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メンフクロウ  作者: 機里
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最低な僕



 自転車に乗っている時、僕は、僕を感じなくていい一瞬がある。風と一緒になって道を進むとき、僕は僕でなくて、風になっている。地球のすべてを、好きなように駆け巡る風の子どもになったように思う。このままペダルを踏み続ければ、自分の思った場所すべてに、行くことができるんじゃないかと思う。

 木枯らしは、僕の背後から僕を押し出してくれる。いつもより心なしか軽いペダルは、そんな妄想をさらに強く後押しする。ママチャリだから格好はつかないけれど、競輪の選手みたいに体を前に倒してみる。大気は、僕のために道を開けてくれる。また、一段、速度が上がった。

 けれど、僕の気持ちに歯止めをかけるように、現実を見なさいと訴えてくるように、目の前の信号は赤に変わった。


 止まれ。


 何を止めればいいんだろう。いっそのこと、僕の息の根を止めてくれれば、本当の意味で僕はこの地球をぐるぐる回る何かに、なれるかもしれない。僕の気持ちは、一気に急降下した。そして、これから塾に行かなければならないと思うと、重苦しい鎖がぐるぐると絡みついていくのを感じた。ペダルが重い。











 塾に着くと、なぜか、いつもより騒々しかった。何かあったのかもしれないけれど、僕には多分関係がないだろうと思って、自分の教室に向かった。

 今日は一つ目の授業が、オカマ先生の英語だ。それだけで僕は、昨日のことを思い出して、憂鬱になる。

一刻も早く、受験なんて終わってしまえばいい。けど、それまでに僕は、なんとしても成績を上げなきゃいけない。でも、無理に決まっている。

 今から諦めていたら、だめだと分かってはいるけれど、現実と目標のギャップは、そう簡単には埋められない。無駄な努力は、するだけ無駄だ。けど、努力しなくちゃ、目標になんて辿り着けないことも知っている。

 考えることが嫌になる。いつまで経っても、同じ考えがぐるぐるぐるぐる回っているだけで、一歩も前に進まない自分が悲しいくらい醜いと思う。

 学校の人権の授業では、


「人は一人ひとり、かけがえのない特別な存在です」


なんて、先生は教えるけれど、だったら僕は、どんな風に特別なのかを教えて欲しい。勉強も運動もできない。なら、なにで僕は特別なんだろう。それを知ることができれば、僕は、がんばることができるかもしれない。

 また、


「同じ命は一つとしてない」


 とも言うけれど、


「産まれて来たことが奇跡だ」


 なんて、恍惚めいて言うけれど、たとえば産まれて来た瞬間に亡くなってしまう子どもに、意味なんてあるんだろうか。僕みたいに何の取り柄もない人間に、意味なんてあるんだろうか。あるとしたら、取り柄がある人間にとっての見下す存在なんじゃないだろうか。

 僕は首を振った。このままじゃ際限なく虚しいことを考えてしまう。

そろそろ授業が始まる頃だろうから、テクストを開いて準備をしなくちゃ。

そう思って顔を上げて、時計を見た。二十分も授業開始時刻をすぎていた。

 僕は慌てて、テクストを取り出した。授業に遅れてしまう。

テクストを取り出してから気が付いた。先生がいなかった。生徒たちのおしゃべりも続いていた。いや、おしゃべりというよりは、ざわめきだった。ざわざわと、みんなが先生が来ないことを訝しんでいる。

 でも、誰も先生を呼びに行ったりしない。

 僕らBクラスは、四つあるクラスの中で、下から2番目だ。落ちこぼれではないけれど、それほど成績のよくない普通の生徒たちが入るクラスだ。だから、みんな進んで勉強したがる人はいない。


「なぁ、そろそろ誰か先生呼びに行かないと、怒られるんじゃないか」


 と誰かが、みんなに聞こえる大きさで言った。

それに釣られるように、みんなが口ぐちに、


「言い出しっぺが行け」


 だの、


「成績が一番良いやつが行け」


 だの。嫌なことを押しつけあう。

 僕は、そんな姿をぼうっと眺めていた。自分には、白羽の矢は立たないと思うから。

 僕は、中三になってから、この塾に入っただけの新参者だから、ほとんどの人と仲良くない。こういう時に、いや、こういう時だけはみ出し者で良かったと思う。

 結局言い出しっぺが行くことになったようで、名前も知らない丸刈りの男子生徒は、講師詰め所にゆっくりと、歩いて行った。

 しばらく後、先生を伴ってその生徒は帰ってきた。さっきまでと印象が違っていた。その生徒は、うつむきがちに自分の席に戻った。

 オカマ先生も、いつもと違う暗い雰囲気でホワイトボードの前に立った。みんなの雰囲気も引き締まった。これから何が始まるのかという、期待と不安が空気ににじみ出ていた。












「特進クラスの後呂巧くんが、昨日の夜うちの塾からの帰りに、車に轢かれて亡くなりました。ですので、今日の授業はなしとします。そして、明日は後呂くんのお葬式がありますので、参列される人もたくさんいるでしょうから、明日も授業はなしとします。おって塾から時間割などの変更は連絡しますので、気持ちを落ち着けて来てください」


