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忠吾の馬  作者: あずき犬
2/6

1 鷹狩り

 写真部として最後くらいは、と先生に無理矢理カメラを持たされた。

 コンクールに出す写真を撮るために訪れた地方都市。

 いまにも降り出しそうな鉛色の空の下、適当に城跡に残る石垣や、石碑を撮影していく。が、もう少し枚数を撮らないとまた先生に怒られるだろう。


 とうに紅葉が終わった城跡の公園を抜けて、なだらかな坂を昇っていく。

 公園で見かけた案内板に『見晴らし台』を見つけたから。

 そこからの景色でお茶を濁しておけばいいだろう。



 坂の頂きには小さな公園があった。

 落ち葉を踏み、歩いて行くと、突然目の前が開ける。

 造成が進む岡の向こうにさっきの城跡が見えた。

 とりあえず一枚写真を撮り、辺りを見ると、休憩用の小屋が見えた。


 頬にポツリと冷たい雨が降り落ちる。


 慌てて、小屋に入ると、雨は本降りになった。


「写真を撮りにきなさったか?」


 振り向くと、白髪頭の老婆がベンチに座っていた。


「無残な姿になってしもたが、それは綺麗な景色じゃった」


「はあ」 


 老婆の言葉に生返事をし、雨に煙る造成地を見る。


「馬が原。今は美ヶ原というらしいがの」


「馬が原ですか」


 珍しい名前に少し興味が引かれた。


「何か謂われでもあるのですか」


 老婆から少し離れたベンチに座った僕は、首にかけていたカメラを膝の上に置いた。


 老婆はシワだらけの目を閉じると、ゆっくりと語りだした。



     *



 むかしむかし、お侍様がこの世の中を治めていたころの話。


 この辺り一体を治めておった殿様がおった。

 この殿様は、鷹狩りがたいそうお好きだったらしく、お屋敷には、お侍様達が戦で使う馬とは別に殿様専用の馬を養う小屋があったそうな。


 ――この馬小屋に忠吾という下役の男がいた。

 この男、回りからは"のろま忠吾"などと呼ばれていたが、馬の世話で忠吾の右に出るものはいないという。

 馬小屋には怪我を負った馬や、年をとった馬、そして、殿様の御馬『白雲』が飼われている。

 てかてかと栗色に光る本繻子の様な背中に、まるで雲を散らしたような白斑。『白雲』の世話はほとんどを忠吾がまかなっていた。


「忠吾や、『白雲』の世話、精がでるのお」


 栗色の背に真っ白な白斑が散る『白雲』の背に櫛を当てていた忠吾に家老が声をかける。


 畏れいる忠吾は、その場に膝をつき、頭を下げる。


「あ、ありがたきお言葉で」


 『白雲』の鼻を撫でる家老は、頭を下げる忠吾に言う。


「近々、殿が鷹狩りに出られる。忠吾、供をせい」


「は、はあ」


 馬小屋役の下男が殿様の鷹狩りの供をするなど前代未聞。

 

 すかさず、忠吾の同僚が、家老に頭を下げる。


「おそれながら、御家老、殿の供なら、それなりの者が」


 『白雲』の鼻を撫でる家老は、忠吾の上役を睨みつける。


「殿の意向じゃ。意見あらば、それなりの筋から申し出よ」


 家老は言い捨てると、馬小屋から出て行った。


「馬の世話だけの下男が殿の供とは、やってられん」


 立ち上がった同僚は、今だ頭を下げる忠吾の背中に言葉を吐き捨てた。



     *



「ばあちゃん、おら、今度殿様の鷹狩りにお供することになった」


 夜半、質素な食事を済ませた忠吾は、薄い布団に俯せに横たわる老女の背中をもんでやっていた。


「そりゃ、また大儀な。馬の世話しか出来ぬおぬしがのう」


「でも、おら、ほんと言うとな」


 老女の背中で手を止めた忠吾は、目を閉じる。


「あの『白雲』が、鷹原を走る姿を見れるのが嬉しくての」


 忠吾の言葉に老女は目を見開く。


「馬鹿者! おまえが馬の世話をして食っていけるのは、忠治が命をかけて殿様を救ったことへの御恩である事を忘れるな」


 かつて、御本家が侵略の危機に陥った際、忠吾の父、忠治は、分家の殿様の騎馬侍として出陣した。

 総崩れとなった御本家の軍勢の中、騎馬隊のしんがりの命を受けた忠治は鬼神のごとき活躍で、殿様の命を救ったという。


 騎馬侍として落伍した忠吾に、殿様は馬役の録を与えた。


「鷹狩りでは、しっかりと供をせい」


 うなだれる忠吾を見た老女は再び、目を閉じる。


「忠吾、手が止まっておる」



     *



 城下から菜の花が咲き乱れる小川沿いの道を進むと、鷹が原という草原に出る。かねてより、騎馬の訓練場であった平原は平時には鷹狩り場として使われている。



 早春の抜けるような蒼天のもと、新緑の草原には、鷹匠組が発する声が響きわたる。


 御休憩所の天幕から、回りの馬と比べ、明らかに巨大な馬が歩み出る。『白雲』である。

 馬上には、筋肉で張り詰める右肩をはだけた殿様。付き従うのは忠吾。

 

