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12 Abyssus abyssum invocat.

 

「実はここだけの話、俺は泳いだことがない。たぶん泳げない。しかも今はこんな服だ」

「な、ま……まさかリーちゃん!?」

 

 綺麗な笑顔だった。だからこそ恐ろしかった。彼は……本気で言っている。

 

「このまま落ちたら俺は溺死出来ると思うんだが……トーラ、俺は死ぬと思うか?」

 

 そう言いながら彼は崖の縁に立つ。落下の衝撃で死ねるほどの高さは無いとはいえ……下は海だ。浅くなど無い。近くに海岸もない。彼の言葉が本当なら……大変なことになる。

 やめて。そう叫びたかった。それでも……私は言えなかった。彼は今、神を試している。この残酷な世界の神様に、喧嘩を売っているのだ。

 他人の命を賭けてそうしようとした私とは違う。彼は、自分の命を掛け金にして挑んでいる。

  

 どうなるんだろう。未来は、変えられるの?変えられないの?

 変えられるのなら、私は希望を持てる。

 でもそれは……この人の死と引き替え。兄様のように……この人は私が抱える十字架になるつもりなのだ。

 やめて。やめて、やめて。

 口を開けても声が出ない。パクパクと、情けない顔で口を開閉して震える息を吐き出すことしか。

 

「更にこのままこうすれば……きっと俺は死ねるよな?」

 

 彼は両手にもった短剣を、片方は首筋に、もう片方は心臓へと触れさせる。

 

「リフルっ!!」

 

 やめろとは彼も言えなかったのだ。一歩もそこから動けないまま、怒りと悲しみを宿した瞳で、彼の名を叫ぶことしか出来ない彼。馬鹿。

 死ぬな、止めろ、行かないで。そう思っているのなら言えばいいのに。

 

 ああ、無理か。だって、私だって……言えないまま。

 

 吹き出す赤い色。風に舞う赤に汚される白銀の色。

 そして彼の身体は傾いで、そのまま後ろへ倒れて消えていく。

 

 どうして。

 どうしてそんな、死ぬかもしれないのに。

 

 死にたいの?

 生きているのに。

 

 どうして命をそんなに軽く賭けられるの?

 どうして。

 どうして?

 

 私は無意識だった。

 気がついたら身体が浮いていた。

 この私が、考えもせず、感情に支配されてしまうなんて。後悔ばかり胸を占める。

 

 それでも。

 

 伸ばした手が届いた。手袋越しのその温かさ……それが後悔をいくらか拭ってくれる。

 どうして、どうしてなの。

 

 死にたくないのに、後先考えず死ぬかもしれないようなことをして。

 それなのに、それなのに……

 私は今、後悔より……奇妙な充足感を感じていた。

 

 

 *

 

 

 兄様が他人を優しくしていたのは、罪の意識からだったのだろうか。突然そんなことを考えた。飛び込んだのは、彼に兄を重ねたからだと沈みながら私は気付く。

 父親の大罪。それを贖うために、父が人を傷付けた分、自分が人に優しくしようとしていたのだ。それでも。何時までそれを続ければ彼は救われるの?何処まで行けば、貴方は満足するの?

 

「馬鹿だ、よ……」

 

 そう言って彼を見れば困ったように小さく微笑む。

 

 どうせ生きてる限り、贖い続けるんでしょう?

 死ぬまで、救われないんでしょう?

 思えないんでしょう?自分が救われようなんて。

 

「どうして幸せになろうと思わないの?どうして救われようとしないの?誰だって、権利があるのに。生きてるから……生きてるならっ……」

 

 私、馬鹿だ。水中でモノを言うなんて愚の骨頂。

 相手に何処まで伝わってるかもわからない。酸素が無くなるだけ。苦しい。何やってるんだろう私。

 

 沈んでいく。

 息が出来ない。苦しい。

 

 私、死ぬのかな。

 

 そう思った途端、何だか気が抜けた。

 今までずっと私は死を恐れていた。それを受け入れた今、私は私を雁字搦めに縛っていたその思考の鎖から解放されたのだろう。

 

(あは……は、そっか……)

 

 未来は、外れるんだ。

 私は安堵していた。不思議だったけどね。

 

 その時だった。

  

 繋がれたままの手。そこから伝わってくるビジョン。

 彼の手。見えないはずのそこに刻まれる文字と紋章。

 それは未来の記憶。

 この肌がいずれ知る記憶。

 

 剣を象った黒い黒い刻印。それは彼が生まれ持つ高貴な血。

 刻まれる文字。数値じゃない、選ばれた。彼は選ばれた。神に認められた、その希なる不運。

 彼は殺戮を神に許可されたのだ。それを彼が望むとも望まなくとも、それは彼の心を引き裂くだろう。

 

 カードは埋められる。上から、下から。その近しいモノを巻き込んで。

 

 だからなの?

 ああ、どうしてなのかな。どうして、今頃わかってしまうの?

 目の前の少年は、キング。視えてしまった。

 

 この子は死なない。

 ここでは死なない。

 だって、カードに選ばれた。

 選ばれている。

 もっと重要な役割がある。

 だから神様はこの子をまだ、殺さない!

