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3 Risu inepto res ineptior nulla est.

 3

 Risu inepto res ineptior nulla est.

 

 正体がばれないように、髪をまとめさせ、その上にフード付きのマントを羽織らせ、前髪も隠れるくらいしっかりフードを被せた。

 これでとりあえずは大丈夫だろう。

 

 昨日の変装した時の黒髪のウィッグは老婆が運んできてくれた。それを被せればあっという間に一人で歩いていたら完全に拉致られるようなタロック美少女の完成だ。

 混血ほどではないが、タロック人の女の子も希少価値が高い=奴隷商に狙われやすい。本当は男装させるのが一番安全だが、俺の服ではサイズが合わないから仕方がない。

 

「んじゃ、行くか」

 

 手を差し出せばしっかりそれを避けられた。嫌われているんだろうか。部屋の戸締まりをし、とぼとぼと階段を上がる俺だったが、大事なことを思い出し、リフルの方を振り返る。

 

「そうだ、一応持ってろ」 

 

 放り投げた二本の短剣。受け取るリフルは不満そう。

 

「……武器なんか」

 

 連続殺人犯のプライドに障ったらしいが、毎回あんな殺し方をさせるわけにもいかないだろう。なんつーか……いろんな意味で目の毒です。俺の精神衛生上によくない。

 

「護身用だ。この街で丸腰ってわけにもいかないしな」

「命令?」

「……頼み事だ」

「……それならわかった」

 

 あっさり引き受けるリフルの顔には、僅かに嬉しそうな笑み。命令?と聞くくせに、それ以外の答えを与える方が反応が良いのは何故だろう。

 宿の五階。その廊下の窓を開け、隣の屋根へと降り……続けて来るよう手招きすると、ぴょんと降りる音がして……ガシャンという落下音がした。どうやら着地を失敗したらしい。

 

「運動神経……悪かったのか?」

「こ、こういうことに慣れていないだけだ!」

 

 馬鹿にするなと怒り出すが……それならついて来いと屋根から屋根へと跳び移り……後ろを振り向くと小さな点になった彼女が。

 何か言いたげな彼女に手を差し出すと、今度は振り払われずに済んだ。絹の手袋が思いっきり俺の手を掴む。どうやら高所恐怖症でもあるようだ。

 その人間味に俺は、洛叉のもとで思い至った答えを忘れてしまう。

 

「…………わかった、掴まれ」

 

 躊躇い下がる彼女に命令と告げ、その手を取った。

 想像以上に軽い彼女を抱え、俺は屋根を跳び移る。

 

「どうして……屋根を歩くんだ?」

 

 いくつめかの屋根を越えたとき、リフルが聞いた。

 

「セネトレアって物騒だろ。でも屋根は比較的安全な方なんだ」

 

 屋根と屋根の間はそれなりに離れている。高さもそれなりにある。運動神経と高所愛好家精神が伴わなければそんな愚行をしようとは思うまい。そう思う馬鹿が少ないせいで混雑している通りと異なり、屋根の通行はいつもがら空き。奴隷商に出会すこともまずないし、物騒事も遙かに少ない。

 そんなことを思っている内に目的地に近づいたことを知り、俺は屋根から飛び降り、リフルを降ろす。

 

「さて、着いたな」

「ここ、何処?」

「調べ物するには、まず情報。情報屋だ」

 

 新しくも古くもない、ごく普通の建物。時計塔ほどではないが、それなりに高さはある。この建物全てがあの虎娘の所有だというから信じられない。請負組織TORA本部。これまでも仕事関連の情報収集の度に足を運んでいる場所だ。

 幸い同じ西側にあるためそう遠くはない。そこまで来てみたはいいが、どうすれば彼女に会えるのかわからない。今までそんなこと考えもしなかったし思いつきもしなかったからな。とりあえず受付で先日の依頼の件を持ち出してみるか。そう思った時……

  

「僕をお捜し?」

  

 背後から聞こえた声。その独特の話し方は一度聞いたら忘れない。

 

「本当に神出鬼没だな、あんた」

「お褒めに預かり、光栄♪」

 

 リフルを目に留めた彼女はにこやかに挨拶をする。

 

「やあ瑠璃ちゃん、もしくは椿ちゃん?一日ぶり」

 

 対するリフルは黙礼一つ。

 そんなことより、今の話の流れだと……

 

「やっぱりあんただったのか」

「え、なんのこと?」

 

 ケロリといった表情で俺を見上げる情報屋。

 

「俺が死なずに済んだのは、あんたのおかげだろ?」

「まぁ、半分はね」

 

