表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

1 Mundus vult decipi, ergo decipiatur.

セネトレア編もといSUIT編第一章です。

時間軸的には本編(愚者)の二年前になります。

魔術師の逆位置には詐欺師という意味もあるそうです……是非騙されていってくださいね。

挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 死者を連れ戻しに来た旅人に冥府の王は告げました。

 

 振り返ってはいけないよ。

 貴方は何かを無くすから。

 

 先に行ってはいけないよ。

 忘れて行ってしまうから。

 

 手を掴んだら離さずに

 目を瞑ってお行きなさい。

 

 目に見えぬものを信じなさい。

 聞こえる声を頼りに行きなさい。

 そこに光はあるでしょう。

 

 さぁ、振り返りなさい。

 貴方は何かを得、何かを失うでしょうから。

 

 約束を破った旅人は冥府へと堕ち、死者は光に包まれ世界へ帰る。

 

 振り返ってはいけないよ。

 命を惜しく思うなら。

 

 先に行ってはいけないよ。

 その手を離してしまうから。

 

 

 十字物語《冥府の旅人》

 

 

 

 *

 

 

「ディジット、これ……どういうこと?」

 

 振り向いちゃいけない。

 本はそう言っているのに、振り向けとも言っている。

 少女にはその矛盾がわからなかった。

 

「その本……懐かしいわね。昔教会から貰った奴だわ」

 

 私は微笑みながら、それを見る。

 

「ええとこれは……教会が、神様が人間を戒めるために作ったお話なの」

「……い、ましめ?」

「駄目だよってことよ。これはね、地獄に行った旅人の話。旅人は生き返らせたい人がいたの」

「でも冥府の王様はタダでは返せないって言ったのよ」

 

 決して後ろを見てはいけない。

 それなのに、目を瞑れと彼は言う。

 目なんか瞑ったら、どっちが前か後ろかわからなくなってしまうのに。

 でも、それにはちゃんとわけがあった。

 

 地上と冥府を繋ぐ道。

 忘却の坂。

 

 

 そこで目にするモノは人から記憶を奪ってしまう。だから目を開けてはいけない。

 でも、行きは作用してなかったのにおかしな話よね。

 王様がとってつけたような悪趣味だったのかしら。

 

 想い人とはぐれてしまわないように、旅人は手を繋いだわ。

 でもそれは、片手一つで壁を手探りで進めと言っているようなもの。

 死んだ時に記憶が抜けたから、想い人は目を瞑らずに済んだ。

 旅人の進む道は、想い人の助言だけが頼り。

 

 その声が在れば、旅人は想い人を忘れない。

 手を繋いでいる意味も。

 

「それでも、冥府の王様は意地悪でね、旅人の想い人にはその手を離すことを教えたの」

「どうして?」

「冥府の王様は、二人を地上に帰す気がなかった。そうじゃないと計算が合わなくなるから。もっとも一人は帰してあげるつもりだったけど」

「旅人を騙して振り向かせれば……お前は生き返れると話してね」

 

 信じるなら、その手を離せ。

 愛する者のために、自分の命を差し出せ。

 

 帰りたいなら、無音を守れ。

 愛しい者を犠牲にしてでも、そう願うなら。

 

 生きて地上に出られるのは、最初に出口に辿り着いた方だけ。

 

 生者にとっては忘却の坂。

 けれど死者にとってはそこは記憶の坂。

 生きていた頃の記憶を彼女は思い出してしまう。

 思い出は、幸せなものだけではなかった。

 旅人の想い人は、辛い記憶悲しい記憶を取り戻していき……次第に口数が少なくなっていく。

 

 旅人は少しずつ記憶を失っていき……それでも想い人の名を呼び続けた。

 でもある時、その名を間違ってしまった。

 想い人はその言葉に、とても悲しい気分になったでしょうね。

 

 でもそうなったのは、言葉を閉ざした想い人のせい。

 それでもそれを口にしたのは、紛れもなく旅人自身。

 悪いのはどっちだったのかしら。

 

「アルムは、どっちが先に手を離したと思う?」

 

 悲しみのあまり想い人がそうしたか。

 名前の次は存在すら忘れた旅人がそうしたか。

 

「……忘れちゃった、旅人さん?」

「そう、昔の私は想い人の方だと思ったわ」

「……思った?」

「今なら私も旅人だと思うけど」

 

 少女は首を傾げる。

 

「これ、答えは書いてないのよ。考えなさいってお話だから」

 あるのは死者が蘇ったという結果だけ。

 死人を生き返らせる奇跡を起こすには、それと同等のモノが要る。

 

「命の対価は命。それだけ命は重いものだってこの本は言いたいんだって、私は思ったわね」

「えー……正解、ないの?」

「その人がそう思うなら、どれでも正解なのよ」

 

 少女は納得できないといった風な表情だった。

 その理由を尋ねると、心優しい彼女らしい答えが返される。

 

「だって、それじゃあ二人とも幸せになれないよ」

「そう?少なくとも私は……旅人は、幸せだったと思う」

「どうして?……だって」

 

 続く少女の言葉に、私は言葉を失った。代わりに私はとってつけたような微笑みを浮かべることしかできない。

 

「死んじゃうのに」

 

 

 *

 


 糸を切られた操り人形。

 力を失い、崩れ落ちていく。

 

 その一瞬一瞬は、切り取られた絵画のように世界に映えた。

 

 小柄で線の薄いそれは、ふわりと風に踊るように。

 風の吹かないその場所。宙を舞う銀糸。灯りに照らされキラキラと光る、人形の髪。

 その場にいた者は、誰もが息を呑み……それを見つめていただろう。

 美しいとしか呼べないその光景は、死の舞踏。

 現実から切り離されたような非日常を覗いているような感覚。

 ここが処刑場だということも忘れ、人々は魅せられている。勿論、“僕”も。

 

 そうしてどれだけの絵画を見送っただろう。

 その何十枚目の時……目が合った。それは、それが床へぶつかる直前のこと。

 勿論、人形は僕の方を見ただけ。視界に入れただけ。人形が僕を認識したわけではない。“僕”が人形から何かを受け取ったように、人形は“僕”から何も得られるはずがないこと。それを僕は知っている。

 それでもその一瞬は、僕に途轍もなく大きな何か……それは驚愕や畏怖も含んでいたようでもあったし、憧憬や陶酔といった言葉にも似ていた。

 僕はそれに感動したのだろうか。恐怖したのだろうか。そのどちらでもあり、どちらでもないような気がする。唯一言で言うなら……僕はそれに魅せられた。そう言うことだろう。

 

