十番勝負 その七
第十三章 四番勝負 浅井善四郎との勝負
秋も深まった或る日のことである。
三郎は玄関隣の座敷の縁側に座り、柿を食いながら、吾平と弥兵衛が交わす世間話をぼんやりと聴いていた。
「うちのおっかあが言うことには、おせきの弟はなかなか気が利いているとのことだで」
「弥兵衛どん、どっちの弟だ。おっきいほうか、ちっちゃいほうか?」
「おっきいほうだで。正太郎のほうよ」
「どんなことが、気が利いているんじゃ」
「何か、用を言いつけられると、その用以上のことをしてくれるとのことだよ。この間も、おせきがかき餅を作って、おっかあに食わせてようと持って来てくれたんだってよ。正太郎はかち餅を渡すと共に、竹筒も渡したんだって。何と、その竹筒の中には、あったけえお湯が一杯入っていたんだってさ」
「ほうけえ、何と気が利いたことをする童子だんべか。かき餅を食うと、喉が渇くもんなあ」
吾平は感心したような口振りで正太郎を誉めた。うん、正太郎はなかなか見所がある、一つ、何か武芸でも教えてやろうか、と三郎は思った。思いながら、また柿をガブリと食った。
その時だった。玄関で、ごめんなんしょ、と言う声がした。
吾平が出てみると、中年の侍が立っていた。その侍は岩城家の重臣である家老職、甲斐又左衛門義清の家中の用人を務める侍で、急な用件で恐れ入るが、これから当屋敷にお越し願いたい、という甲斐家老からの慇懃な依頼を伝えた。
「南郷殿、お呼び立て致し、申し訳ござらん」
実は、と言いながら、三郎を前にして甲斐又左衛門が話を始めた。
浅井善四郎という旅の武芸者が城下の旅籠に滞在している。この者が仕官を願い出ている。
武芸の腕を見て欲しいと自分を売り込んでいる。
売り込むだけならば、別に問題は無いが、片っ端から城下の道場を荒らしているのだ。
そして、岩城殿のご家来衆は弱い、自分を召抱えれば強くなると、やたら吹聴しているのだ。
どうも、人格的に問題があり、召抱える気にはならない。かと云って、このまま放っておけば、岩城侍の名折れともなりかねない。一つ、懲らしめてはくれないか、という頼みであった。
剣術指南役を務める今川道場で随一の麒麟児と呼ばれた、お手前の腕を買ってのたっての願いである、聞いてはくれまいか、という甲斐家老の話であった。
「南郷殿の剣のお強さは当地随一であり、よもや遅れは取るまいと存ずる」
甲斐家老の率直な言葉は三郎の侠気と自尊心を大いに刺激し、擽った。
三郎は二つ返事で引き受けた。引き受けてから、少し後悔した。
どの程度の強さか、知らぬ内はうかつに引き受けてはいかんのであった、と後悔した。
しかし、武士に二言は無く、後の祭りであった。孫子曰く、敵を知り、己を知らば、百戦すといえども危うからず、であるのに二つ返事で引き受けてしまう安請け合いは三郎、お前の悪い癖だ、と三郎は屋敷に帰る道すがら、つくづくと自分の悪い癖を思った。
このお調子者め、と自分を罵った。
翌日から、浅井善四郎の評判集めを始めた。
こういう時、弥兵衛は大いに活躍する。
城下をあちこち駆け回り、走り回りながら、いろいろと評判を集めてきた。
「京のお侍で、優しい京言葉を使うが、言葉とは裏腹、腹の中は真っ黒とのことだっぺ。今、泊まっている旅籠でも支払いは一切せず、岩城さまへ仕官出来たら、そっくり払ってやっから、と威張り腐っているとのことだっぺ」
「京の剣士と云うと、鬼一法眼の京八流の流れであろうかのう。判官源義経公の鞍馬古流は果てどのような剣であろうか」
意外と博識の三郎も京八流に関する知識は無く、思案投げ首といった様子であった。
万全の勝ちを収めるには、少し計略が必要かも知れぬと思った。
三郎は屋敷の近くの空き地に行き、状態を仔細に検分した。
真ん中あたりは草叢であったが、周囲は笹竹に囲まれた空き地であった。
ここで、試合をすれば、どういうことになるのか。
三郎は浅井との試合を想定して、空き地を歩きながら、思案に耽った。
あくる日、三郎は書状をしたため、正太郎に持たせて、浅井の居る旅籠に行かせた。
浅井は部屋で所在無げに寝そべっていたが、正太郎から手紙を受け取ると、真剣な面持ちとなった。南郷という名前は当地の影流の遣い手として、浅井も知っていたようであった。
「南郷三郎殿かいな。ここいらへんでは有名なおんばひがさの剣術使いかいな。おやおや、これは果たし状ちゃうか。やめときよし、怪我するでえ。正太郎さんや、この件、確かに承知したと伝えておくれやす。その内、訪ねて行くと伝えておくれやす」
三郎の書状には、岩城さまへの仕官の件は拙者との試合に勝ってからにして戴きたい、試合は拙者の屋敷で行いたいと考える、卑怯未練なことは神明に誓って行わない、貴殿のご都合宜しき時に当地までお越し戴ければまことに幸甚と存ずる、と記載してあった。
