ある吟遊詩人が語る異世界怪談
とある夏の暑い夕べ。村で唯一の酒場は、一日の労働を終えた農夫や職人たちで今日も賑わっていた。
たまたま訪れていた吟遊詩人の弾き語りによる英雄譚に、村人たちは拍手と喝采を送った。
「皆さん、ご清聴ありがとうございます」
今日の営業は終了と、吟遊詩人は片づけをはじめた。
「おー、詩人のおっちゃん、一杯飲まねえか? おごるぞ」
「おぉ、それはありがたい」
そう言って、吟遊詩人の男は卓についた。エールをごくりとやって、語りで疲れた喉を潤した。
「なあなあ、詩人さんよ、なんかおっかねえ話とかねえもんかい?」
「おっかない話? そういやもう夏か。んーまあ、魔獣だとか魔神のお話とかは定番だけどなあ。たまにはちょっと毛色の違うのにしてみるか。時期的にもちょうど良さそうだし。ちょっと、こっちでウケるかわからんけども。
もうリュートはしまっちまったんで、語りのみでいいか? と、その前に……」
彼はなぜか卓にろうそくを1本立てて、火をつけた。光源が乏しく薄暗い酒場の中で、そのろうそくの仄かな明かりが詩人の顔を下から煽るように照らした。
「雰囲気作りっていうんですかね。こういう話をするときは、こうするのが作法ってもんでしてねえ……」
そう言って、彼は普段とはちょっと違う口調で語り始めた。
*
これは前に、あたしが臨時パーティを組んだ男から聞いた話なんですけどね。
仮に、Aさん、としましょか。
このAさん、剣士なんですけどね、彼が元いたパーティが、依頼を終えて戻る途中に、とある廃村に立ち寄ったときのことなんですがね。
もう日暮れも近いんで、そこで野宿することになりましてね。それで、村で一番大きい屋敷跡の庭にキャンプを張ることになった。
そこの敷地に入った途端、Aさんはなんかゾクっときましてね。「うわ、なんかきた」って。戦闘で殺気を感じるのとはぜんぜん違う感じだったらしいんですけどね。なんかものすごぉく……イヤぁな感じが、したんだそうで。
そしたら、パーティの精霊使いが「ここ、なんかいない?」って言い出しましてね。なんでかって聞いてみたら、「精霊が怯えてる」って言うんですね。
けれども、盗賊や神官に魔法使いも辺りの気配を探ってみたんですが、「特に何も感じない」って言う。怯えてた精霊も、じゃあ何が怖いのかっていうと、よくわからないみたいでね。
ええ。
結局、たいしたことはないだろうって、そのままそこでテント立てて泊まったんだそうです。
その晩は今日みたいにじっとりと蒸し暑くて、ものすごく寝苦しかったそうで。
深夜になって、見張りに立ってた盗賊が、ふと、耳を澄ますと、どこからともなく、
「ぁ゛ぁあおぁあ……う゛うぅぉおぅ……」
と呻き声みたいなのが聞こえてきましてね。
この盗賊、経験豊富で、普段なら呻き声なんて聞いてもまるで動じない男なんですがね。なぜかこの時ばかりは、その呻き声にひどく気味の悪いものを感じて、
「うわ~~、やばい、やばい、なんかいる、なんかいる」
って、ぞっとした盗賊は慌てて全員を起こして辺りを調べてみたんですね。
……。
…………。
……けど、何にもない。気配察知スキルにも探知魔法にも、なぁんにもひっかからない。
その場は結局、盗賊の聞き間違いだろうって、それでおしまいになったんですよ。
翌日、みんな起きてきて、Aさんがリーダーを見てびっくりしましてね。「リーダー、あんたその首どうしたんだ!?」って。
当人、ぜんぜん気がついてなかったんですけどね。首に……縄が巻きついたような跡、痣が、くっっっきりと、ありましてね。
そしたら、魔法使いの女の子も「なにこれ!?」って叫びだして、何かと思って見てみると、こう、誰かにギュッ……と掴まれたような手形が、右腕に浮き出てたんですよ。
調べてみると、精霊使いの子のふくらはぎにも、歯型のような痣がついてましてね。
神官が「これは何かの呪いでは?」って念入りに調べてみたんですがね、それでもわからない。
魔法や呪術の痕跡はぜんぜん出てこなくて、状態異常もかかってない。三人とも、痣には痛みとかはなくって、なぁんか気味の悪い痣が浮き出てるなぁ、ってだけなんですよねえ。害はないけど、とにかく薄気味悪い。
やだなぁ、やだなぁ、気持ち悪いなあ、ってみんな思ったけれど、なぁんにも出てこないので、これがどうしようもない。早く街に戻りたい、とにかくここを出ようって、みんな荷物まとめて早々に立ち去ったんですね。
……しばらくすると、痣は消えていったんですがね。
ところが、道中、みんな体調が悪い。野宿には慣れてるパーティなんですがね。いつもよりもずぅっと、疲れがぜんっぜん取れなくて、肩が異様に重かったりするんですよ。
幸い……って言っていいのかわからないんですけどね、獣の類はまるで寄ってこなかったそうです。
けれど、休憩時の訓練で手元が狂ったり、石に躓いたりで、怪我がものすごく増えましてねえ。
それに、持ち歩いてる調味料の塩がね、普通の、白い塩なんですが、これが真っ黒になって溶けてだめになって「なんだこりゃ」って騒ぎになったり、精霊が半狂乱になったり……。