 人形の唇。それは僅かに綻び、愛らしい微笑みを宿している。その人形は、何も知らずに笑っている。自分が壊されていることも知らずに。

 それを知りながら止めることも出来ない僕たちを、人形は嘲笑っているのだろうか。

 そう思ったのはきっと、あの瞳のせい。

 此方側と彼方側を隔てる壁に、ぽっかりと開いた二つの穴。闇の深淵が、僕を見ている。そんな風に感じるような異様な瞳。人形は菫よりもずっと深い……紫の瞳をしていた。虚ろがこちらを覗いている。背筋が凍るほどの恐ろしさ。“人”ではない“人形”だからこその、ありえないはずの彩りがそこにある。

 それは禁忌。あってはならないもの。それが終わる瞬間。失われていくそれが魅せる美しさ、それに僕は魅せられた。

 はじめて目にしたはずのそれ。愛着が湧くはずもない、ほぼ無関係のそれ。僕は肯定を賛美しながらそれを拒絶するという……矛盾極まりない思いに囚われる。

 それが消えていくことを、僕は綺麗だと感じながら……それがどうしようもなく悲しいと想ってしまった。それに気付いたのは、頬を伝う冷たさを知った時。その時、すべては終わってしまっていた。僕の心などお構いなしに。

 

 小さな瞼が闇が閉じ、世界は光に包まれる。

 人々は各々何かを受け取りながらも、次第に日常を取り戻していく。

 それでも僕だけが、まだその非日常に囚われている。忘れられない。

 

 眠るような人形の微笑。穏やかに、愛らしく……未だ僕を魅せ続ける。

 瞼の裏に焼き付いた光景。脳裏から離れない微笑。

 

 それでも、目を開けた時……繋いだはずの小さな手は何処にも見あたらなくて。

 空の棺を抱えながら、僕は彷徨い続ける。

 

 死体が見つからないのはどうしてか。それが燃やされてしまったから。

 死体が見つからないのはどうしてか。その棺に入る身体が消えたから。

 死体が見つからないのはどうしてか。生きて育ち姿を変えたから。

 

 幾百幾千もの仮定。答えがみつからないまま、僕はずっと彷徨い続ける。

 何時か答えが見つかるときまで、僕は空の棺桶を心に抱えて。そうやって空っぽの僕は歩き続ける。

 

 

 *


 

 目を開けること。

 それは目を閉じることより恐ろしいことだと思う。

 もし夜眠る前に会ったはずのものが何処かへ消えていたら。その逆も又然り。今俺の頭を悩ませているのはそれに他ならない。

 

「アスカ!!あのねあのねあのね!!!」

「…………あ、るむ?」

 

 銀色の人形の代わりに現れたのは、違う存在。それでも確かに異形の姿。まだ半分夢の中の俺の目に映る色。春を思わせる明るい……桜色。布団の上から俺の肩を揺するのは絵本を片手に抱えた桜色の髪の少女。

 いつもならノックで帰る彼女がどうしてここにいるのだろう。俺は確か昨日ちゃんと鍵を……

 

 (わかんねぇ……)

 

 我ながら不用心すぎる。しかし、鍵を締めたかどころかいつ寝たかいつ帰ってきたかさえわからない。

 

「飲むもんじゃねぇな……」

 

 酒は便利だが、体質的に合っているようで合っていないようだ。

 ぼーっと思考を巡らせる俺に、少女は手にした本を聞かせ始める。どうやら朝食の知らせではなかったらしい。

 聞こえてくるのは、誰もが子供の頃一度は耳にしたことがある物語。

 その解釈を巡って、少女は店主と仲違いしたようだ。普段仲が良いあのふたりが?

 そう思ったが、彼女の沸点がよくわからない。

 ここに棲み着いてそれなり経つが、おっとりしているアルムがふて腐れるなんてはじめて見たような気がした。

 

「幸せなんかじゃないよ。でもディジットが旅人は幸せだって言うの……アスカはどう思う?」

「……本当にそんなことが出来るなら…………幸せだろうな」

「…………先生に聞いてくる」

 

 俺から満足な言葉を引き出せなかった彼女はとてとてと部屋から走り去っていく。

 夢に続いて朝からハードな話を聞かせられた。今日は一日気分は憂鬱になりそうだ。

 

 物語は良い。あり得ないことが、ありふれているから。

 そこら中に奇跡がゴロゴロ転がっている。

 それでも現実はそうもいかないから、俺は毎日藻掻いているのだろう。

 

 もし、俺が死んで、あの人が生き返るなら。

 

「……何回だって、死んでやるさ」

 

 

 1 Mundus vult decipi, ergo decipiatur.

 

 

 闇夜の散歩というのも、なかなか風情がある。少なくとも俺はそう思う。思うが、なかなか周りから賛同は得られない。

 抜け出してきた馴染みの酒場。そこでのやり取りに俺は思いだし笑いを浮かべた……そう、苦笑いを。

 

「あんた、頭の螺子の方逝っちゃってるんじゃないの? 」

 

 笑顔でそんな辛辣なことを言う宿兼酒場の女店主。それが親しみから来るものだと思いたい。

 

「むしろ脳の方がそうなっている可能性は否定出来ないな 」

 

 むしろ俺は、赤の他人にそんな言葉を放つ腐れ藪医者の脳内の方が酷いことになっているんじゃないかと思う。仮にも医学を学んだ者が、他人を傷付けるな外傷の伴わないやり方で。

 

 (ああ、だからあいつは闇医者なのか )

 

 そんな理由で表から追われていたら実に面白い。いや、少々情けないような気もするが別にあの男が最低から超越え最悪だとしても、俺の人生にはなんら関係はない。むしろもっと最低のどん底まで極めてくれ。俺から遠く離れた場所で。

 

「だって、ここがどこだか知ってるんでしょ? 」

 

 ああ。知ってるよ。

 ここはセネトレアが首都ベストバウアー。世界一物騒な街。

 裏通りは昼間でも危ないってのに、こんな時間に一人歩き。例え身ぐるみ剥がされても、例え殺されても文句は言えない。ここはそういう街なのだから。

 

 だからいいんじゃないか。

 そう言った俺に、女店主は渋い顔……男は含み笑いを送ってくれた

 

「変態だな 」

「お前が言うな、洛叉(ラクシャ) 」

 

 涼しげな目元に嘲笑を浮かべた男。俺にとってあいつは初対面の頃から気に入らない奴だったが、相手にとってはその同時期から見下す対象だったのではないかと思うくらい、こいつは常に俺を蔑む。

 

(……つか、日増しにパワーアップしてるよなその傾向が )

 

 なるほど。要するにあいつは、俺を貶めることで自分をよく見せるという遠回りな自己愛主義者なのだろう。名付けて他者謙譲型ナルシスト。もういっそのこと略してタケシストとか呼んでも罰は当たるまい。普及するとは到底思えないが。