正太郎が戻り、浅井が承知した旨を三郎に伝えた。
「あの侍は相当の自信家だない。だんなさまをすっかりなめてござっしゃる。かなり、油断しやすいたちとおいらはみたっぺ。だんなさま、そこがつけめかもしんねえだよ」
「あい分かった。正太郎、ご苦労であった。そうそう、ご苦労ついでに、馬屋の脇の空き地の笹竹を刈っておいてくりゃれ。そこで、浅井殿と試合をすることとなろうから」
三日ばかり経った日の午後、浅井善四郎が南郷屋敷を訪ねて来た。
少しにやけた感じの優男であった。ただ、視線は鋭く、剣の腕前は相当のものと思われた。
これは、油断は出来ぬ、勝つのは容易では無さそうだ、と三郎は武者震いしながら思った。
「浅井殿。試合の得物はいかが致そう。木刀での立ち合いが妥当なところと思うが」
「いやいや、南郷殿。こんじょわる(根性がよくない)、と思われるかも知れんが、それがしは真剣での勝負を所望致す。斬られて、死ぬるとも、それはそれ、兵法者の常、恨みっこ無しと思っておくれやす」
「それでは、致し方ござらぬな。あそこに見える、空き地でお相手致そう」
二人は身支度をして、空き地に向かった。空き地の中央で二人は剣を抜いて対峙した。
三郎は浅井の構えを見て、これは予想外の遣い手であると踏んだ。
浅井も三郎を見て、そのように思ったのか、じっと構えたまま動かなくなった。
三郎が浅井に向かって、話しかけた。
「浅井殿。貴殿と拙者はほぼ互角の腕と見た。互角の腕ならば、拙者の奥の手をお見せ致すことにしよう。昔、塚原卜伝先生から伝えられた『一の太刀』をご覧に入れよう」
と、低い声で言いながら、三郎は正眼に構えていた剣をするすると上段に上げて行った。
そして、剣の切っ先を天頂に向け、そのまま静止した。
浅井はその構えを見て、目を疑った。
両腕は剣と垂直になったまま静止し、胴は完全にがらあきとなったからだ。
このような構えは今までに見たことが無かった。
これが、本当に『一の太刀』なのか。将軍の義輝さまに伝えられたという卜伝の『一の太刀』なのであろうか。どうも、はったりくさいな、とも思った。
が、突然、悟った。三郎の『一の太刀』、とは相打ちを狙う剣なのだ、ということを。
剣を垂直に構え、相手の呼吸をはかり、相手が踏み込んで来た途端、剣をそのまま振り下ろす。剣は最短距離で振り下ろされる。相手に斬らせると共に、相手の頭を斬り割る剣法なのだ、と云うことを悟った。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ、肉を斬らせて、骨を絶つ、という剣の極意を知ったのである。自分も死ぬ代わりに、相手を頭から唐竹割りにかち割って確実に斃すという技の恐ろしさに膚が粟立つ思いだった。これは、動けぬし、踏み込んで斬ることも叶わぬ。まして、相打ちで死ぬなんてことは真っ平御免だ。
今、ここで南郷と刺し違えて死ぬわけにはいかない、京で待っている妻と子供が居るのだ、死ぬわけにはいかないのだ、と浅井は思った。息が少し乱れた。
三郎がするすると歩を進めて来た。
浅井は思わず後退した。いつの間にか、空き地の端に追い詰められてしまった。
三郎が鋭い気合を発して来た。浅井は思わず、はっと飛ぶようにして、後ろに下がった。
その途端、右の足裏に激痛が走った。
また、三郎が鋭い気合を発した。浅井は右足の激痛を堪えつつ、また飛び退った。
今度は、左の足裏に同じような激痛が走った。
思わず、眼を足元に落とした。左足の甲から竹の先端が突き出していた。
そして、右足の甲からも血が噴き出していたのである。
三郎も浅井の疵に気付き、歩を進めるのを止めた。浅井は左右の足の激痛に顔を歪めた。
血がどくどくと流れていた。いつしか、意識も朦朧としてきた。この状態では、このまま試合を続けても勝てるわけが無い、と思った瞬間、闘う意欲が消滅した。
「参った。拙者の負けでござる。後生だから、刀を、刀をひいておくれやす」
思わず、口をついて出た言葉がこれであった。
浅井善四郎は南郷の家の女、おせきに両足の疵の治療を行って貰った上で、駕籠に載せられて悄然と城下の旅籠に帰って行った。
「だんなさま、第四番目の勝負もかたれましたない。しかし、ささだけにあしうらをつらぬかれようとは、弥兵衛、すこしもおもいませんでしたなや」
「浅井殿はまことに運が悪かったとしか言いようが無いのう」
「でも、まけはまけだっぺし、かちはかちだっぺし。だんなさまはやっぱりつよいなっし」
弥兵衛が去った後、三郎は皮足袋を脱いだ。足袋の足裏の皮は笹竹を踏んで破れてはいたが、薄い鉄板で正清の足裏は守られていた。三郎は皮足袋の中に足に合わせた鉄板を忍ばせて履いていたのである。これも、兵法の工夫よ、と三郎は思った。