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メンフクロウ  作者: 機里
1/3

志野佐里

 フクロウ。

 夜行性の鳥類。

 のっぺらぼうのような顔と、自由自在に動かせる奇怪な首。

 太古の昔や田舎の伝承によれば、知の神の使いとも、死霊とも言われる二律背反な存在である。



 最近では、もっぱら福を呼ぶ鳥とされる。



























「はぁーい」


 そう言って、ひらりと手招きするように、しなを作るように手のひらを動かす。その動きはなんだか、オカマのようだと思う。それが理由で、この先生のあだ名はオカマ先生になった。この先生が教室に入ると、みんな笑いを押し殺すのに必死だ。


「Bコースのみなさんは、今日はここからですね。現在完了形の復習から始めましょう。テクストを開いて」


 その言葉で、みんなが一斉にテクストを開く。その音が、教室内を支配する。操り人形みたいだ。僕も遅れながら、テクストを開く。一人開くのが遅れると、何も悪いことはしていないのに、叱られるんじゃないかとひやひやした。

 授業が始まっていくけれど、いまいち集中できなかった。


「安藤くん。この場合の言い換えは何かな?」


 僕が、集中していないのを、見咎めたのか、オカマ先生があててきた。


「えっと……」


 どこのことを言っているのか、わからなかったけど、ちょうどページ内で問題になるような箇所は一つしかなかった。


「アイ ハヴ ビーン ヒア シーン ファイヴ オクロック」

「違います」


 と、即答された。僕の中で、かなり自信のある答えだったのに。


「別の問題を他の人に当てますから、もう一度考えておいてください。また、最後に安藤くんに当てますから」


 僕は、小さく頷くことしかできない。緊張と恥ずかしさから、変な汗が吹き出している。

みんなが順番に当てられていく。僕は残り少ない考える時間を、テクストとにらめっこするが、さっきの答えのどこが間違っているのかなんて、わからない。横の人に何が間違っているかも聞けない。そんなことをすれば、笑い者かもしれない。他の人の邪魔をするなと、オカマ先生に怒られるかもしれない。

 答えなんて見つからない内に、問題はすべてみんなが答え終わり、僕に戻ってきてしまった。

喉が乾きすぎて痛い。


「安藤くん。もう一度お願いします」


 僕は、仕方なくもう一度、さっきの答えを繰り返す。わかりませんと答えたところで、きちんと考えなかったと怒られるのなら、何かを言った方が良い気がしたのだ。だけど、それは失敗だった。


「アイ ハヴ ビーン ヒア シーン ファイヴ オクロック・・・・・・」


 オカマ先生の頬が桃色に変わる。怒るときや興奮したときの変化だった。


「こんな問題もできないんですか。授業後、もう一度言いに来なさい。みんなは、こんな問題の答え、しっかり知っていますよ」


 萎縮する。みんなのクスクス笑いが聞こえる。僕も一緒になって笑えればいいのにと思うけれど、そんな風にはできない。僕は、おずおずと席に着いて、なるべく当てられないように、目立たないように、みんなの中に埋没しようと、努力した。

 こんな時、僕は、どうしてこの塾に入るなんて言い出したのだろうと思う。もとはと言えば、自分で言い出したことだから、今更辞めたいなんて、言い出せない。

好きな子が、この塾にいた。告白をするなんてことはできないけれど。したって結果は目に見えているから。せめて、同じ高校に進学したいと思った。今の自分の成績じゃ、全然届かない。だって、志野さんは、僕の中学校では、トップに近い成績なんだから、志望校も当然トップの公立だ。だけど、こんな自信のない僕でも、頑張れば同じ高校に行けるかもしれない。そうすれば、なんとか告白だってする勇気がでるかもしれない。志野さんも見直してくれるかもしれない。そんな、不純な動機で、僕は塾に通いたいと思った。両親には、勉強をやる気になったという風な言い方をした。胸が痛んだ。それなのに、この有様だ。僕は僕に呆れる。

 授業が終わって、僕はテクストと筆記用具を鞄に詰めると、そそくさと教室を出た。そしてそのまま、オカマ先生のいる講師詰め所に行った。結局、答えはわからないままだった。


