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2 Noli me tangere!



 2 Noli me tangere!

 

 ねぇ父さん。

 どうしたらこの子は目を覚ますの?

 

 僕が守るんだ!僕は父さんとお姫様みたいに、僕がこの子を守るんだ!

 今度は僕が。必ず、守る。

 

 死なせない。殺させない。

 もう一度この目が開いたなら、絶対僕が盾になって剣になる。

 

 だからもう一度。もう一度、目を開けて。

 あの人の代わりに、僕が守る。傍にいる。

 

 あの人の分も、僕が貴方の幸せを願う。

 誰よりも、誰よりも幸せに。

 あの人は、貴方が泣き虫だったと教えてくれた。

 本当は泣きたかったんだろう、何時だって。

 貴方が泣けないときは、僕が泣く。

 貴方が泣きたいときは、僕が我慢する。

 

 この目が開いたらもう二度と、貴方が泣くことの無いように。悲しいことが、無いように。

 

 だからもう一度。

 

 

 *

 

 

「………様 」

 

 あの日、僕は誓った。

 それが今も、僕を苛む茨になって胸を刺す。

 

 ああ、夢か。

 夢に泣かされるなんて、いい歳して情けない。

 父さんに見つかったら一日走り込み&素振りトレーニングを強制させられていただろう。

 そんなあり得ないことを思いついてしまったのは、まだ俺が寝ぼけていたからだろう。

 

 ぼぅっとした目で見つめた先には眩しい朝日。

 それを遮るようにひょいと窓から現れる影。

 

「ヘロー」

 

 聞こえたのは間の抜けた言葉。

 

「へろー…………って何言わせるんだお前は」

 

 つい言い返した後に我に帰る俺。

 

「いやだな、少しは僕に感謝して欲しいな飛鳥君」

 

 ふざけた調子で笑うのは、格好までふざけている十代前半程の少女。髪こそ明るい金髪だが、明るい虎目石の瞳は、彼女が普通の人間ではないひとつの証明。

 頭につけたカチューシャには虎耳、スカートから覗くのは虎柄の尻尾。分かり易い宣伝方法に呆れと溜息を禁じ得ない。

 

「君付け止めれ……俺のがあんたより年上だろ」

「ふふふ、人は見た目によらないんだよ」

 

 不敵に笑う虎耳少女。こんなふざけた格好をしているのに、どうして誰も見つけられないのか甚だ疑問だ。会いたいと思っても絶対に会えない神出鬼没のエキスパート情報屋。セネトレアどころか世界中に顧客を抱える情報請負組織TORAの頭が、この少女。

 

「あー……はいはい」

 

 それは認めよう。TORA設立と彼女の外見年齢が一致しないことは俺も理解している。

 

「んで……“依頼人”さん。こんな朝早くから何用だ?寝込みを襲いに来たわけでもないだろうに」

「あーそれはないない。寝顔激写して情報流出とかそういう趣味はないし。需要もあんまなさそうだしね」

 

 需要あったらやるんかい。流石は金の亡者。

 

「でも、流石は成功率百パーの何でも屋だね君。まさかこんなに早く終わらせてくれるとは思わなかったよ流石の僕も」

「あー……依頼?」

 

 もう終わった?

 一瞬彼女が何を言っているのかわからなかった。

 

「欲しい情報も手に入ったし、僕も満腹満足♪」

「トーラ、終わったってどういうことだ?」

「酷い!忘れちゃったの?昨日はあんなに」

「いや、それだけは絶対にない」

 

 俺の言葉にピタリと嘘泣きを止める少女。

 

「からかい甲斐ないなぁ君って」

 

 彼女はけらけら笑いながらも、目だけはじっと俺を静かに見据えている。

 

「後遺症……かな。一応応急処置はさせたんだけど」

「おいおい何か物騒だな」

「君、何にも覚えてないの?」

 

 頷く俺に、トーラはペラペラ語り出す。

 

「君は昨日、宿の主人と使用人のいざこざで遅めになった朝ご飯を午前九時に食べて、ぐだぐだして十時半にに部屋に戻った。そして僕の依頼を受けた。それでそこから六時まで下調べ。東側に向かったね。帰ってきて下の酒場で夕飯食べて酒飲んで、女主人を口説いたりあしらわれたりしながら時間を潰す。お酒はあれだね、多すぎず少なすぎず。何をするかわからない仕事だし、もしかしたら手を汚すかも知れない。吹っ切るためには必要なのかもね。そんでもって十一時頃酒場を出て、東側に向かう」

