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11 Pater, peccavi.


「トーラ、やっぱりお前は間違ってる!」

「生きたいって言ってるくせに、お前達は未来を見ていないじゃないか!過去に縋り付き、未来を見据えない。復讐の先には何もない。空虚だろ!」 

「復讐だけがお前を生かしているのなら、その先にお前が生きる意味はない。そこでお前は生きていけるのか!?」

  

 金髪の青年は、私を否定する。

 

「……この腐りきった世界を変えるには、殺さなくちゃいけない奴は確かに居る。貴女が間違ってるわけじゃない。動機が何であれ、貴女が殺そうとしている相手は……そのための障害だ。俺だって、そう思う」

「死にたくない。俺だって思った。死んだ方がマシだとも同じくらい思った。それでも最後はそう思った。死にたくない」 

「でも……たぶん、誰だってそうなんだ。私が殺してきた相手も……本当は、きっと」

 

 銀髪の少年は、哀れみと驚愕を同時に浮かべた複雑な目で私を見ていた。

 

 

 生きてるんだ。

 だから生きていたいんだ。

 

 死にたくないんだ。

 殺されたくないんだ。もう二度と。そんなの嫌。

  

 だから、生きたい。そう思うことの何がいけないの?

 

「鶸紅葉!」

 

 


  11 

Pater, peccavi.


 

 トーラのその一言で、傍らに控えていた少女……鶸紅葉が地を蹴った。

 彼女はそのまま横へと跳び、廃墟と化した家の壁を蹴る。崩れたらどうするんだなんて馬鹿なことを思った俺の目の前に、もう彼女はいた。

 

「!?」

 

 左右の壁を蹴って迫った?違う。最初の壁を蹴り、その屋根まで跳び、そこから俺をめがけて落ちてきたのだ。

 

「身軽なんてもんじゃねぇぜ……」

 

 跳んでるじゃない。飛んでる。そう言ってもいい高さ。あり得ない飛距離。滞空時間。

 それを人間の枠で計算した俺は、最初の一撃をモロに喰らった。腹の辺りに彼女の手が触れるだけで、鋭い痛みが僅かな時間差で訪れる。

 咄嗟に腕で防御しながら後退するが、片腕を彼女の腕が薙ぐ。両手に付けた篭手から伸びるかぎ爪。接近戦向きの武器だが、あの驚異的な瞬発力と素早さが無理を可能にする。

 見れば彼女との距離は十メートル以上。この距離を、彼女が一瞬で詰めることは確認済みだ。後天性混血児とは言うが、一体どんな脚力をしてるのか。

 利き腕をざっくりと抉られた痛み。彼女の攻撃には、迷いがない。

 

「伊達に鳥の名付いてないってか」

「ふん、精々恐れ戦けシャトランジー!鶸はすごいんだからな!両手の(ナーゲル)は骨まで抉れるんだ!」

「だぁあああ……いい加減名前覚えろガキ!つかお前の手柄じゃねぇだろそれ!」

 

 って蒼薔薇なんかにどうでもいいツッコミ入れてる場合じゃないな。鶸紅葉は話の片手間に相手出来るような奴じゃないようだ。

 

「お淑やか過ぎるよりは、タイプだけどな……限度があるだろ」

 

(こう言っちゃ悪いが……同じ人間だとは思えねぇ)

 

 攻撃をし、反撃を離れることで避け、その隙を狙ってまた攻撃。反撃を許さない一撃離脱。もしあの爪に毒が塗ってあったなら、俺の負けは決まっていただろう。

 彼女が息を吸い込み、腕を構える。また跳ぼうとしている。それを見た俺の口が動き出す。

 

「ちょ、ちょっと待て!俺まだ剣構えてもいないんだぜ!?」

「……何を惚けている。早く剣を構えろ」

 

 そう言って手を降ろす彼女。言ってみるものだな。

 

(しかし……こいつと違って律儀なもんだ)

 

 ちらりと脇目で見た蒼薔薇。奴は相方の猛攻に何故か自慢気に笑っていた。お前の活躍じゃないだろうが。

 しかし、毒を使用しないという制限は、俺だけに科せられたのではないようだ。それでも十分に強い。怒りから来る鬼気迫る殺気。それでも攻撃は酷く冷静で、おまけに頭も悪くない。

 

(姫様、か)

 

 鶸紅葉はトーラをそう呼んでいた。おそらく彼女は生き残りの使用人だったのだろう。彼女のトーラに対する並々ならない忠誠心。それは二度の死地と苦難を乗り越えた絆。

 

(ったく……どうして王家ってやつは厄介事抱えるのが好きなんだかな)

 

 トーラ自身も自分がセネトレア王女だと言っていた。あり得ない話じゃない。セネトレア王は女好きで、後宮には多くの妃やら寵姫がいるって話だ。混血発祥の地はセネトレア。貴族達が王と同じように多くの妻を抱えていたからに違いない。

 トーラの怒りはもっともだ。勝手に作って、勝手に捨てて、勝手に殺す。

 俺の言葉は誤りだ。トーラの復讐は自分一人のためじゃない。死んでいった混血達のための復讐。

 トーラは、俺に似ている。だから、わかる。彼女は、絶望しか見ていない。

 

「理解は出来る。納得も出来るさ……でも共感は出来ない」

 