 その微妙な物言いが気になったが、とりあえずは礼を言っておくことにした。

 

「とにかく例の件は助かった。あんたの依頼ならしばらく断れそうにないな」

「あはは、それは嬉しいな。で、今回は君の方がお客様みたいだね」

 

 この情報屋は察しが良くて非常に助かる。

 

「ああ。今回はこいつのことなんだが……金なら10まで出せる。どんな事でも良いから調べてもらえないか?」

「……3で良いよ。わかった、調べてみる」

 

 桁は言わなくとも、彼女なら解っているだろう。

 いや、知っているだろう。

 

「それじゃあ瑠璃ちゃん」

 

 トーラの声に不機嫌そうな眼差しを向けるリフル。そう言えば教えるのを忘れていた。

 

「ああ、こいつ今日からリフルに改名したんだ」

 

 そこんとこよろしくと目配せすると、情報屋は小さく頷いてくれた。

 

「それじゃあリーちゃん」

 

 微妙な愛称にリフルはどう反応すべきか迷っているよう。しかしそれも、続くトーラの言葉で杞憂に変わる。

 

「君の最初の主って人の名前だけ教えて貰える?」

 

 その顔に緊張が走ったのが見て取れる。トーラの質問に、歯切れが悪そうにリフルは答えた。

 

「………………アルジーヌ、様」

「オッケー、じゃあそこからリサーチ始めるから」

 

 トーラがリフルの動揺を見ぬふりをしてくれたのは、ありがたかった。主の名を口にしたリフルは顔色も良くない。

 

「飛鳥君、何かわかったら僕の方から宿に出向くよ。一応忠告しておくけど、あんまり出歩かない方が良いと思うよ」

「依頼した僕が言うのも何だけど、リーちゃんのいたとこ、それなりにやばい繋がりがあるみたいだから」

 

 ほんと、何で俺に依頼したんだこいつは。

 俺の名前を知っていて。それで俺の望みを知っていた。だから御しやすいと思ったのか?

 それとも、もっと深いわけがあったのだろうか。もしもの時のため。自分の身を守るためのコネ作りなんだろうか。

 

(俺のコネでも……果たしてこいつの役に立てるか微妙なんだが)

 

 自分の微妙な立ち位置には、嘆息するしかない。タロックにもシャトランジアにも、俺の帰る場所はないんだから。

 

「あ、それともうひとつ」

 

 物思いにふけっていた俺に、耳貸して。そう言ってにこやかに手招きをするトーラ。渋々それに従うと、声だけは真面目に彼女は言った。

 

「リーちゃんに触っちゃ駄目だよ。君、昨日それで死にかけたんだから」

「でも……俺は」

 

 今だって彼女を抱えてきたはずだ。

 

「りーちゃん手袋してたし、服の上からなら大丈夫みたいだけど、素肌に気をつけて。暑いからって薄着してたらすぐ死ぬよ?」

「リーちゃんは、触れるだけで人を殺せる……忘れないで」

 

 その言葉に、ぞくりと肌が震え出す。

 タロックが生み出した殺人兵器、毒の乙女。リフルがそうなのだと、トーラが教える。

 俺達の内緒話をじっと見つめてくる彼女。俺は、その視線に鼓動が早まるのを知る。浮ついた気持ちなんかじゃない、これは……もっと恐ろしいモノ。目の前の、人の形をした“何か”を恐怖するかのように俺の心臓は怯えていた。 

 

 

 *

 

 

 屋根を歩かなかったのは、もう一度触れなくてはいけないから。

 言い訳をするなら、買い物があった。そういう風に言ったかもしれない。

 

 俺は一体何を恐れる?

 俺より身体能力も遙かに劣っているこいつに。

 恐れる必要なんかないはずだ。それなのに、トーラに言われた言葉が頭から離れない。

 

 裏通りの適当な店で変装道具を買い、それから男物の服をいくつか買った。

 こいつの着せられていたひらひらしたドレスなんて、見るからに女と言っているようなもの。それはセネトレア風に言うなら攫ってくださいと言っているようなものだ。

 攫われたくないなら護衛を付けるか、男装するか、武装するか。そのくらいしなければセネトレアではいきていけない。

 商品価値的にカーネフェル人女性よりタロック人女性の方が価値がある。純粋に希少価値の話で。男はその逆。

 要するに、余程の美人でもない限り……カーネフェル女性は奴隷商に狙われない。タロック男もまた然り。つまり変装するならこのどっちかが狙い目。この場合更に狙われにくいのは男の方だろう。買い物はその辺りを考慮してのことだ。