 

(いや……止めよう )

 

 こんな綺麗な月夜に風に吹かれながらあんな最低野郎のことを考える必要性も必然性も皆無に等しい。こんな夜は、これに見合うような……穏やかで美しいもののことでも考えたい。

 

「“月も綺麗だし……何か出そうだろ、こんな日には” 」

 

 酒場を出るときに口にした台詞を、もう一度だけ繰り返し……その何かを俺は探そうとする。いや、本当はそれが見つからなくても良い。唯俺は、この心許ない優しい暗さが好きなのだ。そんな気がする。はい、決定。

 灯りもなく、月明かりだけが便りの裏通り。

 西側にはまだ酒場やら風俗店やらまだ活気があるが、東側は昼間の騒がしさと打って変わって物静か。狩人は眠っているのか、その素振りをしているだけか。

 そのどちらでもないと知ったのは、つい最近のこと。どうやらこの東側では、夜は昼とは違った現象が起こっているらしい。

 大手の奴隷商人や、それの顧客である成金貴族。人狩りをする獣たちが、裁かれる。犠牲者はもう二桁目。その犯人の“素顔”を曝けとは、今回俺が請け負わされた依頼。

 

「ったく……あのお嬢さんも無茶言いやがって 」


 一度引き受けたヤマは百パーセント完遂実績が売りである、請負組織“影の遊戯者”の頭として……それを引き受けた以上、俺はそれを見事果たさなければならないわけだ。

 

「顔に騙されたな、あれは 」

 

 昼間会った依頼人のことを思いだし、俺は重い溜息を吐く。

 あれはもはや一種の詐欺だ。弱々しく可愛らしい、寄る辺なき少女のふりをした狡猾な目狐、獰猛な虎。もし失敗でもしようものなら、もうこの街で仕事は出来ないかもしれない。そんな厄介な依頼人に捕まってしまうとは。

 それならせめて殺人鬼の今夜の標的は、スタイル抜群の美人系のお姉さんとかそういうオチで、それを颯爽と助ける俺。そこから始まるラブロマンスとかでどうだろう。可愛い系の子には今回で懲りたから。

 まぁ、悪徳商人の殆どは脂ぎった顔の中年男か、胡散臭い中年〜初老男か、馴れ馴れしい笑顔の若造か、その辺りだから助けてもあまり面白くはない。その手下なんて、小物顔の護衛か筋肉自慢のマチョマチョマッチョに違いない。

 ましてやそんな奴等とラブロマンスでも始まってみろ。即刻、舌噛んで死んでやる。もしくは瞬殺。無意味な殺しはしない主義だが、これは有意義な殺人だよな、俺の人生的には。

 そうそうここに法なんかあって無いようなもの、無法地帯ベストバウアー。殺された方が悪い……って何考えてるんだ俺。

 すっかりこの街の色に染まりつつある自身に、溜息を吐く。

 

 平均罪業、犯罪集団一歩スレスレ……それが請負組織(うけおいそしき)。中には善良な組織も無いわけではないが、それは表の組織。裏側の請負組織には、それを一歩どころか軽く百歩も越えている奴等ばかりだ。

 かく言う俺も、裏通りの請負組織。欲しいものを手に入れるためには、やはり金は必要だ。 最終的に今回依頼を引き受けたのも、要はそう言うことだ。背に腹は代えられない。報酬はこれまで引き受けてきたどんな仕事より、遙かに好待遇。何しろあの魔女様は、俺に何でも叶う願い事引換券を下さるというのだから。

 

 (願い事、か )

 

 神が見捨てた地上。神が暮らすという天上。その天地を隔てる厚い雲。それが願いも祈りも届かないようにしていると言う。

 願いが叶わないのは、神が地上にいないから。だから、願いを叶えるために人は金を集める。

 嫌な言葉だが、世界にとって金さえあれば多くの望みが叶うだろう。特にこのセネトレアにあって、金で買えないものは何一つないのだ。

 

「いや……一つだけあったな 」

 

 もしそれが買えるなら、俺は悪魔に魂だって売って良い。

 

 

 *

 

 

 朝食を終え自室へと戻った俺は、あり得ないはずのモノを見た。

 

「はぁ……疲れてんのかな、俺」


 そういえばこのところ働き詰めだった。

 だからといってこんな幻覚を見てしまうとは。

 

 それは俺のストライクゾーンからかけ離れた幼い少女の姿。

 どうしたわけか童話の中の、狼と赤頭巾を足したような格好……獣耳赤頭巾?。

 セネトレア広しといえど、こんな格好で出歩くモノを見たことがない。俺の想像力に完敗。

 髪も目も金色。それでもその目は猫のような……いや、虎目石に似ている。髪ならカーネフェル、シャトランジアによくある色だが、その目は違う。カーネフェル人の目は、緑か青と相場が決まっている。

 

 コレは……混血だ。

 

(俺はあの変態医者みたいに混血マニアじゃねぇぞ)

 

 どっちかって言うなら、宿主にして酒場マスターのディジットみたいなスタイルのいいお姉ちゃんの方が好きだ。

 

「そうだよねー前の仕事は三日連続張り込みだっけ?いくら何でも浮気調査まで引き受けるとか君仕事選ばなさすぎるよ。まぁ引き受け率も成功率もいいからこっちとしては大助かりなんだけどさ」

 

 頷くそれ。

 かなりの長文の後、訝しげな俺の視線に気付いたそれは手を振りながら、ヘローなどという妙な脱力を感じさせる挨拶を送ってくる。

 残念ながら、これは幻覚ではないようだ。

 いや、幻覚でないならむしろ喜ばしいことだな。俺が正常だと言うことだ。

 

 (いや、正常か?)

 

 俺は本日二度目の自己嫌悪に陥る。

 

「また鍵かけ忘れたのか、俺」

「うん。不用心だね〜……ま、僕が入ったのは窓からだけどさ」

「帰れ不審者。聖十字呼ぶぞ」

 

 聖教会お抱えの聖十字軍。法を遵守するのを好む奴等は、街の面倒事処理班。

 もといシャトランジア王国で言う警察みたいな仕事をしている。

 悪徳商人達は数が多すぎて対処しきれずどうしようもないが、こういう不審者をしょっ引くくらいは役に立ってくれるだろう。

 

「うわ、可愛い女の子相手にそりゃないって!」

「俺の辞書には自分で可愛いという女に可愛い奴は居ないという諺がある」

「あはははは、お兄さん面白いけどさ♪そんなんじゃ、儲からないよ?」

 

 儲け?そんなのこいつと道関係があるんだ。

 

「僕、貴方に依頼に来たんだよ」

 

 にこりと笑い、猫のように目を細める少女。

 

「請負組織“影の遊戯者シャドウ・メーカー”の頭って貴方でしょ、飛鳥君?それとも違う名前で呼んだ方がいい?」

 

 頭と言っても、構成一名から為る単独行動の請負組織なんだけどな。

 ってそんなことより、今は聞くことがある。

 

(こいつは今、何て言った?もう一つの名前、だと?)

