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8 Nosce te ipsum.

 

 目を開ける。

 

(九年前だって?)

 

 もう、間違いない。

 見間違えるわけがない。あの映像の姿……忘れるものか。

 棺桶に眠る、あの人そのものじゃないか!

 そう思った途端、目頭が熱い。むしろ痛い。

  

「はは……やった。マリー様……俺は」

 

(今度こそ、貴女との約束を……)

 




 しかし何と話すべきだろう。

  

「ん……ちょっと待てよ?」

 

 あいつは、主が死んだところまでしか覚えていないと言っていた。そこから思い出したのか隠していたのかはわからないが、アルジーヌと呼ばれる少女の名、そして家庭教師の存在を知っていた。

 つまり忘れたってのは、目覚める前の記憶。タロックでの一切ってことか。殺される以前の記憶……毒のショックで弾け飛んだのかもしれない。だってあいつは少なくとも……一年間は死んでいたんだ。 

 

(どう、説明したものかな)

  

 これ以上辛い記憶を思い出させるのも忍びない。

 本人が望み、その上で思い出すのが一番だが……第一他人の口から語ってもすぐに信じられるような話ではない。

 

 トーラのあの力……あれを使えば、納得してもらえるだろうか。 

 今更気付いたが、部屋の中は暗い。これはもう夜か?灯りでも付けるか、そう思ったとき。

 

 部屋の方へ、近づいてくる足音が一つ。

 思考の間も止まらないままの涙が恥ずかしい。こんな所を見られたくない俺は、頭から毛布を被ってしまうことにした。

 

 

 *

 


 神の呪いと呼ばれる人口減少が始まったのが50年程前。そこからタロックは女子、カーネフェルは男子の出生率が次第に減っていった。 

 男子が減ったため兵士の数が減ったカーネフェルが休戦を申し入れたのが40年前。女子が減ったことで出生率自体が減っていたタロックも、それを受け入れた。

 百年続いた戦争が終結。

 

 戦争により強力な武器を作り、儲けたセネトレア。

 戦争が始まらなくては商人達は儲けられない。だから新しい商品を作った。それが奴隷。

 跡取りが生まれない貴族達のためにカーネフェルで作られた養子制度。それが広まり、悪用され始めたのは何時だったのだろう。

 

 

 そして18年前。混血が生まれた。

 混血が生まれたのは相手の国の血のせいだと二国は再び諍いを始め不和が生じ、戦争が始まる。

 

 こうなれば奴隷の供給は簡単。戦利品はセネトレアで売ればいい。

 強力な武器を買うために。戦争で勝つために。

 二国は、互いの国の民を貪った。そしてセネトレアは肥えた。

 

 誰が悪い?

 誰を殺せば、終わるんだろう。

  

 奴隷通りを見ていると、個人の復讐は酷くちっぽけなものに思えて仕方がない。

 憎い。殺してやりたい。血が逆流しそうな怒り。それは確かにある。その対象が明確になったせいで、それは顕著になっている。

 それでも、それは違うんじゃないか。

 私が本当に殺すのは、その人だけなのか?

 

 狂王といえど一国の王。その脅威がカーネフェルからの国土侵略を守っているのは確かだ。侵略されれば民は奴隷になってしまうから。

 それでも彼が自国の民を虐殺しているのも本当だから……誰かが止めなければならない。それも事実だ。

 酒場の人々。彼等と話す内に……強くそう感じ始めた。

 

 フォース達のような子供を作らないために。

 アルムとエルムのように笑顔で暮らせる混血を増やすために。

 

(私は、何をするべきなのだろう)

 

 そんな思いを抱えたまま、私は階段を登った。

 部屋に戻ると、灯りも付かないまま。耳を澄ませば微かな寝息が聞こえてくる。

  

「アスカ……」

 

 当然のように、声は返ってこない。寝ているようだ。

 ……彼はよほど疲れているのだろう。それなら聞こえなくていい。私が言いたいだけだから。

 灯りも付けずに、私は言葉を紡ぎ出す。

 

「昨日……私はお前の命令無しに、人を殺した。人殺しの道具、失格だ」

 