 俺は腰から長剣を抜き、それを眼前に構える。

 これを抜いた以上、惨めに負けるわけにはいかない。

 

「準備完了だ!本気で行くぜっ!」

 

 鶸紅葉に挑みかかろうとした俺に、それまで黙っていたリフルが静かに水を差す。

 俺の纏った殺気を見てのことだろう。

 

「アスカ、殺すな」

「おいおい、俺に死ねってかご主人様」

 

 鶸紅葉はリフルの知人だ。そう思うのも無理はないが……小細工無しの真剣勝負。殺すつもりで行かなければ、絶対に勝てない。

 それを知っているはずのご主人様は、矛盾めいた命令を俺へと下す。それでも俺は、彼がそう望むのなら、それを現実へと変えるだけ。

 

「死ぬな、勝て」

「…………了解!」

 

 

 *

 

 

(復讐の先に、何があるのか……か)

 

 アスカの言葉。それがトーラへと向けられたモノだと知っても、それは私の内にも強く響いた。

 お前はどうするつもりだと、彼は言う。

 復讐を果たしたい。そう言えば、彼はそれに協力してくれるだろう。

 それでもその先に、俺が生きる意味は無い。憎しみに食らいつくされた俺は、空虚だ。どこまでも、なにもない。

 

 未来を夢見ることも、きっと出来ない。

 自分の欲を満たすためだけに人を殺す。そのためには、なりふり構わず多くのことを見ないふりをし、多くのモノを見捨て切り捨てていくのだろう。

 自分のためだけに生きる。それはきっと……誰かを泣かせてしまうのだろう。

 

(嫌、……だな)

 

 それじゃあ、俺もおなじじゃないか。

 俺も、狂王だ。

 

「そんなの、君も、リーちゃんも同じだ。狂王が憎いんでしょう?殺したいんでしょ!?今この瞬間も臓腑が焼け付くほどに憎んでいるんだろ!?」

「そうだ。憎い、俺はあいつを恨んでいる」

 

 それは事実。覆しようのない、俺の本心。


「外に出て、いろんな人にあって……もっとそう思う。あいつがいなければ、俺が居なければ、奴隷なんかいなかったら……そう思うと」

 

 奴隷が混血がいなければ、今よりきっと泣く人は少なかった。

 俺がいなかったら。

 アスカの父親も殺されなかっただろう。

 アルジーヌ様だって、あんな風に死ぬことはなかった。もしかしたら、狂王だって……狂わなかったかもしれない。

 

 俺がいなければ……そう言って、俺が消えて何もかもが変わるなら。でもそれじゃあ何も変わらない。だから俺は俺を否定しない。俺は俺を肯定してくれた人達のために、俺の存在を認識し、証明する。

 そのために俺は、目の前の人を救わなければ。

 トーラは今、傷付いている。こんなに救われたがっている。そんな人の幸福を願うのが、天に許されなくとも構わない。

 彼女を不幸にした神が彼女を救わないのなら、誰が彼女を救えるだろう。

 人を不幸にするのが天でも地でも、人を救えるのは人だけだ。

 

 だから俺は、この手を、彼女に。

 

 

「貴女は間違っていない。でも、それが正解でもない」

 

 死にたくない。

 それは悪い事じゃない。生き物の……当たり前の欲求だ。 

 

「同じなんだ……混血も純血も。貴族や商人だって……生きてたんだ。生きてるんだ」

 

 外に出て、それがわかった。

 

「“同じ人間”じゃないから価値観が違う、相容れないかもしれない。それでも、同じ“人間”なんだ」

 

 解り合えないと決めつけてはいけない。

 可能性も、希望も目を背けてはいけない。

 

「貴女は俺とは違う……立場がある。地位もある。話し合ってくれないか?貴族や、王と」

「話?そんなの聞いてくれないよ!」

「やってみないとわからない」

 

 アスカの受け売りだ。

 それでも、その通りだと思う。

 自分の可能性を否定してしまったら、きっと誰もそんな自分を肯定してくれない。

 肯定されてもきっと受け入れられない。それで肯定を素直に受け取れるだけの事をしたい。

 だから、足掻くだけ足掻いて。

 駄目かもしれない。

 それでも、やってみないとわからない。

 行動して駄目なら仕方がない。その時は、諦めよう。

 

「それでも、どうにもならないなら……俺が請け負う。俺が殺すよ。何人でも、何十人でも」

 

 俯くトーラ。その肩は微かに震えている。

 

「トーラ。貴女は何を恐れるんだ?」

 

 俺達は人間だ。だから、遅かれ早かれ何時か死ぬ。避けられない。だから恐れるのは無意味。

 それならせめて、目の前の幸福を見つければいい。彼女には、それが出来る。許される。彼女は、救われていい人間なんだから。

  

「一度死を免れたんだ……恐れるより、幸運だったと思った方がよほどいい」

「そんな呪い持って、どうして幸せなんて言えるの!?わかんないよ!僕には君がわかんない!」

 

 最初は、僕だって。彼女は嗚咽に塗れた言葉を紡ぐ。

 

「救えるはずないよ!出来るなら僕だって……でも出来ないんだ!決まってるんだ!視えるんだもの!二年後戦争が起きるよ?セネトレアは滅ぶんだ!奴隷も混血も大勢死ぬよ!巻き込まれて死ぬんだ!!」