 オカマ先生は、いつものしなのある手振りをせずに、事務的な口調でおかしなことを話した。

 誰がこの言葉で、後呂くんが亡くなったことを理解しただろう。少なくとも、僕はできなかった。できてたまらないという思いだった。話したことなんてなかったけれど、毎日のように見ていた。確かな存在感を持って、そこにいたはずの彼が、突如としてこの世から姿を消したなんてこと、僕には信じられなかった。

 だって、おかしいから。後呂くんは僕にとって、いわば憧れだった。その立ち位置に僕が替われればと、何度も願った。そんな、いなくてはならない彼がいなくなった。

 もし、この世からいなくなるのだとしたら、僕の方だと思った。何の取り柄もない僕が、退場しなければならない役だと思った。アクション映画で、真っ先に殺され、一度もスポットを浴びない端役のように。僕が消えたかった。

 僕が消えたところで、誰も困らないから。両親は少しばかり悲しむかもしれないけれど、僕には妹だっている。だから、一人減っても金食い虫が一人減るのだから、長い目で見れば良いことはずだ。

 僕はざわめき立つ心を、うまく落ち着けることができなかった。理不尽なこの世界が、憎くてたまらなかった。何もない自分を、許せなかった。

 昨日の夜、僕は自分を呪いながら帰って生き延びて、彼は希望に満ちた世界を夢見て帰り、いなくなった。彼は僕が憧れた、風になってしまった。

 出したばかりのテクストを、鞄に入れ直す。テクストの端が折れた。でも、気にならなかった。周りでみんなが、口ぐちに何か話しをしているけれど、僕の耳には入らなかった。世界が、無音になっていた。


 なんで?


その単語が、ずっと僕の頭の中で響き渡っていた。

 講師詰め所の前で、先生たちが生徒の質問責めにあっていた。僕と同じで信じられない人たちが、真偽を確かめているのかもしれない。通路では泣いている生徒や、涙をかみ殺している生徒がたくさんいた。


 僕は、今どんな顔をしているだろう。


 その生徒たちの間をすり抜けた。玄関までたどり着いて思った。

 彼は、こんなにもたくさんの人の心を痛めるだけの存在だった。やっぱり、死んではいけない人だった。でもだからこそ、今こそ僕が、彼の立ち位置にのし上がれるんじゃないだろうか。彼のように愛される人間になることができるチャンスが来ているんじゃないだろうか。

 僕は顔を上げた。少しだけ、希望が見えた気がした。玄関から先には、僕が顔を上げ続けることのできる場所が広がっているような気がした。その希望の扉に手をかけて思い出した。

 志野さんは、どうしているだろう。後呂くんがいなくなった後、志野さんの隣には、僕の座れるイスがぽっかりと空いているんじゃないだろうか。今慰めてあげることで、僕は彼女の中で形あるひとりになれる。

 僕の周りに音が帰って来た。

 僕はきびすを返して、特進クラスの教室へ向かった。












 特進クラスの場所は知っていたけれど、入ったことはなかった。近づきたくもなかった。特進クラスの生徒は、僕たちを見て安心したような顔をする。こんなに下がいるという安心感を得られているみたいで、寒気がした。だから、僕は近づかなかった。

 けど、今は違う。僕は、志野さんを慰めるために、行かなくちゃいけない。

 教室の扉を開ける。その途端、異様な雰囲気が僕を包んだ。

 当たり前だ。クラスで一番の成績の人の死を知らされたのに、平気でいられるはずがない。それに僕のクラスとは違って、ずっと毎日一緒に勉強をしてきた友だちがいなくなったんだから、その衝撃は計り知れない。