 命じられたことを遂行したんじゃない。私が気に入らないから殺した。それは、自我なのか?いいや、違う。それがそれが奴隷でないこと……人であることの証明だとは思えない。

 血に狂った、一振りの刃。それが私。でも、アスカはそんな私を人だと言ってくれた。

 

「私を人間だと……過ぎた言葉だ」

 

 例えそれが他の人に向けられた言葉でも。

 それでも、嬉しかったんだ。それは本当だ。

 

「……ありがとう」

 

 何処まで行っても……私は道具以外の、何にもなれない。

 他にはないんだ、何も。

 

 アスカの望む人になれない以上、私は人にはなれない。

 人の自分を取り戻しても、私は……やはり人殺しにしかなれない。

 

「だから……私から理由を奪わないでくれ」

 

 私は道具だ。お前の道具だ。

 血に酔っても、お前だけは殺さない。殺させない。

 

「そうだ、今日……フォースの仲間を捜しに行ったんだ。リィナとロイルと先生と。一人は見つかった……あと二人。その一人の情報掴めたんだ。……僕は、フォースの力になりたい。私もそうしたい」 

「でも……それが終わったら、私はどうすればいいんだろう」

 

 人か道具か。

 私はどちらになればいい。

 

 私は僕であったことを知ってしまったから、僕はあの男を殺さずにはいられない。

 でも道具なら、お前が諫めてくれるなら……私の狂気は鞘を得る。切れ味は落ちる。だから、道具が良い。道具でいたい。

 私は殺さないでいられるかもしれない。もう、誰も。

 

 戦争は嫌だ……人が死ぬ、奴隷が生まれる。少しの誰かが笑って、大勢の誰かが泣くんだ。

 だから奴隷を増やしてはいけない。奴隷を無くさなくてはいけない。

 

「あいつが奴隷を生み出したなら……僕がそれを償わなくちゃいけない。僕が死んだから、あんな法が成立したんだ。僕が、僕が最初からいなければ……フォースが奴隷になることも!友達と引き離されることもなかった」

 

 あいつを殺せば奴隷はいなくなるのか。セネトレアの貴族と商人を片っ端から殺せばいいのか。いや、違う。誰かを殺しても、また誰かがその誰かになる。僕は、奴隷は、誰を殺せば救われるんだ?

 

「あいつを、殺したい。でも、それ以上に僕は奴隷が嫌だ。奴隷を生み出すシステムを消してやりたい……でも、そのためにも僕は誰かを殺すんだ」

 

 個人のための復讐。奴隷のための殺し。

 どっちにしても僕は殺すことでしか、何も成せない。

 結局僕は私のまま。

 唯の、人殺しのための人形でしかないじゃないか。


 人になりたい。なりたいよ。奴隷も人形も嫌だ。

 どんなに願ってもなれないのなら、僕は……

  

「だから僕は……“私”は道具がいい。道具の方が良い」

「だからお前が命令してくれ……私は、どうすれば良いんだ」

 

 答えはない。それでいい。

 だって、これでは駄目だ。私が決めなくちゃいけないんだ。

 私は……自分で考えないから、私は人形なのに。

 

(……リィナが言ってたな)

 

 考える前に行動すること。

 悩んでも答えが出ないなら。

 

 他人のことなら、そう出来るのに。

 どうして僕は、自分の殻を破れない。檻に閉じ込められていく?

 行動なんか、出来ない。このまま息が詰まって死んでいくんだ。心が。

 そうなれば、きっと同じ。狂王と同じなってしまう。

 

 だから、壊して。

 壊して。壊して欲しい。

 この檻の中から助けて欲しい……なんて、本当馬鹿みたいだ。

 

「また、そんな顔してる……そんな顔ばっかさせる主なんか捨てちゃいなよ」

 

 窓の方から聞こえた声。

 すべてを見下すようなその口調。振り向いた先には、青い輝きを放つ暗い瞳。

 

「狭い部屋……落ちぶれたもんだね瑠璃椿」

「蒼薔薇!どうしてここに……」

 

 それに答えず、彼は手を差し伸べる。

 