「言われてみればそんな気もする……っておい!何でそんなの知ってるんだ?」

「そりゃあ天下の情報屋ですから」

 

 にまっと笑う彼女。これ以上は俺の精神衛生上、知らない方が幸せっぽい。

 

「そこで君は、出会ったはずだよ。君の求める答えの一つに」

 

 報酬としては充分かなとトーラは笑う。

 言葉より先に、視覚的に蘇ってくる色。

 

「……間違い、無いのか?」

 

 悪魔に見えた少女が、この時ばかりは救いの女神に見えた。何とも現金な目をしていると自分を嗤う。

 それに少女は遠回りな言葉をもって答える。

 イエスでもノーでもない、酷く曖昧な言葉。それはどちらともとれたが、俺はそれが肯定なのだと信じたかった。

 

「僕は僕を守るためならいくらでも情報を集めるよ」

 

 強い意志を秘めた声。そこには、明るい調子からは想像できないような深みがあった。この生きづらい時代、更に生きにくい混血の身で懸命に彼女は生きているのだと言うことに今更ながらに思い当たる。

 

「だから知らないことは何一つ無いようにしなくちゃいけない。それでも生きるためには知らないふりをしなければいけない情報もある。そういうことさ」

「……なるほどな」

 

 あの場所には王族が絡んでいるようだった。

 タロックではないだろう。シャトランジアもあるはずがない。

 一番疑わしいのは、このセネトレア。

 

 その辺りを探れば、真実は解るかもしれない。けれど最悪首が飛ぶ。彼女はそう警告しているのだ。

 そこまでして、お前は知りたいのか?

 そう聞かれている。

 

「ところで、君が昨日倒れた理由……覚えてる?」

 

 次第に戻ってくる記憶。

 俺は何をした?

 あの子は何をした?

 心当たりはない。会話を交わしただけだったはず……ついていけないままの俺を取り残し、彼女は話を進めていく。

 

「副作用にしては、恐ろしいよ。今回の事件、僕は迷宮入りにするしかないと思った」

 

 したことといえば、涙と拭ったことくらい。そこまで思い出した時、トーラが苦さを遺した顔で微笑んだ。ぎこちない微笑みだった。

 

「でも、君だけは……知る権利があると思った。だから言うね、アスカ……君」

 

 彼女の瞳はすべてを見透かして尚、優しさと悲しみを含んでいた。そこに疑う余地もない。彼女は“俺”を識っている。

 

「あの時用いられた毒は“ゼクヴェンツ”……詳しいことは地下のお医者さんの方が知っていると思うけど」

 

 少女が紡ぎ出す答え。言葉を忘れたように、俺は沈黙を貫いた。

 

「振り返ってごらん」

 

 “振り返りなさい。失うことを恐れないなら”

 “迷わず進みなさい。手にすることを恐れるならば”

 

 少女が口にしたのは、あまりに有名な一節。

 教訓と戒めのため、語り継がれた物語……

 つい先日アルムから朝っぱらから読み聞かせられた、あの話。

 

「貴方は何かを得、何かを失うから」

 

 振り向いた先には……人形が居た。

 

 

 *

 

 

 五階建ての宿屋。その一、二階は酒場としてのスペース。一階がカウンターがメイン。二階は全てテーブル席。酒場とは名ばかりのそこは、昼間から営業している上に、食事からデザートまでなんでもあり。酒を出す喫茶店と呼んだ方がいいのかもしれない。

 その営業時間の広さから、請負組織の溜まり場でもあり、仕事探しにもってこいでもある隠れスポットだ。

 料理は美味いし宿の掃除は行き届いているし、セネトレア的には良心的なお手頃価格。何より女主人が若い。俺より一歳年下だから十六か?笑顔が魅力的だし、スタイルも良い。ぶっちゃけタイプだ。

 そんな場所にも気に入らないところが一つくらいはある。

 それが、密かに存在する……この地下室だ。

 

 扉の前に立ち、俺は何度目かの溜息。まだ開けていないのに、薬品の臭いが廊下まで漂ってくるのはもはや公害だ。それに文句を言う者が居ないのは、地下の住民が一人しかいないからに他ならない。

