第三話
車窓から覗く風景は、田んぼ、田んぼ、小道を挟んで田んぼ。あっちもこっちも緑に覆われ、古い作りの納屋がちらほら見えるからか、どこか孤立集落のような印象を与える。
俺を乗せた車は、舗装されていない凸凹道の上をガタゴトと揺れながら走っていた。
「君の、いや、君のその体の名前は迂囘仙里。ここらでは名の知れた、土地持ちの迂囘家の一人息子だよ。この村に着いた時、迂囘家を尋ねに来たと言ったら誰もがわかったような顔をしていた」
ミラー越しに、運転席に座る赤ヶ羽と目が合った。
白一つない七三分けの頭髪と、目尻のシワが目立つ柔らかな垂れ目。しかしどこか冷たく見えるのは、日本人にしてはやけに筋の通った鼻と、口角の上がらないぼってりと肥えた唇のせいだろうか。
「一人息子ってことは、俺は家族に座敷牢へ監禁されてたってことですか?」
「その通り」
「なんだってそんな……」
「私は迂囘家と交流がなかったから、詳しいことは言えない。ただ、君の元へ尋ねたきっかけは迂囘仙里の父親からの手紙でね。それに書かれてあることが全て事実とするのであれば、その理由は一つ。君が母親殺しの元凶だからだ」
「迂囘仙里が母親殺しを行ったっていうんですか?」
「あぁ。手紙によれば、君を妊娠中の母親がいきなり発火して焼死してしまったそうだ。鎮火したのちに残ったのは、君と、君のへその緒につながる胎盤のみだったと。なんとも奇妙な話だろう?」
おい、待て待て。
俺は嬉々として語る彼の口調に薄気味悪さを覚えつつ、一方で話の内容につっこんだ。
「ちょっと待ってくださいよ。それじゃあ、まるで俺が母親を腹の中から燃やしたみたいじゃないですか」
「だからそう言っているだろう。君が、母親を焼き殺したんだ」
「やめてくださいよ。いくらなんだってあり得ませんよ」
「おや、転生者の君が言える立場かい?」
「だっておかしいじゃないですか。どうやったら胎児が発火して母体を燃やすんです?それに、俺は無事だったんです。俺から燃えたんなら真っ先に俺が真っ黒焦げですよ」
「確かにそうだ。しかし、ありえないなんて言い切れることはないのだよ。それは君がよく知っているだろう?我々人類には計り知れない現象が確かに存在するんだ。しかし、私が気になるのは、迂囘氏がわざわざ私に手紙を寄越してまで主張したその意見の根拠だよ。何を基にそう言っているのか。何が彼をそう思わせたのか。それが気になる。もしかすると、母親が焼死した。それ以外の何かが起こっていたのかも知れない。まぁ、結局のところ本人の口から答えを聞くことは不可能に終わったわけだがね」
残念だ、とこぼす彼の言葉にふと思い出す。
地下から上がり、さて門外に止めた車へ向かおうとした時に見つけた、人一人いない寂れた家屋の外れに植えられた一本の柿の木。そのずっしりした幹から伸びる枝。そこにかけられた縄。だらりと垂れる肉塊。随分と原型をとどめていない様子だった。
通常の人ならちびる事間違いなしのトラウマ案件だが、幸い、俺は過去三回の人生の中で幾度かそういうのを目にした経験がある為に袴を汚すことはなかった。ただし、あれを夜中に見かけたらタダじゃ済まなかっただろうとは思う。
白状してしまえば、俺は一度目の転生先で初めて人型モンスターを退治した時、盛大にリバースした。
あの頃の俺がアレを見たなら、卒倒間違いなし。
慣れというのは、恐ろしいものだ。
「それに、その奇妙な現象が、未だ君の体質として残っているのであればより一層興味深い。そうだろう?」
「何も面白かないですよ」
車は一軒の古宿の前で止まった。
え、ここ?と赤ヶ羽を見れば、彼は躊躇うことなく車を降りてつかつかと歩いてゆく。
仮にも前世では世界を救った英雄だ。こんな、言っちゃ悪いがボロ宿を訪ねるのは久しぶりで若干の抵抗がある。