 

 それを知ってなお、俺が生きていることを知っている。それを踏まえると、この少女は限りなく俺の敵だ。

 

「……誰だ、お前」

「あはは、幸運の女神様?」

 

 睨む俺に、少女はにこっと微笑んだ。

 自分で言うだけある、それなりに可愛らしい笑みだったのが余計苛ついた。

 廊下を掃除していた宿手伝いの少年に、俺は声をかける。

 

「おーいエルム、ちょっくら詰め所まで行って聖十字兵呼んで来てくれないか?」

「ああ、つれないなぁ!ちょ、少年!頷かないで!僕、この人の依頼人だから!」

 

 最初こそ素直に従おうとしたが、我に返ったらしいエルム。

 アルムの弟のくせに、外も中も全然似ていない。去っていく彼の目は、俺達の馬鹿げたやり取りに冷静な少年は、あんたら何漫才やってるんですかとでも言いたげだった。

 それを見送ったあと、こほんというわざとらしいことこの上ない咳払いをする虎娘。

 

「貴方はツイてるんだよ?僕に目を付けられたからには、必ず良いことが起こる。約束するよ」

「僕の名前知らない?聞いたことない?セネトレアの女王とは、僕のこと。勿論王妃様じゃないよ?」

 

 だろう。今の王妃は四十路だったはず。これはアルムと同年代程度にしか見えない。

 ちなみにアルムは11だか2だったはず。

 こんなのが愛妾だとしたら、セネトレアは大分終わり気味だ。もっとも奴隷貿易を推奨している辺りもう既に終わった感が否めないが。

 ってなわけでこいつが王家の人間のはずがない。大体気品を感じない。天性のカリスマも微塵に感じない。よってこれは没。

 

 他に思い当たる節と言えば……

 

「セネトレアの女王っていったら……あの魔女のことか?」

 

 俺の頭に浮かんだのは、一つの請負組織の名。俺の紡いだ名前に、少女はにやりと笑った。

 

 

 *

 

 

 標的の目星も、犯人の特徴も教えられず、虎娘から受け取ったのは小さな紙切れ一枚。そこに書かれた情報こそ、俺の命綱。その情報で伝えられた東のあるブロック。ここは城から最も近い通りである奴隷通りのから何本か小さな路地を通った場所。

 この場所を、犯人は行きも帰りも利用するだろうと彼女は言った。

 一応下見を兼ねて昼間確認してみたが、街を囲う外壁に阻まれていた。

 街外れの山岳地帯にある成金共の屋敷街に行くには、もっと違う道を使うはずだ。それを行うには海路の方が容易だろう。そこを敢えて陸路とは……犯人の数は少数精鋭?それもかなりの手練れが揃っていると考えた方が良いだろう。

 

 (しかし、なぁ……)

 

 屋根の上から見ても、まだ外壁の方が高いとはどういう事だろう。俺はその壁を見つめながら、小さく溜息。

 

 (いまいち疑わしいが……まさかこれを越えてくるってか? )

 

 高さがメートルはある壁の外側には、濠代わりに海水が流れ込んでいる。海と陸を利用したベストバウアーは、天然の要塞。難攻不落の城塞都市。付近には人が登れるような建物も樹木もない。

 内側からなら屋根でも使えば脱出出来るかもしれないが、その逆は人間伎ではない。思わず、どんな身体能力だと胸中でツッコミを入れてみる。

 

 (……どこから来る?)

 

 息と気配を極力殺し、耳を澄ませる。僅かの音も聞き漏らさないよう目を閉じた。次にこれを開けたときには、犯人側より夜目に慣れているはず。

 心を落ち着かせるために、俺は無心になれるよう……数を数え始めた。

 それから丁度五分が経過した頃、キィという扉の開く音。バタバタと走る一人分の足音。

 

 (建物の中からだとっ!? )

 

 直ぐさま目を開いた俺が目にしたものは、肉の塊に挟まれた美少女……いや、違う。かなりふくよかな男性に通称お姫様抱っこと呼ばれる類の方法で運ばれている可愛らしい女の子の姿。

 おそらくこれが、今回の標的だろう。これから屋敷に帰るところを狙われるのだろうか。それにしても些か不用心ではないか。彼が戦えるようには到底見えない。

 抱えた少女のせいで両手は塞がっているため、腰に差されているだけの剣が活躍することはないだろう。第一、商人か貴族か知らないが……醜く肥え太った身体に、少女という荷物。狙われたときには満足に逃げることも出来ないだろう。

 そもそもそんな状態で、護衛も付けずにこの街を……それも夜に一人で出歩くなんて死亡志願者以外の何者でもない。

 その脂肪彼岸者いや死亡志願者は、急いで何処かに向かっていたようだった。もっとも、それからものの数分も経たないうちに、抱えた荷物を路地へと降ろしてしまったが。

 男の息は荒い。少女は差ほど重そうには見えなかったが、あの脂肪だ。やはり体力が続かなかったのだろうと半ば感心しながら頷く俺。

 その自信に溢れた答えをばっさり切り下ろしてくれたのは、その死亡志願者。

 

 (うげ…… )

 

 一瞬声を出しそうになった自分を抑えた俺は、かなり偉いと思う。ついでに凄いと思う。今日一番の努力賞は俺だと思う。まだ一日が終わったばかりの時間だし、先着的に。

 男は月明かりの当たる石畳の上に少女を降ろし、すぐさま押し倒す。

 少女の両手は鎖に繋がれ、それが彼女の境遇を分かり易く教えてくれている。彼女はどんな扱いにも抵抗を許されない身分。

 少女は奴隷。あの黒髪なら出身国は西の大国タロック。あの国では、女は貴重。タロック産の女奴隷はセネトレア市場でもあまり流通していない。従って、値段も法外。それを購入するとは、あの男はそれなりの金持ちに違いない。

 

 (お熱いことで……しっかし、気分の良いものじゃないな )

 

 いや、俺が独り身だからとかそういう理由ではないのであしからず。俺だって年上ウケは悪いが、年下にはそれなりにって……俺にそういう趣味はないからなあの変態と違って。変態と言えば、この男もなかなかの者だ。街中縛り年の差三十(俺推定)。

 

 (うっ……なんか吐きそうだわ俺 )

 

 ここはベストバウアー。こんなものは氷山の一角。もっと凄いことももっと酷いこともこの国には溢れているのだ。想像しただけで死にたくなるようなことも、日常茶飯事的に行われている。

