぃっと見つめているようで背筋がゾッとした。あいつ、今俺を見て笑ってなかったか?
後に聞かされた赤ヶ羽の説明は冗長だったが、要点をまとめるとこうだ。
まず、今回俺が転生してきたこの世界には二つの行き来可能な並行世界が存在している。
それが、此方世界と彼方世界だ。
此方世界とは所謂一般的な人間が暮らす世界であり、彼方世界とはそれ以外が存在する世界である。正直、赤ヶ羽も彼方世界について十分に知り尽くしているようではないらしい。
それを彼は理想の研究対象だとかロマンだとか興奮気味に言っていたが、俺には1ミリも共感できなかった。
此方世界と彼方世界の行き来は望めば可能なわけではなく、二つの世界を繋ぐ世界線の裂け目を介すか、もしくは転生者の世界を行き来する能力を使用するしか判明している方法は今のところ無いらしい。
そして、彼方世界に住む異形には人間と同じように能力を持たない者から姿形も違う能力持ちまで様々であるそうだ。
また、彼方世界の無機物が此方世界に持ち込まれると何らかの異常現象が起こる確率が高いという。実際の例としては、彼方世界の椅子が此方世界に何らかの原因で持ち込まれた事で「座った人間が未発生の地震を感知する」という異常現象が発生。すぐさま彼方世界へと戻されたらしい。
「彼方世界に戻したって、人助けしない主義者の貴方がですか?」
「私がしたなんて一言も言っていないだろう?そういうのを買って出る物好きも存在するんだよ」
てことは、俺たち以外にも世界を行き来できる者がいるということだろうか。
俺はそう考えながらも一方で、この彼方世界に自分を確実殺してくれる存在がいるのではないかとわずかな期待を抱いていた。少なくとも、此方世界よりもここのほうが能力持ちは多いだろう。ということは、世界が許す壮大な死を与えてくれる者もいるかも知れない。
ここで白状してしまうなら、俺は例え世界が二つ三つ存在しようがなんだろうがさほど興味はなかった。俺はただ、死ぬことだけを一途に考えていて、異形だの異常現象だのというのは暇つぶしに過ぎない。
しかし、もしもその異形が俺を殺せる存在だとするのなら話は別だ。是非とも会って、殺して欲しかった。金を払ってやってもいいくらいだ。
だから、俺はすぐさま赤ヶ羽に身を乗り出して提供した。
「先生、お願いします!この世界で強くて殺傷能力の強い異形に会わせてください!」