 

 苦しませて苦しませて……心身共にボロボロになるまで、殺してあげない。

 

「……逃げて!」

 

 少ない息を振り絞って私は必死に言葉を伝える。情報を伝えられる手を持っていても、今の状況じゃ満足に思念も送れない。

 伝えたい、教えたいのに。

 

 君が王様なら。カードは埋められていく。選んでしまうんだ。

 四人の王様。そこから、カードは決められてしまうから。

 このままじゃ君は、君の守りたい人たちまで巻き込んでしまうよ。

 

「リーちゃ……逃げて。大切……なら」

 

 不意に彼の片手が私の頬へと触れた。紫色の瞳、同じ混血なのに……私にもそれは効いた。動けない。

 言葉を発することもままならない私に彼は近づき、唇を重ね息を送り込む。毒を渡さないように気遣った、触れるだけの優しいそれ。

 何が起こったのか理解できないままの私の手を放し、彼は私の身体を思いっきり蹴り上げる。

 そのまま水面に浮上する私。

 

「がはっ……痛た……」

 

 照れる暇もない。一応泳げるとはいえ服を着てる今の状況じゃ、どうやっても沈んでいく。

 せっかく助けてくれたのに、どっちにしろ僕は死ぬ。

 

「大丈夫か?」

「あ……」

 

 ロイルと呼ばれていた青年だ。

 彼は服を着たままなのに水を得た魚のようにスイスイとこっちに近づいてくる。

 

「アスカの野郎はとても動けそうにねぇ。あのまま飛び込まれたら、あいつが死にそうだから那、あんたの部下に頼んだんだ。まぁ、あんたの部下も怪我してんだし海は危ねーし。代わりに俺が来たんだが」

 

 目に見える。アスカ君も、鶸ちゃんも……きっと取り乱してたんだろう。僕もリーちゃんもお互い……周りが見えなさすぎた。見えてたのに。見ないふりしてた。

 

「あ、ありがとう。それにしても……なんでそんなに泳げるの?」

「……俺もそれなりにセネトレアとは縁があるからな」

 

 海に囲まれたこの島国で、泳げないのはよっぽどの箱入りだと彼は笑った。

 岩の上まで私を降ろした後、彼は思い出したかのようにそう言った。

 

「ん、リフルは?」

 

 

 *

 

 

 

 自分の無事と安全を確保すると、途端に後悔と罪悪感が襲ってくる。

 神様がコートカードをゲーム前に殺すはずがない。

 

 あんなに未来が変わることを願っていたのに、僕は今願っているのは変わらない未来。少なくとも二年後まで彼が存在している世界。

 もちろん手は打った。TORAを総動員させて、僕の力も使ってひたすら情報収集。海流の数値から流れ着くだろうポイントに人を配置したり……出来る限りのことはやっている。

 今も屋根に登り、空を眺め……吹く風……土の匂い。それを数値に変えて僕は情報を読み取っていた。

 

「おい、少しは休め。ずっと情報見てるんだろ?」

  

 本当は僕に殴りかかりたいだろうに、そんなことを言うアスカ君。あんなに僕を否定したがっていたくせに、信じてる。信じたいんだろう……僕の見た未来を。お互い現金な人間だと思う。

 

「……当然でしょ。僕のせいだから」

「あいつは目の前の人間を放っておけるはずがない……それもあんたは混血なんだ。あいつにとって、混血は大事なものなんだ……自分自身より、ずっと」


 だから仕方がない。あんたが殺したんじゃない。あいつがあんたを生かしたかったんだ。そう言って自分を必死に納得させようとしている姿が痛々しい。大切なくせに、大切すぎて優先しすぎて彼は彼に何も言えていないんだ。本当……馬鹿。

 

「ああもうあの馬鹿!馬鹿!馬鹿!帰ってきたら説教してやらねぇと気が済まないぜ!とっとと帰ってこいっ馬鹿!」

  

 馬鹿なのは君の方だよ、とは言えなかった。僕だって同じくらいには愚かだから。

 傷の舐め合いにしかならない。それでも安心したかった、させたかった。だから僕は未来を語った。

 

「リーちゃんは、キングなんだ。だから大丈夫……そう思いたい」

「キング?」

 

 その言葉に、彼の深い緑の瞳に疑問が浮かんだ。

 当然だろう。だって彼には見えていないことなのだから。

 

「二年後のカードが見えたんだ。リーちゃんは、キング。スペードのキング」

「選ばれるのは一から十三までの五十二人。リーちゃんは最強の一角。リーちゃんの復讐は、神に認められたんだ」

「認められた?」

「願いを叶える権利のこと」

 

「でも願いを叶えるには犠牲が必要。彼は望む世界のために親しい人……例えば君やあの酒場の人々を斬ることが出来ると思う?」

 

 無理だろうな、そう小さく彼は笑った。彼への悲しみと慈しみがそこにはあった。

 そう。きっと彼には出来ない。さして親しくもない……それどころかこれまで人殺しを命じていた僕なんかのために、あんなことをしてしまう彼には、きっと。

 