「だって視えるんだ!僕は死ぬんだ!二年後に!!僕だけじゃない。選ばれたら最後、みんな死ぬ!殺されるんだ!リーちゃん!君だって!!」

「それが解ってるんだ!でもそれが誰なのかわからない!誰が僕を裏切るかわからない!みんな敵になるんだ!幸せになんか、なれないんだよ?それならせめて……殺される前に、殺したいじゃない!復讐も出来ないで、死ぬなんて……それじゃあ僕、何のためにこんなに……こんなに憎んで!辛くて!それなのに、何も出来ないで殺されるなんてあんまりだよ!」

 

 誰も信じられない。トーラは疑心暗鬼に囚われている。

 

「……蒼ちゃんっ!」

 

 トーラは強い口調で蒼薔薇を呼ぶ。

 

「アスカ君に負けた君でもリーちゃんくらいは殺せるんでしょ?」

 

 これ以上盾突くのなら、排除しろ。トーラは冷ややかな瞳でそう言った。

 俺とトーラを交互に見ながら、蒼薔薇は言葉を失っていく。そんな様子に大げさに溜息を吐くトーラ。

 

「あ、そ。じゃあもうクビでいいよ」

「マスター!?僕はっ……」

「役立たず……拾ってあげた恩も忘れたの?」

 

 うろたえる蒼薔薇を見るトーラの瞳は、失望と軽蔑に染まっていた。

 そのままの瞳で、トーラは俺を嘲笑う。

 

「流石はリーちゃん。混血まで落とせるんだ、凄い邪眼だね」

 

「教えてあげようかリーちゃん。須臾王を狂わせたのは、君だよ。君が生まれたせいで、彼は狂った。狂王を作り上げたのは、君なんだ。君は生まれながら、多くの人を傷付け、不幸にしている。君の存在は、関わる人を不幸にする。これまでも、これからも」

「君が直接間接的に殺してきた人間は何人いると思う?死ぬまでその数は何処まで増えていくかわかる?僕はわかるよ」

「人殺しのくせに、誰も悲しませたくないんでしょう?偽善者の君は。それならここで死んじゃえばいいんじゃない?死ねば?偽善も貫けば善になれるかもよ?人殺しでもさぁ!」

 

 トーラの言葉は続く。彼女は俺の罪を曝き、糾弾し、その断罪を迫っている。

 それでもその言葉は俺の耳には入らない。

 俺のことはどうでもいい。唯、聞き捨てならないことがひとつだけ。

 

「貴女は、混血を守りたかったんじゃないのか?」

 

 だから俺は、貴女に協力してもいいと思った。

 でも、彼女は今……混血の蒼薔薇を見捨てた。傷付けた。

 

「撤回だ。俺は貴女の部下にはなれない……貴女は矛盾している」

 

 トーラに告げた言葉。決別を伝えるそれに、彼女は微笑む。

 その理由が解ったのは、息が出来なくなってから。

 

「蒼っ……」

 

 首に絡み付く糸。ギリギリとそれを絞め上げるのは、蒼薔薇。

 

「マスターを、悪く言うなっ!」

 

 俺の一言が、蒼薔薇の迷いと思いを断ち切ってしまった。彼は主からの叱責、失望……そこから来る行き場のない怒りと悲しみ。俺の不用意な言葉が、それを向ける先を教えてしまったのだ。

 

 でも、そうじゃない。違う。

 

「戦う、理由…なん、て……」

「あるっ!僕はマスターの……っ」

 

「あはは!リーちゃん殺したら、クビにしないであげてもいいよ?さっさと殺って!」


(お前は、それでいいのか?) 

 

 殺したくない。そう語りかけてくる悲しみに似た青色の瞳。そんな、泣きそうな顔しているくせに、蒼薔薇の手は震えながらも力を緩めない。少しずつ、確実に首を絞め上げる。

 いっそ一思いに絞めてくれた方が楽なのに。 

 

 私は嫌だ。

 

「……リフルっ!」

「僕のモノにならないなら君たちは要らない。鶸!殺れ!」

 

 アスカの声。

 

「来るなっ!」

 

 鶸紅葉は強い。彼女に背中を向けたら、アスカが危ない。

 大丈夫だから。信じて。そう言いたい。

 でも、今の言葉で息がもう切れた。大声なんか出したから、もう何も言えない。

 

 嫌だ。

 

 死ねない。まだ、死ねない。

 私はまだ、償ってない。

  

「蒼薔薇っ!」

「……っ」

 

 トーラが蒼薔薇の名を呼んだその刹那、不意に糸が弛む。

 蒼薔薇が糸から手を放したのは、そこを伝い彼の手を目がけて流れるモノがあったから。

 アインシュラーフェン……眠り毒。それが、涙に含まれるモノ。

 ゼクヴェンツ程ではないが、それでも容易に人を殺せる。蒼薔薇であってもそれは例外ではない。だから、それは賢明な判断。

 力を失い倒れ込む瞬間、感じたものは安堵。

 

(……なんだ、そうか)

 

もう私は道具じゃないんだ。道具は思わない……生きたいなんて。


「何、笑ってるの?」

 

 倒れ込んだままの俺を見ながら、不機嫌そうにそう言うトーラ。

 それに答えたのは自分ではない人。予想外の答え。 

 

 キィインという金属のぶつかる音。その音の後に聞こえたのは男の声。

 

「そりゃ、俺が来たからだろ?」

 

