魔王還る
実を言うと設定もストーリーもほとんど考えてないんですよね…
最終的にどんな結末になるかは決めてあるんですが…
ある日、魔王が現れた。
魔王は人を滅ぼしに来た。
勇者は魔法の剣を作らせ、魔王の胸を突き刺した。
しかし魔王は死んではいない。
剣の力で眠っただけだ。
「……本当に、よろしいのですか?」
少女が尋ねた。地面に引きずるほど長い、美しい刺繍を施した衣を纏っている。高位の魔導士のみに許される衣装だ。
「ここまで来て後戻りなんか出来る訳がないだろ」
少年は答えた。少女に負けずきらびやかな衣装を纏った彼の頭には、王冠が輝いていた。
この狭く湿った地下室には、普段は明かりさえない。急ごしらえの灯台が土壁に沿ってポツポツと並んで、二人の顔をおぼろげに照らしていた。
「……全く、進んでも退いても地獄だな。魔王の眠りを覚まし、使役するなど」
少年は顔を歪めた。
「仕方のないことです。この状況下で王となられたのは貴方の不幸。諦めて下さい」
少女は淡々と言う。
「……お前はいつもそんな言い方をするな、クロウ。朝に顔を洗いに行く、と言うのと何も変わらない口調だ」
「申し訳ありません、トキ様」
クロウと呼ばれた少女は、深々と頭を下げた。
「別に謝れとは言ってないさ。ただ、ちょっと羨ましいだけだ」
トキと呼ばれた少年の王はため息をつくと、後ろへ向き直った。五十人ほどずらりと並んだ兵士達が、はっとしたように背筋を伸ばす。
王はゆっくりと息を吸い、そして、
「……これより、封印解除の手順に入る」
低い声で、しかしはっきりと言った。
クロウは一歩前へ進み出た。目の前は光でできた結界の壁に閉ざされている。彼女は結界に杖を向けると、朗々と呪文を唱え始めた。
クロウが唱える言葉に応えて壁を形作る光が文字列に変わり、さらさらと空気中に溶けていく。それはまるで、光でできた編み物が端からほどけていくようだった。
結界の壁がほどけきると、ぽっかりと空いた空間が現れた。
兵士の一人が松明を掲げると、空間の奥に横たわる影が見える。人の姿をした「それ」の胸には、一振の剣が深々と突き刺さっていた。
「あれが『魔王』ですか」
クロウが呟いた。
「本当に剣が刺さっているんだな」
トキが少し感嘆したように言った。クロウがうなずく。
「あの剣――――聖剣を抜けば魔王は目覚めます。トキ様のお心の準備が整いましたら、私達に知らせて下さいませ」
クロウはそう言うと頭を下げ、トキの邪魔をしないように彼の前からどいた。
トキは奥に横たわる人影に目を凝らした。「それ」は見れば見るほど普通の人間の男のようだった。長身痩躯の体には、尖った角や耳もなければ蝙蝠の羽根もない。ぼろぼろの衣から覗く肌は白く、おそらく腰あたりまである髪は黒い。紫や緑ではない。
(何とあてにならない歴史書だ)
今まで読んできた書物の中の「魔王」を思い出し、トキは頭痛を覚える。千年前の記録とはいえ、ここまで事実と食い違っているとは思わなかった。こんな調子では先が思いやられる。
とはいえ、だからといってここで引き返す訳にはいかない。よりにもよってこの国難の時に、しかも弱冠十五歳にして即位してしまった不運を嘆いている暇もない。
「皆、準備は良いか。これより私は魔王の封印を解く」
声が決して震えないように注意を払いながら、トキは言った。それに応えて、兵士達の後ろから十人の魔導士が現れた。彼らの手には、少々不格好なほどに大きな魔法機械がついた杖が握られていた。クロウが合図をするように右手を上げると、彼らは杖を掲げた。杖の先についた機械がヒィィ…と耳鳴りのような音をたてて青白く光りだす。その様子を確認すると、クロウはトキの方へ向き直った。
「準備は整いました。いつでもどうぞ」
クロウの言葉にうなずくと、トキは魔王の側に歩み寄った。隣に一人兵士がついて、その足元を松明で照らす。すると、魔王の顔が松明の光に浮かび上がった。
トキは思わず息を飲んだ。魔王の顔があまりにも美しかったからだ。とても千年もの間放置されていたようには見えない。肌は氷を思わせるほどに白く透き通り、目鼻立ちは怖いほどに整っている。長い黒髪は頬にかかり、湿った土の上でつややかにうねっていた。
顔が美しいのとは対照的に、魔王の衣は千年の時を経たものにふさわしく、ぼろぼろで今にも腐り落ちそうになっていた。その衣の胸の所に突き刺さっているのが、かの有名な聖剣である。
トキはその意外にも飾り気のない白い剣に手をかけた。最後に少しだけ後ろを振り返ると、クロウがしっかりとうなずくのが見えた。
トキは意を決して手に力を込め、一思いに聖剣を引き抜いた。
ずるり、と、なんとも気味の悪い感触を伴いながら、聖剣が抜ける。その切っ先からポタ、ポタと血の雫が落ちた。
(まるで、たった今殺した人間の胸から剣を引き抜いたみたいな感じだ)
トキは魔王の胸の傷から血が溢れ出るのを見つめた。血は地面にまで流れ落ち、じわじわと広がり始める。
「……おい、傷を塞いでやった方がいいんじゃないか?」
トキはクロウの方を振り返り、尋ねた。
クロウは首を横に振った。
「ご心配には及びません。あれが古文書にある通りの者ならば――――……」
そこでクロウは言葉を途切れさせた。
「何だ、クロ……」
問いかけたトキの言葉は、近衛隊長の怒鳴り声に掻き消された。
「陛下をお守りせよ!白の隊、前へ!」
何を言う間もなくトキは後方へ引きずり入れられ、白銀の甲冑がずらりと前に並ぶ。
「戦闘体勢!」
近衛兵達が一斉に剣を抜く。
「おいっ、何だというのだ!説明を、近衛隊長!!」
トキが近衛兵の一人を押しのけようとすると、後ろから肩を掴まれた。クロウだ。
「クロウ、これは…」
「魔王が目覚めます!下がって!」
「あ、ああ……」
彼女の剣幕に押され、トキはより後方へ下がろうとした。
その時だった。
甲冑姿の兵士が並ぶその隙間から、ゆっくりと起き上がる人の姿が見えた。
その瞬間、彼の全身に鳥肌が立った。それは人間に生まれつき備わった、鼠が猫を恐れるような本能だった。
彼は思い知った。人は本当に恐ろしいものを目にすると、そこから目を逸らせなくなる。
ゆっくり、ゆっくりと起き上がる「それ」の目は、何よりも先に彼を捉えた。
「……ふむ」
真紅の瞳が、トキの大きく見開かれた瞳を怪訝そうに見る。
そして魔王は、心から不思議そうに尋ねた。
「何をしている、勇者よ。さっさとその剣をこの胸に刺さぬか」