 店の更衣室で着替えさせると、人形めいた印象も大分薄れた。十分攫われそうな外見なのはどうしようもないが。

 

「…………似合うな」

 

 整っている分何でも似合うと言えばいいのか。線が薄いおかげで、服装一つで普通にタロック男子に見える。身長を誤魔化すために底の高いブーツも履かせたのが良かったのかもしれない。

 

「後は……ちょっと、貸してみろ」

 

 先程の短剣を一本分かり易く帯刀させるため、ベルトを使って足へとくくりつける。もう片方は隠して持っておくように支持をした。

 

「よし!これで普通に歩ける……どこか行きたいところはあるか?」

「……わからない。場所の名前が」

 

 出歩くのはいつも、夜。セネトレアを満足に歩いたこともないのだろう。

 

「ああ、そうか……それじゃあ、一通り回ってみるか」

 

 そうすることで、何か思い出すかもしれない。そう思った俺は、リフルを連れベストバウアーを回ってみることにした。

 そのまま真っ直ぐ進みこれまで歩いてきた裏通りを抜けると、大きな通りに差し掛かる。溢れかえる人混みに慣れない者は憂鬱になるというセネトレアの名物?いや、迷所ってところか。

 通称表通り。金さえ払えば買えないモノは何もないというベストバウアーきっての大通り。通りの右左に露天が並び、さらには通りの真ん中にも商人がいる。その真ん中から右が城方向へ向かう波。左が門へと帰る波。

 

「ここが表通り。毎日昼間はずっと市をやってるな」

「ここをずっと進むとセネトレア城がある、そこに行くまで左右に広がる大きな通りがいくつかあって……食材通り、薬剤通り、武具通り。それから嗜好品通り、王宮前に広がるのが……奴隷通りだ」

 

 奴隷通りと口にした途端、ピクリとリフルの目が此方を向いた。

 

「奴隷通り?」

 

 その言葉に、彼女は普通の売買であそこに辿り着いたわけではないということが知れた。

 

 (貴族辺りが拾って……主を亡くしたこいつをあの奴隷商が引き受けたのか……?)

 

 教会も商人組合の介入も受けないというのは、少々臭う。

 それはそうと、こいつは一般常識のどの辺りまで理解しているのか……そのあたりを確かめる必要があるかもしれない。

 

「セネトレアが奴隷貿易の中心地ってことは知ってるな?」

「屋敷で……習った」

 

 頷くリフル。

 

「習った?」

「最初の……屋敷。先生が……」

 

 そうかと頷きそうになったが、俺はあることを思いだし考え直す。 

 

(待てよ……)

 

 こいつは確か……“最初の主が死んだところ”からしか覚えていないと言ったはず。

 それでもこいつはトーラに聞かれた主の名前を答えた。そして、今も。

 

(話す内に……記憶を引きずり出せているのか?)

 

 それならば、あの通りを見せても逆効果ではない。会話でこれだけ引き出せるなら、視覚情報は、それを遙かに上回るだろう。

 だが、あそこはかなり特殊な場所だ。こいつが居た場所より……程度は酷いかも知れない。

 あの店は店主こそあれだが、分類するなら奴隷店の高級部類に属するだろう。商品にあれだけ立派な衣装を着せていたからには。

 けれど、これから向かう場所は店ではなく市場。ボロ布のような格好をしている者達が殆ど。金持ちや奴隷店主はそこから原石を見つけて磨くことを愉しむのだから。

 

(それとも……まさか、な)


 俺はもう一つの可能性に気付いていた。

 故意的にリフルがそう言った。主を殺したところから……名前を覚えているのなら、その屋敷での出来事だって覚えているに違いないのに。

 信用されてない?それとも……他人には言いたくないような、記憶なのか。いや、どっちでも……俺はこいつの力になるだけだ。無理に聞き出すなんて無粋なことはしない。傷つけたいわけじゃないのだから。

 

「あれは普通の人間からすれば、見てて気持ちの良いものじゃないのは確かだ。それでも行くか?」

「……行く」

「……はぐれるなよ、あそこは奴隷商の巣窟なんだから」

 

 口ではそういいつつも、俺はリフルに手を差し出せない。

 そんな自分に舌打ちし、通りへ向かう。

 

 (馬鹿か、俺は)

 

 あの虎娘の戯れ言に、何惑わされてるんだ。

 触るだけで人を殺せる人間なんて、この世にいるはずがないのに。

 

 それなのに、手が震える。

 怯えている。肌が感じる、死の恐怖。

 

 (情けねぇ……)