「それが出来ないなら……彼はここで死んだ方が幸せなのかもしれない」

 

 残酷な言葉だと思う。隣のアスカ君の纏う空気に僅かな殺気が含まれたのがわかる。

 それでも、僕は心からそう思った。思っている。

 

「そう、思うのにさ…………どうしてだろう、僕……リーちゃんに生きてて欲しいんだ」

 

 おかしい。

 矛盾してる、殺そうとしたくせに、何言ってるんだろう僕。

 逃げて。そう言ったのに、ここに帰ってきて欲しい。

 

「あいつらはともかく……俺はあいつがそれを望むなら、殺されるくらいわけないぜ」

「うん、だから……リーちゃんは苦しむんだ、心を開けば開くほど………二年後に」

 

 泣きそうな僕を見ないふりで、アスカ君が背中を向けた。

  

「とにかく今日はもう休め。お前に何かあったら、あいつが命張った意味がないだろ。心配するな、あいつは伝説の毒薬のんで生還した奴なんだ。これくらいで死ぬかって!」

 

 似てる。突き放すくせに、優しいところは彼と同じなんだ。

 

「それにそんなに柔じゃねぇ……シャトランジア王家の血は伊達じゃないからな」

 

 ぽつりと零した言葉。ああ、彼も悔やんでいるんだろう。

 昨日の彼の告白は真実だった。それでもそこには靄がかけられていた。何も知らないリーちゃんは気付かなかったけれど。

 

「ふふ、そうだね……あんな高さから落ちても足捻っただけなんて、凄すぎるよ。やっぱり何が何でもまだ殺させてくれないんだろうな」

 

 結局あの後鶸ちゃんを振り払い、アスカ君も海に飛び込んだ。運悪く岩場に落下した彼は、純血には過ぎた身体能力で受け身を取り、この通りピンピンしてる。そこから海に入ろうとしたアスカ君だったけど、ロイルさんに一発殴られ平静を取り戻し……僕らは街へと帰ってきたのだ。

 

 シャトランジアの血。それはリーちゃんのお母さんのこと。そして……

 

「……やっぱ知ってたのか。俺の名前知ってるくらいだ、母さんのこともわかってるんだろ?」

「どうしてリーちゃんに言わなかったの?あの子の無茶癖と無鉄砲さは自分が天涯孤独だと思ってるから……何も失うモノがないと思ってるから出来るのに」

「今更どの顔で兄貴面しろって言うんだ?あいつが苦しむのは見たくない……」

 

 マリー姫は政略婚。彼女のかつての恋人は彼女の騎士だった。その間にもうけた子供の存在は、別の女性のモノだとされたんだ。だからアスカ君の存在は、シャトランジアの国家機密の裏情報。彼はタロックにもシャトランジアにも居場所がない人間。彼にとっての居場所はきっと……国じゃなくて人だったのだろう。だからどこにも行けない彼は……あの子を求めたんだ。そこに自分の全てがあるのだと信じて。

 

「僕だったら……嬉しいよ」

 

 そう呟いたのは……そこまで想ってもらえる彼が羨ましかったからかもしれない。僕のきょうだい達は……みんな仲違いばかりだ。母様はみんな違うから、王宮での地位を賭けていつもつまらない……それでいて陰険な嫌がらせと仲違いばかりしていた。

 仲良く遊ぶことも許されず……僕の傍にいてくれたのは鶸ちゃんだけだった。

 

 だから羨ましかった。

 

「片親が違ってもさ、生き別れた兄様や姉様が生きていて……こんな風に穏やかに、話が出来る日が来れば」

 

「…………考えとくよ」

「言える内に言わないと、言えなくなってからじゃ遅いんだよ」

「……それは、否定しない」

 

 後悔はいつも遅れてやってくる。絶望を連れて。

 だから僕らは……心のままに生きればいい、そういうことなのかもしれない。終わりは遅かれ早かれ必ず来るから。もしそれが逃れられないのなら……脅えるより悲しむより、笑っていたい。幸せで在りたい。だから……私には貴方が必要なんだ。

 

「僕、リーちゃんに会いたい。だから全力で探す。僕なら出来る!だから絶対っ……」

「…………いいから戻るぞ。そんな身体で誤報出されても俺が困る」

「あはは、相変わらず僕には酷いねアスカ君」

 

 僕は笑う。幸せとはほど遠いけれど、その一歩を作るため、僕は笑う。

トーラは僕っ子ですが、私にもなります。

君、僕…の時はふざけてます。猫被ってます。作り出して演じている人格です。

私、貴方…の時は真剣です。本心です。本来の彼女の心の声です。


序盤はアスカが瑠璃やら婆やらトーラやらに迫られて?ましたがいつの間にか人々の好意がリフルの方にスライドしていることに、「ん?」と思っていただければ幸いです。

分かり易いフラグだと、この辺りからトーラがリフルに好意を持ち始めます……が、それさえ伏線だったりするのが悪魔の絵本。気付かない方が幸せなことってありますよね。リフル自身もまだ気付いていません。この辺りを本格的に明かすのは次の章になる『隠者【逆】』になります。気長にお待ちください。

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