 視線を上げた先で笑う人は、見覚えがあった。こんな風にどこから湧いてくるのかわからない自信に溢れ、不敵に笑うような人は一人しか知らない。

 

「……ロイル!?」

「な、なんでお前がここに!?」

 

 駆けつけたアスカ、その背中を狙った鶸紅葉の爪を弾いたのがさっきの音。ロイルが片手で軽々と振り払った長剣。それが鶸紅葉の片手の爪を折っていた。

 

 若干危険な光を帯び始めているロイルの深淵色の瞳。それを察知した鶸紅葉が距離を取る。鶸紅葉の素早ささえ意味を無くす、その力強さ。

 遊びでも勝負でもなく、本気で命のやり取りをしたくないとアスカが言っていたのは……その怪力からだろう。まともに相手にしたら、武器がなくなる。素手で勝てるような相手でもない。最悪、骨も危ない。

 毒でも使わない限り、鶸紅葉に勝ち目はない。

 

「よ!暇だから後つけたんだが、何だかおもしろそうなことになってやがるな!」

 

 出てくるタイミングを見失っていたらしいが、目の前で戦いが始まったせいでいてもたってもいられなくなったのだろう。ロイルの目はキラキラとギラギラの中間の輝きを放つ。無邪気な戦闘欲と血に飢えた殺戮欲が彼の内には同時に猛っているようだ。

 それでも彼は、自信ありげに微笑む。安心しろとか俺に任せろとかそう言わんばかりに彼は言う。

 

「年下は守れ。年上は敬え。俺はそう教わった。だから、守ってやる!」

「俺は同い年だ!」

「アスカなんか頼まれたって助けねぇって。リフルに言ってんだ」

「あーそれはそれでなんかむかつくな」

 

「あの子は俺の相手だからお前はあっちのガキとでも遊んでてくれ」

「はぁ?嫌だ」

 

「だって、あっちのが強そうじゃん」

「馬鹿にされてるぞガキー」

「ま、いーか。こっち倒した後にあっち倒せばいいだけか」

「……………はぁ?純血風情が調子に乗るな!」

 

 突然の部外者の登場に面食らっていた蒼薔薇も、ロイルの言葉に平静を取り戻し、すぐに失った。見知らぬ相手と戦う方が気が楽なのだろう。先程までの苦悶の表情は何処へ行ったのか、躊躇も無しに鎖を取り出し、ロイルにそれを投げつける。

 

「は、当たるかよ!」

「ざけんな!ぶっ殺す!!」


 身軽にそれをかわし、林の方へと駆けていくロイル。怒りに身を任せた蒼薔薇は、それを直ぐさま追いかける。

 

「くそっ……ちょこまかと!」

 

 今度は上手く剣を絡め取る事が出来たが、ロイル剣を振るだけで、鎖はバラバラに千切れてしまう。

 

「おい!コレ一本幾らすると思ってんだ!経費馬鹿になんないんだからな!!」

 

 意外と金に五月蠅い蒼薔薇は更に我を忘れ、ロイルを追いかける。

 

「蒼!くっ……」

 

 その判断を鶸紅葉が咎めるが、その声は彼には届かない。蒼薔薇も、後天性。その素早さが、彼女の声を遠ざけた。主であるトーラを守護役がいなくなった今、彼女はアスカとの勝負を急がざるを得ない。その焦りは油断に繋がる。アスカはそれを見逃さないだろう。

 素早さは変わらないとはいえ、片手になった鶸紅葉の攻撃回数は減る。アスカの方も心配ない。

 

(ありがとう、ロイル)

 

 聞こえないだろう。それでも小さく彼の名を呼ぶ。

 これでトーラと話が出来る。

 

 

 *

 

 

 蒼薔薇をロイルに任せ、リフルの安全を確保したところで、鶸紅葉との戦闘を再開させたが、俺の内にはなにか腑に落ちない物があった。

 

(しかし、どうしてロイルが……?)

 

 実際、助かった。俺じゃ間に合わなかった。

 後から飯くらい奢るはめになりそうだ。

 

「ん……なんか忘れてるような」

 

 考え事をしながらでも捌けるくらい、相手の攻撃も荒く、単調になっている。動きが読めてきたというのもあるが、片手の武器が壊れた事で攻撃の手数が減ったのも効いている。

 勿論相手の素早さは変わらない。避けることはもう諦めた。避けようと思えばその分次の手、次の手と追い詰められる。こっちの動きは相手の思うがままだ。

 

 だから俺は避けることを止め、最小限の動きで致命傷を避けることだけ専念することにした。切り込む瞬間、そこに生まれる隙。そこに俺が切り込む。攻撃が最大の防御ってこういう事か。そうすることで反撃が出来るようになったのだが、さっきは危なかった。ロイルが来なければ思いっきり喰らっていたはず。

 

(ロイルなら…大丈夫だとは思うが。ロイルのあの怪力なら、あのガキ一人くらい何とでも……)

 

 蒼薔薇のことを思い出す。昨夜の戦い。その時あいつは………

 

(あ……)

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 俺の絶叫に、座り込んでいたリフルは目を丸くする。

 その大声に、敵である鶸紅葉でさえ動きを止めた。驚いたのかもしれない。


「…………あ、アスカ?」

「しまった!あのガキ、確か毒使いだろ!?」

  