と、変なことがいっぱい、起こるようになりましてね……。
しまいには魔法使いの子が「変な影が見える」って言い出して、その子は熱出して動けなくなってしまって、Aさんがその子を背負って行く事になった。
こりゃあ、いくらなんでもおかしい。
みんなそう思ってるんだけど、何が起きてるのかぜんぜんわからない。毒なんかは真っ先に調べました。不浄の者とか魔神の呪いとかはもっと直接的だし、呪いも感知できない。
こんな、わけのわからない不可解なのって、彼らは見たことも聞いたこともなく初めてだったんですねえ。
*
「……そ、それで、どうなったんだ?」
酔ってるにも関わらず、村人は顔を真っ青にして続きを促した。
村人たちは魔獣や災害、飢饉などといった、死の恐ろしさは日常的に実感している。ある意味、死への恐怖には慣れていた。しかし、こういう「脅威の実態がよくわらない」という、不可解で曖昧模糊とした恐ろしさは逆に新鮮だったようだ。非常に食いつきがいい。
吟遊詩人は続けた。
「彼らはひいひい言いながら、ようやく街にたどり着きましてねぇ……」
*
街にたどり着くと、彼らは真っ先に神殿に駆け込んだそうです。
でも、司祭さんに聞いても、やっぱり原因がわからない。
そこで、有り金はたいて、司祭さんに神事をしてもらって、創造神さまに直接尋ねてもらおうってなりましてね。
それで、創造神さまのお告げによると、「其は世の理の内に在らず」と。
なんでも、異界の者の魂が怨霊となってて、これがまた亡霊や死霊なんかと違って、この世界の法則から外れた存在になっちゃってるそうで、そうなるともう魔法や神事では感知も対処もできない。
そういうのが憑いてきちゃってると。
祓うには、異界の宗教儀式が必要なんだそうでしてね。
異界の宗教じゃあ、そこらに信者がいるはずもない。儀式なんてできるわけがないって。ねぇ。
そうは言っても、もう魔法使いの子の熱は限界が近くて、ダメ元でいいから形だけでもやってみよう。ってことで、儀式のやり方を創造神さまから教わって、神殿の庭先を借りて儀式をすることになりましてね。
香木を粉にして細い棒状に固めたお香に火をつけて、教わった異界の経文というのを唱えたんですよ。一定のテンポで、棒読みみたいにあまり抑揚をつけないっていう変わった詠唱だそうで。
「カンジィーザイボーサツ ギョージンハンニャァーハァーラァーミィータァージー……」
チーン……。
……。
「ナム、ミョーホーレンゲェーキョー……」
チーン……。
……。
「……セイヴユアサーバントーォ……」
チーン……。
……。
時折、相槌を打つようにですね、手のひらに乗るくらいの小っちゃい鐘を鳴らしながら、長い長ぁい詠唱は、小1時間も続きましてね。
最後に、みんなで両手を合わせて黙祷して、それで儀式は終了したそうです。
どうやらそれで効果はあったらしくて、それ以降は変なことは起こらなくなったそうです。魔法使いの子も熱が下がって、一命を取り留めたそうでしてね。
後になって、Aさん、創造神さまの言う「異界の者」というのが気になって、調べてみたんだそうです。
するとですね。なんでも、昔、異世界から召喚された女性がいましてね。その人がある村に泊まったときに、そこの領主に目をつけられて、いろいろ揉めたあげく、殺されてしまったんだそうです。
そしたら、領主の一族に次々と不幸が起きましてね。熱病やら事故で次から次へと亡くなっていって、とうとう領主の家は絶えてしまった。領主が治めていた村の人たちも怖がって逃げ出してしまって、村は放棄されてしまったそうです。
ええ。
その村っていうのが……きっと、Aさんたちのパーティが泊まった廃村だったんですねえ……。
*
話し終えると、吟遊詩人はふっと卓のろうそくの火を消した。それで張り詰めていたような空気は霧散した。もっとも、村人たちはみな一様になんとも言い難い表情となっていたが。
「異界の宗教って、そんなのもあるんだなあ……」
「その、異世界の女ってのも、かわいそうっちゃかわいそうだな」
「よそから連れてこられたうえに、殺されちまったんだろ。通りすがりのパーティまで呪うだなんて、よほど恨みがすごかったんだろうな……」
「んだな」
「その女の魂が救われますように……」
「救われますように……」
宗教こそ違うが、村人たちは異界の女のために軽く祈った。
「さて、今日はお開きにしようや」
「おう」
「そんじゃな」
切りのいいところで解散となり、村人たちは酒場から帰っていった。
吟遊詩人も立ち上がり、宿の部屋へと戻っていった。
「救われますように、か。それで同郷の者も浮かばれりゃいいんだがな。
こっちで死んだら、おれたちの魂はどこへ行くんだかな……」
吟遊詩人のつぶやきを聞く者はいなかった。
お読みいただきありがとうございました。
怪談部分の「口調」については、稲川淳二氏へのオマージュとして書いてみました。(お話の中身は充分オリジナルになってると思うのですが)
創造神さまは地球の宗教はよくわからないもんで、勘違いしていろいろ混じってます。
2018年8月2日 ほんの少しだけ修正を加えました。