 地下室も貸屋となっていたことを俺が知ったのは、仕事で大怪我を負ったある日のこと。以前ここを訪れたのは、それが最初で最後。思い出したくもない思い出を脳裏から振り払い、俺は些か乱暴にノックをしてやる。

 

「……洛叉、いるか?」

「不在だ。消えろ」

 

 帰れではなく消えろとは。仲が良いとは言えない間柄だが、そこまで言われるとは思わなかった。しかし、このまま引き下がるわけにも行かないのが現実だ。それでも漏れてしまう言葉を止められるほど俺は大人ではなかったようだ。

 

「俺だってこんなカビ臭い部屋、好きこのんで来たくなかったぜ」

 

 ギィイと重い音をたてながら開かれるドア。

 そこから顔を覗かせたのは、にやりとしか形容できない悪質な笑みを浮かべる男。黒髪黒目の容姿は、彼がタロック人である証。その色の深さから、彼はそれなりの生まれだったのだろうと推測できる。……できるが、こんな性悪男のどこに惚れる要素があるのか女主人に聞いてやりたい。

 

「ふむ。入室料でも巻き上げてやろうか?今なら臓器一個で手を打とう。お前も薄々感じていたはずだ。腎臓とか肺とか二個もいらなくね?と」

「思うかボケ!…………って俺はお前に喧嘩売りに来たわけじゃなくてだな」

 

 勿論この闇医者に臓器を売りに来たわけでもない。

 

「あんたに聞きたいことがある。……頼みたいことも」

「それで何か利点はあるのか?」

「利点は……そうだな、セネトレアの魔女様を敵に回さないで済むことか?」

「……入れ」

 

 流石はトーラ。天下の闇医者も、天下の情報屋は敵に出来ないらしい。

 

 (まぁ、そりゃそうか)

 

 彼女がその気になったら、こいつなんかあっという間にお縄につくことになるだろう。しかし、いざとなったら名前を使ってくれても構わないとは見た目によらず寛大だ。あんな子供みたいな外見のくせに。

 

 しかし洛叉の情報網も馬鹿に出来ない。この脅しが効くと言うことは、俺とトーラの接触を把握しているってこと。エルムあたりからあの虎少女のことを耳にしたのかもしれないが、それ=トーラに結びつけるのは普通の人間には出来ないはず。相変わらず侮れない。すべて俺は知っているとでも言いたげな偉そうな態度。だからこそ気に食わないんだが。

 

 三階から地下まで降りる時、周りを騒がせないよう頭から布を被せたが女物のドレスは隠しようがない。瑠璃椿を目に留め、にやりと笑う洛叉。

 

「朝っぱらから女連れとは……孕ませでもしたか?」

「んなわけあるか!」

「冗談だ。それで、頼みとは何だ?」

 

 本と薬品の並ぶ棚。中央に置かれた机に散乱する書類。怪しげな機器が揃えられた診察台。巨大なドリルとか、何に使うのか不明な物まであった。俺の部屋の三倍はある空間。壁の左右に更なる扉。確かここが診察室、右が研究室で、左がこいつの私室だったはず。同じ家賃で地下を貸し切るとは……待遇良すぎると少々怨めしく思う。

 しばらく廊下で待つように瑠璃椿に言い、俺は扉を閉め外に漏れない程度の声で洛叉に告げる。

 

「頼みたいことは、俺と、あいつの血液検査」

「聞きたいことは?」

「“ゼクヴェンツ”」

 

 それを耳にした途端、涼しげだった洛叉の顔が強ばった。

 

「……知らないな」

「知らないって顔してないけどな。あんたタロックの人間だろ?あの昔話くらい聞いたことはあるだろ」

 

 暫しの沈黙の後、洛叉は溜息ひとつに口を開いた。

 

「何故、あの毒にこだわる」


 何故ってそれは……俺の人生を狂わせた歯車の一つだからだ。勿論それを教える義理はなく、俺は無言を貫いた。

 その様子に呆れながら、痺れを切らした医者の方が口を開く。

  

「ゼクヴェンツはこの世から失われた毒だ。それこそお伽話になるような、昔は在ったかも知れないが」

 

