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忠吾の馬  作者: あずき犬
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「この方がそのおばあさんですか」 


 私はパネルの前に立つ写真家に尋ねる。


「ええ」


 彼は目を閉じてコクリと頷いた。

 私は抱いていた質問を彼にぶつける。


「他の作品と比べると、少し……」


 失礼な質問かもしれない。でも聞いておきたかった。


 目を開いた彼は、笑顔で言う。


「ピントはめちゃくちゃ、露出はアンダー、おまけに手も震えているんでしょうね」


「はあ」


 彼の答えに私は煮え切らない返事をする。


 では、どうして……


「現像された写真を見てね、あまりにも悔し過ぎて泣いちゃいました」


 彼は恥ずかしそうに頭を掻く。


「シャッターチャンス逃しちゃったってね」


 もう一度笑った彼は、写真に視線を戻す。


「あの笑顔、どうしても写真に収めたかった」


 彼は話続ける。それは私にではなく、自分自身に言い聞かすように。


「体が震えるような、あの笑顔をもう一度撮りたくて写真家になったようなものです」


 もう一つの疑問を問いかける。


「おばあさんはなぜ笑ったのでしょうか」


 失われていく景色を見て、彼女はなぜ笑顔を見せたのだろう。


「私も疑問に思っていました。でもね、この年になってやっと気付いたことがありましてね」


 パネルを見つめる彼の表情は窺い知ることができなかった。


「彼女の思い出の中の"馬が原"が、私の思い出の中の"馬が原"になったからじゃないかな、と思うんです。難しく言えば、意識の拡散と再構成、簡単にいえば、そうですねえ。私が撮影した写真をこうして大勢の方が見る事、に近いでしょうか。まあ、写真や映像は視覚に直接訴えるかわりに、思い出の拡散は、人それぞれ変化していくという違いはありますがね。でもね、思い出は劣化せず、その人の中で死ぬまで鮮やかな色彩で再生されるのです。私は彼女から、"馬が原"について、例えばそれがどんな形をしているのか、どんな草がどんなくらい生えているのか、そんな詳細な事は聞いていません。でもね、私の中の"馬が原"では、嵐をもたらした黒い雷雲が流れさり、真っ白な雲の隙間から光が差し込む。そして、力尽きた忠吾と、まるで並走するように倒れる『白雲』が、まるで目の前の光景のように見えてくるのです。現実の"馬が原"はもう無いかもしれないけれど、他人の心の中に、たとえ姿形が変わろうとも、"馬が原"を伝える事が出来たなら」


 一息に話した彼は、私を帰り見る。


「こんな嬉しい事はない」


 彼の笑顔を見て私は気付く。

 私の心の中に、私の"馬が原"がありありと、まるでそこに立っているかのように再生されていること。



 そして、彼が見たおばあさんの笑顔も。




 ―― おしまい ――

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