 

 一度あの手を放した時から俺は何も変われていない。

 あの時、そうしてしまったから俺は……すべてを見失ってしまったのに。

 

「俺は……馬鹿だ」

 

 悔いるように呟いた声は、リフルに聞こえなかったようだ。どうせなら聞こえれば良かったのに。伝わればいいのに。もう一度言うことも出来ない俺の、言いたいこと、すべて。

 そして罵ってくれればいい。お前のせいで。そう言ってくれれば……俺はまだ、救われるのに。

 

 

 *

 

 

 狭い折に押し込められた商品達。

 希少価値の高い混血や、タロック女児やカーネフェル男児は比較的広いスペースを与えられているが、それ以外は違う。

 幼い方が値段は高く、老いる程に安くなる。

 大人達はダースで売られる労働力。子供達は少子化を防ぐ、養子制度という建前の愛玩動物。

 値段は異なれ、どちらにせよ家畜以下の扱い。この世の地獄の一つはこの場所だろう。

 リフルは言葉を無くしたまま、目に焼き付けるよう右や左を見つめていた。

 

 (……いつ来ても胸クソ悪い場所だな)

 

 出来ることなら、この檻を全て開け放してやりたい。それでも……そんなこと、出来るはずもない。

 ぎりっと噛み締めた歯が鳴るのを、隣にいたリフルは聞いたのだろう。意外そうな顔をした後、少しだけ嬉しそうに笑っていた。

 人混みの中歩いたせいか、通りに入ってからその端まで来るまで一時間近くが経過していた。

 多くの店を見たが、“片割れ殺し”らしい外見の混血児は見かけなかった。

 

 (やっぱり……あの人なのか?)

 

 はっきりと確かめたわけではない。だからどちらが嘘だとしても、どちらもあり得る事なのだ。

 気になる点は……年齢だ。

 生きていたなら、あの人は……俺の一つ下。今年で十六のはず。

 だが、リフルはどう見ても……

 

 (せいぜい十四とか大目に見ても十五とか、そのあたりだよなぁ……)

 

 情報が足りなすぎる。

 あの人は死んだ。目撃者は大勢いる。国には墓もある。それでも死体は見つからない。

 あり得ない確立で生まれる片割れ殺しのあの人に、瓜二つの人間が居る。

 あの人は、必ず死ぬはずの猛毒で殺された。

 

 片や天下の情報屋。片や名医と名高い凄腕闇医者。

 トーラには肯定され、洛叉にはあり得ないと否定された。

 それが本当なら俺にはどうしようもないが、もし二人が嘘を付いているのなら、話は別だ。恩を仇で返すことになるが、そう思うとどちらも疑わしく思えてくる。それでも二人が俺を騙すメリットはあるのか?

 

「わかんねぇ……」

 

 今はリフルの記憶を頼るしかないのだろか。

 

「……何か思い出したか?」

 

 振り向いた時、俺はアルム聞いた物語の断片を思い出す。

 

 “振り返ってはいけないよ”

 

 

 *

 

 

 触れてはいけない。

 アスカは今までの主とは違うから。

 殺したくない、そう思うから。だから触れてはいけない。

 それならせめて、しっかり彼を見ていれば良かった。“奴隷通り”を見ることだけが頭を占めて、その事を忘れてしまうなんて。

 

 私は何もわからない。

 ひとりでこんな風に街を歩いたこともない。アスカの居た宿に戻ることも出来ない。せめて屋根に登ることが出来れば、来た道を思い出せるかもしれないのに、一人では屋根にも登れない。

 とりあえず、進もうか。そうすればアスカに追いつけるかもしれない。けれどこの人混みじゃ、簡単には追いつけない。簡単に人の波に飲み込まれて、わけのわからない場所に出てしまう。

 

 (それなら……)

 

 少し裏道にはいって行けばいい。そして真っ直ぐ。そこから曲がって元の通りに戻る。これならすぐに追いつけるはず。

 そう思い、裏通りに足を踏み入れた。そこから何歩か歩いた時、背後から足音が迫ってきた。此方に走ってくる一人の子供。それを追うように駆けてくる二人の大男。

 

「助けてっ!」

 

 その声に、思わず立ち止まってしまうと、子供はその背後に隠れてしまう。背中からは触れる子供の手の震えが伝わってきた。

 

「にーちゃんよぅ、そいつはうちの商品だしぃ!さっさと返さんかぁ!」

「せっかく買い手が決まったってのにぃ!逃げる奴があるかぁ!」

 

「俺は……俺は奴隷なんかにならないっ!俺は奴隷じゃないっ!」

 