 昨日気を失っていた蒼薔薇は……正々堂々の下りは聞いていなかったはず。

 聞いていたとしても

 一応武器は奪っておいたが、糸に鎖……まだ隠し持っていた。毒を持っていないとも限らない。

 

 鶸紅葉と違って、蒼薔薇は正々堂々なんて精神持ち合わせていない。癇癪を起こせば唯の子供。何をしでかすかわからない。ある意味、物凄く危険だ。毒はリィナが専門分野。相方のロイルは毒の知識は殆ど皆無。解毒剤も彼女任せ。そんな彼女はいなかった。

 毒を喰らったら、彼ではどうにもならない。斬りかかってきた鶸紅葉の爪を剣で弾きながら、俺は目の前の鶸紅葉に悪態を吐くことしかできない。

 

「ガキに毒と刃物は持たせるなって教えなかったのか?」

「そうしてくれる人が、蒼には居なかった」

 

 後天性混血。その苦しみを宿した苦い瞳で鶸紅葉が呟いた。鶸紅葉も消えた二人を追いたい気持ちを抱えているようで、冷静に見えた顔にも焦りが浮かんでいた。


 当たれば終わりなのは、どちらも同じ。

 毒を喰らえばロイルの怪力も意味をなさない。

 ロイルの攻撃をまともに喰らえば、小柄な蒼薔薇はひとたまりもない。

  

「彼等を追いたいのは私も同じだが、それには……」

 

 彼女は俺が邪魔。俺は彼女が邪魔。

 腕試しならまだしもトーラが俺達の殺害を命じた以上、後には退けない。

 敵を残し、主の傍を離れられないのは互いに同じ。

 

「……あんた、それでいいのか?」

 

 目の前の少女は、俺と同じだ。それでも、トーラとリフルは違う。

 トーラが救おうとしている者の中には、鶸紅葉も蒼薔薇も含まれていない。蒼薔薇はどうだか知らないが、彼女の方は気付いているだろう。

 攻撃が荒くなる。それだけ蒼薔薇を心配している。それでも、トーラをどうしてそこまで優先するのか。

 

 鶸紅葉は、爪の付いた篭手を捨て、腰から剣を抜く。

 致命傷に欠ける武器を止め一点集中。今度こそ、俺を殺すつもりなのだろう。

 

「主の命に従う。地位を失われても、例え国が滅んでも……私の主は姫様一人!」

 

 鶸紅葉から返された言葉は、俺の中にすんなり入り込み、心を震わせる。

 信じた主の進む道。それがどんなものでも付き従うその精神は、正邪に染まらず……唯、気高く美しく、もの悲しい。

 彼女は今、切り捨てた。

 一つの数のために、他の全てを。己の心を。

 自分を顧みることもない主のために、彼女は全てを投げ打って……地面を蹴って跳んでくる。

 それを迎え討つために、一度俺は剣を鞘へと戻す。

 

「……あんたには、共感出来そうだ!いいぜ……俺の誇り、越えてみな!」

 

 ロイルに気をかけていては、勝てない。

 俺も、彼を切り捨てなければ負ける。

 

(いや、違うな……俺は信じる。信じていいんだ)

 

 もう、一人じゃない。自分一人で戦ってきた頃とは違う。

 守る人が居る。支えてくれる人が居る。もう……頼っても、いいんだ。期待したって許される。

 ロイルなら大丈夫。

 

 だってほら、あいつがいない。ちょっと目を離すとコレだ。

 さっさと倒して迎えに行かないと。

 

 間近に迫る距離。そこを俺から初めて踏み込んだ。

 先手必勝。斬られる前に斬る。

 

 彼女は元タロック人。居合いくらいは知っていたかもしれない。だが、これは居合いじゃない。

 俺が鞘に戻したのは、刃を入れ替えるため。両刃のコレは、片刃ずつ、切れ味が違う。今まで使っていたのは強度を誇る代わりに切れ味が薄い、防御専門の鋼鉄刃(エアヴァイテルト)

 今抜いたのが、切れ味重視の即死刀(ゲシュヴィンダー)

 風の抵抗を極限まで減らした刃。此方側で抜けば、倍の早さで振れる。居合いの瞬間だけならその早さはざっと三倍。

 もっともどちらも刃も見かけは変わらない。長年これを使っている俺にしかわからない。だから彼女もわからないまま斬られた。俺が今まで手を抜いていたように見えたか、それとも急に動きが増したか。どちらにしてもあり得ない、そう言わんばかりの驚愕の表情。

 

「……悪い」

 

 小声で謝ったのは、斬ったことじゃない。真っ直ぐ過ぎる彼女を騙したことだ。

 毒なんか使わなくても、この性格は直せない。生き延びるためには、どんな悪どいことも卑怯なこともしなくちゃいけない。それが俺の中には刻み込まれてる。

 

(嫌な家訓だぜ……)

 

 どんな手を使っても、仕えた主を守る。そのために作られた剣が演じる刃(ダールシュテルング)

 清廉潔白な騎士を気取りながら、主のためにはいくらでも仮面を付け替える偽りの刃。代々受け継がれたのは柄だけ。俺は先代のをそのまま受け継いだため、先の二つ以外に代わりの刃が、猛毒刃(クレーアリヒ)しかない。

 家が燃えたときに他の刃は失われたし、現代でこんな面倒くさい剣の刃を作ってくれる鍛冶屋もいない。金に物を言わせるにも、セネトレア商人はぼったくりの巣窟だしいくらふっかけられるかわかったものじゃない。