「忠吾よ、『白雲』はなんと言っておる」


 殿様の言葉に、忠吾は馬上を仰ぎ見る。

 空の光を背負う殿様に忠吾は言う。


「はよう走りたくてウズウズしちょる、と申しております」


 殿様は、忠吾も驚くような大声で笑う。回りの役人達が、何事か、と『白雲』の回りに集まる。


「さようか、ウズウズとは、さもありなん」


 ひとしきり笑い終えた殿様は、真っすぐと平原を見遣る。


「いくぞ。忠吾、しっかりついて来い」


 頷く忠吾を見た殿様は、「ハッ」と掛け声を上げ、鞭を入れる。


 走り出した『白雲』の後を、騎馬侍達が後に続く。


 『白雲』は、まるで草原の上を飛ぶように走る。逞しく盛り上がった尻の筋肉。規則正しいひずめの音。後方を走る忠吾は、はずむ息にもかかわらず、知らず知らずに笑っていた。

 馬とは、やはり野を駆ける事を生業とする生き物。『白雲』の脈動する筋肉は忠吾にそう語りかけていた。



 草原の縁に点在する林に入ると、付近に騎馬侍の姿は無くなった。


 木漏れ日が差し込む小川。殿様は、下馬すると、『白雲』に小川の水を飲ませた。


「なあ、忠吾」 


 『白雲』の背を撫でながら、殿様は、膝に手をつき息を整える忠吾に話掛ける。


「ぬしの父、忠治がな」


 忠吾は、顔をあげる。


「しんがりを努める時に言った言葉がな」


「はっ」


 光の筋のごとき木漏れ日が、『白雲』の白斑を浮かび上がらせ、側に立つ殿様は、まるで天上からの使者の様に見えた。

 忠吾はあまりにも神々しい光景に思わず膝を地面につく。

 しめった土の感触が膝から全身に広がる。


「『黒雷』は死にたくてウズウズしとります、だった」


 『黒雷』は、しんがりを努める忠治に殿様が送った黒馬である。その背には、あたかも稲妻のごとき、黄金色のたてがみが生えていたという。


「忠治と俺は、城下で供に剣を交えて育った仲でな」


 殿様は、『白雲』の背を撫で続けている。

 誰が言ったか、鷹原の龍虎。殿様と忠治は、城下の道場の門下生達から怖れ、敬われていたらしい。


「なあ、忠吾よ。お前にだけは、伝えておく」


 殿様は、『白雲』から手を離し、地面に膝をつく忠吾に向き合う。


「関白殿の軍勢が行軍の準備を始めたという。この鷹原はな、御本家の弔いのために戦をしなくてはいかんだろう」


 忠治が打ち死にした戦の後、御本家は一族郎党にいたるまで惨殺された。腹を切る事さえ許されず。


「忠吾よ。もし、鷹原が落ちたときには」


 殿様は一旦言葉を切ると、『白雲』の背に跨がった。


「この『白雲』を野に放してやれ」


 言い放ったのち、殿様は掛け声を出し、『白雲』に鞭を入れた。



     *



 馬役の朝は早い。まだ日も昇らぬうちから、干したカイバを集め、汚れた小屋から藁や糞を掃き出し、一頭一頭、背中に櫛を入れてやる。

 特に忠吾は、他の馬役より一刻ほど早く登城し、丁寧に仕事を進めていく。


 彼の馬小屋には、『白雲』の他は、年老いた老馬や戦で怪我を負った騎馬が飼われている。

 現役の騎馬は、いざ戦となれば、いつでも出陣できるよう、早朝から準備を行うが、忠吾の働く馬小屋の役人達は、昼前にやっと顔を出す。


 馬役頭が酒の席で曰く、


『閑職 閑馬 伴に 完日の下 官食を噛む』


らしい。


 忠吾にその唄の意味は分からなかったが、回りの馬役達は、乱れた髪を振り乱し笑っていた。



 忠吾は一頭一頭に話かけながら、背に櫛を入れていく。


 かつて、騎馬として戦場を駆け回った老馬には、その栄誉を讃え、必ずまた必要とされる、足にやじりを受けた若い騎馬には、傷は必ず治る、と言い聞かす。


 だから、彼は馬達に騎馬と同じ生活を送らせていた。

 酒の席で馬役頭が曰く、


『のろま吾忠、のろまが過ぎて、昼が午後』


らしい。やはり忠吾にその唄の意味は分からない。回りがどっと笑ったから、彼も一緒に笑った。



 朝日が差し込む馬小屋の奥。空中に舞ったホコリが光の筋を作り出す。忠吾が一番好きな光景である。

 水が入った樽を床に置いた彼は、光の中、じっとこちらを見つめる『白雲』を眺める。

 まだ肌を刺すように冷たい水の中で雑巾を洗い、絞る。


 『白雲』の肌を拭いてやると、その肌から湯気が立ち上がる。


 『白雲』と『黒雷』は異母兄弟だったという。

 兄弟なら気持ちが通じるのだろうか。

 忠吾は『白雲』に尋ねる。


「死にたくてウズウズすることなんてあるのかの?」


 『白雲』は、真ん丸の黒い目で忠吾を見つめていた。

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