 子供は叫ぶ。

 男達は必死に否定する彼を見、物を見る瞳で嘲笑う。

 

「阿呆かお前ぇ!身の程知らずもいいとこじゃ!」

「奴隷になるならないじゃね!もうお前はぁ奴隷になっとるぅ!」

 

「違う!俺は人間だ!奴隷なんかじゃないっ!」

 

 子供の声が聞こえる度、心の中に波紋が生まれる。

 投げ込まれる言葉の石が、懸命に何かを伝えようとする。

 

「人間……奴隷……違う……俺は……人間……」

「何ブツクサ言ってるかぁ!さっさと避け避けぇ!」

「売り飛ばされたかなかったらぁ!さっさと避けやぁ!」

 

 怒鳴る大男達。その背後から、新しい声がした。

 すべてを見下すような、自分に酔った癇に障る声。

 

「お前達、子ネズミ一匹まだ捕まえられないのか?」

「だってよぉ!こいつ邪魔ぁ!」

「んだ!邪魔ぁ!」

 

 邪魔なのは、お前達の方なのに。アスカを追いかけないと行けないのに。

 

「……邪魔、するな」

 

 口から零れた言葉。聞こえたそれが、自己暗示のように身体の内に広がっていく。

 そうだ。こんな所で時間を潰すわけにはいかない。早く、追いつかないと。

 

「あ〜?何か言ったかぁ!」

 

 呟いた声は、男達には聞こえなかったらしい。

 

「おや、捕まえてくれたのかい、親切な人だ」

 

 不快な声。大男を従えて近寄ってくる男。彼は大男達より身なりが良い。二人の雇い主……奴隷商だろう。

 

「ふぅむ……君、タロック人にしておくのが勿体ない」

 

 まじまじと私を観察する男。嘗め回すようなその視線に殺意が芽生える。

 

「よし!それを捕まえてくれたお礼に君も売り飛ばして差し上げよう!捕らえろっ!」

 

 男の合図と共に襲いかかってくる大男。

 

「……曲がれ!」

 

 子供に先を走らせ、近くの路地に入らせる。

 そこから曲がって曲がって……走って走って。走ることになれていない私はすぐに追いつかれる。その前に丁度良い細道へと出会した。狭い路地では大男が二人揃って通れるスペースは無い。一人ずつでも通るのは不可能ではないが時間はかかるだろう。

 そう思ったときダンッという重い音と強い衝撃が足下から伝って来た。

 見上げた頭上を飛び越える大男×1。重そうな見た目に反したなんとも身軽な動き。あっという間に入口と出口を塞がれた。このまま距離を詰められたらどうしようもない。

 かといってまともにやりあったら、まず勝てない。前後から迫られては壁を蹴って上に逃げるしか……もっとも私にも子供にもそんな芸当出来るはずがない。

 

「ど、どうしよう」

 

 しがみついてくる子供。それに構わず私は前へと進み、前方の大男への距離を詰めていく。諦めて捕まりに来たのだと、私はそのまま両手を挙げて男に近づく。

 丁度良い頃合い。

 長い髪にウィッグ。長袖。それに走り込み。汗をかくには十分だ。私は何食わぬ顔で額の汗を拭い、その手を男の方へと伸ばす。

 その場にいた私以外は誰も、何が起こったかわからなかっただろう。倒れた大男を飛び越え、ぽかんとしている残りの二人に教えてやった。

 

「3分以内に解毒しないと……死ぬ。この大きさなら5分は保つかもしれない。だから……」

 

 退け。そう言うつもりだった。

 

「だから?」

 

 商人は笑う。

 そして片割れの大男に命令を下した。

 

「行け」

「「「!?」」」

 

 その言葉に驚いたのは、商人以外の全員。

 

「生憎だね、優しい子。これらは私の道具だよ。壊れてしまったなら新しい物を買えばいい。代わりは幾らでもいるんだ」

 

 雇われの、請負組織ではなかったのか?

 奴隷の私が、同じ奴隷を殺してしまった?