 だから俺は、この三刃を付け替える戦法を練って頭を捻って生き延びてきた。今回は毒を使えない以上、こうするしかなかった。

 正々堂々なんて、出来ない。言動一つ一つが生き延びるための布石。誇りなんかあったものじゃない。あるような振りをして、惑わすだけだ。

 

 嘘ばかり。偽りだらけ。俺の外も、内側も。

 それでも、俺はやっと……本当を見つけた。

 

(だから、そのためなら何だってやるさ……)

 

 ポツリと口からこぼれ落ちた言葉。

 それは鶸紅葉の忠誠心に胸を揺さぶられたからかもしれない。

 鶸紅葉と俺は目的も手段も違う。それでも主を思う気持ちは同じだと感じたから。

 

「放っておけないんだ、あいつは」

 

 だからロイルを追った。戦闘能力じゃ二人の足下にも及ばないと知っているはずなのに。それでもあいつはロイルを追った。

 何が出来るかじゃない。目の前で何かあったら何もしないではいられない。他人事を放っておけない。面倒事に進んで飛び込んでいくようなそういう奴なのだとこの数日でわかった。

 フォースのこともそうだ。彼の仲間のことも。

 損得勘定も考えないで、そうしてしまう。

 

 あいつは、優しいから。

 

 あいつのことを、偽善でも罪滅ぼしでも好きなように言えばいい。それでも俺は……そういうあいつだから。

 誇りに思う。どんなに罪に汚れても……あいつのために剣を振るうことを、何よりも。

 

「だから、俺も……」


 

 *

  

 

 狙ったのは軸足。彼女の早ささえ奪えれば、彼女の負けは決定する。

 殺すな、の命令に従い致命傷には至っていないが、手当は必要だ。

 それを見たトーラがしたことと言えば、酷くがっかりした顔で大きな溜息を吐くことくらい。目の前で自分のために戦った少女を、手当をする気もないらしい。

 

「あーあ……やっぱり殺せないか。まだ、時期じゃないからかな」

 

 俺が何かを言う前に、トーラは場違いなほど明るく笑い出す。俺を心底馬鹿にしているような笑いだった。

 

「どうして心配しないかって?あはは、当たり前でしょ?だって僕にはわかるんだから。鶸紅葉も蒼薔薇も。アスカ君もリーちゃんも今日は死なない。勿論僕も。さっきのロイル君とやらも大丈夫だから安心しなよ」

 

 トーラはいちいち矛盾している。

 殺せないと知りながら殺そうとししてみたり。

 仲間になれと言っておきながら殺そうとしたり。

 

 これでは俺達を殺したくて仕方がないようにしか思えない。

 

「……何が、狙いだ」

 

 一向に手当を始めないトーラに痺れを切らし、鶸紅葉の手当を始めた俺を怪我の自給自足?とケタケタ嗤うトーラ。鶸紅葉には悪いが、どうして彼女がこんな女に仕えているのか全く解らない。

 

「僕は試したかっただけ。一度変えらることが出来た未来……それに二度目はあるのか。それともあれは双子(ぼくら)の例外だったのか」

 

 そう言ってトーラは再び溜息を吐く。

  

「やっぱり未来は変わらない。君たちが欲しかったのは、君たちも僕と同じだと思ったから」

 

「話したところで信じてくれるかわからないけど……僕は二年後に死ぬ。これが決められた未来だ」


 さっきは死にたくないと取り乱していた彼女が、今度は淡々と己の死を語る。まるで、別人だ。

  

「でも、僕は気付いた。二年後に死ぬのは僕だけじゃない。大勢の人が死ぬ。でも、決められているのは数だけ。原因もわからない。それでも二年後に起こるそれは避けられないことだと僕は知った」

 

「そして、僕は時間をかけて少しずつ情報を集めた。そしてその内の何人かの名前を知った。ここまで言えば、わかるでしょ……?」

 

 じっと俺を見つめる虎目石の瞳。美しく輝くそれが映すのは希望ではなく絶望の色。

 そして彼女は静かに宣告をする。

 

「君も、リーちゃんも二年後に死ぬ仲間なんだ」

  

 魔女は語る。死の宣告を。

 

「……は、何言って」

 

 でも俺は信じられない。この場に他の奴らがいたってきっと同じ反応をしただろう。だって、そんなこと信じられるか?

 頭に浮かぶのは疑念の言葉。それでも胸に蔓延るのは……不安と恐怖。それを感じさせるのは、すべてを見透かすようなトーラのその瞳。

 

「兄様の死によって、僕の元々持っていた死亡予知能力も増した。知らない人でも、名前と死亡する年まで読み取れるようになった。……もっともそれを知ることが出来るのはランダムなんだけどね」

「ランダム……?」

「夢だよ。予知夢。僕は毎晩他人の死のヴィジョンを見る。日付と年と大まかなが並んでてその死因を僕は知る。老衰以外ははっきり言って不眠症になりたくなるくらいグロイよ」

 

 口調は相変わらず軽いままだが、笑っていない虎目石の瞳。その場違いなほどの声の明るさが、今は恐ろしく感じてしまう。俺はその言葉の節から彼女の抱える深淵を垣間見ていた。

 