 ああもう嫌だ。この街事焼き払ってしまいたい。本日中もっとも重い溜息と共に、涙腺が弛みかける。

 男は少女の服に手をかけながら、彼女に口吻を迫る。縛られた腕の間に頭を入れられたせいで、押しのけることも出来ないだろう。そのか細い腕が、月のせいでそれが異常なほど白く見えた。まるで、死人のよう。

 

 (あー……早くさくっと殺しに来てくれねぇかなぁ…… )

 

 それまでこれを見せられ続けるというのもかなりの苦痛。拷問だ。思わずあの可愛らしい依頼人を呪いかけたが、同時に一つだけ感謝した。

 俺はあの男を“助けろ”とも“守れ”とも依頼は受けなかった。俺は唯、犯人の顔と特徴を持ち帰ればいい。こんな胸糞悪い親父を助ける義理もない。それだけのことをして来たのだろう。それならば心おきなくこう言える。

 

 (“精々、餌になって貰うとするか” )

 

 あっちの女の子の方は可哀想だが、万が一の場合は二重の意味で運がなかったと諦めてもらうしかない。俺だって、危険な橋は渡る気はない。

 唇が重なる瞬間。それを凝視できる勇気もなく、俺は二人から目を背けた。

 

 (ごめん…… )

 

 声は出さずに唇だけで謝罪の言葉を作ったが、それが俺の自己満足に過ぎないことは知っていた。

 

「ぎゃああああああああああああああああああああああ 」

 

 闇に響いた叫び声。それは俺が想像したものより、遙かに野太く汚い声だった。

 

 

 *

 

 

 響く絶叫。それが男の者だと気付いた時、すべては終わってしまっていた。

 先程までは無かったはずの水溜まり。そこに佇む少女。横たわる男。

 男だった者は一つの色の染められていたが、僅かに残された白。それがぽっかりと開らかれた双眸の一部だと知り、先刻とは違う意味の吐き気を催わせた。死ねばいいのにと思った相手が実際そうなったわけなのだが、こうも生々しい場面を見てしまうと、流石にクる。うげぇの一言で全てが言い表せそうで言い表せないような、そんな有様。

 

 少女はぺっと、水溜まりと同じ色の唾を吐き捨てる。黒にしか見えないが……あれは血だ。相手の舌を噛み切ったのか。それにしては異常だ。

 月明かりでは明るく見えた男の服も、今ではその色一色に染められている。

 舌を噛み切られただけで、人はあんな風になるものなのか?まるで身体の毛穴から血でも吹き出したみたいに。 

 その濁った血だまりの中、少女は死者に蔑みだけの言葉を贈る。

 

「くたばれ……下衆が 」

 

 どうやらこの街では、可愛らしい顔をした女はみんな危険人物であるべしという鉄則でもあるのかもしれない。

 

「……このパターンは予想してなかったぜ 」

 

 殺人鬼の方が、美人さんとは世も末だ。

 

「しかし参ったな 」

 

 俺も一応男だ。男の心情的には、この脂肪おっさんより、こっちの殺人美少女の方に味方してやりたい。

 

 (んでそこから始まるラブストーリーってか? 駄目だ、最終的に俺も殺人鬼仲間になってる結末か、俺まで殺される展開しか思い浮かばねぇ…… )

 

 味方してやりたいが、仕事は仕事。それとこれとは話が別だ。

 髪は流れるような黒髪。顔は……大きな瞳に白い肌。鼻筋も整っているようだ。ああそうだ、まるで人形のような……

 そう思った時……何かが、引っかかった。

 

 (ん……? )

 

 別の思考に囚われる前に、俺は頬を抓って切り替える。本当は思いっきり叩いてやりたかったが、音を考慮した結果だ。痛みの軽さのせいでまた余計なことを考えそうになる。

 

「仕事だろ……俺 」

 

 指に力を入れて、少女を目で追った。

 今は余計なことを考えている暇はない。

 薄暗い路地では詳しい色は解らない。タロック人なら、瞳は黒か赤。そのどちらかがわかるまで、俺はまだ帰れない。

 少女は男が出てきた扉の前まで戻り、その戸を叩く。それ以外何もない一階建ての建物。

 窓もなければ屋根もない、のっぺりとした四角い建物。どうやって中を探ればいい?今から回り込むには時間が足りない。

 ギィィという小さな音の後、暗闇に僅かの灯りが漏れ、嗄れた声が少女を出迎えた。

 

「……何度目のただいまだい、欠陥品? 」

 

 物語でいう悪い魔法使いのような白髪頭の老婆。曲がった大きな鼻に皺だらけの顔。推定年齢に困るタイプだ。仮に何歳と言われても俺は信じるだろう……六十以上という限定条件付きでなら。

 

「……今日で十一回目 」

 

 対する少女は、淡々とした機械的な声と言葉を老婆に返してやった。

 

「ホッホッホ。 男とは馬鹿な生き物だねぇ。 お前が来てから金には困らんよ全く。水でも浴びな、そんなんじゃあ次のお客も付きはしないよ 」

 

 扉の中に少女を誘う老婆。

 お馴染みのキィィという音で元の闇がそこへと戻る。

 少女の目の色は解らないが、二人のやり取りからその建物のおおよその見当は付いた。

 

 (……“奴隷屋”か )

 

 なるほど。夜に経営している店もあるのは知らなかった。

 一部の客のための何か曰く付きとか、問題有りの“商品”を扱っているのかもしれない。少なくとも、表で売れないような“商品”だ。

 

 (厄介だな )

 

 美少女奴隷殺人機能内蔵型。そんな物騒な商品、これまで聞いたこともない。見てしまったわけではあるが……

 

挿絵(By みてみん)

 

 *

 

 

 少女が消えた十分後、俺はその店の前まで降り立った。

 看板も何もない。向かいの屋根から何分か観察したが、十二を差したまま動かない時計が扉の上に付けられているだけ。

 少女を探るためには、客のふりをして店内に入るべき。それでもそんな危険を冒す必要は無いとも思う。少女の目以外の外見は記憶したし、犯人の居場所もわかった。依頼人もきっと万々歳だ。

 

 (いや、駄目だな )

 

 あの狡猾な依頼人が、この場所を俺に教えたこと。それはその程度の情報は掴んでいる証拠。彼女は俺に、もっと違うことを探らせたいのだ。少女の正体。この店の正体。あの、殺しの方法。

 

 (ああ、クソっ……ほんと厄介だぜ )

 

 わかってて俺にやらせているなら、本当にあの依頼人は狐か狸だ。流石はセネトレアの魔女の名は伊達ではない。

 意を決した俺がノックをしかけたその時、キィと扉は開かれた。

 何度か聞いたその音が、今回ばかりは重く聞こえた。地の底から響くように、重く……重く。

 

