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忠吾の馬  作者: あずき犬
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2 活人剣


 打ち鳴らされる鐘の音に忠吾は布団から飛び起きた。

 まだ夜も明けていない。


「起きたか、忠吾」


 声のする方を見ると、老女が着物の上にタスキをかけていた。


「婆ちゃん、いったい」


 寝ぼけた頭を掻きむしりる忠吾に老女が言う。


「戦の鐘じゃ。忠吾、支度せい」


 頷いた忠吾は、布団から飛び起き、登城の準備をする。

 

「これを持っていけ」


 はしょった尻を床につけてわらじを結ぶ忠吾は、老女を振り返る。

 老女の手には、一振りの小刃が握られていた。


「忠治の敵、しかと取ってまいれ!」


 小刃には見覚えがあった。心を突き刺すような思い出。


 忠治の討ち死にが伝えられた日。


 道場から帰り、家の戸を開けた時。


 血まみれになった床の上に倒れる母。


 駆け寄ったその胸でキラキラと輝いていた物。


 目で見るもの。感じるものがガタンと崩れた日。


 老女から小刃を受け取り、かまちから腰を上げた忠吾は、ふと立ち止まり、老女を振り返る。


 床の上に、姿勢を正して正座する老女。日頃は腰が痛いと言い、寝ていることしか出来ないはずなのに。


「はよう行かんか!」


 忠吾は、張りのある老女の声に押されるように外に飛び出る。



 長屋の外は騒乱状態になっていた。

 家から運び出した家財道具を背中に背負う者。狂ったように騒ぎ立てる者。子供の泣き声。


 御城へ向かう人々の流れに乗り、忠吾は走り出す。



     *



 御城の門をくぐった先では、逃げてきた城下の人だかりの中、すでに騎馬侍が集まりつつあった。

 冷えた早朝の空気に、町の人々、馬上の侍達、そして騎馬の息が混ざっていく。

 

 鳴り響くは、騎馬の勇ましいいななき。騎馬侍達が打ち鳴らす篭手の音。町の人々の叫び声、すすり泣く声。


 忠吾は戦飾りを付けた騎馬の脇を抜け、泣き叫ぶ町人の横を抜け、馬小屋に向かう。



 馬小屋の前には、馬役頭を中心に戦鎧を着た同僚の馬役達が集まっていた。


「やっと来たか」


 駆け付ける忠吾に馬役頭が言う。馬役達が、さっと道を開けた。


「軍家老から達しが来ている」


 馬役頭は、目の前で肩を上下する忠吾に紙切れを見せた。


「篭城に備え、すべての馬の首を切れ」


 文字を読む事が出来ない忠吾に馬役頭が読み聞かせる。


「……だ」


 両手の拳を握りしめる忠吾。


「いやだ」


「忠吾、気持ちは分かるが、軍家老からの命令だ。首を切られて死ねるなら馬達も浮かばれる」


 震える忠吾の肩に手を置く。


「いやだ」


「忠吾!」


 叫ぶ馬役頭の手を振り払った忠吾は、馬小屋の出入口に立ちはだかった。


「諦めろ、戦じゃ仕方ない」


 馬役達が、忠吾の回りを囲み、なだめるように言う。


「絶対に殺させない」


 忠吾は、懐に差し入れていた小刃を取り出す。

 同僚達は一瞬動きを止める。

 

「忠吾、落ち着け」


 同僚達の声を聞くことなく、忠吾は刃を抜き出し、鞘をほうり投げた。


「忠吾、刃を抜くか」


 男達の肩を掻き分け、馬役頭が忠吾の前に出る。 忠吾は姿勢を低くし、震える小刃を馬役頭に向けた。


 前に歩み出る馬役頭は、腰の大太刀の柄に手を掛けている。


「頭、忠吾の気持ちも」


 同僚の一人が言う。頷いた馬役頭は、右足をゆっくりと前に出し、腰を落としていく。



 静寂が訪れる。



 御城の門から、出陣を知らせる勝どきの声が聞こえた。


「うわぁー」


 勝どきの声に合わせるように忠吾が叫びながら前に走り出る。


 切り倒される忠吾を想像し目を伏せた同僚達の耳に金属音が聞こえる。

 見ると、忠吾は手首を押さえてうずくまっている。握っていたはずの小刃は、はるか遠くの地面に転がっていた。

 

 馬役頭は、深い息を吐きながら、大太刀を鞘に納めていく。カチンという鍔の音に皆が我に返った。


 居合抜き。馬役頭が使い手だとは誰も知らなかった。


「忠吾よ」


 地面に崩れうなだれる忠吾に馬役頭が歩み寄る。


「俺の剣は鷹原の龍虎に鍛えられた」


 忠吾はぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げる。


「忠治殿の怒りと思え」


 馬役頭は忠吾に言い捨てると、馬役達を振り返る。


「以前より、関白側の内通者がいるとの噂がある。忠吾よ」


 馬役頭は、地面に転がる小刃を拾い上げ、再び忠吾を見る。


「殿は、かような達しをお下しすると思うか」


 忠吾は激しく首を振った。


 殿様は、林の中で言ってくれた。



「『白雲』を野に放て」


と。


 忠吾の態度に頷いた馬役頭は、小刃を忠吾に渡し、馬役達に向き合う。


「おそらく、この戦に勝ち目はない。だから」


 馬役頭は、皆を見、言った。


「せめて内通者である軍家老を討つ」


 男達は腰に差す太刀の柄を握り頷く。


 ―― 金打。


 静寂の中に鍔を打ち鳴らす金属音が響く。


「忠吾」


 御城へ向かい歩き出した馬役頭が、忠吾を振り返る。


「馬達はお前にまかせた。好きにしろ」


 ひらりと前を向く馬役頭に、馬役の男達が続いていく。


「閑職 閑馬 勘忍切れて 間者を噛む」


 御城を見上げた馬役頭はぽつりと呟いた。

 