「僕が見ることが出来た中で、探し出すことが出来て、尚かつ比較的容易に接触できるたのが君たち。那由多王子や君が生きているのを知ったのもそこで」

「同じ年だからって……そんなの偶然だろ?伝染病が流行るとか、戦争が起こるとか……」

 

 俺は必死に言葉を紡ぐ。さも正論を言うかのように、己の正しさを、彼女の誤りを証明しようと。彼女の言葉を否定したくて。

 

「僕はそうは思えないから、君たちを味方にしたかった。そうじゃなきゃ、君たちが二年後に僕を殺す可能性があるから……だから殺したかった」

 

 話の飛躍についていけない。どうしてそこで殺す殺さないの話になってしまうんだ。

 俺の疑問に彼女は小さな笑みを持って答える。触ったでしょ?そう彼女は切り出した。

 

「二人に触れたとき、読み取った情報。間違いない。君たちは他殺。戦死でもない。でも、相手の顔が見えない……僕の最期と同じなんだ」

 

 触れたとき?

 思い当たったのは脳に情報を流し込まれたあの時。そういえば昨日、トーラはリフルに触れていた。そこで彼女は確認、確信したのだという。

 

「顔のない人間。それは、未来が決まっていない証拠」

 

 それじゃあ、俺達が死ぬという未来もまだ不確定。そう告げようとした俺に、トーラは力なく首を振る。

 

「それでもその年が決められているのは、絶対に二年後、僕等を殺すって神様が決めているんだ」

 

 神様。シャトランジアの聖教会で信仰されているふたりの神様。この場合死を司る零の神がいけない方向にはっちゃけてしまわれたとでも言うべきか。

 万物に宿る数値。それは人体を構成する内にも存在する。俺達人間は0から9までの数値が無数に並び、それが複雑に絡み合い遺伝情報を刻むのだとか。鋭い感性を持っていれば、空気中に浮かぶ数値を視覚することさえ可能とか。いろいろ聞いたことはあるが、生憎俺にはよくわからない世界の話だ。見えない以上俺には信じようがないが、トーラが俺の知らないことを知っているのは否定しない。実際彼女は俺とリフルの名前まで知っていた。

 聖教会の神子や神官達は、その数値を読み取る力を持つ。生まれながらそういう力を持っている者しかなれないと言った方が良いか。

 しかしトーラの力はそこらの適当な神官達より遙かに上。生まれたのがシャトランジアだったなら、神子にだってなれたはず。

 トーラの予知能力を認めたところで、俺には不可解なことがまだ幾つもある。

 

「それで……どうして俺がお前を殺すなんて話になるんだ?」

「例えばの話。リーちゃんを殺す顔がない人間が僕だったら、アスカ君。君は僕を殺すだろうね」

 

 トーラの言葉は、俺が予期しないもの。それでもその例え話が真実なら、それは現実になるだろう。これまで考えもしなかった。俺の方が先に死ぬものだと俺は当然のように思い込んでいたから。

 

(もしそんなことがあったら……俺は)

 

 否定できないままの俺を見て、トーラが静かに笑う。

 

「二年後以降も生き延びる人間。その人達は顔が見える。殺人事件であっても、犯人の顔は決まっている。今の僕は、自分の死後の未来さえ知っている。三年後の事件の犯人と被害者の名前を予言することだって不可能じゃない……まぁこれを知るのもランダムなんだけどね。百年後とか見た日にはもうわけわかんないよ……もっとも未来が変わってしまったらその情報全てが無に帰すんだろうけど」


 トーラは過去は理論上は世界の創世から(もっともそれ相応の物質が残っているかどうかが問題だが)。未来は実年齢プラス百年後まで見ることが出来るらしい。

  

「僕が見た未来。その中で顔のない人間が映るのは二年後だけ。日付が決まっていない死亡予定日が数多く並んでいるのも二年後だけ。ここから僕が思い当たったのがこれ……“顔のない人間は、二年後に死ぬ人間。その内の誰か”」

「二年後に死ぬ人間は、互いに互いを殺し合う。その組み合わせはまだ決まっていない。それでもそれは絶対なんだ」

「仲間にならないなら、君たちは敵。僕を殺す可能性を持った危険因子。だから僕は、君たちを殺したい。正当防衛だと思わない?」

 

 トーラの言葉。もしそれが真実なら……二年後こいつがリフルを殺すなら。俺が今ここで、この女を殺せば……未来は変わるのか?

 

「それは違う」

 

 無意識に剣に伸びていた右手。それを制したリフルの声。

 伸され気を失っているらしい蒼薔薇を背負ったロイルもそこにいる。無事だったのかとひとまず安堵した。

 

「トーラ……その言葉は、俺と貴女の父親を肯定してしまう」

 

 我が子を見捨てたタロック王とセネトレア王。それを自分が肯定するはずがない、そう虎目石の瞳が訴える。

 

「どういう、こと?どうして僕が、あの男なんかっ……」

「俺は王子。男の王族は父親を退けて王位に就く。最悪、殺してしまうこともあるだろう。貴女は王女……現代では廃止されたかもしれないが」

「ああ、タロックにはあったな」


 リフルの言葉に頷く俺。当の本人は少し驚いているようだ。

 

「屋敷時代に物語の本で読んだんだが……あれはまだある風習だったのか?」

「ああ、事実だ。でもあの国らしい風習だと思わないか?魔女様も聞いたことくらいあるだろう?」

 