「いらっしゃい。 おやぁ、これはこれは……随分とこれは珍しいお客様だねぇ。 お前さんなら奴隷なんぞに手を出さなくとも良かろうに 」

「ははは、そうでもないんですよ。 本命からは相手にもされてないような奴ですから 」

「そうかのぅ……なかなかの色男じゃて、見る目がないのぅその女は。儂が後十若ければのぅ……惜しいのぅ。 お前さんになら儂自ら恋の虜すなわち奴隷になってやってもいいんじゃがのぅ 」

 

 上手くねぇよ婆と怒鳴りたい気分ではあったが、営業スマイルでなんとか我慢。

 

「下賎めいた格好をしとっても婆にはわかる」

 

 いや、これが俺の私服なんだがクソ婆。しかもけっこうお気に入りなんですけどクソ婆。

 笑顔を保つのもそろそろ限界だと思ったとき。

 

「その髪と目……そこいらの成金とは違う。 金も緑もあいつ等よりずっと深い。 なんと美しい…… 」

「!? 」

 

 この薄暗い中で、俺の色を見抜くとは。巫山戯た事ばかり言っている割に、目は曇ってはいないようで侮れない。

 驚きを隠せない俺に、老婆はにたりと笑んだ。

 そして手元の蝋燭の灯りを消し、部屋を真っ暗闇にする。

 

 (やられたっ! )

 

 咄嗟に袖から両手に短剣を掴み取り、直ぐさま得物を構え、どこから来られても対応できるよう……目を瞑り、耳を頼りに気配を探る。

 

「お前さんでも手に負えんよ、あれは 」

「生憎俺は、やってみなきゃわからないだろ主義者なんだ。 そこんとこ考慮してくれると助かるんだが…… 」

「やってみなくともわかるよ。 あれはこれまで十一の主を屠った。 いや…その前もいたから十二か。 十三番目の主……不吉過ぎるぞ、儂も好みの色男をむざむざ死なせたくもないのじゃ 」

 

 コツコツと部屋を行ったり来たり……俺から離れたり近づいたりしながら老婆は語る。それは俺を殺すか殺さないか値踏みしているように思えて、額に冷や汗が浮かんだ。

 

「あれは鳥。 綺麗なだけの鳥じゃ。 鳴くこともなく、歌ううこともない。 飼い主を愉しませず、懐くこともない……血に飢えた獰猛な鳥 」

「それをずっと籠から出さずに、飼い殺すだけの器量がなければどうにもならぬ 」

「あれに……見る以上のことは望めまい。 見つめ返されることは決してない。 寄り添うことも出来ぬ。 唯離れた場所から見つめること。 それが共存であり、唯一の愛で方 」

 

 例えどんなに見つめてもその瞳の中には映れない。

 例えどんなに想っても、籠から出してはいけない。

 例えどんなに愛しても、愛されることを望めない。

 

 それを誤ったから、これまでの主は死んだのだと老婆は教える。

 

「これまであれに心を奪われ身を滅ぼした者が何人いたか。 生まれはタロックもセネトレアもシャトランジアもカーネフェルもいた。女もいた。 男もいた。 貴族もいた。 商人もいた。聖職者もいた。 既婚者もいた、そうでないのもいた。 善人もいた。 悪人もいた。 それでも皆ここにはおらん  」

 

 直後に、パチッというスイッチ音。目映い光が瞼の向こうから降り注ぐ。目を開けた先で、老婆は諦めを説くように笑っていた。

 武器を構えた時点で、俺は資格を失っていたのだ。

 死にたくないのなら、死を恐れるのなら。生を欲するのなら。あれ以外を望むのなら。

 それならあれの飼い主には向かないと。

 

「これは結果の出ている遊戯。 あれに囚われた時点で、決して勝つことは出来ないのじゃ 」

 武器を収めながら、言葉だけは出し続ける。

「やってみないとわかんねぇさ。 生憎俺は諦めも悪いんだ 」

 

 我ながら、正に言葉通りだと思う。割に合わない。

 本心はもう既に、老婆の言葉に納得している。それでも俺はあの少女なんて関係ない。俺は俺の望みのために、この仕事を完遂させなければならない。

 

 (諦めて堪るかよ )

 

 もう少しで叶うかもしれない。長年追い求めていた、ことが。

 医師の宿った俺の視線に、老婆は「若いとは……悲しく、羨ましいものじゃ 」と乾いた笑いを漏らすだけ。

 

「まぁ……そういって引き留めてくれるのは嬉しいぜ。 実際止めた方がいいかな〜とも思いかけてるし。 でも……気になってな。 このまま帰ったら……それはそれで後悔しそうだ 」

 

 婆さんの説得次第では考え直す。そう含ませて、更なる情報を引き出そう。さり気なく老婆の好意に礼を言うことも大事だな。

 これが効を成したのか、老婆は何年物かもわからない黄色い歯を見せるほどにやけながら語り出す。でも、視線が泳いでいたり指を指の間だでくるくる回していたりと……かなりウザイ。

 

 (仕事……仕事…… )

 

 老婆は一言喋る度に、物凄い独特の口臭を発する。これはもしかして呪いか、それとも毒薬を調合した惚れ薬効果の気体か?それとも俺がこの臭いで昏倒悶絶したところで……いや、よそう。想像しただけで目眩が襲ってくるから。

 一瞬あの少女に尊敬の念を抱いた。

 もしこの老婆に「情報あげるから、んん〜 」とか目を瞑られたら本気で泣ける。無料で教えてくれるみたいでよかった。身体で払えとか言われたら、俺が俺の舌噛み切りたい。キス一つで呪われそうだが、本番なんて言われたら生きる希望とかまで奪われそうだ、なんとなく。

 俺がとんでも妄想に耽っている間、老婆は散々俺を褒めながら諦めるように説得していた。 春の枯れた高齢の爺まで魅了するようなあの奴隷に、お前さんのように若い男が抗えるわけがないのじゃとかなんとか。流石の俺も、そこまで手当たり次第ではない。第一あんな恐ろしい女、こちらから願い下げだ。

 目の色さえわかったら、それで満足。さっさと帰るに決まってる。手頃な所で、「じゃあ諦めて似たような色の子探すよ、扱ってない? 」って。

 

「うんたらかんたらうんぬんかんぬん……つまりこのゲームは……あの子を生きて家まで連れて帰れれば無料じゃ。 それどころか逆に賞金まで出る、それも目玉がこぼれ落ちるような高額の。 奴隷と金を 」

 

 あんたにはこぼれ落ちるほど目玉が詰まってるのかと言ってやりたい。また生えてくるのかとか。

 じーっと老婆の目を見つめていたら、なんだかそれもあり得そうに思えてきた。生命の神秘だなとか納得しかけた頃、顔を赤らめて視線を逸らす婆。お願いだから、そういうの止めてくれ。俺の精神抉って楽しいか?そんなに泣かせたいのか俺を。

 俺を微妙な世代にモテるように産んだ母さんがちょっと憎い。俺は親父似だから親父も憎い。

 

 (ちくしょう、親父め! )

 

 許してやっても良いから、どうやって同世代の母さんを落としたのか是非とも教えて欲しい。

 それがたぶん、俺の幸せって事だと思うから。何よりの子供孝行だよな、きっと。

 

 (いや、んなことはどうでもいい! )

 

 今は何時までも遠い目をしている場合ではない。

 

「で、死んだ場合は? 」

「ホホホゥ……それはのぅ……ホホッホウ 」

 

 なんだその語尾は。あんたはどこぞの鳥か?梟なのか?