そりゃ、半壊状態の小屋で生まれた事もあったけど。宿でこれっていうのはなんとも、寂しい。
彼の背を追って玄関をくぐれば、そこには宿屋の主人らしい老夫が一人椅子に座ってパチンパチンと算盤片手に金勘定をしていた。伊勢海老のように腰が曲がって目が飛び出た、なんとも醜悪な容姿をしている。
「ただいま帰りました。ご主人、すみませんが、一人連れが増えましてね。布団をもう一式おねがいします。一人分、また帰り際に払いますから。あと、夕食を早めに持って来ていただけますか?彼、ちょっと体調が悪いものでして、粥にしてくださると助かります」
男は顔を上げる事なくぎょろりと目玉だけをこちらに向けると、何も言わないまま再び算盤をたたきだす。愛想もクソもない対応っていうのはこういうのを言うんだろう。
しかし、赤ヶ羽は伝えることは伝えたというふうにさっさと部屋の方へ上がってしまう。俺もどうする事もなく、ぎしぎしと悲鳴を上げる床を歩いて部屋へと向かった。
「一泊分の料金を既に支払ってる。延長料金は後で追加で払うとして、しばらくはここにいるつもりだから君もここに宿泊しなさい」
「えぇ、此処にですか?」
「何か不満かな?」
不満も何も。
部屋に入った途端、シミが目立つ天井と壁、湿気た畳に穴だらけの障子が飛び込んできた。
掃き溜めだ。人が生活する場所じゃない。
ふと、前世の住まいが恋しくなった。
広々とした空間に特注の家具や備品。有名画家の彫刻や絵画が飾られ、大きなシャンデリアが部屋全体を照らし、床には心地の良いカーペットが敷かれていた。
何が悲しくて、こんなところに……。
俺が床のシミを憎らしく睨め付けているのを他所に、赤ヶ羽は低い机の前で何やらゴソゴソと作業をしだした。
何をしているのかと覗いてみれば、机の上には万年筆と雑誌と原稿の山とが置かれ、さらの原稿に達筆な字でサラサラと文字を書いていた。雑誌は『オカルト異聞奇譚』というらしく、馬の頭と蛸の足が組み合わさったような謎の生き物の挿絵がでかでかと表紙に居座っていた。なんとも胡散臭い。
「あの、どれくらいここにいるんですか?」
「"燃える胎児"の真相を明らかにして原稿を書き上げるまで、だよ」
「"燃える胎児"?」
「君のことだよ。私はこの雑誌でコラムを担当しているんだが、愛読者の中には耳寄りな情報を提供してくれる者もいてね。それで、どうやらとある田舎に胎児が母親を燃やしたと言う男がいるなんて手紙が来て、気になって思い切って君の父親に手紙を書いたんだ。そしたら、返事が返って来て『どうぞ、私の気が変わる前に拙家へお越し下さい』とあったものだから来てみたんだが、私が来るより先に気が変わったらしいね」
「……つまり俺は貴方のネタってやつですか」
「そうなるね」
おいふざけるなよ、くそじじい。人の情緒を散々荒らしといて、よくもそんなことが言えたもんだ。
しかし、悪気を1ミリも感じていない様子の彼に問い詰める元気もなく、諦めを含んだため息をついて、部屋を探る。と言っても、室内にあるのは座布団と姿見と小さなトランクのみだ。
姿見の前に立ってみれば、そこには細っこくて青白い少年がこちらをみていた。髪は長い監禁のせいか腰まで伸びていて、瞳はまんまると大きいからか、まるで少女のようにも見える。
「仙里君。部屋に夕飯が届いたら、私に構わず食べてしまって構わないからね。部屋から出て右の突き当たりに入浴場があるから、食事が終わったら行っておいで。それでもう今日は寝てしまいなさい」
赤ヶ羽は背中越しにそう告げると、また執筆へと意識を向けてしまう。
どこまでも自己中心的な人だな。と思いつつ、しかしその一方で彼を頼ることでしかこの場を凌ぐことができない自分が情けなく感じた。