     *



 御城の屋敷に入ると、板床の間に殿様を筆頭に、家老が集まっていた。


「これは、清川殿。いかがいたした」 


 丸茣蓙に座る軍家老の目の前に、馬役頭清川誠吾が立つ。


「御家老殿、少々お話したいことがございます」


 軍家老の前に、膝をつく清川。

 軍家老は、しばらく思案の後、


「殿、しばらく御猶予を」


と言い、上座を見遣る。上座に座る殿様が小さく頷く。

 

 軍家老は小柄な老人であった。

 当家の生え抜きではなく、渡り家老をし軍師として生計を立てているらしい。


「御家老、一つだけお聞きしたい事がございます」


 屋敷の中庭を臨む廊下で前を歩く清川は歩を止めた。


「清川殿、なんなりと申せよ」


 軍家老の言葉を聞いた清川は、大きく息をつく。


「早春の鷹狩りの件でございますが」


 清川の眉間を汗が伝え落ちる。

 屋敷の庭では、戦など知らぬ小鳥が水場で羽をぬらしている。

 軍家老に背を向けたまま、清川は言葉を続ける。


「かの鷹狩りは御家老が段取りを組みされたと聞いております」


「いかにも。清川殿、簡潔に頼む。戦中じゃ」


「城下の者が、夜が明ける前、鷹原に向かう騎馬を見たとのこと」


「ほう」


 軍家老の表情は見えない。


「長筒を背負った騎馬。どこの騎馬で御座ろうか」


 軍家老の返事は無い。


「殿が『白雲』で出られた時、先行した騎馬侍が事故に遭っております」


 廊下の軋む音は聞こえない。なにより、城下の道場で鷹原の龍虎に鍛えられた清川である。その背中に黒い殺気の固まりを感じていた。


「それがし、馬役頭として検分を実施したところ」


 清川は口を閉じ、間をとる。話の佳境で言葉を止める悪い癖、道場でも門下に随分からかわれたもの。


「火繩による鉄つぶてを発見しました」


 軍家老は言葉を出さない。清川は軍家老の鼓動の動きを探ろうと感覚を研ぎ澄ます。


「『白雲』が水を欲さなければ、殿が先行しておりました」


 清川は柄に置いた手を隠すように、ゆっくりと軍家老に体を向ける。

 軍家老は俯いていた。


「なるほど、これで合点がいった」


 軍家老は言うと、清川を睨みつける。


「『白雲』の離脱は貴殿が仕組まれた事であったか」


 言うが早いか、軍家老は一閃、太刀を抜き払う。


 背後に下がり太刀筋をかわした清川は、腰を落とし、大太刀に手を掛ける。


「御家老、そのもとは」


 太刀を下段に構える軍家老は、口元に笑みを浮かべる。


「それがしは、なおはりの雲三郎。関白殿の影として働く者でござる」


 なるほど。清川は一人合点し頷く。かの地には古来より謀術に優れる者が集う村があるという。

 そして、剣術の上でも独特の極致にあること。


 間合いは十分。切り込めば体を真っ二つにすることもたわいない。が、雲三郎の構えには独特な気持ち悪さがあった。

 勝負は出会いの一撃。防御に秀でる下段。下手に手を出すことはできない。出来れば向こうから。

 こちらの利点は、まだ相手に大太刀の刃を見せていない事。

 相手には清川の間合いが分からないはず。


「ほう。居合の使い手か。之は手強い。ではこちらも」


 雲三郎は、下段に構えた太刀を床に落とし、そのまま腰に手を向ける。


 二本太刀。噂には聞いた事があったが、実際に見るのは始めてであった。


 清川は舌打ちをする。唯一の隙を見逃してしまった事に気付いた。

 太刀を落とす瞬間、つい床の太刀に視線が行ってしまった。


 清川は気を取り直す。

 小鳥の囀りが聞こえる。 戦鎧の擦れる音。


 清川と雲三郎は、まるで止まったかのように、僅かづつその間合いを詰めていく。


 城下から火薬が炸裂する音が聞こえた。

 それを合図のごとく、二人は同時に踏み込む。


 雲三郎の刃が一閃の煌めきを放ち、清川の脇腹に食い込む。


 手応えを感じた雲三郎が清川の顔を見上げる。

 その頭上から清川の太刀が振り下ろされていた。


 

「お、お頭!」


 中庭に隠れていた馬役達が、床に崩れる清川に駆け寄る。


「お頭、今手当を」 


 馬役の男達は、手ぬぐいを取り出し、うずくまる清川の腹に押し当てる。


「かまわん。殿の元に」


 馬役達の手を振り払った清川は、彼等の肩を借りて立ち上がる。


 廊下には、血貯まりの中、仰向けに倒れる雲三郎の姿があった。


 僅かに雲三郎の間合いから外れていたのだろう。腹を切らすことは賭けだったが。


「頭、見事な太刀でした」


 清川に肩を貸す馬役が涙を目にためて言う。


「いや、忠吾の小刃の方が恐ろしかったわ」


 痛みに顔をしかめる清川は、かつて道場で聞いた話を思い出していた。


 活人剣といふ物がある。 

 道場主は、酒を酌み交わす門下に語る。


 わしはなんとか殺人剣までは行き着く事ができたが、いまだ活人剣はその片鱗さえ見えない。


 人を活かすための剣。それは、自分の命を捨てて始めて見る事ができるという。



 俺の剣は、忠吾の剣には全く及ばない。



 歯を食いしばる清川は、馬役の男達に必死でしがみつき、殿様のいる板の間に歩を進める。

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