 次言ったら梟婆って呼んでやる。そう堅く心に誓う俺。

 

「何、命以外に失うものはない。 お代は何、遺産のほんの九割で構わん。 支払うのは遺族じゃ、お前さんには関係ない話。 お前さんはまけにまけて……九割九分九厘でよいぞぅ、ホホッホホゥ 」

 

 なんという悪徳商法。流石は天下のセネトレア。最低人間の宝箱か博覧会だなこの街は。耄碌したか? ありがたいぜとっととくたばれ梟婆 ……とは流石に言わないでおいた。いくら口調が気に入らないとはいえ、相手は一応女性だ。もっとも枯れ木と絵本の魔女の融合体のような皺恐ろしい外見も勿論好みとは言えないがその辺はふれないでおいてやりたい。

 何しろこの方は……俺がストライクアウトゾーンからモテるということを高齢者側から実証してくれた実にありがたいお人でもある。子供、老人。これで極めつけに同性側からの証言を貰った暁には潔く首を吊りたいと思う。

 

「あー……なんかめんどくさくなって来たな。 なんかどうでもよくなってきた 」

「ホホゥ、その熱しやすく覚めやすい。 飽きっぽい性格は……さてはB型じゃな、ちなみに儂はA型じゃ。 相性ばっちりじゃな! 」

 

 ウインクをしながらハートマークを飛ばしてくる老婆。

 どうでもいい情報ありがとう。ちなみに俺は割と一途だ、初対面の人を遊び人みたいに言うな。儂も遊ばれたいのぅとか指くわえながらこっち見んな、お願いだから。

 

「んじゃ、せめて最後に一目会わせてくれないか? 」

 

 いろんな意味でげんなりしている俺に、老婆は語りかけて来た。修学旅行中の女学生の宿泊宿での恋バナ顔負けレベルのハイテンションだったこれまでと打って変わった……物静かな声色だった。

 

混血児(こんけつじ)は見たことがあるかい? 」

「ああ。 知り合いが飼っててね…… 」


 とりあえず相づちを打ち、話を進ませる。


 (混血……? )


 このタイミングで出ると言うことは、あの少女は混血なのか?

 確かに親の髪の色を継いでいれば……それもあり得る。瞳と違い、髪は親のを継ぐ場合とそうでない場合とがあるのだから。

 混血児。それはタロック人とカーネフェル人の間に生まれた子供のこと。この街で扱う最も高価な商品。身分上は同じ奴隷でも、人と認識されている純血のタロック、カーネフェル人とは違う。

 タロック人は黒髪に赤か黒の目。カーネフェル人は金髪に青か緑の目。けれど、混血の色はそれに従わない。あり得ない目の色、あり得ない髪の色。

 髪は新色にならないこともあるが、目は必ず変わる。親のどちらにも似ないのだ。彼等はその異様な外見から美しい商品として愛でられながら、人ならざるモノとして認識されているのだ。金持ちの愛玩動物。それがもっとも的確に、純血からの彼等への認識を言い表した言葉だろう。

 ちなみに宿にいるアルムもエルムも混血児だ。桜色の髪と深紅の瞳の姉と深紅の髪と桜色の瞳の弟。

 礼の依頼人も混血。俺混血と接点多いな何気に。

 

「それじゃあ、“片割れ殺し”は? 」

「片割れ……殺し、だと? 」

 

 老婆の物々しい言葉。確かに混血は、双子が多いと言うが。

 似てない双子なら宿にいるが、そんな物騒な言葉は聞いたことがない。婆の造語じゃないのか。いい加減なこと言って体よくあしらうつもりだろうか。

 

「物騒な名じゃと思うておるか? まぁのう……これを知るのは業界関係者くらいじゃ。 耳慣れなくとも仕方あるまい 」

「混血に双子が多いことは知っておるな? あれの多くは男女の双子…… 」

「ああ、それは知ってるぜ 」

「それが間違っておるのじゃ 」

 

 頷いた俺の言葉を、あっさりと否定する老婆。

 そして彼女は、不思議なことを俺に教えた。

 

「コレ達は本来必ずそうして生まれてくる。 九割九分九厘以上の数値でな…… 」

「は……? 」

「その例外が“片割れ殺し”。婆の戯れ言かと思うておるか? 信じる信じないもお前さんの自由じゃが…

 …コレには片割れを伴わずに生まれてしまった、生まれながら呪われた子供。 それが“片割れ殺し” 」

 

 ほぼ必ずと言っていい確立で生まれる双子?そうは言うが、市場では一人で籠に入っている者も多い。攫われるときにはぐれたか。他の店に取られたか。

 

 (いや……セネトレアといえば )

 

「……それじゃあ、それ以外のは“混血狩り”か? 」

 

 かつて混血が存在するようになった十数年前。それが最初に行われ、迫害の中心地になったのは……このセネトレア王国。

 首都以外では今もまだ迫害は続いているという話だ。その際に死亡する者も多いのだろうか。

 それならどうして“片割れ殺し”がそれであると解るのだろう。何か……普通の混血とは違う、目印が有るとでも言うのか。

 

「察しが良いのぅ、頭の良い男は好みじゃ……が、儂でなければお前さんの首はもう同じ場所に繋がってはなかったろうな、運の良い奴じゃ 」

 

 梟婆さんの言葉は、俺の考えを肯定するもの。それはつまり……

 

「これはその呪いを試すゲーム 」

 

 “彼女”でも迂闊に手を出せない相手。それがこの事件に関わっているということ。そんなもの……世界に四つ五つくらいしか思いつきそうにない。

 

 (これは……どっかの国か王族が絡んでやがるな )

 

 とんでもない。場合によっては国際問題にもなりかねない。

 

「これはさる高貴な方が行っている、ゲームなのじゃよ。さぁ……見せておやり…… 」

 

 何時の間に居たのだろうか。言われて初めて気付く、奥側の扉……その向こうの気配。そこに、彼女が居る。

 

「奴隷屋“午前零時(ミッドナイト)”、最大の欠陥品にして最高傑作 」

「おいで、瑠璃椿(るりつばき) 」

 

 ここに招かれる時よりも、重い扉の音。それに俺は息を呑む。

 今日みたいな夜は何かが起こる。

 そう言ったのは、誰?