 僕は、扉の近くに志野さんを発見した。僕は悠々と歩いていく。

 何人かが僕のことを怖い目で見たけれど、気にしない。今の僕は、何も怖くない。これからヒーローになるんだから、怖がってなんていられない。

 僕は、志野さんの机の前でしゃがんで、志野さんの顔の高さに合わせる。

こうやって視線を合わせると安心する。あの夢のおかげで、僕はこうできるのかもしれない。


「志野さん。大丈夫?」


 志野さんは、声を上げずに泣いていた。こぼれ落ち続ける涙が、綺麗だった。僕の声に少しだけ顔を上げて、僕を見た。涙に濡れた目が、僕を歪んで映す。きちんと僕が見えているのか不安だった。

 志野さんは、口を開けることができなかった。僕を一目見た後、またうつむいて、しきりに泣いていた。

 僕は、辛抱強く待った。こういう時は、あっちが何かを話し出すのを待たなければいけない。そんな気がした。

 十分近く待っただろうか。ようやく涙が枯れたのか、志野さんは再び顔を上げた。

 彼が志野さんに流させた涙は、せいぜい三十分程度なのかと思うと、少し嬉しくなった。


「大丈夫?」


 黙っているのは限界だった。僕は、目が合うのを見届けてから、同じ台詞を言う。

 志野さんの顔は、途端に真っ赤になった。


「大丈夫だと思うの!」


 僕はびっくりして、尻餅をついた。怒るなんて予想外だった。なぜ怒らせてしまったのかなんて、わからなかった。僕は今なら、彼の立ち位置を奪えるはずだった。

 それなのに、どうして。


「大丈夫じゃないから泣いてるの。大丈夫じゃないから……大丈夫じゃないことくらい……見てわからないの。こんな時に、そんなこと聞くなんて……最低っ」


 志野さんは、そんなことを言った。

 僕の耳には、最後の最低という一言以外は、記憶にほとんど残らず、通り抜けて行った。













 僕は何もする気が起きずに、朝が来てもベッドに倒れ伏したままだった。忘れようとしても忘れられない。



「最低」



その一言が、頭に長年放置された汚れみたく、こびり付いている。

 僕は結局、誰かの替わりになんて、なれやしないことを理解した。それは当たり前のことだった。

 それなのにあの一瞬、僕はそんな大事なことを忘れた。もし、いつでも誰かと替われるのなら、僕はずっと前に誰かと替わって生きていた筈だ。それができないから、今まで僕は僕として生きてきた。

 僕は、どうしようもなくバカだ。


「智也。起きなさい」


 母親の声がした。一睡もしていないせいで、声がとても遠くに聞こえる。


「行かない」


 できる限りの大きな声でそう言った。でも、出てきたのは、ガラガラに乾いた、獣のような声だった。


「大丈夫、体調悪いの?」


 母さんは、部屋の中に入ってこない。僕はそれ以上返事をしないことで、放って置いて欲しいということをアピールする。

 母さんは、しばらく扉の前に立っていたみたいだけど、そのうちに気配が消えた。

 そして、母さんもパートに出かけて行って、ようやく一人になれた。そう思ったのが、きっかけだったのか、僕は抗いがたい強烈な眠気に誘われて、眠りに落ちた。












 そしてまた、夢を見た。また、あのデパートだった。今度は怖くなることはなかった。むしろ、ずっとここにいたいと思った。この夢の中にいれば、僕は誰かになる必要もなくなる。最低と、その言葉を言われずに済む。僕は、傷つかずにいられる。

 おばあちゃんが出てきた。僕は歓迎した。一人でも良いと思ったけど、おばあちゃんなら、構わない。こんなに僕のことを愛してくれて、安心させてくれる人はいない。


「智也」


 おばあちゃんはまた、小学生になった僕の背の高さに合わせてくれる。その優しい笑みで、僕を守ってくれる。おばあちゃんは僕の頭をふんわりと、こそばゆく撫でてくれる。


「おばあちゃん。僕、おばあちゃんと一緒にいるよ。ずっと」


 僕はそう言った。本心だった。おばあちゃんと一緒にいたい。

 おばあちゃんは笑った。歯を見せて笑った。

 歯が見える?

 僕は心の中で首を傾げた。おばあちゃんは、歯がなかったんじゃなかったっけ?

 そう思った途端、おばあちゃんの口が裂ける。


「こんな私でもかい?」


 おばあちゃんは言う。目は赤く変色した。すべてがセピア色の世界で、目と口の中だけが、赤く輝いている。

 爪が伸びていた。

 もう僕の知っているおばあちゃんではなかった。

 おばあちゃんだった者の手が、僕に向かって伸ばされた。僕は、身を翻して逃げる。その僕の耳元を、風を切り裂くような衝撃音がした。





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