「今日のお前、おかしかったよ。いつもの瑠璃椿じゃない。人間みたいな目をしてた。そんな風に生きても、お前が辛いだけだ。だから、戻って来いよ。そいつが死ねば、ここにいる理由もなくなるだろ?」


「僕が、殺してあげる」



殻を壊そう?彼が言う。

こいつがお前の殻なのだと……

 


 *

 

  

「あの人が何を企んでたか知らないけどさ、もういいだろ?思いだしたんだろ?それならもう、ここにいなくていいだろ?」

「企む……?」

  

 聞き返す私に、蒼薔薇は嘲笑を浮かべて言葉を放つ。

 

「全部あの人のやったことさ!あの人はお前を知った!見つけた!あの人はお前が欲しかった!お前の立場が要るんだ!だからお前の過去を取り戻させたかった!だからこいつに引き合わせたんだ」

「どうしてそんなことがわかるんだ?アスカは唯のカーネフェル人だろう?」

 

 私の過去とは何の関係もない人間だ。

 

「そいつ、唯のカーネフェリーじゃない。そんなのも知らないで助けたのか?鼻だけは利くんだな」

「そんなことはどうでもいい。蒼薔薇!お前は……知っていたのか、私のことも」

「どうでも、いい?」

 

 私の言葉に、眉をひそめる蒼薔薇。

 お互い関心があるのは全く別の部分らしい。

 私は再び問い掛ける。彼が私の正体を知っていたのだとしたら、彼はどうしてそんなことをする?手を差し伸べようだなんて、おかしいだろう。

 

「憎くないのか、私が……僕が!」

「僕はカーネフェリー。それでも愛国心なんか欠片もないからね、あんな国、滅びれば良いんだよ。だから敵国のタロックのことなんか関係ない。第一混血が生まれたのはあの狂王に関係ないだろ」

 

 蒼薔薇の言葉。そこには“僕”に対する憎しみが存在しない。あるとすれば、思い通りにならない私の考えの方だろう。

 諭すように、彼は言葉を紡ぐ。

 

「瑠璃椿は、瑠璃椿だろ?午前零時に戻って、むかつく貴族達をもっと殺そうよ!僕はお前より……よっぽど、あいつ等の方が憎い。商人も憎い。このセネトレアごと、ぶっ潰してやりたい」


「僕にはそれが出来ない。でも、お前なら出来る!だから、戻って来いよ!」 

 

「あの方情報、そいつはシャトランジー。それもそれなりの身分だ。じゃないと、そんな色にはならない。つまりそいつはお前の大嫌いなお貴族様だってこと。かばい立てする必要なんか無い。純血なんかに混血の辛さなんかわからない!だから……」

 

 動かない私を彼がせかす声がした。

 

「蒼薔薇……お前の言葉は嬉しい。凄く……嬉しい」

 

 いつも冷たい言葉しかくれなかった彼。それが今、とても温かい。

 私がそう思っていただけなんだ。あの場所だって、確かに私の居場所……帰る場所だったんだ。

 

 何にもないんじゃない。

 何も見たくなくて。目を閉じ続けていたんだ。

 誰もいないんじゃない。誰にも心を開かなかったんだ。

 

 馬鹿。馬鹿だ。本当に救いようのない馬鹿だった。

 

「それならっ……」

 

 それでも私は手を伸ばせない。伸ばさない。

 

「でも、私にはわからないんだ。どうしたいのか……何をすればいいのか、わからないんだ」

「どうした、やれよ?純血なんか、お前だって嫌いだろ!こいつ殺して、戻って来いよ!出来ないんなら、僕がやってやるから!」

 

 ごめん。そう私は微笑んだ。

 それが伝わったんだろう。悲しみと怒りと裏切られたという思い。蒼薔薇は、傷付いている。

 

「殺したい奴は、居る。殺した方が良い奴なら、もっと居る。でも、そこにアスカはいないんだ。生まれは関係ない……お前が私は私と言ってくれたように、アスカはアスカなんだ」

 

 大事なのは今。

 アスカは、違う。私を物のように見ない。人間だって言ってくれた。

 

「アスカは、アスカだ」

 

