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忠吾の馬  作者: あずき犬
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3 故郷


 板の間に辿り着いた清川は、扉を開く。


 ついさき程まで末席に座っていた家老達は一人も姿が見えない。


「誠吾、随分やられたものだな」


 板の間の上座には、殿様が一人座っていた。

 馬役の肩を借りた清川は、殿様の前まで進むと、膝をつく。


「かつて、鷹原の龍虎に木剣で叩かれたのに比べれはこれしき」


 清川は激痛に顔を歪めて言葉を切る。が、脇腹に血まみれの手ぬぐいを押し当て、顔を上げる。


「蚊虫に刺されたようなもの」


 引き攣る笑顔。

 

「そうか」


 殿様は呟き、笑う。


「それより殿、御家老達は」


 清川の問いに、殿様は頷く。


「今しがた、下平口の物見小屋から知らせが入っての」


 下平口とは、鷹原のある盆地を流れる大川の下流、平野が扇のように広がる要の地域である。そこから、かつて御本家の居城があった平野が広がっている。


「本城の平野が、関白殿の軍勢で埋めつくされていたらしい」


 平野を埋めつくす程の軍勢。数万は下らないだろう。

 

「では、今攻め込んでいる軍勢は」 


「おそらく斥候であろうな」

 

 なるほど。清川は唇を噛み締め、唸る。

 関白殿の軍勢の目的は、鷹原にあらず。ここから遥か間道を抜けた先。かつて天下をも掴もうとした山中の大国。

 鷹原はただ蹂躙されるだけであろう。


「家老どもには暇をとらせた。もとより、軍家老と通じていた者も多かろう」


 淡々と語る殿様の言葉に清川は握り締めた拳で床を殴る。


「でな、誠吾よ。ぬしに頼みがある」


 殿様は、丸茣蓙からすくっと立ち上がる。


「一人でついてまいれ」


 馬役達の介抱を受け立ち上がった清川は、彼等に離れるよう指示し、腰に差していた大太刀を鞘ごと引き抜く。

 抜いた大太刀を杖代わりに、もう片方の手で脇腹を強く押さえる。


「しばらく待っておれ」


 言い捨て、清川は殿様の後に続いて奥の間に進む。


 更にもう一つ奥の間に入った清川は、その光景に思わず息を飲み込む。


 明かり取り窓からの光に照らされた室内は、まさに血の海と化していた。


「な、なんと」 


 赤く染まった白装束を纏い床に突っ伏しているその人は、殿様の母。妻。そして。


「若様……」


 殿様の妻の側には、まだ十を少し過ぎた位の若者が、横一文字にかっさばいた腹に小刃を突き刺して事切れていた。苦しみにのたうち回ったのだろう、床じゅうが塗り付けられたように血にまみれている。


「若様…… ご立派な最後で」


 何度か剣の習いを施した事があった。小刃の使い方など教えてはいない。


「誠吾、頼み事なんだがな」


 目を閉じ、冥福を祈る清川は殿様の声に、上座には顔を向けた。


 戦鎧を脱いだ殿様は、けがれ一つない白装束を纏い、座っていた。


 頷いた清川は、杖をつき、殿様の背後に立つ。


「心残りは、城下の民。和平につくせ」


 殿様は言いながら、太刀の抜き身に白布を巻き、両手で握る。

 目を閉じた殿様は、息を吸い込と、朗々と唄い上げる。


「黒雷の 白雲なりて 鷹の原 萌ゆる行野に ただ馬遊ぶ」


 唄い終わると同時に太刀が腹に突き刺さる。

 真横に一文字。

 言葉に鳴らない声を上げ、更に縦に一筋。


 脇腹から手を離した清川は、杖にしていた大太刀を振りかぶる。



     *



 奥の間から現れた清川に馬役達が駆け寄る。手をかそうとする彼等を振り払うった清川は、ゆらゆらと板の間を進み、末席の丸茣蓙にどさっと座った。

 杖代わりに使う抜き身の大太刀は、ぐにゃりと曲がっていた。


「殿様は立派に最後を勤められた。城内の状況を見て来てくれ」


 清川の言葉に、馬役達はうなだれて、ぞろぞろと板の間を出ていった。


 脇腹の痛みがあまり感じられない。

 薄まる意識を立て直すように、清川は唇を噛み締める。

 