 タロックの毒殺王の伝説は、世界中に伝わる話だ。かの王は毒の研究に生涯をかけ、研究材料と実験材料のために領土を拡大し、民を虐殺した。

 多くの犠牲の上、彼が編み出した至高の毒。それがゼクヴェンツ。

 

「確かに……かの王家には遺されているかもしれない。だがそれがお前となんの関係がある。カーネフェル人のお前にとってタロックは敵国以外の何でもないはず」

「言ったら教えてくれるのか?」

 

 今度は洛叉が黙る番。俺の答え方次第によって、それが肯定に変わることを悟った俺は、静かに答えた。

 

「俺は純カーネフェル人じゃない。正確にはシャトランジア人だ」

 

 頭の良いこいつなら、これでわかったはずだ。

 血の濃いカーネフェル人ならこの髪の明るさはまぁ……稀ではない。目の深さだってなくもない。

 だが、血の薄まったシャトランジア人に俺のような色の者はいない。十分なヒントにはなったはずだ。

 

「だから飛鳥か、なるほど……生きていたのだとしたら、なかなかしぶとい」

「ゴ虫みたいな言い方止めろ」

 

 ゴ虫とはゴキ○リの意。調理場で戦うディジットが克服の意味で名付けた愛称だ。

 

「確かにお前なら、知りたいだろう。使える主を殺めた毒だ」

「どこまで知ってんだあんた……」

「お前の父親を、少しばかり知っているだけの話だ。確かに毛色は違っても、その目と癇に障る性格は受け継がれているようだ」

 

「なんだそりゃ……」

「……同僚だった。そう言えば満足か?」

 

 TORAには及ばないとはいえ、そこらの適当な情報屋顔負け。けれど、確かに……それならあり得る話だ。

 

「討ちたいのか、狂王を」

「それは俺の決める事じゃない」

 

 もっとも……俺は乾いた笑みで言葉を続ける。

 

「主がそれを望んだなら、喜んでその剣になるけどな」

「血迷ったことを。お前の主は殺されただろう……もう十年になるか」

「ああ、俺もそう思ってた。諦めるためのピリオドが欲しくて、足掻いてたんだ」

 

 ……金を貯めて決定的な情報を買うつもりだった。TORAの所持する兆越え情報。それは一般市民が知ることすら出来ない国家間の裏情報。そこに、俺の求める真実が刻まれていると、俺は信じた。

 

「でも、死体の代わりに俺は……」

 

 口ごもる俺を訝しげに見る洛叉。

 あんたは何にも知らないから、そう教えてやりたいよ。

 

「あんたはさっき、王家以外があの毒を所持している可能性を否定したな」

 

 あっさりと洛叉は頷く。それを確認した後、俺は疑問を口にした。

 トーラの言葉と、昨日の現象。それを考えた結果、辿り着いた俺の答え。

 

「だがもしゼクヴェンツを飲み、死ななかったら……その身体に毒は残るのか?」

 

 もしそれが叶うなら、部外者がそれを手にしていたもおかしくない。

 瑠璃椿が殺人鬼にまで堕ちた理由になるかもしれない。

 

「何が言いたいんだ」

「毒人間の作り方、知ってるか?あんたのが詳しいだろ、医者なんだから」

 

 毒の王家と呼ばれるタロック王国ターロット家。その歴史を紐解けば、毒殺暗殺なんて至る所に転がっている。

 有名な話はあれだ。何百年前だかに宿敵カーネフェルとの間で休戦が設けられたとき……タロック王は美しい娘をカーネフェル王へと嫁がせた。友好の証と称して。

 結果、カーネフェル王は死亡。毒を飲ませ続けられた娘は、血から唾から涙まで……体液すべてが毒だったって話だ。

 

「それがあの毒で可能なら、凄い副作用を産むと思わないか?」

 

 昨日俺が倒れた理由は、まさにそれなのではないか。

 我ながら馬鹿げている。それを口にしたワケじゃない。涙を拭っただけ……それだけで俺は気を失ったなんて………馬鹿馬鹿しくて、あり得なさすぎる。確率的にはきっと、九割九分九厘、あり得ない。限りなく絶対。

 そんな淡い希望を断ち切るよう、きっぱりと洛叉は告げる。

 