 もう一度そう言い放つ私。

 不可解そうに不愉快そうに、私を見る蒼薔薇。

 彼が壊れたように笑い出す姿に、胸が痛んだ。

 

「お前がそこまで言うなんて……随分入れ込んだものだね。やっぱり、血かなぁ……狂王に同情するよ。お前はどうして狂王が狂ったか、知らないんだ」

 

 蒼薔薇の声は、棘を増す。不愉快と殺気が内から滲み出ている。それでも、気圧されてはいけない。

 

「私は……いつかお前の言う通りの姿になるかもしれない。それでも、アスカは私の主だ。だから殺さない。殺させない!私はもう……目の前で主を死なせたくないんだ!」

 

 貰った二本の短剣。取り出したそれを突き立て、肩から手首まで赤い道を走らせる。

 両手は血まみれ。傷は浅くはないのかも。

 また先生に怒られるかもしれない。

 怒られても良い。それは生きてるって証だから。

 

 切り裂けば切り裂くほど、私の力は強くなる。ここはもう、私の支配領域。

 次は右足。軸足あえ残ればいい。

 太ももに突き立てた刃が床に滴る。両手は既に血まみれ。一滴でも触れられれば私はこの人を殺せる。

 

「どこまでやるつもり……お前も死ぬぞ?」

「奴隷は主のためのモノ。何か不都合でも?」

 

 睨み付けてくる蒼薔薇。その瞳に映る私は、不思議なことに笑っていた。

 そうか。私は空っぽじゃないんだ。

 空っぽの過去なんてどうでもいい。過去ならもうある。

 アスカは生きている。共に過ごした時間が零でリセットされ、過去になった。

 

 存在理由。私は奴隷。生きている主が居る。

 だから主を死なせない。私が、アスカを守る。

 それが今の私の存在理由。

 

 道具でも人でもない。

 今の私は奴隷。主が居る、理由がある。幸せな奴隷だ。

 

 壊すより、守るための道具になれるなら。きっと、ずっと……そっちの方が何倍だって良いはずだ。誇りを持って剣を振るえる、殺せる、死ねる。躊躇いを覚えた相手でも、今なら殺せる。胸は痛むけれど泣いてしまいそうだけど、私は出来る。

 

 リィナが言っていたのはこういうことか。

 

 復讐も償いも何も出来ていない。出来ずに死ぬかもしれない。

 それでも今、僕は満たされている。

 

 ああ、生きてる。

 僕は生きてる。

 人形でも人間でも、何でもいい。

 僕は、生きてるよ。

 

「アスカ!起きろっ!!」

 

 早く起きて。

 アスカだけ逃がせば、思う存分暴れられる。

 私は暴れるだけでいい。血を踊らせて。切り裂いて。外へ出る血を増やせば。彼は私に触れられない。

 

 今度は、殺すつもりで行く。簡単には負けてやらない。


「……その辺にしとけ」

  

 初めて聞く、凄みを利かせた低い声色。その声の持ち主は、怒っている。物凄い殺気だった。

 その言葉は私と蒼薔薇、その両方へ向けられていた。

 

「……アスカ?」

 

 蒼薔薇の背後に立つのは、寝ていたはずの人。

 蒼薔薇の首筋に当てたナイフからは一筋の血が滲む。

 

「ガキはさっさと寝ろ、もうとっくに遊びの時間は終わってるだろ」

「お前の主は馬鹿なのか?」

 

 アスカの言葉を蒼薔薇が嘲り笑う。

 

「目を覚ましたならさっさと逃げればいいものを。瑠璃椿がしたこともすべて無駄になったな」

「止めろっ!」

 

 制止を求める私悲鳴が、虚しく響いた。

  

「止めてください、だろ?ま、どっちにしろ止めないけどさ!」

 

 アスカがナイフで首を切る前に、蒼薔薇の姿が消える。目で追うのがやっと。そんなスピードでしゃがみ込み、アスカの足を蹴る。

 傾いだ身体に蒼薔薇の腕から鎖が伸びる。その鎖はアスカの腕に絡み付き、腕の自由を奪う。ナイフが床に落ちる音が、やけに大きく聞こえた。

 