「失礼します」


 思っている以上に小さい声が出た。先生たちが、全員僕を見つめる。とても居心地が悪かった。先生がみんな、僕を頭の悪い生徒として、見放しているような気がした。


「安藤くん。こっちにおいで」


 オカマ先生が僕のことを呼んだ。それで僕はどうにか、足を進めることができた。そして、オカマ先生の前に立った。僕は磔にされた罪人の気持ちを想像した。


「さっきの答えは、何が間違っていたか、わかりましたか?」

「・・・・・・いえ、わかりませんでした」


 僕は、そう答えるしかなかった。何度も同じ答えを言い続ける方が怒られると思ったから、そう答えた。どちらにしても怒られると思ったが、オカマ先生は、特に何も興奮した様子はなかった。

その代わり、少しだけため息に似た息を吐き出した。


「答えはこうです。アイ ハヴ ビーン ヒア 【シーンス】 ファイヴ オクロック。分かったら、帰りなさい」


 僕は、頷いて詰め所を出た。

泣きたくなった。そして、苛立ちが募った。指摘された間違いが、あまりにも小さくて。そんな小さなもののせいで、僕はあれだけ恥ずかしい思いをしたのか。

 シーンとシーンスの発音の違いくらい大目に見ろよ。怒鳴りたかった。けど、そんなことをする勇気は、僕にはなかった。

 こんな理不尽な仕打ちにあって、こんな恥ずかしい思いをして、僕はバカで。ああ、もう死んだっていい。生きている意味なんてわからない。みんな、なんで勉強に必死になって何をしたいんだろう。良い学校に入って何をしたいんだろう。生きる理由が、みんなにはあるんだろうか。




 塾を出て、駐輪場へ自転車を取りにいった。そこで、僕は見たくない場面を見てしまった。

 志野さんと、男の子が一緒に居た。二人きりで。仲良さげに話しをしている。

暗い駐輪場で、月の明かりだけの光源の中で、密やかに話しをしている二人は、悔しいけれど、お似合いだと思ってしまった。一緒にいる男の子は確か、後呂巧くん。喋ったことは、多分ない。でもたくさん噂は聞いている。この塾で一番成績の良い人だ。私立中学出身で、顔も僕より断然いい。僕が太刀打ちできる要素は何一つない。頭が良い二人はベストカップルだ。

 僕は、二人の姿を眺めることしかできなかった。自分が自転車を取りに行くことで、二人の良い雰囲気を壊してしまうことが、なんだか怖ろしかった。それこそ僕は、居ない方がいい人間になるような気がした。

 志野さん家の車が迎えに来て、二人が別れるまで、僕は建物の影に隠れ続けた。

手がかじかんで痺れていた。

別れる時に、後呂くんが、志野さんのおでこに、でこピンをした。


「痛い」


と声が聞こえたけれど、それは決して嫌がっている声じゃなかった。

それが苦しかった。泣きたかった。泣いたって良かったけど、泣いてしまったら負けたみたいで嫌だった。とっくの昔に負けているのに、今更意地を張ったって、意味なんてないのに。

 僕はよろよろと歩く。誰もいない駐輪場に残された、僕の自転車の元に行く。ごく変哲もないママチャリ。でも、さっき見た後呂くんの自転車は、かっこいいマウンテンバイクだった。こんなところでだって、僕は負けている。

 自転車に跨って、僕は家へと急いだ。早く帰りたかった。そして、眠ってしまいたかった。眠っている間は、自分が嫌いだなんて考えなくて済む。

 けれど、ゆっくりと家に帰らなければいけなかった。冬の始まりを告げる木枯らしが、僕の進行方向から吹いて、自転車のペダルは重くて、いくらペダルを踏んでも思うように前に進まなかった。

後呂くんの家は、僕と逆方向。後呂くんは、今頃、追い風を受けて、ぐんぐんスピードを上げて、僕から遠ざかって行くんだろう。ただでさえ遠いのに、僕よりも早いスピードで進んでいくのだろう。