「副作用などあり得ない。あれは大国タロックの初代狂王が生み出した“絶対”の毒。あれを飲み、死なぬ者は一人もいない。歴史がそれを証明している。だからこそ、あれは秘宝と呼ばれる至高の毒」

「医者の目から見ても、それは絶対にあり得ないんだな?」

「……不可能だ」

「そうか……それなら、いいんだ」

 

 また一から探し続けるか、今度こそ諦めるか。そのどちらかに転ぶだけ。

 

「一応、検査だけ頼む。じゃないと俺も納得出来そうにないからさ」

 

 そう言って手渡したのは、昨日来ていた上着。そこには身に覚えのない血が付着していた。

 

「昨日仕事で浴びた血がかかってる。その成分を調べて欲しい」

「これはお前の血か?」

「違う。多分廊下の子のだ……一致するかどうか、それも調べて貰いたい」

 

 俺の思い違いならそれでいい。他人の空似なら、それでもいい。

 面倒くさい仕事の報酬に、ガセを掴まされたと笑うだけだ。唯、分かり易い答えが用意できればそれで良かった。潔く、諦められればそれでいい。

 

「瑠璃椿」

 

 扉を開けて、その名を呼ぶ。俺の声からその意を酌んだ瑠璃椿は、布をバサッと取り去った。そのあり得ない色に、闇医者も言葉を失った。

 

「片割れ……殺し、だと?」

「知ってるのか」

 

 流石は腐っても医者。闇っても医者。

 

「頼み事……確かに引き受けた」

 

 そう呟く洛叉の声は、どこか苦しげだ。その様子に、この混血マニア!と罵ったりからかうことを俺は忘れてしまう。いつもの借りを返せる絶好の好機だったのに。

 血を採決するため、瑠璃椿にも腕を出すよう言う医者。それからすっと身を引く瑠璃椿。あれ、なんか既視感。

 

「触るな」

 

 注射針が怖いのだろうか。

 何と説得すればいいか。そう考える俺を呼ぶ声がした。

 

「アスカ、お客さん来てる」

 

 明るいアルムの声と、扉を叩く音。

 

「アルム?」 

 

 扉を開けると、桜色の髪に紅玉色の瞳の幼い少女。瞳に宿った輝く星は、いつ見ても美しい。彼女を見て彼女を純血と間違える者はまず居ない。

 

「行ってこい、飛鳥」

「ん、ああ。頼む」

 

 送り出すもとい追い出すような洛叉の言葉に、そのまま出て行きそうになった俺。そういえば、と思いだし扉を覗き瑠璃椿に声をかける。

 

「瑠璃椿!……殺すなよ、こいつむかつく奴かもしれないけど」

 

 相手はあの医者だ。そう簡単にはやられないとは思うが念のため。

 それに対し返ってきた答えは些か物騒。

 

「……努力する」

「絶対だ」

「命令か?」

 

 そう問い掛けてくる瑠璃椿の目は不安げだ。

 

「…………命令だ」

 

 

 そう言うまで、僅かの迷いがあった。言った後、更に後悔した。

 瑠璃椿は明らかに落胆していた。それが見て取れる。それでも彼女は「わかった」と俺に微笑む。

 

 (違う……)

 

 命令するのは、“俺”じゃない。

 誰に対するかもわからない後悔を抱えたまま瑠璃椿を残し、階段を上る。

 そんな俺の耳に飛び込んできた声があった。

 

「フォッフォッフォ……」


 妙な既視感を覚えさせるその笑い。

 

「忘れ物を届けに参ったぞ」

 

 

 

 *

 

  

 

「最低最低最低最低っっ!変態変態変態変態!変態変態変質者っ!」

「ちょっ、待て!ディ……ご、誤解だって!」

 

 どうやら降りる時瑠璃椿の姿を見られたらしい。何人かの客達にも見られたが、髪の色までばれていた辺り身長的にあのアルムだろう。……すれ違ったときに誤魔化しきれなかったようだ。

 俺が混血を連れていることを知った女店主は、人類の敵と言わんばかりの形相で俺を見た。

 

「アスカ……あんたって人は!見損なったわ!奴隷商の手先になるなんて!あんな可愛い子どっから誘拐して来たの!」

「おいおいディジット! 客に酒瓶投げるなって! 」

「一経営者としては、店内の不穏分子は見過ごせないの! 」

「あのなぁ…… 」

 