 涙が止まらなかった。



     *



 まただ。


 地響きの様な号音が聞こえる。

 馬小屋の外に座っていた忠吾は、よろよろと立ち上がり歩き出す。


 松林をしばらく歩くと、城下の南方を見渡す石垣の上に出た。


 城下町からは火の手が上がり、黒煙が幾筋も空に昇っている。

 黒煙の切れ目から、更に南方には、真っ黒な塊が地面の上に疎らに散らばっていた。 


 目をこらす忠吾は、それが騎馬侍と騎馬の死骸と気付き、「あっ」と息を飲む。

 死骸の向こうには、別の部隊が見えていた。

 横一例に並んだ部隊。長い筒の様な物を死骸の方に向けていた。


 城下町から、騎馬侍達が踊り出る。


 長い筒から煙が上がる。すると、騎馬侍達が敵に触れる事も出来ずにバタバタと倒れていった。

 そして号音が忠吾の耳に届く。


 あれは何だろう。悪魔の武器に違いない。最強の騎馬侍達がなすすべもなく倒されることなどあるはずがない。


 松の幹に背を付けた忠吾は、その場にしゃがみ込む。

 忠吾は地面を這い、馬小屋に戻る。


 馬達がざわめいていた。号音に刺激されたのだろうか。

 老馬ですら、いななき、木の板に体をぶつけていた。


「落ち着け」


 忠吾は一頭一頭に言い聞かせながら小屋の奥に進んでいく。


 小屋の一番奥。『白雲』はいつものように、落ち着いた、黒い目で忠吾を見つめていた。

 忠吾は『白雲』の前に立ち、鼻かしらを撫でてやる。

 『白雲』の真ん丸な黒目から目が離せない。


「そうか、お前……」


 忠吾は呟きながら、自らの頬を『白雲』の顔に擦りつけた。


「おお、忠吾、ここにいたか」


 小屋の入口に馬役の男が立っていた。


「お頭が、城内に残る侍を集めておる。ついて来い」


 頷く忠吾は、『白雲』から頬を離す。



     *



 屋敷の板の間に集められたのは、十人程度。

 壁に背を預け、下座に座る清川を取り囲む。


「和平の使者は切られたらしい」


 身じろぎ一つしない清川が言う。


「殿は、城下の民を頼むと言い残された。誰か、よい方法はないか」


 集められた侍達はみな顔を見合わせて首を振る。


「関白殿の本隊が来ればみな殺しじゃ。しかし、本隊の目標は鷹原にあらず。何とか斥候を突破して山中に逃げ込めば活路は開かれる」


 清川の声にみなが聴き入る。しかし、現状では城から出た途端、斥候部隊に見つかるだろう。

 この人数で城下の民や怪我人を逃がす事など。

 みなが黙り込む中、輪の一番外から声がする。


「お頭」


 忠吾であった。



     *



 忠吾の計画を聞いた清川はしばらく黙り思案する。


「その方法しかないか。しかし忠吾よ、よいのか」


 みなの視線が忠吾に集まる。

 なんの迷いもなく忠吾は頷く。


「『白雲』はとうに覚悟していたこと。それがしの命など、鷹原の、故郷の事を思えばチリ紙ほどの価値もありません」


 うすのろ忠吾の発した言葉とは思えない気迫に、板の間が静まりかえる。


「よう言った。その通りじゃ。忠吾、共に鷹原を救おうぞ」


 馬役の一人が、体を震わせて言う。


「忠吾、それがしも付き合うぞ」


 次々に手を上げる馬役達。


「分かった。我が馬役達が死出の旅に出よ。残る者は民を誘導せい」


 清川の言葉に馬役達が歓声を上げる。


「時はあまりない。早速仕度に掛かってくれ」


 威勢よく飛び出して行く馬役達。


「忠吾、ここへ」


 清川が忠吾を呼び止めた。

 忠吾は、清川の正面に背筋を伸ばして座る。

 板の間に二人きりになった時を見計らい、清川が言う。


「なあ、忠吾。オレは一体身内を何人殺せばいいんだ」


 俯いたままの清川。

 血の気の引いた清川の顔。体はとうに動かなくなっていた。気力だけが彼に声を出させていた。


「なあ、忠吾。『白雲』は何と言っておった?」


「『白雲』は、ただただ、また鷹が原を駆けたいと申しておりました」 


 忠吾の答えに清川は小さく頷く。


「忠吾、小刃は持っておるか」


 忠吾は懐から小刃を取り出す。


「オレの太刀はこの様だ。そいつをくれないか」


 忠吾は、清川の横に転がる抜き身の大太刀を見る。吹き出るような血を纏った刀身は、真ん中でぐにゃりと曲がっている。


 小刃を清川の前に置いた忠吾は彼に頭を下げ、立ち上がった。



     *



 一人、板の間に残った清川は、なぜか笑みを浮かべる。


 自害することすら出来ないか。


 思考は澄み渡れども、体は全く言うことを聞かない。指先一つ。


 しかし、これでいいのかもしれない。


 鷹原は、愛おしい思い出にあふれた故郷は、彼等が守ってくれるだろう。


 ましてや……



 清川はもう一度笑った。

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