 僕は、時折思う。僕と後呂くんが入れ替わったりできないのだろうかと。入れ替われれば、どんなに嬉しいだろう。こんな風に、僕は、僕を責めなくてもよくなるのに。

 空を見上げる。僕の好きな星空は、雲でところどころ隠されて、まだらで、お気に入りのオリオン座は、見ることができなかった。











 その日、僕は珍しく夢を見た。

 僕の夢は、いつもセピア色をしている。夢というより、昔の古い映画を強制的に視聴させられているという感じに近い。

 僕は、小学生くらいの頃にタイムスリップしていた。小さくて、弱くて、でも、今より心はずっと強かった。そんな時代。今の僕からしたら憧れる。悩みなんてほとんどなかったこの頃に、僕は戻りたいと思っているのかもしれない。

 僕はセピア色をした、広いフロアに、独りぽつんと立っていた。色々な商品が、店舗ごとに区分けされて置かれている。どうやら、デパートのようだと思った。

 懐かしい、と僕は感じた。見たことのない場所だったのに、そんな風に思った。

 レジを見つけて近寄ったけれど、そこにも人はいなかった。人がごった返しているはずの場所なのに、誰ひとり、人がいなかった。少し僕はウキウキした。こんなに広い場所に、なんでもある場所に、僕は独り。自由だと思った。秘密基地にしよう。なんて僕は思った。

 けれど、しばらくして、そんな気持ちは萎えていく。独りだということは、だんだん心細くなる。物は溢れかえっているけれど、それを使うのは、僕一人だけだった。

使われない物たちは、寂しがっているように感じる。身を寄せあって、寂しさを紛らわせようとしている。でも、そうやって群れることが、より寂しさを増幅させるんだと、僕は知っている。

 今の僕には、寂しさを紛らわせる行為すらできない。誰かに会いたかった。誰かと話しがしたかった。


「なんで誰もいないの?」


 僕は、広々としたフロアの真ん中で、そう問いかけた。もちろん答える声はなかった。僕の声は、反響して、こだまのように繰り返していた。それが、きっかけになったのか、僕はどんどんと怖くなってきた。独りが怖くなった。だって、確認できないから。本当に自分がここにいるのか確認できない。僕が僕なのかがわからない。

 夢の中で、僕は理解することになった。人は、人の中にいなくっちゃ、自分を自分だとわからないんだ、なんてこと。

 僕は、脱出しようと、逃げるように走り出した。エスカレーターを見つけて、下へ下へと降りて行く。一階の表示を見つけて、外に出るドアを探す。けれど、ドアは見つからない。

 泣き出してしまいそうだった。一刻も早く、ここから逃げ出したい。


「智也」


 僕を呼ぶ声がした。はじめて、人の声を聞いた。それだけで、涙が溢れてきた。我慢なんてしていなかった。小学生の頃の僕は、涙を流したいだけ流していた。だから今は、泣いてかまわない。

 僕は、声をした方に振り返る。そこには、優しかったおばあちゃんがいた。おばあちゃんは、僕が小学校に上がって間もなく、亡くなった。ああ、ここは天国なのかもしれない、なんて思った。


「迷子になっちゃったのかい?」


 やんわりと笑いながら、おばあちゃんは、僕に話しかけてくる。腰が悪いのに、わざわざ腰を落として、僕の視線に合わせてくれる。視線の高さが合えば、僕が安心することを、おばあちゃんは知っていた。

当然、おばあちゃんもセピア色をしていた。亡くなった後、両親に見せてもらった、おばあちゃんの写真の色合いそのものだった。写真の中から抜け出してきてくれたのかな。僕は、そう思ったら、もっと泣けてきた。


「よしよし、智也は泣き虫だね。でもね。泣けるのは良いことだよ。たくさん泣いた分、優しくなれるからね」


 おばあちゃんは、僕の頭を優しく撫でてくれる。そのふんわりとした感触が、心地よかった。ずっと、こうされていたいと思った。












 目が覚めると、まだ夜だった。喉が乾いて痛かった。僕は、洗面所まで言ってうがいをして、水を飲んだ。ふと鏡を見ると、僕の顔には、白い筋が何本もついていた。涙の後。寝ながら泣いていたんだ。そう思って、夢の内容を思い出すことができた。もう一度寝ようと思った。もう一度、おばあちゃんに、頭を撫でてもらいたかった。ずっとずっと、撫でていて欲しい。