「ペットが馬鹿だと飼い主も馬鹿になるのか?あははっ!」

 

 鎖を放つと前に、もう片方の腕から青薔薇は糸を走らせていた。ふわりと闇夜の不可視の糸。

 それがアスカの首に絡んでいる。彼が糸を弾けば、終わり。でも蒼薔薇はそうしなかった。

 

 昼間のは遊び。蒼薔薇は剣士ではない。鎖と糸を使う、殺し屋。

 蒼薔薇は、本気でアスカを殺すつもりだ。

 

「そう、その顔!お前のためだよ瑠璃椿」

 

 私の表情。それは多分絶望と僅かな期待、それに縋り付いているような情けない顔。それが蒼薔薇を喜ばせているだけのもだとわかる。それでも……それを止めることが出来ないのは、それを止めたときがアスカの最後とわかるから。

 

「その目に焼き付けろ。お前の大事なご主人様がじわじわ死んでいくのをね」

「や……止めて、下さい」

 

 必死に紡ぎ出した言葉は、僅かに興味を引いたよう。

 

「馬鹿も馬鹿なりに頭を使うんだね。そうだな、もっと僕の気を変えられるような謝り方はないわけ?」

「この糸は肉を裂き、骨を砕く。職人技と僕の力があってこそのものだけど……こんな優男の首一つ、簡単に落とせるってわかってるでしょ?」

 

 私は手にした武器を捨て、彼の足下に跪く。

 それを見つめる蒼薔薇が頭上で笑う気配がした。

 

「私には……何もない。この身一つしか」

「そうだね。お前にはそれしか出来ないものな」

「何をすれば満足ですか?……私に出来ることなら、なんでも。だから」

「いい返事だ。戻ってくるのは当然として……そうだな、それじゃあ……」

 

 蒼薔薇の口が笑みの形を作る。その口が紡ぐなら、どんな要求も私は呑まざるを得ない。

 

「おいそこのマセガキ、何人様の部屋でアブノーマルな遊びしてんだ、そういことは裏通りのSMクラブでも行って遊んでこい」

 

 蒼薔薇は力を緩めていないはず。アスカは丸腰だったはず。それなのにどうして、首を絞められている彼の声がする?

 

「そいつに用があるならまずは俺を通して貰おうか?主権限つか、保護者感覚だがな」

「……あれを、切ったって?まさか、素手で……」

 

 鋼鉄をも裂く繊維を普通の人間如きが出来るはずがない。蒼薔薇は驚愕に目を見開いていた。

 武器なら蒼薔薇が彼が床に落としたはず。そう思って見上げたアスカの片手には何本ものナイフが握られていた。

 

「誰がナイフ一本しか持ってないって何時言った?伊達にセネトレアで生きてねぇぜ」

 

 糸を切ったことを蒼薔薇に感じさせないように、糸の端と端を掴んだまま切断し、それを近くの柱に結びつける。

 言うのは簡単だ。けれど、蒼薔薇が油断していたとはいえ、並大抵のことではない。

 それに気付いたのだろう。蒼薔薇も少し、本気になったようだ。

 

「へぇ……こいつよりは悪知恵が働くみたいだけど、たかが知れてるよ」

「やってみねぇと何事もわかんねーだろ?」

「わかるさ!一般人が本職に敵うと思う?答えは、NOだ!」

「随分口やかましい殺し屋が居たもんだな、転職をオススメするぜ」

 

 ロイルを相手にした大剣。あれを抜いたアスカが笑う。

 

「楽なもんだっただぜ?お前、リフルの方ばっか見てんだ」

「…見てないっ!リフルじゃない、瑠璃椿だ!!あんた何様!名前なんかつけてご主人様気取り?!所有物扱い?!ふざけんな!」

「すぐキレるのはガキの証拠だな」

「五月蠅いっ!!」

 

 アスカの言葉に激昂した蒼薔薇が飛び上がる。くるりと回転し天井を蹴り、急降下。

 蒼薔薇は鎖。アスカは剣。絡め取れてしまえばアスカが不利だ。だからアスカは避けることを選んだ。けれど、相手は蒼薔薇。スピードで純血のアスカが敵うはずがない。

 

「首と剣、どっちを先にへし折って欲しいっ!?」

「どっちも嫌だな!つか、同じ事だろっ!」

 

 蒼薔薇の猛攻をかわし続けるアスカだが、防戦一方になっている。このままじいずれ勝負はつく。

 

(殺させないっ……!)