 その衝撃に、逃げることも忘れてしまう。

 だらんと下げた腕。そこにアスカから貰った短剣に手が触れる。

 

 私は思い出す。昨日、どうやってアスカを助けたか。

 袖をを捲るのも手袋を取るのも時間が面倒。露出しているところ……咄嗟に短剣で頬を撫で、刃を濡らす。

 痛みはない。それでも肉を裂く感触と音が手と肌から伝う。

 

「……っ」

  

 さっき触れた場所にぼたぼたと、その赤を塗り付ける。

 それだけで荒くなっていた呼吸も、吹き出すような汗も静まっていく。

 

「解毒した。明日には目を覚ます……」

 

 そう告げると命令通り迫ってきていた大男の顔に、ほんの少しの安堵が浮かんだ。

 

 男は手を伸ばす。それは私と子供ではなく、倒れる男へ。

 相方を背負って立ち上がった男は、元来た道へと向かい出す。

 

「なっ……貴様!そんなことをしている内に逃げられたらどうするっ!」

 

 商人は怒り狂っている。

 けれど大男が人にらみすると、情けない悲鳴を上げた。

 

「命令……実行しないのか?」

「…………しね」

 

 男は振り向いて、小さく笑い言葉を紡ぐ。

 

「ありが……」

 

 パァァアン。

 耳を貫く破裂音。

 それは男の言葉を掻き消して、最後まで聞かせようとはしなかった。

 

「くそっ……これだから知能の低い奴隷は困る」

 

 彼の手には、見慣れぬ物体。

 煙を上げる筒状のそれが、男を射抜いたのだと知ったのは……彼が地に伏した後。

 

 彼が落ちていく瞬が、とても長く感じられた。それ程、私は何かを感じていた。

 

「力だけあっても頭が足らなければ意味もない。美しくない物はこれだからまったく。価値もないんだ、命令くらい遵守しろという話だ」

 

 ブツブツと小言を続ける商人。

 

「ふざけんなっ!同じ、人間だろっ!?」

 

 子供が怒りまかせにそう吠える。

 黒い瞳には零れんばかりの涙。彼は、さっきまで見下されていた相手を、憐れんでいる。

 流れた涙は、同じ色なのに私とは違う。

 綺麗だ。そう思った。


「同じぃ?なにを寝ぼけたことを言っているんだ?お前等と私が同じはずがないだろう!?」

「純血のくせに奴隷に落ちたお前なんかと!はははっ!どうせあれだろう?生活苦で金の足しにと捨てられたんだろう?そうして売られたんだろう!?実の親に?あはははははっ!」

「……っ、てめぇに!何がわかるんだよ!!」

「わかるさ!お前がゴミだってことが!そのゴミに価値を値段を付けてやると言ってるんだ!さっさと来い」

 

 来なければどうなるかわかっているな、と男は脅す。

 

「そこのゴミ達みたいに風通しが良くならなければわからないか?」

「お前なんか!お前なんかが人間のはずがないっ!人殺しっ!」

「何度言ったら解る?本当に頭が足らないな」

 

 少年の声に、男は侮蔑の眼差しで応えた。

 こいつは何を言っているんだろう。

 お前は何様のつもりなんだろう。

 ああ、嫌だ。

 叫くな。

 それ以上喋るな。

 


 殺してしまいたくなる。

  

「これは人ではない!奴隷だ!道具だ!だから何をしてもいいに決まっているだろう!社会の常識だ!」

「私は……これまでそれなりの下衆を見てきたが、断トツだ。最低だ、お前」

「勿体ないな。それでは美しさが霞んでしまう……口の聞き方がまったくなっていない。ふ…ははははは!よし!私自ら調教してやる!喜べ」

  

 面と向かって吐き捨てた言葉に、男が下卑た笑いを漏らす。

 

「生憎だな、私には……主がいる。いなかったとしても、お前などに仕える気はない。それならまだ、死んだ方がマシだ。いや、私が死ぬ必要はない。お前が死ねばいいのだから」


 入れたばかりの色つき硝子を捨てるのは惜しい気もしたが、この際文句は言えない。アスカには後から謝っておこう。 

 

「動くな!妙な動きはするな」

「止まるのはお前の方だ」

 

 だって、素の色の方が効くんだ。

 これで二桁殺した人殺しの私が言うんだ。

 間違いない。

 

「さぁ、こっちに来い」

「お前が来い」

 

 男の命令に命令を返し、じっと男の目を見つめる。

 かかった。

 

「は、ふざけ……っな、何っ!?私の足がっ」

 

 意志に反したまま、ふらふらと近寄ってくる商人。

 造作もない。目さえ逸らさなければ簡単なものだ。

 

 もう逃げられない。

 ここまでくれば視線も要らない。得物の方から勝手に死にに来てくれる。

 

「そ、その色……まさか、混血か!?す、素晴らしいっ!これまでの無礼を特別に許してやろう!あああ、なんと勿体ないっ!血が出ているではないか!あの馬鹿力め、この美しい商品に傷を付けるなど……」

 