 その後、僕は眠ることができなかった。もう一度、あの夢を。そう思って、夢の内容を思い返せば思い返すほど、目が覚めていってしまった。

 口が裂けそうなくらいの、大きな欠伸が出た。


「こら、安藤!」


 びっくりして、僕に襲ってきていた眠気は、一目散に逃げ出した。それで、今が、学校の授業中だったことを思い出す。夜眠れなかったツケが、今になって影響していた。


「すいません」

「お前、さては昨日夜更かししたな。お盛んなのはいいことだが、ほどほどにしておけ」


 保健体育の教師が、にやにやと品のない笑みを浮かべている。周りの男子が、一緒になってにやにや顔を、こちらに向けている。一部の真面目な男子は、


「女子がいたらセクハラって呼ばれるぞ」


と先生に向かって言う。

そういうことを、避けているわけではないけれど、こうやって囃子立てられることに使うのは、何か違う気がすると、僕は思う。

けれど、主張できない僕は、一緒になってにやにや笑いをしながら、悪いことがばれた子どもに扮して、頭を掻いてみせる。

 自分が、腐っていく匂いがした。












 授業が終わり、放課後になった。最近、徐々に陽が落ちるのが早くなった。夕刻、独特の色の変化が、僕は好きだ。懐かしい気持ちがする。どこか、世界から置いて行かれたような孤独感が、好きだ。とそこまで考えて、それが、夢で見るセピア色の世界と、どこかだぶっているように感じた。


「安藤くん」


 感傷に浸っていた僕に、高い声が呼びかけてきた。その声は、僕の胸の奥の方を掻き毟る。僕の涙腺を刺激する。


「志野さん、何?」


 と僕は、ぶっきらぼうに答える。好きな人に、悟られたくなかった。悟られたら最後、志野さんは、僕に声をかけてすら、くれなくなるような気がする。だから、僕はことさら、どうでもいいようなフリをする。そうしなきゃならないことが、辛い。


「今日、ずっと目が赤かったけど、大丈夫?」

「え?」


 志野さんが体を近寄らせて、僕の目を覗き込んでくる。石鹸の香りがした。

 途端、ずん、と体の奥の方から熱が昇ってきた。熱は、僕をそのまま飲み込んで、顔も耳を熱くしていく。今僕は、体中のすべてが真っ赤になっている、と思うと、余計に熱は僕を飲み込むスピードを上げていく。


「わ、赤くなってる」


 気づかれた。恥ずかしい気持ちと、好きだという感情がばれないかという気持ちで、僕は混乱する。


「だ、大丈夫。ちょっと怖い夢、見ただけ」


 そう答えて、その答えがとても子どもっぽくて、男らしくないことに気づいて、隠れたくなった。


「そっか、怖い夢見たんだ。私もよく怖い夢見て眠れなくなる。一緒だね」


 一緒だね。

 そんな一言が、この上なく嬉しかった。こんな僕でも、好きな人と共通点があった。そんなちっぽけなことが、嬉しいという気持ちを、後から後から膨らませていく。

 男らしいことじゃなくても、志野さんと同じなら、このままでいいとさえ思った。


「おーい。佐里ー。帰るよー」

「はーい。ごめん。みんなに呼ばれてるから帰るね。今日も塾だけど、家に帰って少し眠ってから来なきゃだめだよ」


 志野さんは、いつも一緒に帰っている女子のグループと教室を出て行った。僕はその後、志野さんとの、短い会話を幾度もリフレインした。けど、最後に僕は、僕に戒めをかける。調子に乗らないように戒める。志野さんは、誰にでも優しい。他の男子が相手でも、同じように心配してくれる。僕だけのことじゃない。

 僕は、彼女の特別では決してない。




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