 

 私は、アスカの元へと足を動かし、距離を詰める。

 私なら盾になれる。蒼薔薇も私を避けて攻撃している。返り血の毒を恐れている以上、私はアスカを守れる。

 

「首は命、剣は主に捧げた魂。どっちも折らせるわけにはいかねぇぜ!」

「ふぅん!……決めた!こっち!」

 

 蒼薔薇の片腕から発射される鎖。その先に付けられた刃。それを避けるアスカに向かって、床を蹴った蒼薔薇が飛ぶ。さっきの刃は壁に刺し、それを巻き上げる仕掛けを使って一気に距離を詰める。もう片手が振り回す鎖には棘が付いている。

 

「誇りのために死んじゃいな!喰らえ“茨鬼”!!」

 

 あの鎖……茨鬼には毒が塗られている。即死効果はないが、しばらく動けなくなってしまう。そうなれば、簡単に殺される。

 だから丁度良かった。私がアスカの傍に来られたのがその瞬間で。

 

「アスカ、早く逃げろ!私なら切られても平気だから」

 

 私に効く毒は存在しない。万が一切られたとしても……切る程、蒼薔薇が不利になる。鎖も使えなくなる。糸も返り血を恐れておいそれと使えないはず。

 目を使わなければ、彼の状況判断能力も奪わない。きっと、出来る。だから大丈夫。だから、逃げて……

 

「……馬鹿にすんなよ。俺がいつ守って貰わなきゃ何も出来ないお姫様になったんだ?」

 

 必死の言葉も、アスカには届かない。

 アスカは私の前に立ち、自ら棘との距離を詰める。

 

 どうして。止めろ。止めてくれ。

 

(私はもう……こんなのは、嫌なのに)

 

 目の前で、主が死ぬところは見たくない。

 私のせいで、死なせたくない。

 

(アルジーヌ様……)

 

 少女が目の前の人と重なって私は叫ぶ。

 

「アスカ!」


「奴隷相手に騎士気取りで?それで死んだら無意味だねお前っ!潔いのは褒めてやるけどさ!」

「は、馬鹿言え」

  

 死が目の前に迫っているのに、どこまでもアスカは不敵に笑う。

 その自信はどこからやって来るんだ。なんで、笑っていられるんだ。私にはわからなかった。

 

「俺が予想してなかったと思うか?予想さえしてれば、大抵のことは対処は出来るし覚悟も決められる」

 

「跪け……なんてな」

 

 ガシャンという音で茨鬼が手から滑り落ち、その一瞬後に彼も落下する。アスカの言葉は現実となり、蒼薔薇は床に伏す。勿論蒼薔薇がそんな命令に従うはずがない。これが彼の意志ではないなら……これは何だ?

 

「俺はタロックに居た時期があってな……」

 

 床に向かってそう語りかける声。

 

「毒の知識はそん時勉強したさ」

 

 この状況を創り出したのが、毒?

 それでも私ほどではないといえ、蒼薔薇だって耐性は付けているはずだ。仮にも暗殺者なのだから。蒼薔薇もそう思ったはずだ。

 

「は、毒の耐性くらい……」

 

 立ち上がろうとする蒼薔薇、けれど彼はそれが出来ない。

 アスカは笑う。

 

「ははは、動けないだろ?あれだけ暴れれば毒が回るのも早いさ」

「それなら、お前だって」

 

 蒼薔薇をも伏せさせる毒。本人にだって効いているはず。蒼薔薇ほど動いていなかったからまだ立っていられるだけ。その可能性は十分ある。それでもアスカの笑いは途切れない。

 

「言ってなかったな、俺の趣味は毒の調合。実験台は俺。免疫なら付けてる」

「首に切りつけた刃だけじゃない。室内にも同じ効果のを放ってたんだ。霧状の香りもしないとっておきのオリジナル。既存の毒の耐性も無意味。解毒剤も俺だけが持ってる。意味はわかるな?」