 それなら俺なんかよりやばいのがいるだろう。

 国際指名手配されてる怪しい白衣の奴が、店の地下に巣くってる現実を、彼女はどの程度認識しているのか。

 

 (はは……こぇーこぇぇ……恋は盲目ってやつか )

 

 勿論それだけではない。ディジットは、優しいのだ。俺のような厄介者にも理由を聞かず、追い出さずに客として扱ってくれる。いや、時々このようにあれな扱いも受けるが。酒瓶投げられたり、椅子投げられたり。仕事で負傷して帰ってきた時に門限破りで樽ごと投げられたときは死ぬかと思った。流石にあの時は避ける以前の問題だった。

 

 (………… )

 

 ……少々脱線したが、彼女は気の良い店主だ。まだ少女と呼んでも差し支えない若い女店主は、なかなか厄介な者達をそれなりに抱えている。持って生まれた正義感か懐のでかさか。純血にも混血にも等しく降り注ぐ優しさ。明るい彼女の笑顔は多くの人を救っている。

 この最低な街で、忘れかけていた人の温かさを思い出させてくれた。

 

「俺は誘拐なんてしねぇって! 」

「されるような奴でもないだろうしな。する勇気もないだろうしな。そもそもお前なんぞについてくるような奴もいないだろうしな 」

「いちいち気に障る野郎だなてめぇは…… 」

 

 突然会話に加わってくる洛叉。どうやら検査は終わったらしく、後ろには布を被った瑠璃椿を連れている。

 大した時間は経っていないような気がしたが、時計を見て愕然とした。ディジットの投げる皿を避け始めたのが三十分も前のことだったとは。

 

「え、先生の方が全然イケてますって! 大体カーフェル人が服着て歩いてるようなもんじゃないですかアスカなんて 」

「ディジット、これ……顔の話じゃないんだと思う 」

 

 店の手伝い少年エルムの助け船。赤い髪に桜色の瞳。この少年はアルムの双子の弟であり、珍しいタイプの混血だ。二人は奴隷商に追われていたところをディジット助けられここで働くことになったという経緯を持つ。

 

「……参った、否定出来る要素が皆無だ」

「アスカは格好いいよ? 」

「あーありがとな優しいなアルムは……あと五年して俺が独り身だったら是非とも嫁に来てくれ」

 

 俺の言葉に遺憾を示す闇医者洛叉。別名幼女幼年混血愛好家。一言で言うなら変態だ。

 

「何を無粋な。 貴様はアルムの良さをまったく理解していないようだな! そこへ座れ、一晩いや三晩は寝かせん。徹夜で語って聞かせよう。 いいか? そもそも彼女は 」

「変態はさっさと帰れよ地下室に 」

 

 セネトレアの大半……東側は奴隷商の下請け請負組織。奴等は誘拐がもっぱらの仕事という請負組織が多いせいで、請負組織=犯罪集団という認識が強い。世界一の貿易国セネトレアの裏社会を牛耳っているのも請負組織だから、それもあながち外れではないから、俺のような善良な請負組織は時々言い訳に困る。

 セネトレアは奴隷貿易の中心地。貴族は奴隷を飼い、商人は商品を調達し、民は奪われる前に奪い取ることを覚える。セネトレアは上から下まで犯罪国家。そこに暮らしている奴が、身の潔白を語っても怪しいことは重々承知している。

 そんな時に便利な一言。

 

「俺は“TORA”と契約してんだぜ? んな危ない橋渡れるか 」

 

 名高い情報専門請負組織、“TORA”に加盟している請負組織。TORAとはトーラという一人の少女により開業された請負組織。迫害を受ける混血という立場でありながら、彼女は情報を得ることで身を守る術を身につけた。彼女は得た情報にその価値と信憑性に見合う値段を付け、それを売る。付けられる値段は一から兆まで。ヤバめの裏情報は更に金が必要らしい。

 個人ではなく請負組織が情報買うためには、TORAに加盟する必要がある。その際、組織の情報は彼女に買い取られる。

 要するに初期登録として、個人情報と企業情報を奪われる。代わりに起業できるだけの金はもらえる。しかしデータバンクに載せられる。やばいことに関わっている奴は、真実の情報が彼女に握られる。