 セネトレア人も元々は同じタロック人。セネトレアの貴族の屋敷にあった本に記されていたのだ、知らないはずがないだろう。世界的に有名なハッピーエンドの物語にも出てきていたはずだから。

  

「より強い国のために、かつてその王は外の血を求めた。跡継ぎの王子が居ない、それで王女を持った王が居た。戦い、彼を屠った旅人と王女は結婚し、旅人は新たな王になった……そういう話だ」

 

 よくある逆玉の輿の物語だ。もっとも、この続編と呼ばれている冥府の旅人という物語のせいで、ハッピーエンドもあったものではなくなってしまうのだが。

 不意にその王女がマリー様と重なった。旅人が、あの狂王。国にとっては力のための婚姻、それでも旅人は王女を愛し、冥府まで迎えに行くほど彼女を求めた。

 先に手を放したのは……裏切ったのはどちらだったのだろう。物語はわからない。それでも俺の存在がそれを教える……それは王女なのだと。

 

(それでも……許せるはず、ないんだけどな)

 

 それでも俺の旅は終わった。振り払った手を、王女はもう一度繋いでくれたのだから。

 そして“王女”は剣のように力強い言葉を紡ぎ、俺たちの心を揺さぶった。

 

「俺も貴女も、王の死に結びつく要因。貴女の理論なら、奴らが俺たちを殺すことは正当防衛になってしまう」

 

「殺しに善も悪もない。そこにあるのは罪だけ……そして罪はいつか償うものだ。殺すと言うことは、己が殺されることを是とすること。受け入れること、認めること……だから貴女が死を恐れるのなら、貴女は誰も殺すべきではない。そうじゃないのか?」

 

 リフルは己の罪を自覚し、それをいつか贖うことを受け入れている。その上で、彼はそれを言っているのだ。

 それを誰が否定できるだろう。俺には出来ない。きっと彼女にも。罪から目をそらし続け、殺すことを肯定している俺たちには、絶対に言えない言葉。

 

「貴女は俺が二年後に死ぬ、そう言ったな。それは絶対なのか?」

「……絶対だよ。トーラの名においてそれを認める」

「それならトーラ……」

 

 カラン。酷く乾いた音。

 リフルは俺が渡した短刀を彼女の方へと放り投げていた。

 

「その剣で俺の心臓を貫いてくれ」


「なっ!リフルお前っ……」

  

 青ざめる俺も視界に入らないのか、そのまま彼は言葉を紡ぐ。酷い言葉だ。お前は何もわかっていない。だからそんな残酷な言葉を口に出来るんだ。

 

「俺が死んだら認めてくれ。未来に絶対など無い。もし俺が死ねなかったら、神の呪いは存在するということになってしまう……貴女の言葉を信じ、二年後の未来を変えるため貴女の力になろう。どちらにせよ、悪い話ではないはずだ」

 

「悪いどころか最悪だ!お前自分が何言ってるかわかってるのか!?」

「理解している」

 

 ようやく俺を視界に認めた彼が、こともなさ気にそう言った。

 軽い。あまりに軽すぎる。どうしてお前はそんなに、自分を無価値に扱える?

 

「俺は、混血を助ける。見捨てない。だから俺は貴女を救いたい」

 

 違う。

 もう何も言えない。

 リフルは自分がどうでもいいんじゃない。周りが、混血が……他人が大切すぎるんだ。

 

 

「違う。気付いたんだ……俺が救われるためには他人が必要だ。だから俺は俺が救われるために貴女を救いたい」

 

 誰も自分を地獄から救うことは出来ない。他者という存在なくして、誰も幸福にはなれない。彼はそう言っている。

 お前の言葉は正しい。でもお前は気付いていない。けれど、その言葉が真っ直ぐすぎて……俺はそれを否とは言えない。

 

(どうして考えつかないんだ……くそっ)


 お前がいなければ救われない、幸福を感じられない人間も……ここにはいるんだって、どうしてそれがわからない。

  

(……俺が、悪いのか)

 

 俺は嘘を吐いた。いや、嘘じゃない。故意的に俺は真実を隠した。省いた。嘘は言っていない。それでも、真実を一つ……俺はリフルに隠したまま。

 言えばきっと傷つける。それでもその言葉はきっと、彼を引き留められる。自身の存在価値を植え付けられる。でもそれは……俺のエゴに過ぎない。

 

「なんだやらないのか?」

 

「仕方ない」

 

 そう言ってリフルは投げ捨てた短剣をその手に取って微笑んだ。

 綺麗な、綺麗な笑みだった。この世のものとは思えない、美しい笑み。どこかでいつか、みたような………喪失の既視感を感じさせる、艶やかな笑みで。 

 

 人形が、笑う……

罪は償うためにある。それがSUIT編のモットー。リフルは罰を受けずにのさばっている悪人である他者を殺め……最後にはその罰を自身に降らせることを望んでいます。

その仮定に一人でも多くの人を救うこと、力になることも願っていますが、それで自身の罪が消えるとは思っていません。償いは傷を受け取った人に贈るもの。その相手を殺め、相手が何処にも居ない以上、罪だけが加算されていきます。償いきれない、足し算と引き算が合わない。それでも、他者を殺めて自分だけが幸福になることは罪であると彼が考えている以上、逆位置の物語は幸福では終われません。

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