 先程斬りつけたまま血を流していた頬。男は不用意にそれに触れてしまう。

 さっきは解毒になったそれだが、本当の力はそんな物ではない。

 

「馬鹿はお前だ」

 

 ぐらりと視界が揺れた後、何が起こったのか解れないまま、男は倒れ込む。


「……っ!」

 

 その毒の名を、力の由来も、私は知らずに生きていた。

 でも、今は違う。

 

 教えられた。

 この力の意味。

 

 これは、殺すための武器。復讐のための……刃。

 

 

「“ゼクヴェンツ”を殺せる毒はない……知らなかったか、低脳が」 

 

 絶対の毒薬。

 飲み干せばあるいはある条件下で皮膚に触れれば、それだけで人を殺せる忌むべき毒。

 

「あ、がっ……」

 

 口にするより皮膚からの方が苦しむ時間は遙かに長い。

 解毒剤は存在しない。

 苦しいか?苦しいだろう。苦しいだろう?もっと、もっとだ。

 もっと苦しめ。のたうち回れ。絶望しろ、そして死ね。


 男が誰かと重なって見えた。

 いつも……この瞬間だけは、心が解き放たれる。 

 

 これが正解なんじゃないか。

 これで終わるんじゃないか。

 そんな風に思えて堪らない。

 気分が良い。

 

 路地に響く、破裂音。

 その音が、私に私を取り戻させ……狭い路地の両面を深紅に染めた。

 

 煙が上がる。

 震えた声で言葉を紡ぐ。

 それは自分へ言い聞かせるような言葉。

 懺悔に似ていた。

 

「……こいつ、むかつく奴だったけど……目の前で苦しんでるの、見てられない。これ以上……見たくなかった!」

 

 それが助からないことを、少年は知っていたのだろう。だから少年は、商人の手から落ちた筒を広い彼を射抜いた。

 私なら、まずやらない。

 だから自然とそんな言葉が零れてしまった。

 

「優しいな」

「違うっ!俺……人、殺して……」

 

 返ってきたのは否定する言葉。

 

「殺したのは私だ。お前じゃない」

「違う!俺は……臆病で、弱くて!どうしようもない……最低だ!俺」

 

 あれに死の運命を送ったのは私。この子供はそれを早く終わらせてあげただけ。

 確実に苦しむと決められた時間から、解放したのだ。

 

「お前は……敵をも救った。優しい……人間だ」

 

 私は優しくないから、そんなことは出来ない。

 敵なら殺す。容赦なく殺す。救いのない殺しを行う。

 顔も知らない相手への、復讐を果たすために。

 

「うっ……うわぁああああああああああ、俺……俺っ」

 

 少年からは、涙腺が崩壊したように涙が溢れ出す。

 私は人殺しだ。それ以外にはなれない。けれど、この少年は人間だ。

 こんな暖かい涙を流せるモノが、人間でないはずがない。

 頭を撫でることも、背中に腕を回すことも出来ない。手袋には血が付いている。万が一触れたら……そう思うと何も出来ない。

 それなら……

 

「私は……行くところがある。お前も……行け」

 

 主が死んだ以上、彼はもう奴隷ではない。彼はもう自由になったのだ。どこへでも逃げられるだろう。

 そう思い彼を残し立ち去ろうとするが、思うように身体が進まない。泣き声が遠ざからない。

 見ると服の端を少年の手が掴んでいる。まだ、震えている。

 思えば、助けを求めに来た時から……そうしていた。男を撃った時は放したはず……何時の間にまたそうしていたのか。 

 何かを言おうとして……その代わりに口から飛び出たのはまったく別の言葉だった。

 

「……私が怖くないのか?」

  

 彼は肯定も否定もせず、それでも手を放さない。

 置いていくなと言われているようで、少し困った。

 もしかしたら……いや、元奴隷の身分。行く宛などないのかもしれない。それでもその選択は間違っている。

 私は奴隷で、人殺しで、呪われた片割れ殺しで、殺人鬼で、猛毒使いで。

 傍にいたら命が幾らあっても足りないと、見て、解らなかったのか?

 

「……馬鹿だな」


 なんとなく、笑いが漏れた。

 その時だった。

  

「何の騒ぎ…………な、なんだこれは」

 

 気味悪がるような声。

 けれどその声はすぐに威勢を取り戻し、大きく吠える。

 

「ベストバウアーを騒がす通り魔とは貴様かっ!?」

 

 表通りからやって来たのは黄金の十字をあしらった赤い軍服を纏った一人の男。まだ、少年と言ってもいい年頃。

 アスカに比べれば格段に暗い金髪でも光を浴びれば神々しく煌めいて見える。陽が似合う色だと思った。

 けれど目を引いたは髪ではなく、その左右の瞳の色のせい。

 左目はありふれた緑。これだけなら、カーネフェル人だとすぐ解る。それでも迷うのは、灰色に近い黒を宿した右目のせい。

 

 彼は、何だ?