 

 (……俺だ )

 

 そこにはこれまで見たこともないような、美しい人形がいた。

 ありえない目。

 ありえない髪。

 あり得ないその色。

 何かが今、俺の前にいた。

 

 

 *

 

 

 別に俺は飢えてもいないし、彼女に惚れているわけでもない。だから最初から、死ぬはずがないのだ。飼うつもりもなければ、触れたいと思うはずもなかった。

 その根本を覆された。

 

 (やばいな……コレは )

 

 しっかり立っていたはずの足が、震える。ぐらぐらと足下が揺らいで崩れていきそうだ。

 コレに似た感覚を、俺は知っている。

 瑠璃椿と呼ばれた少女は、先程とはまるで色が違う。この色は、一度しか見たことがない……奇跡の色だ。

 あの日見失った人形が、今俺の目の前にいる。

 

「片割れ殺しは、殊更に……ありえない色を生み出す 」

「これの瞳は、瑠璃か菫のような鮮やかな紫。これは両親の目の色が文字通り合わさったのじゃろうな。 髪は片割れ殺しはすべて銀という話じゃ 」

「この色こそ、呪われた刃の色。 研ぎ澄まされた剣のように……血を求め続ける獣がコレぞ 」

 

 老婆の話の半分も、俺の耳には聞こえていない。

 唯、目にしたそれから、目が離せない。魂でも吸い取られたように、呆然とそれを見つめることしかできない。

 先に視線をそらしたのは、彼女の方だ。

 僅か数秒。その紫に見られただけで、全身の皮膚がそれに魅せられる。失ったそれを、求め出す。もっと、もっと。ずっと……見ていたい、見ていて欲しい。

 そう思った心と頭に浮かんだ二つの名前。そのひとつが、口から零れ落ちた。

 その瞬間、あの色が俺を再び捉える。

 

「今……何と言った? 」

「……リ、フル 」

「それは何だ? 」

  

 彼女は疑問を口にする。

 

「はじめてだ。一言目にそのような意味のわからない言葉を聞かせられたのは 」

 

 大きな瞳が見開かれたせいで、更に大きく見える。美しく見えた姿も、そうなってしまうとまだまだ稚い。

 彼女は出会った瞬間に、愛を語られたり説かれたり囁かれたりされたことしかないらしい。

 だからこの……何も知らない者にとっては何の意味も成さない言葉に興味を持った。

 

「意味……意味はない、わけじゃない。 これは、名前……存在意味だ 」

「名前? 誰の? お前のか? 」

 

 彼女が尋ねたのは、名前のことか。それとも存在意味のことか。

 前者ならそれは“彼”のもの。後者ならそれは“俺”のもの。

 

 「……わからない 」

 

 どちらにしても、それは彼女のものではない。

 どんなに似ていても。

 そうだ。だってあの時……あの人は死んだんだ。死んでしまったんだ。俺は……何も出来なかった。だからあの人は死んでしまった。

 俯く俺に、俺の肌が寒気を伝える。他の人間がどんなに望んでも手に入らなかったもの。かつて俺が手に入れられなかったのと同じ色。

 その双眸が今、俺に。俺だけに向けられているという真実。

 

「……わからないことがあるのか? それならお前は同じだ! 」


 よかった、と彼女は微笑む。それがあの面影に重なって、夢と現が絡まりだした。その夢にまで見た微笑みに、同じの意味を尋ねることもどうでも良くなってしまう。

 コレが夢なのか、現なのかも理解できない。唯今の俺は満たされている。コレが夢なら二度と目が開かなければいい。覚めなければいい。コレが現なら、二度と目を閉じて堪るか。この幸福を奪われるくらいなら。

  

「わからないことがあるのは、自分だけだと思っていた。私は“瑠璃椿”になる前の私を知らない 」

「私には“過去”がない。お前もわからない“過去”がある……同じだ  」

 

 少女の瞳に浮かぶ涙。

 嬉しさと悲しみの入り交じり、表情を殺してしまった無表情の頬をそれが流れる。

 

 魅せられたようにふらふらと彼女に近づいていく俺の足。彼女の目には、自分の意志でも止められない、抗いがたい力があった。

 

「瑠璃椿っ! 」

 

 咎めるような老婆の声。それに気付いた少女が距離を取ろうとするが、俺がそれを拭う方が早かった。

 少女の頬に俺の手に触れた。その瞬間、目眩が酷くなる。

 

 何かの倒れるような音。他人事のように俺はそれを聞いた。

 

 だから触れてはいけないといっただろう、そう嗄れた声が言う。

 啜り泣く声。触れる冷たさ。

 泣いてはいけないよ。嗄れた声は言う。

 お前は毒なんだ。毒になりたくなければ、人形にお成り。

 お前は人ではないのだから。お前は毒なのだから。

 お前は人ではないのだから。お前は人形なのだから。

 

 見上げた先に居る彼女。

 彼女は、何かを言おうとして。

 それでも彼女は俺の名前も知らないから、何も言えなくて。

 唯、ごめんなさいを繰り返し……繰り返し、俺を呼んでいた。

 

 泣かないで。そんな顔をさせたいんじゃない。謝りたいのは俺の方だ。ずっとずっと、僕は貴方に謝りたかった。

 どうしたら、貴方は笑ってくれるだろう。

 笑えば。僕が笑えば。笑ってくれるだろうか。

 


「    」



挿絵(By みてみん)

 

というわけでSUIT編第一話です。ヒロインすら登場しない序章ですが、どうぞお付き合いいたけると嬉しいです。というわけで後書きスペースはどうでも良いネタを書こうと思います。

バックギャモン=セネット+アレア=セネトレア

世界四大ゲームの別名から作った造語が国名。セネトレアの都市名ベストバウアーはユーカーというトランプのゲームでいうジョーカーのこと。ライトバウアーは正ジャック。レフトバウアーが裏ジャック。

キャラ名はおいおい明かしますが…ノリで付けた名前以外に、漢数字、カードマジック用語。

毒や武器は音楽用語。いろいろ漁ってます。悪魔の絵本のためにトランプ、タロットカード関連の書物を密林さんから随分買ったのも懐かしい思い出です(笑)これを機会に小アルカナの魅力を知っていただけると嬉しいなぁ……そのためにも魅力を伝えられるような小説を書ける文才が欲しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