 金額によって信憑性は上下するが、トーラが知らないことはないと呼ばれるほど、請負組織からは重宝されている情報機関だ。大陸にある四カ国の機密事項まで、それを売り買いする橋渡しをする請負組織。

 まさかそんな凄い人が依頼してくるとは思わなかったが。ついでにあんな見た目とも思わなかったが。

 

「そうじゃそうじゃ、コレは唯の景品じゃて」

 

 さり気なく会話に加わってくる奴隷商もとい梟婆。

 

「まだいたのかあんたは」

「つれないのぅ……そこがいいんじゃが」

 

 だから頬を赤らめないでくれ。

 

「何。まだ賞金を渡してなかったことに気付いてのぅ。ほれ」

 

 ひょいと老婆が手渡す黒鞄。

 

「ん?おう……は?な、なんだよ、これっ!」

 

 思わず受け取った途端、骨がバキっと鳴るのを聞いた。なんつー重さだコレ。何食わぬ顔でこれを持っていた婆がまずあり得ない。あんな筋肉皆無に等しい骨&皮の身体でどうやって。

 

「賞金の十億シエルの金貨」

「し、紙幣で頼む!もしくは小切手!」

「なっさけないのぅ……まぁ、口座に振り込んでおくからの」

 

 俺の醜態をぷぷっと笑う老婆。

 かなり馬鹿にされた気がするが、俺だってそれなりに鍛えている。それでもあんなもの持てるわけがない。すぐさま床に捨てなければ今頃腕の骨がどうなっていたのやら。

 そんなことより今、この老婆はなんと言った?

 瑠璃椿の正体ばかり考えていたせいで、俺は肝心なことを忘れていた。

 

「賞金って……俺、勝ったのか?」

「死ななかった以上、勝者は勝者じゃ」

「連れて帰ってきた覚えないのに?」

「経緯はどうあれ、勝利は勝利。それを覆す道理はなかろう」

 

 それはつまり、何者かの手助けがあったと言うこと。思い当たるのは……一人しかいない。

 

「参ったな……貸し一つなんてもんじゃねぇぜコレは」

 


 今度あの虎娘に何を頼まれても、断る理由が見つからない。何を企んでいるかは知らないが、とりあえず今は感謝しておくべきだろうか。酒場から去っていく老婆の後ろ姿を見送る俺に、女店主が微笑んだ。

  

「ねぇアスカ」

「なんだディジット?」

「今日からあんたの家賃、二倍になったから」

 

 俺の好きだった輝かんばかりの笑みで、そんなことを言い出す女店主。

 それに便乗するように、酒場の顔見知り達が今日は俺の奢りだと騒いで注文を始める。

 この世には神も仏も居ないらしいと俺は悟ってみたりした。

 

 

 *

 

 

 流れるような長い髪。

 目は色硝子を入れれば何とでもなるが、この髪は染められる気がしない。出来るのかもしれないが、勿体なくての意味で俺には出来ない。後でウィッグでも用意するしかないだろう。

 奴隷のふりをさせる方法もあるが、それには俺も商人か金持ちのふりをしなければならないし、もしこんなの一人で歩かせたら奴隷商の配下に狙われてろくに外も歩けなくなる。

 

 詮索阻止と口止め料代わりに、酒場を貸し切りその支払いを全て俺が持つことであの場は話を付けた。

 とりあえず俺は瑠璃椿を連れ、部屋に戻った。酒場の人間の殆どは顔見知りとは言え、商売敵。昨日の友は今日の敵、そんな世界だ。瑠璃椿への接触は少ないに越したことはない。

 

「しかし……どうしたもんか」

 

 奇しくも連続殺人犯の主という肩書きになった以上、俺は聖十字を敵に回したことになる。もともと請負組織という肩書き自体、あまりよい響きではない。

 もっとも、トーラが手を引きもみ消すと語る以上、彼等が真実を掴めるとは思わないが。第一あいつ等死んでも仕方がないって制約の上ゲームに臨んだはずだし、俺にはなんの関係もないよな。と言うことにしておこう。

 ……と、それより、だ。

 

「忘れたって聞いたけど、何も覚えてないのか?」

 

 頷く瑠璃椿。

 

「一番古い記憶は……最初の主を殺した場面だ」

 