  

 絶対の優位を確信している声。それに緊張の糸がぷつりと切れてしまったようで……私はぺたんと床に座り込む。

 

「お前がどれだけお強い殺し屋さんだって、関係ないんだ。お前おしゃべり長いからな、簡単だったぜ」

 

 空気を吸い込めば吸い込むほど効果が早まる。そういうことらしい。

 

「そろそろ喋れないだろ?舌噛むのも出来ないはずだ。ついでに睡眠効果も付随してる。効いてきたみたいだな」

 

 蒼薔薇は声をもう発することも出来ない。やがて瞼は落とされ、彼の蒼を隠してしまう。

 それを見て、安堵したようにアスカが重い溜息を吐いた。

 

「はぁ……危なかったな」

「……危なかった?」

 

 反射的にアスカをキッと睨み付けてしまう。

 だって、全然余裕そうに見えた。私なんかいなくても、一人でなんとかなったんじゃないか。そう思わせるくらい不敵に笑っていたくせに。

 

「そう見えたんならお前のおかげだ。お前に情けないとこ見せたくなかった……それだけだ。本職相手なんて割に合わねぇって、俺一人ならさっさと逃げてた」

 

 どうして?

 どうして私のためにそこまでしてくれるんだ?

 そんな理由、ないはずなのに。

 

 ああそうか。

 

(“マリー”様、か)

 

「さて、適当にふん縛って転がしとくか……ってんなことより」

「腕、大丈夫か」

 

 取り上げられた腕。

 じっとしてろ。そういって血を拭うために用意された布と手当の道具。洛叉というあの人が持っていた物よりは簡素なそれ。それでも普通の家に常備してあるそれよりは、遙かに凝った薬品達。

 

 アスカのやっている請負組織とは、生傷の絶えない仕事なのだろうか。それとも、毒が好きだから薬品も増えたのか。

 

(……毒)

 

 忘れてた。掴まれていた腕を反射的に振り払う。

 そうだ、私は毒だった。

 

(馬鹿だ、私は)

 

 あまりに自然に接してくれるから。忘れてしまいそうになる。

 それでも忘れてはいけないことなのに。

 

「自分でやる。私の血は……毒だ」

 

 アスカだって、忘れていただけに違いない。本当は怖いんだろう?わかるさ、それくらい。目が、そう言ってる。怯えているくせに。

 

「少なくとも、死なないってわかったから大丈夫だ」

 

 解毒が成功したのは、私がアスカを殺せなかったのは、毒の耐性のせいだったのだろうか。

 それでも……馬鹿だ。アスカは馬鹿だ。

 強がってる。今だって、微かな震えが伝わってるのに。

 それでも彼は、不敵に笑う。

 

 彼の強がりに、私は言葉を紡ぐことさえ馬鹿らしくなってきて……つられたように苦笑するしかないのだ。

 安心したせいか、心に余裕が生まれたせいか、私はあることを思い出す。

 

「……寝てなかったんだな」

「まぁ、な。でもお前が時間稼いでくれなかったら、毒の仕掛けもここまではまらなかった」

 

「寝たふりだったんだな」

「わ、悪気はなかったんだぜ、これでも」

 

 聞いてたんだなとは聞けなかった。頷かれたら、たぶんもう何も言えなくなるから。

 

「ちょっと考えれば誰だってわかるさ。大金にお前を手放すなんて大損だろ?」

 

 何かあるって思うのが自然だとアスカは笑う。

 

「寝たふりでもして油断しまくってればのこのこやって来てくれるかと思って……もし来なくても、効くか効かないかはわからなかったが、お前の脱走も防げるだろ?」

「……どうして」

 

 蒼薔薇が現れなかったら。私はそうしていた。そうするつもりだった。ここにいても迷惑にしか為らないってわかったから。

 自分で答えを出すために。

 どっちを選んでもアスカは巻き込めない。彼はマリーという人のために生きるべきなのだから。偽物は消えるべきだ。

 でも、そんなこと教えていない。口にも出していない。

 それなのに。どうしてそれが彼にバレている?