 解らなかった。

 

 それが巡回していた聖十字兵だと知ったのは、その男の名のり上げのおかげだ。

 

「トリトス聖教会第三部隊三等星、ラハイア=リッターの名において……殺人鬼、貴様を連行するっ!!」

 

 外には不思議なモノもあるのだと、ぼんやりとそれを見た。

 相手も此方を見ている。素の目を見られてしまったかもしれない。いや、薄暗い裏通り。こっちは日陰だが、彼方は陽が当たる壁の前。向こうからは見えたとしても黒髪黒目。

 

「……そうだ、私が殺した」

「その子も、殺す気か?」

 

 惨状ばかり見ていた彼は、ようやく泣いている子供に気付く。

 感情のままに進むことを止め、距離を慎重に詰め始めた。

 

 聖十字とは、正義の組織だとアスカが言っていた。

 それならこの泣いている子供をきっと、彼は救ってくれるだろう。そっちの方が、余程良い居場所になる。

 

「間の悪い奴だ……まだ、そこの男も息がある。もう少しで殺せたものを……」

 

 今すぐ運べば助かるぞ。そう教えてやる。そうすることで大男……撃たれた方がどうなったかはわからないが、少なくとも解毒した方はなんとか。

 聖十字は一人。仲間を呼ぶにしろ、人助けをするにしろ、一度は戻らなければならないだろう。

 彼が正義なら。目の前の命をないがしろにしてまで私を追わない。

 もし、そうしてきたら……私は彼を殺してしまうかもしれない。

 

「……クソっ、次会ったら絶対に捕まえてやる!覚えてろっ」

 

 細身の身体ではこの大男を運ぶのは難しい。彼は子供を保護することを最初に行うことにしたようだ。

 行け、と少年に合図を送る。尚も手を放そうとしない。それならば仕方がない……

 

「なっ!?」

 

 振り上げた短剣に、兵士の顔に緊張が走った。酷い勘違いだが、ここはあまんじて受けよう。勿論私はこの子供を殺す気はない。

 商人、貴族に殺意は湧いても……奴隷は殺したいとは思わない。子供相手にも殺意は感じない。

 だからきっと、そういうことなのだ。

 

 買って貰ったばかりの服だが、こうでもしなければ放して貰えない。少年の掴んでいるところを切り、掴まれる前に彼を兵士の方へと蹴り飛ばす。

 そのまま路地を抜け、力の限り煉瓦を蹴る。追っ手が来る前になんとか逃げなければ。

 壁の高さはかなりある。足場に出来そうなモノもない。

 壁と壁に手を付けて登るか、足で蹴って登るか。どちらも私には出来そうもない。

 

 アスカはいいな。屋根に登れて。空を跳べて。

 流石は飛ぶ鳥。羨ましい。

 笑いながら依頼を引き受けてくれた人を思いだし、血まみれの手が嫌になる。

 殺すなと命令されたのは、洛叉という人について。それ以外は何も言われていない……けれど、頭に蘇ってくる、殺すなという声。それは命令。

 それを破ってしまったような、そんな錯覚。


 彼は一緒に過去を探そうって言ってくれたのに。

聖十字は宗教国シャトランジアの聖教会が有する世界最強軍隊。世界各地で世のため人のために働いている偉い人たちです。警察みたいな仕事をして治安を守ってくれています。……が、もちろんここは最低最悪のセネトレアなので彼らもだいぶ堕落しています。派遣されたばかりのラハイア君は清廉潔白に頑張っていますが、その態度がセネトレアでは実にKYなので周りとの諍いが絶えません。器用貧乏というか出世しそうで出来ないタイプ。

リフルとのこの出会いにより、彼の進む正義の道も険しいモノになっていきます。ちなみにある章の主人公だったりします。

ラハイアはジャックのモデルの人物です。かの聖女ジャンヌダルクの戦友だったと言われています。彼女の名とカードを名乗るジャンヌ嬢はおいおいカーネフェル編で登場するかと思われます。カーネフェル編のもう一人のヒロインですので。


フォース君はアルドールと同じく、力を冠した名前です。由来は手品用語ですが。SUITメンバーも大体揃ってきましたが、結成はまだ先になりそうです。

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