 はじめからなかなかキツイ記憶。

 俺がそう尋ねてしまったのは、彼女を重ねて見ているからか。俺は何が何でも瑠璃椿があの人であって欲しいらしい。

 

「……思い出したいのか?」

「当たり前だ」

 

 瑠璃椿は即答する。

 

「自分が何なのか。どうしてこんなことになったのか。それを考えない瞬はない」

 

 はじめから人間以外……奴隷以下の扱いをされ、それが当たり前と肯定され続ける生活。

 他人と自分は何が違うのか。それもわからないまま、人ではないと言われ続けるその苦悩。人として生きてきた俺が、それを理解するのは難しい。瑠璃色の椿。それは“あり得ないモノ”。名を呼ばれる度、お前は人ではない……そう宣告されているのだと彼女は言う。

 

「わかるか?“瑠璃椿”と呼ばれる度、それは自分ではないとそう思うのに、それを否定できる材料が見あたらない。だから私は瑠璃椿なのだ」

 

 こんな風な顔を見るのは初めてかもしれない。人形めいた顔立ちも、怒りに彩られては普通の子供と変わらない。生きた人間なのだと、ようやく理解できた気がする。

 

「……引き受けたぜ、その依頼」

「依頼?」

「俺は……請負組織。依頼を受けることで生計を立ててる人間だ。前金なら十分すぎるくらい貰ったしな、過去探し……付き合うぜ」

 

 俺にとってもそれは好都合。瑠璃椿が、別人か本人か見極める上でも記憶は戻って貰った方が良い。どちらにしても、俺は瑠璃椿を放ってはおけない。出来るはずがない。

 

「よろしくな、俺はアスカ」

「アスカ?」

「ああ、飛ぶ鳥って書いてアスカだ」

「良い名前だな」

 

 私は飛べない鳥だから。そんな言葉を含むよう、瑠璃椿は小さく笑う。

 

「嫌いなんだな……名前」

「嫌い?……ああ、そうだな。これまで呼ばれて不快でなかった名など、一つもなかった」

 

「商品名、認識記号としての名前。愛玩動物としての名前。私には、“私”がないから仕方のないこととはいえ……不愉快だ」

「長いしなぁ六文字とか……」

 

 唯でさえ、呼ぶ度に同じラ行の違う文字が口から出そうになる。そんなに今の名前が嫌いなら、と冗談のつもりで言ってみた。

 

「……じゃあリフルって呼んでも良いか?もう、要らない名前なんだ。良かったらもらってやってくれ」

「要らない、名前?」

 

 その名は僅かに興味を引いたらしい。

 

「俺の弟の名前だ……付ける前にいなくなっちまったんだけどな」

「……死んだのか?」

「まぁな」

 

 躊躇いがちに聞いてくる彼女に俺は笑みかける。あいつが消えたのは、彼女のせいではない。俺のせいなんだから。

 

「呼ばれる前に呼ばれることの無くなった、誰のモノでもない可哀想な名前だから、そうしてくれると……その名前も喜んでくれると思う」

 

 そっくりなこいつに使われるなら、その名前を遺した人も、きっと喜ぶ。

 

「……命令?」

 

 じっと俺を見つめる菫色。

 

「違う」

 

 即座に否定するも、だから何だと問われると弱い。

 

「て、……提案?」

 

 首を捻りながらそう言うと、瑠璃椿だったものがふわりと笑った。

 

「…………わかった。貰う。私は……“リフル”だ」

というわけでリフル。この子はカードシャッフルのリフルシャッフルが由来です。SUIT編の主人公はこの子、故に魔術師とはリフルのことです。



請負組織はセネトレアの裏社会の人々です。でも表しきってる商人が堂々と人身売買とかやってる。貴族なんか………R18タグもびっくりな生活を送っていらっしゃいます。そんな最低な世界ですから裏と表、善悪の境界も揺らいでいます。請負組織……社会的には悪役に見られている彼らですが、視点を変えればそうではないとか、善悪の不確かさを書ければいいな。


人が人である以上、完全な善は存在しなくて、完全な悪も存在しない。誰かにとっての悪役が、誰かにとってのヒーローだったりヒロインだったりその逆もまた然り。それが逆位置編のテーマです。他社との認識の違いが相互理解を遠ざけ悪魔のゲームを確立させることに、いずれ……

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