 

「お前、追い詰められたような顔してたしな、鏡見てみろ。顔に書いてたぜ。いや、ほんとに見るなよお前……顔……つか、声だよ」

 

 私の声の危うさに気付いた彼は毒を放ったという。

 とりあえず彼は、肌身離さず大漁の武器と毒薬を所持していることがわかった。

 それでも見ろだの見るなだの、アスカのいうことはよくわからない。

 少しだけふて腐れた気分になった私に、アスカが静かに問い掛ける。

 

「……教えてくれるか?」

 

 私は小さく頷く。

 アスカが聞くのなら、私は答えるだけ。聞かれなかったから話さなかっただけ。

 

「奴隷屋“午前零時”は、唯の奴隷屋ではない。あそこの本当の姿は、暗殺請負組織だ」

「だろうな」

 

 私と蒼薔薇が顔見知り、そして彼が暗殺者まがいのことをしてきたのだ。アスカもそれは気付いていたようだ。

 それでもこれは知らなかったようで、彼は軽く目を見開く。

 

「後天性混血児を知っているか?生まれは純血でも、成長している内に混血に目覚める者が稀にいる。蒼薔薇は……カーネフェル人だ。元は金髪だったらしい」

 

 後天性混血。彼等は目の色だけは生まれた時のまま。

 暗い場所では見えていなかっただろうが、灯りを付けた今はアスカの目にも見えているだろう、異形の姿。

 蒼薔薇も鶸紅葉も後天性混血児。その強さからあの人の側近となったのだろう。

 

「彼等はその境遇の代償に、高い身体能力を得る。その戦闘能力を買われて生きる場所を得手殺し屋になるあそこで先天性の混血児は私くらいだ」

「外見は混血だから、奴隷屋ってのはいい隠れ蓑になる……か」

 

 アスカは納得したように頷いた。そして次の疑問を口にする。

 

「あの人ってのは誰のことだ?ゲーム、企みって何なんだ?」

 

 聞いていたのなら、当然の疑問。

 それでも私は言えない。アスカは巻き込めない、だから言えない。

 

「……わからない。私は役に立たない奴隷だな」

 

 我ながら上手く言えたんじゃないか。昨日までなら、そう答えていたはずだからあながち嘘でもないから。

 そんな私の溜息に、少し怒ったようなアスカの声。

 バレたのかと思った。でも彼が怒ったのは、そこじゃなかった。

 

「だからお前は奴隷じゃないだろ」

「……どうして、そんなことが言えるんだ!」

 

 聞いていたくせに。

 そんなに私を人殺しでいさせたいのか?

 私はお前の望む人間にはなれない。マリーという人にはなれない。

 僕がなれるのは、狂王の血を引く呪われた人間。今以上の血を流すことしか出来ない人間。そんなモノを望むのか!?

 

「言える、何回だって言ってやる。お前は奴隷じゃない。お前が奴隷じゃない。仕えるのはお前じゃない、俺なんだ」

「アスカ……?」

 

 彼は一体何を言っているんだ?文脈がおかしい。

 途惑う私を置き去りに、彼は言葉を続けていく。

 

「理由が要るなら俺がくれてやる。お前は俺が剣を捧げるはずだって、俺の主だ」

 

 違う。

 やっぱりアスカは……僕と間違えていたんだ。

 

「違う!私は……お前の主は“僕”じゃない。僕は“マリー”なんて名前じゃない」


マリーという名前もとあるスートのQのモデルの方の名前から。トランプでは片目の女王(横向き)は居ませんが、小アルカナだと存在するのが面白いと個人的に思います(単に画家が違うといえばそれまでですが)。トランプには片目のジャックがいますが、この解釈がとても面白くなるほどなぁーと思うモノがありました。気になった方は是非是非ググってください(笑)。その解釈だと女王は愛にも生死にも執着がないそうでして、その冷めた感じがなんとなく納得できました。他の章に登場する女王様はそんな感じの子です。出会ったときは優しくしてあげてくださいね。


次回でやっと二人の誤解の一つが解けると思われます。

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